2 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:13:13 bv4 1/14

 小日向美穂主演のラブストーリーは、突然終局を迎えた。

 汲んでも汲んでも汲みきれないように思われた、

 恋の泉が空っぽになってしまったのだ。

 そのことに対する戸惑いと年齢特有の、異性に対する潔癖に彼女は苦しんだ。

 私、どうしちゃったんだろう?

以前まではあれほど熱っぽく見つめていた男の動作1つ1つが、

途轍もなくいやらしく感じてしまう。

 冷めてしまった、と言えばそれまでのこと。

 しかし小日向美穂にとって、これはアイドルを続けていく上で死活問題なのだ。

元スレ
小日向美穂「ラブストーリーは突然に」
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1501168356/

3 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:14:17 bv4 2/14

 彼女のアイドルに対する情熱の炎は、

 大部分がプロデューサーに対する恋慕という薪をくべて燃え上がっていた。

 それが消え失せた今、なにをたよりにして仄暗い世界を歩いてゆけばいいのか。

 それがわからない。

 わからないがゆえの苛立ちが、すべて男への嫌悪へと転じる。

 徹夜明けの体臭、タバコの匂い、ちょっとした寝癖やネクタイの乱れ、

 シャツのシワや、数秒にも満たない欠伸まで。

 美穂は最低限仕事の伝達を行うだけで、プロデューサーと距離を置くようになった。

4 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:14:37 bv4 3/14

 しかし、情熱の喪失を隠し通せるほど美穂は器用ではない。

 表情が強張り、言葉には思いが籠らない。

 仕事は次第に減少し、ただ家でぼうっとしている時間が増えた。

5 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:15:15 bv4 4/14

 夜の9時、女子寮の一室。

 美穂は「プロデューサーくん」と名付けた白いクマのぬいぐるみを抱きながら、

 2人が出会ったときのことを思い返していた。

 人並み以上のはにかみ屋で、ちょっと自分に自身がなかった頃の自分を、

 プロデューサーは「可愛い」と言ってくれた。

 今考えて見れば、馬鹿馬鹿しいほど単純に、彼女は男に恋をした。

 アイドルになったばかりの頃。

 恐ろしくて…世界のすべてが敵にしか見えなくなるような、

 苦しい時もそばにいてくれて、声をかけてくれた。

 そのことに対する感謝の気持ちはいまでも、失っていない。

6 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:15:43 bv4 5/14

なのに、かつての慕情が湧き上がってこない。

 自分がひどく薄情な人間になってように感じて、美穂は強く、

 強く、ぬいぐるみを抱きしめた。

 本当はプロデューサーのことを好きじゃなくなってしまう自分が、一番嫌。

 じりじりと胸を焦がすような恋をしていたから、魂に火が灯っていたのに。

 
 美穂は他のアイドル達のことを考えた。

 彼女達は、どうしてアイドルを続けれらるのだろう。

 みんなを笑顔にしたいから。

 自分の魅力が、どこまで世界に通用するのか試してみたいから。

 アイドル前の人生をひっくり返したいから。

 お金がほしいから。

 他人より上にいないと気が済まないから。

 動機、理由は様々だが、美穂は途中で諦めたアイドルを知らない。

 皆まっすぐ、自分の筋を通して道を皆走り続けている。

 自己嫌悪に疲れ果てた美穂は、そのうち眠りについた。

7 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:16:08 bv4 6/14

 翌日女子寮を、美穂の母親が訪れた。

 美穂は「連れ戻されるのではないか」と身構えたが、

 ただ様子を見に来てくれただけだった。

 親の優しさを、優しさとして迎えなかった自分が恥ずかしくなる。

 それを紛らわすのと、疑問を解消するのを兼ねて、

 美穂は尋ねた。

「お父さんのこと、愛してる?」

 母親はちょっと困ったような顔をして、答えた。

8 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:16:48 bv4 7/14

 お見合い結婚だったから、恋愛をする間もなく夫婦になった。

 だから正直、男として愛してはいないけれど、夫としては信じている。

 美穂は訳が分からなくなった。

 その後、他愛ない会話をして、美穂の母親は帰っていった。

 アイドル活動について何も聞かないでくれたことを感謝して、美穂は見送った。

 手を振りながら、思った。

 そもそも私は、どうしてアイドルを続けたいんだろう。

 情熱が失くなってしまったのなら、辞めてしまえばいいのに、

 必死でしがみつく口実を見つけようとしている。

 思考の堂々巡りで、頭が痛い。

 美穂は、誰かに打ち明けたい気持ちになった。

 自分の今の感情を吐露しても、困惑せずに受け止めてくれる相手に。

9 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:17:13 bv4 8/14

 美穂には親友がいる。

 同じくアイドルの島村卯月。

 特徴は、頑張り屋。それだけ。

 それだけでアイドル界の壁を超えて、美城の看板アイドルになった。

 性格は温厚で、人の言葉に真摯に耳を貸す。

 美穂は出来ることなら、卯月に相談したかった。

 しかし、自分の相談で彼女が思い悩むことを恐れた。

「それで暇そうに見えた私に声をかけた、と言うわけかい?」

 東郷あいは、皮肉っぽい笑顔を浮かべて言った。

「いえ、あいさんなら恋愛経験も豊富そうで、何かわかるかなって」

「“恋愛経験が豊富”…褒め言葉として受け取っておこう」

 ネクタイを緩めながら、

 あいはカフェテリアの椅子に腰掛けた。

10 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:17:35 bv4 9/14

「率直に言うけれど、馬鹿だよ」

 「馬鹿?」

 「そう、取り返しのつかないほどにね」

 むっとした美穂に構わず、あいは続けた。

 「私たちはずっとアイドルでいることはできない……。
  
  それでも10年か、長ければ20年この世界にいることになるんだ。

  そのパートナーを一時の生理的好悪で決めるなんて、無謀にもほどがある」
 
  美穂は言い返すことができない。

  正論である。

11 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:18:08 bv4 10/14

 「心や価値観はころころと変わるし、なにより人は飽きっぽいんだ。

  小日向君もよく知ってるだろう?」

  そう、美穂もよく知っている。

  一生ファンでいる、そんな風に嘯いていた人々が、

  自分から離れていく様を嫌と言うほど見てきた。
 
 「じゃあ、私はどうすればいいんですか?

  これから、何を信じてアイドルをやっていけばいいのか…」

  美穂は、震える声で尋ねた。

 「アイドルを辞める気はないんだね」

 「わかりません」

 「……まあいいさ」

12 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:18:35 bv4 11/14

 あいは肩をすくめた後、どこか遠くを見るような目で、答えた。

「かつて本気で恋したなら、その時の自分を信じればいい。
 
 “かつて本気で恋する価値があった”相手を、今度は信じてあげればいい。

 プロデューサーは、君がいままでアイドルでいられるよう、

 頑張ってきたんだから」

 美穂は、はっとした。

 17年間を父親、それ以上長い年月夫であり続けたひとだから、信じられる。
 
 積み重ねた日々を、その日々こそを大切にして一緒に生きてゆける。

 母親の言葉の意味が今、理解できた。

13 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:19:30 bv4 12/14

「私、プロデューサーさんに謝らなきゃ…」
 
 駆け出そうとする彼女を、あいは一度引き止めた。

 「“ありがとう”」

 「え?」

 「謝るんじゃなくて、ありがとう、って言うんだよ

  彼にそう言えるのは、小日向君だけなんだから」
 
  美穂は頷いて、“再び”、走り出した。

  自分がアイドルを続けようとする理由が、ようやくわかった。

  あの日々の美しさを、その時の気持ちを、無かったことにしたくないからだ。

  プロデューサーさんに会いたい。

  義務感や罪悪感ではなく心から、美穂はそう思えた。

14 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:19:53 bv4 13/14

  小日向美穂主演のラブストーリーは突然終局を迎えた。

  それでも美穂は、プロデューサーと一緒にアイドルでいることを選んだ。

  燃え上がるような恋慕の代わりに、小さな胸の温もりを携えて。

15 : 名無しさ... - 2017/07/28 00:19:58 bv4 14/14

おしまい

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