P「神はサイコロを振らない」【前編】
P「神はサイコロを振らない」【中編】
今の今まで俺達は勘違いをしていた。記憶がなくなるのは、イレギュラーたる10年前からの乗客だけ、俺達はそれを背負って生き続けなければならないと。しかしそんなに都合の良い話があるわけじゃない。消滅の運命が消えた時、今度は俺達の今の記憶が消滅して、新しい記憶に疑問を抱かないまま生きていくことになる。35人の乗客のために、世界は変革を余儀なくされるのだ。
それは、死を意味する。生きてはいる。しかし、それは俺ではない誰かだ。同じ名前、同じ顔。しかし歩んできた道は別物だ。
P「どうすればいいんだろう」
飛行機に乗っていない人間にどうにか出来るわけでもない。402便を運転していたの機長、副機長がマイクロブラックホールから逃げる運転をする。俺には何も出来ない。最後まで、俺は外野なのだ。しかし、俺にも出来ることがある。機長やCAが、最後まで乗客を届ける義務があるように、俺にはは最後の最後まで、みんなをプロデュースし続けなければならない。
P「戻るか」
貴音の話は心に留めておく。今はまだ、話すべきじゃない。お冷を飲み干し、スタジオへ戻る。
スタッフ「あれ、プロデューサーさん。どこ歩いてたんですか?」
P「ああ、すみません。少しSF談義をしてまして」
スタッフ「はぁ……」
スタッフに謝り、リハーサルを見学する。スタジオの真ん中で、千早が1人歌っている。圧倒的な歌唱力を持っていた彼女だが、アメリカでの武者修行により、これまで以上の歌唱力を身に着けた。この国最高の歌い手の1人とカウントしても良いだろう。生で聞くのは数年ぶりだが、彼女の息遣い、空気の震え、思いがひしひしと伝わってくる。やはり歌はテレビよりもライブに限る。
凛「凄い……」
そう思っているのは俺だけじゃなく、後輩アイドル達も彼女を肌で感じ、心を奪われていく。聴く人すべてを圧倒する、それが如月千早だ。彼女を目指す歌手やアイドルも多い。
千早「ありがとうございます」
春香「はい、千早ちゃんで約束でした! この曲はいろいろ思い出がある曲だね」
千早「私が再び歌えるようになった曲だから……。今でも鮮明に憶えています」
春香「素晴らしい曲の後に、このコーナー! 四条貴音のらぁめん探訪24!! それじゃあ中継とつなぎまーす! 貴音さーん!」
貴音『ずるずる……、なんと、繋がってましたか』
P「今から食べたら後で食べれなくなるんじゃないのか……」
本当に謎な存在だ。いや、頭を使うからお腹が減るんじゃ? そういうことにしておこう。
リハーサルは大きな事故が起きることなく進み、昼食休憩の時間になる。先ほどのカフェに戻り、日替わりランチを取る。局の中ということで、大御所芸能人も来るからか、味は一級品だ。その割に値段も安めなのがありがたい。
千早「そういえばプロデューサー、途中いなくなりましたが、どちらへ?」
P「あー、ちょっと他の仕事関係の電話がかかって来ててな。今すぐにって言うものだから、抜けさせてもらったんだ。すまないな」
美希「折角私のステージもあったのに、見てくれないなんてショックだよ?」
P「悪い悪い……。ほら、俺のプチトマトあげるからさ」
美希「そこはおにぎりかイチゴババロアが……、って無いよね」
春香「むぅ……」
P「いだ! 足を蹴るなぁ!」
春香「~♪」
P「知らんぷりっすか……」
4人で談笑(約一名絶賛嫉妬中)しながら、休憩を過ごす。カフェの外では、慌ただしく走るスタッフたち。別の番組のスタッフだと思うが、朝から夜までご苦労様と言いたいな。そういう人たちの縁の下からの助力があってこそ、番組が成功する。心の中で彼らに感謝をし、プチトマトを頬張る。
千早「そろそろ時間ですね。戻りましょうか」
時計を見ると、本番開始まで残り5時間を切っていた。否応なしに緊張が体に走ってくる。
その後もリハは続いていく。スタッフもアイドルも慣れたもので、時間が遅れることなく進行する。ただ、一部のアイドル達を除いて。
卯月「き、緊張する……」
凛「こういう大きな番組、初めてだからね」
杏「胃が痛い……。これは現代医学では治せない病気だよ、寝たら治るから寝ていい?」
きらり「大丈夫かにぃ? 杏ちゃんを癒すにょ!!」
杏「いだいいだいいだい!!」
かな子「うぅ……、食べ過ぎました……」
P「はぁ……、大丈夫か?」
まだ彼女たちは経験も浅い。露出が全くないわけでもないが、それでもこんな大きな番組は初めてだろう。アシスタントとはいえ、緊張するのも無理はない。それに、スタッフに無理を言って、彼女たちのステージも用意した。普段のレッスンを見て、大丈夫だと判断した結果だが、揃いも揃って体がガチガチだ。クールな凛ですら、どこか浮ついて見える。
春香「みんな緊張してますね」
P「適度な緊張は良いんだけど、下手すれば右手と右足を同時に出しそうなぐらいガチガチだからな……」
春香「でも懐かしいです。私も最初はこうでしたから」
卯月「え? そうだったんですか?」
春香「うん、逆に緊張しない人なんていないよ? みんな最初は怖いんだ。初めてのオーディション、初めての番組、初めてのライブ。今では自信持ってやっていけるけど、私だってみんなと同じ。むしろみんなよりひどかったかも」
P「そうだぞ? なんせ入る瞬間からずっこけて、全国放送でパンチラをやらかしたんだからな。あれでファンが増えたんだけど」
杏「それなんてどこのちゃん澪?」
春香「も、もう! 言わないでくださいよ!」
P「いでっ!」
げしっ! 太ももを蹴られる。日に日にバイオレンスになってやしませんか?
卯月「春香さんでも失敗するんだ……」
春香「そこまで凄い人じゃないよ? それに、リハはいくらでもミスをしていいの。むしろここでしとかないと、本番でしたら結構へこむよ?」
P「先輩の言うとおりだぞ。ミスを恐れちゃ、前に進めないぞ? そんなに気になるなら、今のうちにミスしておけばいいさ。本番で同じミスをしないように、な」
千早「その通りよ。硬いままじゃ、いいパフォーマンスは出来ないわ。気を楽に、ね」
凛「千早さんにそう言われると、気が楽になりますね」
春香「えー? 私も言ったのに……」
凛「春香さんも、です」
卯月「そ、それじゃあ! 765プロ、いって来まーす!」
卯月の号令で気合を入れ、ステージへと昇る。
卯月「ってうわぁ!」
どんがらがっしゃーん。
千早「ほんと、似てるわね」
春香「あははは」
シンデレラ達のリハーサルが始まる。歌詞を間違えたり、ステップを外すなど小さなミスはいくつか見えたが、リハでこれだけできるんだ。自信を持てば、きっと最高のステージを作れるだろう。
千早「昨日教えたこと、いかされてるわね」
美希「若いっていいなぁ、みんな素直で……。あっ、プロデューサー。その節はご迷惑をおかけしました」
P「い、今言うことか、それ?」
春香「こういうの見ると、こっちも負けてられるか! って気持ちになりません?」
P「そう思ってくれると嬉しいな。よし、テンションあげてくぞ!」
昨日のレッスンの効果が早くも発揮されたようだ。そしてそれが刺激となり、春香たちを燃え上がらせる。無駄になんかしたくないな。
P「なおさら、悩むな……」
春香たちが助かった場合、彼女たちはうちの事務所に所属したのだろうか? この瞬間と同じメンバーが集まっているのだろうか? ええい! 変なことを考えるんじゃない、俺!!
卯月「どうでした?」
P「良かったぞ。その調子で、本番もぶちかましてやれ!」
シンデレラ『はい!』
他のアイドル達もスタジオに戻ってくる。ここにいないのは、中継組だ。さて、そろそろだな。心の中でこっそりカウント。57、58、59、0。
春香「生っすか!?」
一同『ウェンズデー!』
春香「はい、始まりましたよ! 生っすか!? ウェンズデー! 土曜日じゃないからウェンズデー! 土日は24時間テレビを見ましょうね」
美希「それ、他局だよ?」
春香「そうだっけ?」
千早「もう、早く進めましょう」
美希「みんなー、久しぶり! 星井美希なの!!」
千早「こんばんわ、如月千早です」
春香「千早ちゃん、固いよ? そして私が、天海春香! 私たち3人は、眠らずに頑張りますよ! って美希、大丈夫なの?」
美希「春香、私=寝坊助キャラっていう先入観は違うと思うよ?」
千早「これから24時間、今までのテレビの歴史を塗り替える企画を続々とやっていきます。最後まで、お楽しみに」
春香「24時間ですよ、24時! それじゃあここで一曲! 私達3人で、MEGARE!!」
ステージを舞い歌う3人。テレビの向こうの反応は分からないけど、揃うことがないと思われた3人が再び集まったんだ。ファンのみんなが、望んでいたことだろう。彼女たちの最初のファンの俺だって、同じだ。生っすか!? は長い休止期間を経て、復活したんだ。それはとてもとても嬉しいことで、まだ始まって10分もたっていないのに、涙が流れそうで。
春香「さぁ、どんどん行きますよー! まず最初の企画はこれ! 響チャレンジ24!! 中継繋がってるよね? 響ちゃーん! あずささーん!」
響『はいさーい! みんなー、アンシミィドゥーサヌ(久しぶり)! 我那覇響だぞー!』
あずさ『我那覇……、じゃなくて三浦あずさです。皆さんお久しぶりですね~』
美希「あずさの隣にいる子ども達は?」
あずさ『私の子供です。ほら、挨拶しましょうね?』
千早「きゃ、きゃわいい……」
春香「こらこら! あずささんのお子様可愛いですねぇ。さて、ここで今回の響チャレンジの発表です!!」
『24時間で、ドミノを完成させろ!!』
美希「ドミノ? これは大変そうだね」
千早「というより、これ本家と同じじゃ……」
響『なんくるないさー!! なんせ自分、完璧だからな』
春香「まぁ実際には、22時以降から翌日5時までは響ちゃんは動けないんだけどね。ドミノの駒はなんと5万! それをひたすら立てて貰います」
響『自分にお任せ! デザインは……』
あずさ『これかしら?』
響『ありがとうあずささん! それじゃあ、やってくぞ!』
あずさ『えっと、私も少し手伝うわね。途中でいなくなっちゃうけど。2人も邪魔しちゃだめよ?』
春香「知ってる人は知ってますが、響ちゃんとあずささんは義姉妹なんですよねー。こうやって見ると、本物の姉妹みたいですね」
2人の間の距離は縮まっていた。互いにわだかまりもなくなって、家族になれたんだろう。
千早「お次はこのコーナーの紹介を。ってこちらもある人が24時間チャレンジします」
『木星チャレンジ24!!』
美希「中継の……、えっと誰だっけ?」
冬馬『天ヶ瀬冬馬だ!! 忘れるんじゃねえよ!!』
美希「ごめんなさい、台本にそう書いてたの」
冬馬『悪意しか感じねーよ!!』
春香「まあまあ。いま日本で一番売れている男性アイドルグループジュピター。彼ら3人には、24時間でこちらの企画を!」
『24時間トライアスロンリレー!』
千早「水泳、自転車、マラソンの順番でジュピターの3人に挑戦してもらいます。順番はどうなさいますか?」
冬馬『北斗が水泳、翔太が自転車、俺がマラソンだ』
北斗『チャオ☆』
いい男が水着姿で現れる。吹き出しそうになったが、ファンからしたら失神ものなんだろう。北斗君も30ぐらいなのに、無駄のない筋肉を持っている。まだまだ現役としていやっていけそうだな。
北斗『翔太は向こうで待ってるよ。まぁしばらく待ってくれ。直に翔太にバトンを託すよ』
冬馬『つーこった。まぁ俺達ジュピターの結束、見せてやんよ』
千早「以上、マーズからでした」
冬馬『ジュピター! ってあんたも間違えるな!』
千早「いや、台本通り……」
冬馬『責任者出てこ』
北斗『じゃあ行くよ?』
バシャン! 水しぶきを上げ、北斗君は泳ぎだし、彼を追うボートもエンジン音を響かせゆく。夜を泳ぐのは危ない気もするが、北斗君自体の体力をかんがみてか、水泳自体はそこまで距離がない。現役とはいえ、流石にきついとの判断だ。むしろ陸上の2つの方がメインだろうな。
美希「頑張ってねー!」
春香「まだまだ素敵な企画はたくさん! カップルは、結婚できるのか!?」
『走れ涼!!』
千早「中継が繋がってるわね。中継先の秋月さん?」
涼『はい、秋月涼です!』
美希「走れ涼って、一体何が始まるの?」
涼『それは僕にも……』
律子『それは私から説明するわ。実は明日、涼と桜井さんの結婚式を行うんだけど』
春香「けど?」
律子『拉致っちゃった。テヘペロ!』
涼『はぁ!?』
律子『桜井さんを助けたければ、挙式の時までに竜宮小町と私と勝負して、勝つことね』
涼『勝手に挙式の日程を決めて、それで勝手に拉致って酷くない!? それにまだ拉致問題生き』
春香「あれ? 切れちゃった。でも結婚かぁ、良いなぁ」
千早「無事出来るのかしらね?」
美希「でも律子さんだからどうなるか分からないよ? でも頑張ってね」
番組はリアルタイムで進んでいき、響のドミノを映し、北斗君の泳ぐ姿を映す。合間合間にアイドルのステージが入るのだ。雪歩真が歌い終え、テレビの前のみんなに一礼をする。
雪歩「ありがとうございましたぁ!」
真「この後もじゃんじゃんやってくよ! その前に、響ー! どうだい?」
響『うぎゃあああ!』
あずさ『大変、止めないと! って駄目でしょ! ドミノを倒したら』
響『こ、これぐらい大丈夫さー。姪っ子たちには罪はないぞ』
あずさ『でも……』
響『まだ始まってすぐじゃないか、いくらでも挽回でき……、って犬!? こらあああ! ドミノを倒さないでえええ!』
春香「これは前途多難ですね!」
美希「春香、他人事だね……」
千早「早速可哀想になって来たわ……」
ドミノを立てても、動物に姪っ子、思わぬ妨害(当人たちに悪意はないけど)が入り無情にも倒れていく。これが後何時間も続くのだ。史上最長にして、史上最悪最凶、ある意味歴史に残るドミノとなるだろうな。というかこれ、放送できるのだろうか……。
春香「おや? ここで涼君の方に動きが出たみたいですね、律子さーん!」
律子『はーい、律子ですよー。今涼はね、竜宮最初の刺客、双海亜美と対峙しています!』
亜美『んふっふ~、全国の兄C、姉C、久しぶり~』
真美『お久しぶりです。って私、いる意味あんの?』
涼『えっと、これは……』
亜美『涼ちん、結婚するんだってね~。でもぉ、そう簡単にいかないのが、夫婦生活だよ?』
涼『そういうの、亜美ちゃんには言われたくないかな』
亜美『年下だからって馬鹿にして―! 涼ちん、今からホールインワン決めてよね!』
涼『ええ!?』
亜美『ほらほら、夢っちにもホールインワン決めた痛い!』
真美『これ生放送でしょうが! ゴメンね、涼ちん』
涼『い、いや。なんでもいいけど……、ゴルフなんてしたことないのに』
律子『入るまで、次の場所に行けないわよ? じゃあ構えて構えて!』
涼『えっと、こうやって……。アイ、キャン、フライ!』
律子『あら、結構飛ぶわね。これが一発で入るまで、よ? なるだけテレビの映ってるとこで決めてよね』
涼『無茶言わないでええええ!』
涼君の悲鳴で、VTRが途切れる。しかしホールインワンって……、24時間以内にできるのか?
やよい『高槻やよいのー、突撃、隣の晩御飯!!』
伊織『わーわー!』
やよい『皆さんお久しぶりです、高槻やよいです!』
伊織『水瀬伊織よ』
やよい『今夜はここ、とある、元アイドルのご家庭にお邪魔しようとしています』
伊織『40近くで、独り身をこじらした元アイドルよ。お付き合いしたいって人は、ぜひとも765プロに電話して頂戴ね。ニヒヒっ!』
また勝手なことを言って。しかもあの家って……。
やよい『うっうー! お邪魔しまーす!!』
伊織『遊びに来たわよ、小鳥』
小鳥『ええ!? ちょ、私すっぴ』
プツン!
おれはなにもみていない。
美希「ほ、放送事故なの」
春香「思っても言わないの!!」
千早「こ、ここでCM!!」
春香「そう言えば小鳥さん、まだ3×歳なんじゃ……」
美希「残念ながら、昨年40の大台を乗ったよ?」
……別にオーバーじゃなかったな。しかし、すっぴんはネタにはしてるけど、普通に同じ年齢の人と比べたら、かなり若々しい方だろう。ただ、普段の行いが残念なので、いきり立っても萎えてしまうんだが……。
小鳥『じゅ、準備できましたっ!』
伊織『じゃあCMあける準備お願いねー』
春香「へ? な、生っしゅか!?」
カメラがCM休憩と油断していた春香を映す。この光景、どっかで見たぞ……。
美希「小鳥さんの準備が出来たみたいだね」
千早「現場の高槻さん、水瀬さーん」
伊織『はいはーい! 水瀬伊織でーす!』
やよい『準備が出来たので、今日の晩御飯は、こちらの方です!』
小鳥『あっ、えっと……、音無小鳥、です……』
P「ぶっ!!」
テレビには小鳥さんの下に、テロップが用意されていた。結婚希望の方は、こちらに電話を……。ホントにやりやがったよ!! 010745102……、おとなしことに?
春香「小鳥さ-ん、聞こえますかー? この観客席の歓声! 小鳥さんの現役時代のファンの皆様ですよ!」
小鳥『あ、あ、ありがとうござひゅ!』
観客「ババアになっても可愛いぞおおおおお!!」
川島「私の方が可愛いわよ!!」
観客「可愛い可愛い! 小鳥可愛い!!」
小鳥『うぅ……』
凄い熱気だ。地味にアイドル達より盛り上がっているんじゃないだろうか? 純粋にファン層の違いか。未だに小鳥さんの再デビューを望む声もある。日高舞の時代で、あまり日が当たらなかったが、彼女は隠れた人気を持っていた。かく言う俺も、事務所に入社してから知ったことなんだが……。
伊織『さぁ小鳥、今夜の晩御飯は何かしら?』
やよい『晩御飯くれなきゃ悪戯します!!』
小鳥『ええ!? やよいちゃんの悪戯なら大歓迎だけど……、って急に現れられても。さすがに紹介できないわよ?』
伊織『どういうことよ?』
小鳥『だって……、わたくし音無小鳥の晩御飯は、こちらです』
小鳥さんはそう言って、おずおずとカップラーメンを差し出す。
……独身女性の、生活を垣間見てしまった。
伊織『……自炊しないの?』
小鳥『だってぇ、時間無いし……。それにこういうのは事前に教えてくれないと!』
伊織『それじゃあドッキリ企画の意味ないでしょ!』
中継先はてんやわんやだ。いや、これは完璧にこっちに非があるんだが……。
観客「生活感のないところも可愛いぞ!」
観客だけは異様に盛り上がる。絶対テレビ見てる人はポカーンとしているんだろうな。小鳥さんは知らないが、勝手に特設電話番号用意されるわ、元アイドルのすっぴん映るわ、晩御飯はまさかのカップラーメンと来た。生放送ならではのハプニングだが、苦情が来てもおかしくないぞ……。
春香「ティンと来た!」
もう一度CMに移そうかと考えた時、春香は何か閃いたようだ。頭の上に豆電球が見える。
春香「ねえやよい、冷蔵庫の中見て」
やよい『冷蔵庫ですかー? お邪魔しまーす!』
伊織『あら、食材が無いわけじゃないのね』
小鳥『やろうやろうと思って買うんだけど、いつも忙しさを理由にインスタント生活です……、はい』
春香「小鳥さん、今から作りましょうか」
小鳥『へ?』
春香「やよい、折角だから、ここで作っちゃお! 突撃、隣の晩御飯を作る! って感じで!」
やよい『分かりましたー!! 家事は任せてくださーい!』
伊織『そうね、私たち料理番組してたんだし。今夜限りの復活よ!!』
P「ナイスだ春香!」
春香「えへへ……」
俺にこっそりとウインクをする。もともと料理番組を持っていたやよいと伊織だ、卒なくこなしてくれるだろう。春香の機転でピンチを乗り切る。おまけにアイドルの活躍の場を増やし、ファンの期待にも応えれている、と最高の展開へと進んだ。ただ、独身女性の尊厳を犠牲に……。この番組、カップラーメンの会社スポンサーついてない、よね?
やよい『それじゃあお料理、スタートです! 伊織ちゃん、そっちお願いね』
伊織『分かったわ! 小鳥、しっかり見てなさいよ!!』
小鳥『はは、ははは……』
これには小鳥さんも苦笑い。結婚と言うゴールは、まだ遠そうだ。
春香「どんな料理が出来るか楽しみですね! ここで響ちゃんにも動きが! どうなったんだろ? 中継先のみくにゃーん!」
みく『はいはーい! こちらドミノコーナーにゃん! 今我那覇選手は、なんとカンガルーと対峙してるにゃん!』
P「か、カンガルー?」
VTRに映されているのは、カンガルーとボクシングを繰り広げる響。ドミノが倒れないように、なるだけ遠くで戦っている。……何が起きた?
あずさ『あっ! ストッパーで何とかなったわね~』
響『くぃどるるるる……、そのコマを返してくれー!』
どうやらカンガルーにコマを盗まれたみたいだ。最初から見ていないから、一体何が起きたか分からない。ただそこには、カンガルーと少女の、譲れない戦いが繰り広げられていた。
あずさ『えっと、これを……』
千早「あずささん、マイペースね……」
義妹がカンガルーと闘っている間、あずささんは淡々とコマを並べる。非常にシュールな光景だ。時間も結構経ったからか、お子様たちはうとうととしている。
響『ほらっ! 話せば分かるぞ! な? アンマ―(お母さん)も泣いてるぞ?』
どこの刑事ドラマだ。人質ならぬ、コマ質を取られた響は、思うように動けずにいた。しかし相手はすでにお母さんなんだが……。
響『そうそう、良い子だぞ! 今日から家族の一員だぞ! カンガルーの、ルー香なんてどうだ? 春香みたいで可愛いぞ』
説得の末、カンガルーのルー香親子からコマを返してもらった。貴重すぎるカンガルーと人間の握手シーンが、カメラを通して日本全国へと流れる。
響『これで再開出来、ってうぎゃあああ! 足が当たって倒れてくぞおおおお!!』
みく『果たして時間内に終わるのか!? こうご期待にゃん!!』
美希「壮絶な戦いだったね」
千早「ええ、人類と有袋類の、種を超えた友情……、全米が泣くわね」
アメリカの涙腺の弱さの基準がイマイチわからない。
春香「いや、ルー香に突っ込んでほしかったんだけど……、そこスルーっすか!?」
『ウェンズデー!!』
春香「あっ、乗ってくれた」
美希「ここでやよいたちに戻すよ!!」
やよい『はーい、スタジオのみなさーん!』
伊織『こら! 包丁持ったまま映っちゃだめよ!!』
春香「そっちの首尾はどう?」
やよい『美味しそうな匂いがしてます! スタジオやテレビの向こうのみんなに伝わらないのが残念です』
伊織『まぁそれは、小鳥のリアクションでお楽しみくださいってとこね』
小鳥『あははは……』
小鳥さんは情けなく笑っている。2人の料理は進んでいき、やがて音無さんちの晩御飯が、テーブルの上に姿を現した。
やよい『うっうー! 完成しました! こんばんわ、晩御飯!!』
伊織『明日の朝はおはよう朝ごはんになるのね』
小鳥『わぁ!! こんなしっかりした晩御飯、いつ振りかしら……』
伊織『まあこれに懲りたら、自炊もすることね』
小鳥『き、気を付けましゅ……』
やよい『それじゃあいただきまーす!!』
テレビ映えするような高価なものではない。むしろ素材はスーパーで売ってるようなものだし、内容も高槻家の晩御飯だ。しかし、それには温かみがある。遠く離れていても、こっちまでいい匂いがしてきそうだ。
伊織『我ながら美味しいわね。テレビの向こうに、ちゃんと伝わっているかしら?』
小鳥『うん、美味しいわ! ねぇ、うちの専属料理人にならない?』
やよい『自分で作らなきゃメッ! ですよ? お料理はすっごく楽しいんですから!』
今の一言で、自炊人口が増えそうだな。
小鳥『は、はーい……』
やよい『以上突撃、隣の晩御飯! でしたー! スタジオに返しまーす!』
千早「高槻さんきゃわわ」
カメラが映していること、気付いてないのだろうか? 夢見心地でいる世界的歌姫。油断し過ぎだ。
春香「って返ってるよ千早ちゃん!」
千早「へ? あっ、生っすか!?」
『ウェンズデー!!』
美希「ここで涼ちゃんの様子を見てみるの」
律子『はいはーい、りっちゃんですよー』
亜美『ねーねー、そろそろいれよーぜー?』
真美『いや、難いっしょ……』
涼『ちゃーしゅーめん! ってあれぇ?』
どこかで聞いたことのある掛け声とともに、ボールを天高く飛ばす涼君。しかし思うようにホールに入らない。惜しいとこまで行っているのだろうか、ちらほらとホール付近にはボールが落ちている。初心者と言うが、良くやっていると思う。
涼『これ、何球目だろ……』
律子『200球は超えてるわね』
亜美『うへぇ、センスないよー』
春香「苦戦してますねー。おっと、ここで中継です。シンデレラのみなさーん!」
中継先は……、どこかの教会だ。そこに映っていたのは……。
李衣菜『はい、こちら教会ですが……、随分ロックなことになってますね。どうですか、旦那様の頑張りは?』
夢子『涼ー!早く迎えに着なさいよー!!』
涼『夢子ちゃん!?』
なぜか椅子にロープでグルグル巻き(まぁ妊娠してるし、かなり緩いけど)というなんともロックな格好の夢子ちゃんが、不甲斐ない旦那様に檄を飛ばす。
春香「涼君は果たして夢子ちゃんのもとにたどり着けるのか!?」
千早「何でもいいんだけど、桜井さんいつまであのへそ出し服着てるのかしら?」
美希「涼ちゃんのお気に入りなんだって」
夢子『わ、悪いですか!?』
李衣菜『いやいや、ロックで好きですよ?』
夢子『あんたのロックは絶対何か間違えてるわよ!! とにかく、涼! 私を、私たちを早く助けて!』
涼『ゆ、夢子ちゃん……。僕、やるよ!! 行きます!! チャーシューメン!!』
勢いよく振られたクラブによって、ボールは夜空を高く高く飛んでいく。そして、流れ星のように落ちていき、静かにホールへと吸い込まれていった。
涼『は、入ったの?』
律子『ええ、入ったみたいね……』
亜美『ぐふぅ! や、やられたぁ』
真美『もう少し感情込めなよ……』
棒読みでその場に倒れる亜美。
涼『これで第一の関突破か!』
律子『ええ、続いては第2の関、明日の朝からよ』
涼『今すぐじゃないの!?』
律子『夜道で、あずささんを見つけれる?』
涼『無理です……』
早く終わらせたそうだが、相手はあずささんと言うことで断念した。何をするか分からないが、あずささんを見つける、と言うことからウォーリーを探せ的なゲームに挑戦させられるのだろう。しかし相手はワープのSPECホルダーだ。比較的明るい夏の夜でも、探すのは一苦労だ。追いついても、気付けば全然違う場所にいる。ある意味、402便レベルの不思議な現象だと思う。
律子『それじゃあスタジオに返すわねー』
真美『真美はそっち行くかんね!!』
春香「涼ちゃん、見事だったね!」
千早「あれが愛の力、なのかしら?」
愛「呼びましたかー!?」
絵理「呼んでないと思うな」
スタジオに響く爆音。彼女の辞書には疲れと言う言葉がないのか?
美希「相変わらず声がでかいね」
愛「私の取り柄ですから!!」
絵理「他にもあるよ?」
春香「876の愛ちゃん絵理ちゃんですね! これから私たち5人で、某クイズ番組に挑戦してきます! 5人1組の、あの番組ですよ!!」
千早「ネ○リーグね」
美希「それじゃあ行って来まーす! CMどうぞ~!」
CMに移り、5人はスタジオを移動する。クイズ番組は現役のころ、あまり出てなかったが、果たして彼女たちは馬鹿キャラになってしまわないか、それだけが心配だ。まぁ絵理ちゃんと千早は大丈夫だと思うが……。
千早「コ」
絵理「ロ」
美希「ン」
愛「ビ」
春香「ア」
『残念! 正解はコロブチカでした!!』
P「お、おう……」
その後も、珍解答、迷解答の連続で、結果は散々だった。テレビの前のみんなが笑ってくれることを祈っておこう。
愛「難しいですよー!」
絵理「みんな、勉強不足」
美希「大学いかないで事務員なったもん、仕方ないよね?」
千早「全く、コロブチカも分からないなんて……」
春香「うーん、千早ちゃんも大概酷かったよ? 関ヶ原なのに……」
美希「千早さんのせいで秋葉原になったの!!」
千早「クッ……」
ニュースを挟んでの休憩中、先ほどの反省会を行っているようだ。戦犯は……、絵理ちゃん以外の4人だろう。むしろ順調に正解する絵理ちゃんの方が逆に浮いてしまっていたぞ。
絵理「私もボケるべきだった?」
美希「絵理は最後の良心だから、そのままでいいと思うよ。大学行こうかなぁ。枝毛占いがあれば何とか……」
春愛千美絵『はぁ……』
ため息をつきたいのは、こちらだったりする。勉強との両立、出来てないじゃないですか。
22時を過ぎて、18歳未満のアイドル達は退場する。これからは、大人の時間だ。お酒を飲みながらのトーク企画に移る。
あずさ「このお酒美味しいですね~」
楓「……美味しい」
美希「飲みやすいね」
伊織「にしても、こいつらはどうにかならないの?」
律子「これは酷いわね……」
千早「あはははは! 楽しくなってきたじょー!! 春香も飲みなしゃーい!」
春香「ち、千早ちゃん! 私未成年だって!」
雪歩「うふふふふふ、真ちゃーん、アイラビュー!!」
真「ゆ、雪歩ぉ!?」
愛「ママなんて消えちゃえ-!」
絵理「お、落ち着いて愛ちゃん……」
貴音「ふぅ、暑いですね……。服、脱ぎましょうか」
真美「ちょ! 裸になっちゃダメ―!!」
千早、雪歩、愛ちゃん、意外にも貴音は酒癖が悪いようで、カメラが回ってるなんてことを無視して、暴走する。明日、二日酔いで倒れやしないだろうか?
千早「あははははは!」
雪歩「うふふふふふ」
愛「はなっまるるんるんるるん!」
貴音「裸になって何が悪いですか!!」
P「さ、最悪だ……」
アイドル達のどんちゃん騒ぎは続く。視聴者からの相談に乗るというコンセプトらしいが……。
雪歩「結婚に踏み込まない? 穴掘って埋めりゃあ良いんですよ!!」
貴音「そんな悩みを持つぐらいなら、裸になりなさい!!」
千早「春香ー、チューしれ」
春香「ちゅ、ちゅー!?」
愛「ガーガー」
絵理「愛ちゃん、まだ本番中だよ?」
と、まぁBPOが間違いなくキレる内容を、生で放送している。幸いにも、酔っ払いどもも放送禁止用語を使わない。自制心があるのかどうか知らないが、とりあえず出禁になるような真似は遠慮してもらいたいものだ。
千早「蒼いいいい鳥いいいい」
P「あっ、普通に歌えるのね」
冬馬『てめーら! 偶にはこっちの方にも中継繋ぎやがれ!! もうすぐだ! もうすぐだぞ、北斗!!』
憐れ、完全にジュピターは忘れられている。大丈夫、ここに君たちの頑張りを理解している男はいるから。
春香「って今日終わっちゃった!」
騒々しく、今日1日が終わってしまった。番組は残り18時間、果たしてどんな結末を迎えるのやら……。
8月25日、期限まであと2日。
0時を過ぎると、全アイドルが一気に登場! と言うことはなく、仮眠休憩を加味してのプログラムが組まれた。まぁ、過去の映像を流したりして、アイドル達の負担を減らしているのだ。いつかの郵パック事件や、チャイルドスモッグのあずささん……。突っ込みどころも満載だが、むしろ懐かしさに感動すら覚えてきた。
春香「すぅ……、すぅ……」
美希「あふぅ」
卯月「ううん……」
P「み、みなすわぁん?」
俺に身を寄せて眠る春香達。スタッフたちはニヤニヤと見ていて、かなり恥ずかしい。真っ先に春香が起床した場合、修羅場は免れない。
千早「モテモテですね、っ頭が痛い……」
P「あまり嬉しくないシチュエーションなんだけどなぁ」
千早「そうですね。あなたは、春香一筋ですからね」
P「って酔いの方は大丈夫か?」
千早「ええ……、悪酔いするんですが、その分覚めるのも早いみたいですね。すっかり抜けちゃいました。まぁ頭は痛いんですが。えっと、荒れてましたか?」
P「生放送で女性同士のキスが見れそうになったぞ。やよいがその場にいなくて、安心したよ」
千早「クッ……、お恥ずかしい限りです」
未遂で済んだからよかったが……。でも、見てる人からしたら眼福ものだったんだろう。録画してた人、勝ち組だぞ。小鳥さんにまた借りないと。
千早「少し、良いですか?」
P「ああ、なんだ? 言っておくが、寝るから体貸してくれってのは無しね」
千早「自意識過剰ですね」
笑顔でバッサリと切られる。いや、それが普通の反応なんだが。この3人が特殊なだけだ。
千早「あずささん、上手いですよね」
P「そうだな……」
「ALIVE」。元々あるアイドルの歌だが、のちにその娘によって歌われる、世代を超えた名曲だ。命という壮大なテーマの曲に、あずささんの持前の歌唱力で、高らかに歌い上げる。深夜で流すというのが、もったいないぐらいだ。
千早「プロデュ―サー」
P「ん? どうした、妙に改まって」
千早「いえ、実は歌手を引退しようかなって考えてたんです」
P「へ? そんなの初めて聞いたぞ?」
千早「ええ、誰にも言っていませんでしたから。今プロデューサーに話したのが、初めてです」
悪戯が成功したみたいに、にっかりと歯を見せ笑う。
P「何でまた……」
千早「私は歌が好きです。それだけが私の存在理由と思ってた時期があったぐらいですから。ですが、みんなに救われて、歌を心から楽しむことが出来ました。ですが、事故の後から、少しずつバランスがおかしくなってきたんです。いつの間にか、いなくなったみんなのために、引退したみんなのために歌う。そう考えるようになったんです」
あの頃と同じですね、そう自嘲気味に付け加える。
千早「結果、自分を気負い過ぎて、疲れちゃって。引退は言い過ぎにしても、休止しようかと考えてました。何がしたいか、分からなくなっちゃって。でもそんな中、みんなが帰って来たんです。みんなともう一度、ライブに向けてレッスンをしたりしていく中で、考えが変わっちゃいましたけど」
P「そうか、それは良かったよ」
千早「案外、決意なんてものは脆いものですね。止めよう止めようと思っていても、なんだかんだ続けてしまう。もちろん惰性ではありませんが……、私にとって音楽は一種の麻薬みたいになってます。禁煙が成功しない人の気持ちが、なんとなく分かりました。でももし、春香たちじゃなかったら……。こんな風に思わなかったのかもしれません」
P「……かもしれないな」
千早「暗い話はここまでにして……、私は行ってきますね」
P「ああ、行って来い」
そう言って千早はステージに戻った。あずささんと2人並び、美しいハーモニーを紡ぐ。
春香「すぅ……、格差社会ですよ、格差社会……」
P「随分ピンポイントな夢を見てるな、おい」
親友の扱いがひどくないか?
春香「ふぁあ……」
3人の中で真っ先に起きたのは、春香だった。
P「おはよう、流石に不眠不休は無理だったか?」
春香「えっと、どれぐらい寝てました?」
P「うーん、そこまでだぞ? 1時間程度じゃないか?」
春香「そんなに!? じゃ、今すぐ戻らないと!」
P「っておい! いきなり走ると……」
春香「へ? ってうわぁ!!」
あずさ「あらあら~」
千早「春香、あなた勇気あるわね……」
春香「へ?」
寝ぼけてたのだろう、急いでステージに戻ろうとして、ずっこけてしまった。千早とあずささんが歌い終わったと同時の出来事なので、歌の途中で乱入なんてことは避けたものの、誰もが望んだだろうお約束を回収してしまう。
春香「へ? いやあああ!?」
P「グッ……パン……。って待てええ!」
何年たってもドジはドジ。雀百まで踊り忘れず……。って違うか。カメラにその下着を見せてしまった春香は真っ赤になってその場から逃げだす。って速いな!
千早「えっと、CMです」
春香「その……、すんませんでしたー!」
P「はは……、苦笑いしかできねー」
先ほどの醜態を謝る春香。見ている人の少ない時間帯だったから、まだ被害は少ないだろうが……。
P「ってもう上がってるし……」
携帯でYOUTUBEを確認すると、早速さっきの出来事がアップされていた。拡散希望って……。こんな時間じゃ権利者削除も出来やしない。明日の朝まで、我慢しなければ……。
P「これだけピンポイントでなかったことにならないかな……」
貴音「無理でしょう」
P「のわぁ! いきなり登場!?」
さっきまで裸になろうとしていたインテリジェンス痴女に声をかけられ、思わず驚いてしまう。
P「なぁ……、大丈夫か?」
貴音「はて? 何がでしょうか?」
P「いや、憶えてないなら良いんだ、うん」
貴音「?」
本気で分かっていないようだ。まぁ知らぬが仏って言うしな……。その話題は封印しておこう。
P「でだ、何食べてるんだよ」
貴音「日○のカップ麺ですが?」
P「いや、そういうことを聞きたいんじゃなくて……、太るぞ?」
非常に魅力的な体型を持っているが、そんだけ食べたら崩れるだろうに。と言っても当人は気にしていないようで、
貴音「わたくしは頭を使うと、お腹が減りますので。いわば充電中です」
とあっけらかんと答える。そう言われてしまうと、俺には何も反論できない。402便に関する彼女の理論も、ラーメン有りきと思えてきたぞ。恐るべし、中国4千年の歴史。
P「お前がいいなら良いんだけど……、明日大食い企画じゃなかったか? らぁめん探訪24、24店のラーメンを2時間で食べきるってやつ」
貴音「ふふっ、問題などどこにもありません。なぜなら、わたくしの宇宙は、胃袋です」
P「……逆じゃないか?」
貴音「……胃袋は宇宙です」
間違いに気づき、恥ずかしそうに訂正する。
貴音「では、わたくしは……、失礼いたします。残してしまったのは不本意です、どうか食べてくださいまし」
ステージへと上がる貴音を、カップ麺を食べながら見送る。
P「うへぇ、伸びてるし……」
早朝のニュースが流れる。その間にアイドル達は、いつもより早い朝食をとっていた。
P「今日は……、やよいのスマイル体操スペシャル、菊地真改造計画リターンズ、走れ涼……、らぁめん探訪24、ジュピターに響のチャレンジ企画、アイドルM-1グランプリ、結婚式にスペシャルライブ……、盛りだくさんだな。ってM-1?」
台本に目を通る。今日も今日とてやることは多い。雑用根性が染みついた身としては、何かしておかないと落ち着かなかったりする。嗚呼、哀しいかな。
P「そろそろ時間だぞー。各自持ち場に戻るように!」
一同『はい!』
ところどころ疲れも見える。無茶だけはして欲しくないが、それでも最大のパフォーマンスをして欲しいものだ。
卯月「行って来ますね!」
ウインク&投げキッス。お前はどこのミッキーだ。
美希「行くね、ハニー!」
こちらもウインク&投げキッス。加えてハニー。ハットトリックが決まった。
P「おい!」
美希「冗談だって! じゃねー」
美希が言うと冗談に聞こえな
P「いでっ!」
春香「もう、デレデレしちゃって……」
P「だ、だからってわっほい! 上段正拳は……」
春香「私と言う彼女がいるのに、他の子にデレるからですよ!」
朝っぱらから春香さんは、嫉妬の王国ジェラシットパークに突入したみたいだ。
P「で、デレてないぞ!」
春香「そうですかぁ? 私は見逃しませんでしたよ! ハニーって呼ばれてニヤついたの!」
P「男はみんななるわい!」
むしろ美希からハニーと呼ばれ、自制心を持ち続けることが出来る人間がどれだけいるだろうか? ここにいる俺か仙人ぐらいだろう。
春香「やっぱり私、無個性だから……、男の人って美希みたいなグラマーな方がいいですよね……」
P「ああ! 面倒だなおい! 春香! ちょい来なさい」
春香「なんですか? 無個性が個性の春香さんは、そう簡単に許したり……」
うるさい唇を封じるにはどうすればいいか? 答え、口をつければいい。プルンとした唇の感触が俺に伝わる。
春香「見られますよ……」
P「安心しろ、俺たち以外に誰もいないぞ。これで、満足か?」
春香「馬鹿……、んっ」
互いが満足するまで、何度も、何度も交し合う。時間も忘れるぐらいに……。
2人だけの時間は、ドアの向こうからの声が終焉を告げた。
スタッフ「春香さん! もうすぐ本番でーす!」
春香「わっ! こんなことしてる場合じゃありませんよ!! 今いきまーす!」
P「こ、こんなことって……」
傷つくぞ、それ。
春香「急ぎましょう!」
支度をマッハで済まし、スタジオへと急ぐ。
春香「ってうわぁ!」
P「春香!」
どんがらがしゃーん……、キャンセル!!
P「走るとこけるだろ?」
春香「プロデューサーさん……」
俺も慣れたもので、こけそうになった春香の手をとっさに取り支える。
P「こけない程度に急ごう、な?」
春香「はい! ってうわぁ!!」
今度はキャンセルできなかった。
春香「みんなー、おはようございまーす! 今日も行きますよー! 生っすか!?」
『サーズデー!!』
ウェンズデーはサーズデーに。時間が過ぎて行っていることを否応なしに実感させられる。毎日を忙しく過ごしてたから、こうやって一日一日の重みを身を持って感じる日が来ると思わなかったな。
春香「まずはこのコーナー! やよいのスマイル体操スペシャル! テレビの前のみんなも、一緒にしようね! 中継先の莉嘉ちゃーん」
莉嘉『がおー! 莉嘉だぞー!』
きらり『にょわー☆ きらりんだにぃ!』
杏『帰りたーい……』
楓『……この服、嫌いじゃない?』
やよい『みなさーん、おはようございまーす!』
千早「1人、違和感のない子がいるわね……」
美希「逆に1人、どうしようもなく浮いているね」
そりゃチャイルドスモッグはなぁ……。楓さんに至っては、なんかイメクラだし……。おや? あの先生可愛らしいな。チェックしておこう。
やよい『今日はここ、仁後幼稚園のみんなと一緒に、体操します! それじゃあ行きますよー!!』
春香「私たちもしようか!」
千早「よし来たっ!」
美希「千早さん?」
スタジオを巻き込んでの体操。思わず俺も体を動かす。こうやってみんなで体操するのって、いつ以来だろう? ラジオ体操を思い出してしまう。
やよい『うっうー! みんなありがとうねー!! えっと、今日の天気予報です! やまばぶでは……』
楓『……さんかんぶ』
やよい『そうでしたー! えっと、漢字難しいです』
千早「漢字が読めない高槻さんきゃわわ」
春香「ち、千早ちゃん……」
やよい『仁後幼稚園からお送りしましたー! お友達の皆、持田先生、ありがとうございましたー!!』
P「持田先生か……、先生系アイドル、ありだな」
落ち着いたら、コンタクトをとってみようか。それより、今は目の前のことをしないと。
春香「おっとここで、ジュピターにも動きが! 現場の幸子ちゃーん!」
幸子『はい、こちら一番可愛い幸子です。今北斗さんがそろそろ到着しますね』
冬馬『北斗―! もうすぐだぞー!!』
翔太『あと一息だよ!』
北斗『チャオ☆』
水も滴るいい男、伊集院ホスト、じゃなくて北斗。長い水泳を終え、陸へと上がる。ゴーグルを外した彼の顔は、やりきった達成感に満ち溢れていた。
幸子『今到着しました! そして、たすきを2番手翔太さんに託しまし、出発です』
翔太『北斗君のたすきは受け取ったよ! じゃあ行って来まーす!』
小さな体で自転車をこぎ、風のように走っていく。
幸子『北斗さん、今のお気持ちは?』
北斗『超気持ちいい! ほぼ逝きかけたよ』
金メダリストが混ざってるぞ。
幸子『どこかで聞いたことある、捻りのない感想ですね! スタジオに返します!』
北斗『ははっ、なかなか手厳しいな』
春香「北斗さん、お疲れ様でした! 翔太君、頑張ってね!」
千早「ここで1曲お送りします。こうやってステージに上がるのは、久しぶりみたいですね。今やプロデューサー、水谷絵理さんで、プリコグ」
絵理「久しぶりにカメラの前で歌って、少し緊張?」
P「してなさそうに見えるぞ?」
絵理「さぁ?」
ステージが終わると、俺の元へとやってくる。現役時はそうでもなかったが、プロデューサー仲間と言うことで、絵理ちゃんとは意外に仲が良かったりする。
尾崎「うぅ……、絵理ぃ……、輝いてたわよぉ」
鈴木「やっぱりセンパイは最高デス!!」
水谷絵理親衛隊と言う名のストーカーズは、相変わらずの絵理ちゃん馬鹿だ。
美希「ここで響と中継が繋がってるの!! 現場の凛ー!」
凛『はい、渋谷凛です。今こちらでは、響さんが黙々とドミノを立てています。十分に休んでるので、気合も十分ですね』
響『そーっと、そーっと……、あぎゃああ! やってしまったぞ!』
みく『止めるにゃん!』
凛『へ? ってストッパー!!』
凛がストッパーを挟んだため、全滅は免れるものの、ああ無情、昨日まで頑張った部分も倒れてしまう。響は涙目になるが、頬をパンパンと叩いて気合を注入する。
響『ま、負けるものか―!』
みく『響ちゃんのためにも頑張るのにゃ! 凛も手伝って!』
凛『わ、私も!? えっと、スタジオに返します! って倒れたっ!』
美希「凛、あまり器用じゃないからね」
千早「本当に、終わるのかしら?」
春香「さて、ここでかな子ちゃんに繋がってます!!」
かな子『はい、三村かな子です。今私は、四条さんの控室にいます。この後、2時間で24杯の特大らぁめんに挑戦することになります。四条さん、気合の方は?』
貴音『わたくしの胃袋は、宇宙です。例えどのようならぁめんが来ても、わたくしは残さず、美味しくいただくことを約束しましょう』
かな子『気合は十分ですね! えっ? 私も食べるんですか? やったぁ!』
P「食い過ぎなきゃいいんだけど……」
またダイエットプランを立てないといけなくなるのかね……。
かな子『それでは、スタートです! まず最初は……、でかっ!!』
貴音『まるで、羅生門ですね。では、いただきます』
かな子『頂きます……』
春香「あ、あんなのが24も来るの?」
美希「炭水化物取り過ぎだと思うな」
千早「四条さんもぜひとも頑張ってほしいですね。って早くない?」
春香「カ○ビィみたいだね……」
千早の言うように、食べ終わるのに30分はかかりそうなラーメンを、貴音はバキュームカーのごとく食す。歴戦のフードファイター達もこれには真っ青だ。下手すれば一時間で終わるんじゃなかろうか?
かな子『うぅ……、お菓子なら自信あるんですけど……』
貴音『ふむ、美味ですね……。出来ることなら、味を噛みしめながらいただきたいのですが、時間が限られてますゆえ』
春香「嘘だぁ、それ、バクバク食べる人のセリフじゃないよ……」
2時間で24杯、単純計算1時間12杯、5分で1杯と言うハイスピードで特大ラーメンを食べないといけないのだが、スペースストマック貴音は、感想を言いながらも3分で1杯と言う超ハイペースで食べ続ける。大食いキャラが被る(本人曰くお菓子専門らしいが)かな子は、1杯目で限界のようだ。それでもあれを食べきるのは凄いと思うぞ。
貴音『まだまだ足りません。次、お願いします』
かな子『ぎ、ギブ……』
美希「かな子、ここで無念のギブアップ!」
千早「賢明な判断だと思うわ」
さらばかな子、君の頑張りは忘れない。心の中で、敬礼!
春香「果たして貴音さんは食べきれるのか!? 次はこちらのコーナー! 全女性お持ちかね!? 鬼畜……、間違えた! 菊地真改造計画リターンズ!!」
鬼畜真デース! って誰だよ……。
美希「現場と中継が繋がってるの!!」
蘭子『リスポートゥスーは神に選ばれし名を持つ、私がオ=トドゥクェしよう……(リポーターはこの神崎が、お届けします)』
真『準備できたよー!!』
雪歩『嫌な予感がするけど、出来たんだって。それじゃあ、オープン!!』
蘭子『カラミティウォールよ紐解け!(カーテンよ開け!!)』
ピンク色のカーテンは勢いよく開き……、
真『きゃっぴぴぴぴーん! まっこまっこりーん!! 菊地真ちゃんなりよ~』
P「やってもうた……」
悪趣味なぐらいふりふりピンクな服を身にまとい、凛々しい彼女の口からは、どこかピントのずれた可愛い台詞が発せられる。例えるなら、凍てつく波動。スタジオだけでなく、お茶の間も凍らせてしまっただろう。ああ、放送事故。
蘭子『なんと面妖な! 想いが交錯する13日間が終わる時、 彼らの戦いが始まる(リ、リアクション不能です……)』
雪歩『需要無いよぉ! そんなの、真ちゃんの自己満足だよ! 嬉しくもなんともない!! むしろ謝って!!』
真『ええ!? ご、ごめん?』
雪歩も雪歩で理不尽な気がするが……。真に受けた真は勢いに押され、謝ってしまう。
雪歩『見てよスタジオのあの空気!!』
真『うわぁ……、台風過ぎたみたいになってる……。似合ってるから?』
蘭子『くだらぬ話も休み休み魂に囁きなさい(冗談も休み休み言いなさい)』
真『何だろう! 意味分からないけど馬鹿にされた気分!』
春香「真―、こっち凄い静かになっちゃったんだけど……」
真『ええ!? ボクのせい!?』
美希「それ以外にないよ?」
千早「ええ、ドン引きね。萩原さん、お願いね」
雪歩『承知しましたぁ!』
真『昨日の千早には言われたくない! って雪歩ぉ! 無理やり入れないでアーッ!!』
真は悲鳴をあげながら、雪歩にカーテンインされる。雪歩の目がこれ以上ないぐらい輝いていたが、厄介なことにならないことを心から祈っておく。
蘭子『魔導力学制御室に返します(スタジオにお返しします)』
春香「え? 今ので返って来たの!?」
美希「蘭子の口調は慣れたら意味が分かるよ?」
千早「数年後恥ずかしがりそうね。ここで1曲、双葉杏さんであんずのうた。って双葉さん?」
P「あのバカ……、また逃げやがったな!!」
探しに行こうとすると、楽屋の方から杏が姿を現す。きらりにホールドされた状態で……。
きらり「あんずちゃんおっとどけー!」
杏「死ーん」
力強く抱かれてたためか、杏は死体みたいにブランとしている。かろうじて意識はあるみたいだ。
P「おーい、杏ー。本番だぞ?」
杏「む、無理……」
P「生放送だっての。終わったら飴やるからさ。後来週休暇を増やそう」
杏「成程、やらざるを得ないな。キリッ」
P「自分で言うな。ほら、行ってきなさい」
休むために全力を使う杏には、飴と鞭作戦が効果的だ。褒美がもらえるとわかった杏は、本人よりも目立つ親衛隊とともに、だるそうにステージに上がる。そんな彼女も、ステージに上がれば……。
千早「何かしら? CD音源がそのまま流れているような……」
P「あ、あんの馬鹿……」
口は動いているが、完璧な口パクだ。では誰が歌っているのか? その独特な歌声は、彼女のぬいぐるみから流れている。ビジュアル系エアバンドはいたが、生放送でエアボーカルなんてアイドル、そうそういないだろう。やれば出来るのに、面倒臭がってやらない。だからこそ、少々悔しい。もし彼女が本気を出せば、向かうところ敵なしなんだが……。覚醒したら、そのうちハニーって言いそうだな。
杏「ありがとーございましたー」
ちなみにこんなのでもオリコン4位。プロデュースしている俺が言うのもなんだが、これで良いのか、我が国の音楽業界は。
春香「こ、個性的な歌だね……」
美希「鏡を見て同じこと言える?」
春香「う、上手くなりましたぁ!!」
美希「冗談だよ? ここでCM入ります!」
杏「今日のお仕事終了、んじゃ帰るねー」
P「待てやゴルァ」
杏「あっ、お疲れ様―」
P「お疲れ様じゃない! 替え玉大作戦しやがったな……」
杏「チッ……、バレてたか」
P「バレバレだ! ったく、歌うという選択肢はないのか?」
杏「エネルギー効率悪いし、ないかな? それに、私のファンたちも、また替え玉だなって笑って許してくれるよ。アンチ? 無視してたらいいじゃん」
P「すがすがしいぐらい図太いな、お前……」
杏「ドヤァ」
腹立たしいぐらいのドヤ顔を披露する。げんこつをお見舞いしたくなる衝動に駆られるが、我慢我慢……。
P「ほら、約束は約束だからな。飴だぞ」
杏「ヒャッハー! 飴だぁ! ねえ、来週のお休みは?」
P「あるわけないだろ馬鹿!」
杏「さ、詐欺だ!! 詐欺を働いたなこのダメプロデューサー!」
P「ダメアイドルには言われたくない!」
千早「生っすか!?」
『サーズデー!!』
春香「さてさて、後半戦も頑張っていきましょう! ここで涼ちゃんにも動きが! 現場と繋がってます!」
卯月『はい、こちら走れ涼の現場ですが……、これから一体何が始まるのでしょうか?』
律子『鬼ごっこよ。ワープし続けるあずささんを捕まえるという、簡単なお仕事よ』
卯月『それは……、無理ゲーなんじゃ』
涼『無理だよ! あずささんには僕達の常識が一切通用しないんだよ!?』
あずさ『あらあら~』
物凄い言われようだ。存在が非常識って、涼君もなかなかキツイことを言いなさる。まぁ30過ぎで体操服に身を包む女性を常識ではかれってのも無理がある気がするが。……5年2組三浦あずさ? 誰の趣味だよ……。
律子『それじゃああずささん、逃げてくださいね』
あずさ『えっと、行ってきますねー』
プルンプルンと揺らし、のんびりと走り出す。普通なら追いつくスピードなんだけど……。角を曲がると涼君の顔色は悪くなる。
卯月『あっ、角曲がりましたね』
涼『ヤバい……、一度見失うと見つけるのは至難の業だ……』
李衣菜『奥さん、一言お願いします』
夢子『早くお姉さまを捕まえないと、海外に行っちゃうわよ!』
涼『か、海外!? それは困るよー! 秋月涼、行きまーす!!』
律子『さてさて、涼は無事あずささんを捕まえることが出来るのかしら?』
卯月『スタジオに返しわぁ!』
律子『島村さん、派手にこけたわね……』
春香「ああ、キャラが被っていく……」
美希「春香と涼ちゃんの運命はいかに!? ここでまた1曲、お届けしちゃう! 双海亜美、双海真美でポジティブ、どうぞなの!」
亜美「んふっふ~、亜美だよー!」
真美「え、えっと……。真美です、一応……」
亜美「それじゃあいっくよー!」
双子での久しぶりの競演に、少し胸が熱くなる。10年で真美は大きく成長したから、初めて見る人は双子と思わないかもしれない。しかし、流石双子と言うべきか、息の合ったパフォーマンスを見せる。何年たとうが、2人の絆は切れることはない。同じ日に生まれ、同じ事務所でアイドルになって。そして今、2人は再び舞台に立つのだった。
真美「ありがとうみんなー!」
亜美「まだまだ番組は続くYO!!」
響『うぎゃあああ!! 手袋付けたらやりにくいぞ!』
絶賛崩壊中のドミノ。見ると何故か黒い手袋をつけている。やりにくいだろうに……。
みく『響ちゃんは今、ドミノアレルギーになって手袋をつけているのにゃ!』
なんちゅうピンポイントなアレルギーだよ……。
響『また倒れるぞ!』
凛『させないっ!』
ハム蔵『へけっ!』
パタパタと倒れ行くドミノを、凛とハム蔵が止める。ってハム蔵!?
響『な、なんとか惨劇は食い止めたぞ。ありがとうな、凛! ハム蔵! も、もう倒せれないぞ……、慎重に、慎重に……』
凛『こ、こんなにドミノが精神的に来るものなんて……』
ハム蔵『きゅぅ……』
みく『響ちゃんの精神は、限界ギリギリだにゃ! テレビの前のみんなも、響ちゃんにエールを送って欲しいのにゃ!』
亜美「ひびきん、亜美らも行くよー!」
真美「私も!? 亜美引っ張るなー!!」
双海姉妹は響の元へと走っていく。かえって事故が増えるような真似にならなければいいが……。
ジュピターチャレンジ
翔太『ぜぇぜぇ……』
幸子『現在翔太さんは山間部を走っています。この坂道を、地面に足つけることなく駆け上がります』
翔太『も、もうすぐ山頂?』
冬馬『良いぞ! もうすぐ下り坂だ!!』
北斗『見えて来たぞ!』
勾配のきつい坂を、一息で駆け上る翔太君。顔は真っ赤で、息は切れ切れ。トライアスロンでブレーキをかけるのは競技終了の時だけと言う。自転車だから楽かと思うと、それは大きな間違いだ。
翔太『下り坂だー! 僕は風になる!!』
冬馬『あんまりスピード出し過ぎるなよー!!』
幸子『ゴールはもうすぐですね。着いたら褒めてあげましょう! では、スタジオにお返しします!』
下り坂を疾風のように駆け降りる翔太君。あれは気持ちいいんだろうな。機会があれば、俺もサイクリングに挑戦してみるかな。
らぁめん探訪24
法子『ど、ドーナツを……、ラーメンよりドーナツを……』
かな子『気をしっかり! 法子ちゃん、私の分も頑張って!』
貴音『ふぅ、味に独特の深みがありました。わたくしもこのように、深い人間でありたいものですね』
貴音の横には、積み上げられたお椀が。ひふみ……、1時間で14も食べたの!?
走れ涼
涼『あずささーん! どこですかー!?』
神出鬼没のあずささんを追い求めて、市街地を駆け巡る。ゴミ箱を覗いたり、店の中に入ったり、女子トイレに入ろうとしたり。しかし一向にあずささんは見つからない。もしかしたら、既にこの町からいなくなっているんじゃないのか?
涼『見つかるわけないよー! 仕方ないや、一旦戻ろう……』
トボトボとスタート地点に戻る涼君。いや、こればっかりは仕方ない、相手が悪すぎたんだ。
涼『ってあれ?』
あずさ『あら?』
スタート地点に、なぜかあずささんがいる。
涼『あずささん、見っけ?』
あずさ『逃げてたのに、見つかっちゃったわね~』
涼『いや、ここスタート地点なんですけど……』
あずさ『そうだったかしら?』
どうやら逃げるのは良かったものの、迷いに迷って、元いたところに戻って来たらしい。なんというラッキー。律子は心底悔しそうな顔をしている。
律子『クッ……、やるわね。涼』
涼『いや、これ自滅じゃない?』
あずさ『でも~、捕まったことには変わりありませんよ?』
イマイチ釈然としない面々に反して、あずささんはニコニコとしている。彼女からしたら可愛い妹分の結婚式でもあるから、あまり邪魔はしたくないんだと思う。
律子『はぁ、こんなはずじゃなかったんだけど……』
涼『第2の関、突破だね!!』
律子『でも、次はうちのリーダーよ。そう簡単にはいかないわ! では、スタジオに返すわね!!』
春香「はい、こちらスタジオです! 早速ですが、菊地真改造計画、新たな展開が来たようですね! 現場の蘭子ちゃん!」
蘭子『これより、カイン・ゾウ・バルバリスクの因果律に移ります(これより、改造の結果に移ります)』
雪歩『今回も自信作です!! それじゃあ真ちゃん、張り切ってどうぞ!!』
桃色のカーテンが開いて……、
真『ふっ……、プライベート・ライアン』
『きゃあああああああああああ!!』
P「うわぁ!」
スタジオは黄色い歓声に包まれる。ジュピターよりも多いんじゃないか?
真『う、嬉しくないのに……』
王子様ルックに身を包んだ真は、心から嫌そうな顔をしている。似合ってるんだから、仕方ない。
真『ドニ―・ダーゴ……』
『ぴぎゃああああああああ!!』
真『トゥルーマン・ショー……』
『きゃあああああああああ!!』
真『ってこれ、映画の名前言ってるだけじゃ……』
雪歩『いいよいいよ! これこそ真ちゃんだよ! 次、これ着て! ねっ、ねっ!!』
真『ぎゃおおおおん!!』
お前は涼君か。
蘭子『錯綜するこの感情に、どう名をつければよいものか……(引くわ―)』
負けず劣らずけったいな格好な格好をしている人が言うもんじゃありません。
『だひゃあああああああ!!』
P「ど、どうかしてるぜ……」
映画のタイトルを言うだけで、この有り様。確かにプライベート・ライアンとかドニ―・ダーゴって格好いいけどさ。そこまで発狂するもんだろうか? 冷静に見ると、狂気じみた現場だ。
春香「あ、あはははは……、CM、入っていいですか? えっ、ダメ?」
美希「もうどうとでもなればいいの」
MC達も半ば投げやり気味になっている。どう処理すればいいんだ、これ?
結局、雪歩と観客(女性の皆様)が満足するまで、菊地真改造計画は続くのだった。
千早「とてもじゃないけど、感想に困る物を見てしまったわね……」
春香「なんと、真はさっきの格好のまま、スタジオに戻ってくるそうです!」
『ひゃあああああ!!』
美希「もうみんな失神してくれた方が、進行しやすいんだけど」
春香「そんなこと言わない!!」
美希の言うように、数名真にやられて気を失っている。木星の皆の立場が、どんどん悪くなっていく。いっそのこと方向転換したらどうだろうか? 例えば、3人スーツを着てブブゼラを吹くようなアイドルとか。斬新すぎる。
冬馬『おいこら! 偶にはこっちも映しやがれ!』
春香「あっ、忘れてた」
冬馬『扱い雑すぎるだろ!!』
美希「それどころじゃなかったからね」
冬馬『何でもいいけどよ、もうすぐ翔太が到着するぜ』
幸子『そしてそのたすきは、格好いいオタク、天ヶ瀬さんが受け取ると』
冬馬『どんな表現だよ!!』
幸子『減らず口を言う暇があるなら、準備運動してくださいよ。走ってすぐ筋肉痛になったら、笑いものですよ?』
冬馬『急に正論を吐くんじゃねえよ! 来るまで、体操しておくか』
そういって冬馬君は準備運動をしだす。抱かれたい男No1のスマイル体操、非常にシュールな光景だ。
翔太『ぜぇぜぇ……』
幸子『息を切らし、足腰はガクガク、必死で今最後の坂を上っています。もう少し、もう少しです! 応援してあげましょう』
冬馬『なんで上から目線なんだよ! 翔太―! もうすぐだ!』
北斗『気張っていけー!!』
翔太『着いた―!!』
チェックポイントまで休まず漕ぎ切った翔太君は、その場に自転車ごと倒れる。
冬馬『ナイスガッツだ! 後は俺に任せておけ!』
翔太『おいしいとこ、持ってっちゃえ!』
北斗『リーダーの意地、見せてこいよ!』
幸子『え? リーダーだったんですか?』
冬馬『知らなかったんかい!』
幸子『突っ込む暇あるなら、走ってください。それだからあなたはDTなんですよ』
冬馬『なんだよ!? DTってなんだよ!?』
幸子の口撃に律儀に突っ込みを入れる抱かれたい男No1(ただしDT)。幸子も幸子で、反撃してこないと分かるや否や、容赦なく毒を吐く。ここで壁を殴るなりすれば、涙目で土下座してくれるんだが……。女性に手をあげないあたりは、流石と言ったところだろうか。
冬馬『髪洗って待ってやがれ!』
幸子『それ、ただの洗髪じゃないですか』
冬馬『間違えた! 首だ首!! ネック!』
幸子『頼りないリーダー、無事にゴールできるのでしょうか?』
冬馬『だから一言多いんだよ!!』
全くだ。
幸子『スタジオに返しますねー』
春香「ジュピターチャレンジも、残すところ冬馬君だけ! 最後まで、頑張ってほしいですね!」
千早「ここで、四条さんと中継が繋がっています。現場のみなさーん」
貴音『ふぅ、美味でございました。では、最後の1杯、心行くまで楽しむとしましょう』
かな子『死ーん』
法子『死ーん』
涼しげな顔でいるが、横には空のお椀が25。食べ残しも見当たらず、綺麗に食べきっている。って25? よくよく見ると、かな子と法子の分も食べていたようだ。すでに企画終わってるじゃないか……。
貴音『最後はやはり、二十郎らぁめんと来ますか。なかなか、粋な演出ですね』
豚の餌という、とても食べ物に与えるにはふさわしくない異名を持つ、こってりさMAXなラーメンを恍惚とした表情で、実に美味しそうに食べる。こっちもお腹がすいてきたが、ただあれを目の前に持ってこられると、それだけでお腹が一杯になりそうだ。
貴音『ふぅ、完食致しました。失礼、おかわりは……。なんと、ありませんか。がーんですね』
美希「まだ食べる気!?」
おいおい、それだけ食べれば十分だろうに。素晴らしき快挙に拍手を送ろうにも、かえって引いてしまうレベルだ。冗談抜きで胃袋が宇宙と化しているんじゃないだろうか? 彼女の食生活が心配になってきた。
貴音『では、わたくしもスタジオへと赴くとしましょう。四条貴音のらぁめん探訪、今日もすばらしき出会いに感謝して、ご馳走様でした』
かな子『死ーん』
法子『死ーん』
もう限界といわんばかりにうなだれる二人をその場に残し、妙な風格を漂わせ、貴音はスタジオへと足を進める。
春香「えーと、あの二人大丈夫なのかな?」
千早「いったいどんな胃袋をしているのかしら……」
俺たちと胃の構造が違うのだろう。そうでもなければ、あれだけの量を食べきれまい。
美希「ここでお昼のニュースを挟むね!! 番組はまだまだ続くよ!!」
そう締めて、午前の部を終える。24時間の生放送も、残り6時間だ。ドミノは完成するのか? 涼君は花嫁の下にたどり着けるのか? M-1はどうなるのか? 天ヶ瀬君は無事ゴール出来るのか? 不安要素しか残っていないな……。とりあえず小さく悲鳴を上げているおなかに、ロケ弁を入れておく。
お昼のニュースが終わるころには、元気いっぱいのやよい、王子様ルックの真、それを見てらんらんと目を輝かせる雪歩、物欲しそうにロケ弁を見ている貴音たちが到着した。
貴音「……」
P「いや、十分食べただろうが」
貴音「……」
貴音はロケ弁を食べたそうにこちらを見ている、ロケ弁をあげますか? ノーorいいえ。
貴音「……いけず」
何とでも言え。こっちだってお腹すいてるんだって。腹ごなしを済まし、出演者を集め気合を入れる。
P「後6時間だ! きついと思うが、見てくれている人たちのためにも、最後まで気を抜かないで行くぞ!」
最後のテレビ、派手に行こうじゃないか!!
涼『ぎゃおおおおん!!』
伊織『逃げてばかりじゃ勝てないわよー?』
涼『ボクサーの相手なんて聞いてないよー!!』
律子『負けんじゃないわよー!!』
涼君は絶賛最後の試練に挑戦中だ。狭いリングの中を、屈強な男のパンチから逃げていく。……これ、アイドルの仕事だよな?
夢子『涼ー!!』
涼『うぐっ……』
ボクサーのボディーブローが入り、涼君はボールみたいに宙に舞う。アイドルの生命線である顔を狙わない辺り、向こうも幾分か手加減しているようだが、それでも大の男を吹き飛ばすほどの威力だ。こんなことをしないといけないのなら、結婚も躊躇してしまう。
律子『立てー! 立つのよ、りょー!!』
P「ぶっ!」
伊織『あんた今の言いたかっただけじゃないの!?』
いつの間にか左目に眼帯つけてるし……、それにしてもこの鬼畜眼鏡、ノリノリである。
夢子『嘘よね……、涼……、涼!!』
リングに沈んだ恋人をモニター越しに呼びかける。バラエティという目で見てしまうと、茶番でしか見れなくなってしまうかもしれない。しかし、これには台本はなく、本気の戦いなのだ。きっとここにいる人たちは、茶番なんて微塵も思っちゃいない。
伊織『でもまぁ、涼もよく頑張ったわよ。うちの最強のボディガード相手に、4ラウンド持つんだもの。素人にしちゃ十分すぎるぐらいよ。そろそろ楽に……』
夢子『りょう!!』
伊織『ま、まだ立つの!? もう限界よ!』
ふらつきながらも立ち上がり、ファイティングポーズをとる涼君に、スタジオから煩わしいぐらいの歓声が上がる。
涼『まだ……、まだ終わっていません!!』
夢子『もういいわよ! 誰もあんたを責めない! お願いだからそれ以上傷つかないで……』
涼『夢子ちゃん、僕は負けたりなんかしないよ。勝って君と結婚するんだ。お父さんが負けたなんて、子供が知ったらショックだろ? 可愛いは嫌だ、格好いい父親になりたいんだ!! やぁ!!』
細身の体から放たれる、怒涛のラッシュ。今の彼を見て、かつて女装アイドルなんてことをしていたと信じる人がどこにいるだろうか? 愛する人のため、生まれゆく命のため、何度倒れようとも不死鳥の如く蘇る。そんな彼の姿に胸が熱くなる。
P「そこだー! いけー!」
聞こえるわけがないのに、それでも応援せざるを得ない。両者一歩も引かずの攻防、そして雌雄は決した。
P「クロスカウンター……」
奇しくも、律子が真似した漫画と同じ結末。互いの顔に拳はぶつかり、両者その場に倒れる。
律子『立て―! 立つのよー!!』
レフリーがカウントをする。先に立つのはどっちだ!?
6、7、8、9……。カンカンカンカン! 金属のぶつかり合う音が響く。死闘の末、リングに両の足で立っていたのは、チャレンジャー秋月涼。アイドルの命である顔に軽い痣が出来るも、彼の顔は達成感に満たされていた。そして力尽きたかのように、再びバタンと倒れる。
律子『見事よ、涼。さぁ、教会であなたを待っている人がいるわ』
夢子『涼……、早く迎えに来て……』
涼『うん、待っていてね……。愛してる』
夢子『馬鹿……』
モニター越しに繰り広げられる恋人たちの甘い空間。見ててむかむかしてきたぞ。
伊織『ったく、良く出来たプロレスね……。こらぁ! 何ダウンしたまんまなのよ! 減給するわよ!?』
倒れているボディガードを軽く蹴る。茶番だろうがなんだろうが、彼らの思いは本物だった。日本中がそれを馬鹿にしても、俺は尊敬しよう。
春香「素晴らしい試合だったね! 涼ちゃん、お疲れ様! CMの後は、アイドルM-1グランプリ! お楽しみに!!」
真美「双海真美です!」
亜美「双海亜美です!」
春香「天海春香です! 3人そろって……」
あまみ「あまみだけど、どこか問題がおありでしょうか?」
P「思いっきり先輩芸人のネタじゃないか!! ってトリオかよ!」
CMが終わると、アイドルM-1グランプリが行われる。アイドル達が漫才を繰り広げるという、またまたハードルの高い企画なんだが……。
千早「千早です……、胸のサイズで小学生に負けました……。千早です……、歌はうまいけど、部のハーモニーを乱すって陰で言われてます……、千早です……、高槻さんが可愛いです!! はーい、イエイイエイイエイイエイ!! ちっはやどえーす!」
やよい「うわぁ……」
真「部活に勧誘されました!」
雪歩「凄い誘ったクラブは男子バスケ!」
ゆきまこ『武勇伝武勇伝……』
P「いたたたた……」
カンペの指令はただ一つ、『笑え』。実にシンプルだ。しかしだ、どこかで聞いたことのあるネタが次から次へと繰り広げられ、微妙な空気になる。もしネタに著作権があるなら、間違いなくアウトだ。……アドリブに任せた俺達が馬鹿でした。
『わははは!』
観客の笑いが、どことなく寂しく感じるのは、気のせいだろうか……。
千早「楽しかったわ。新しい自分を見つけることが出来た、そう思うの」
美希「千早さんのセンスは、認めたくないの」
千早「この扇子、センスいいわね。潜水にもってこいかしら? ププッ……」
セルフで笑ってるとこ悪いが、潜水に扇子を使用するシチュエーションなんかない。ふやけるだろうに。
春香「こっちは大火傷したよ……」
もし俺達の記憶が消えたとしても、このテレビ史に残るであろう惨劇だけは魂が憶えているだろう。……こんなので思い出すのはなんか嫌だ。
春香「はぁ、お見苦しいものを見せてしまいました。箸休めに、ジュピターの様子を見てみましょうか!! 現場にズームイン!」
おいこら! 突っ込む前にモニターは切り替わり、息を切らし走る冬馬君の姿が映し出される。汗で髪の毛がぬれているが、イケメンは何をやっても映える。涼君といい、ジュピターといいなんと爽やかなことか。羨ましいな。
冬馬『はぁ……、はぁ……』
幸子『走れ走れ―! 良いですよ、駄馬のように走ってください!! ゴールしたらニンジンを買ってあげますよ。経費はそちら持ちですけど』
冬馬『ああ、もう! いい加減黙れよ!! 気が散るだろうが!!』
相変わらずの漫才を繰り広げる2人。走っているのに無茶させるなと思うが、いちいち反応する天ヶ瀬君も天ヶ瀬君だ。芸人じゃ無いんだから、無理に相手しなくてもいいだろうに。
翔太『ゴールまでもうすぐだよ!』
北斗『もう一息だ!』
仲間たちの声援と後輩アイドルの罵声を身に受け、冬馬君はより速く駆け抜ける。
モニターが切れると、司会席の3人はその場に立つ。そうか、もうそんな時間か。
春香「では私たちも、移動します!」
千早「私達3人は、秋月さん達の式場へと向かいます。スタジオには忘れ物をしない限り戻ってきませんね」
美希「でも大丈夫! 素敵な後輩達が、この番組を引き継いでくれるの!! 後輩、カモーン!」
拍手の嵐の中、3人のアイドルがステージに上がる……。ん?
卯月「島村卯月でしゅ! 至らぬ点がたくさんあると思いますけど、最後まで皆さんと盛り上がっていきたいと思います! どうかよろしくお願いしまーす! あっ、昨日CD発売した……」
凛「長いよ。えっと、みなさん。渋谷凛です。素晴らしい先輩アイドルの後をついで、このステージに立てることを嬉しく思うと同時に、身の引き締まる思いでいます。まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします」
ぬいぐるみ「のヮの」
美希のいた席には、何故かくたびれたウサギのぬいぐるみ。観客席の人がぬいぐるみになるって言うのは良くある話だが……。
P「あ、あの馬鹿……」
全ての謎が解けた時、悲鳴とともにぬいぐるみの持ち主が現れる。
杏「痛い痛い! 痛いって!!」
きらり「杏ちゃんお届け―☆」
現金着払いか? とにもかくにも、3人目のMCが登場した。かなり斬新な形で。
杏「え? いうの? 双葉杏ー、適当に頑張るねー」
美希「私でももう少しやる気あったよ?」
春香「まぁまぁ……。私たち、765プロは10年間で大きく変わりました。飛行機に乗ってたら、みんな年を取って、後輩アイドルが出来て……。驚きの連続でした。やよい、真、亜美、響ちゃん、律子さんそれは、ここにいない皆も思っているでしょう」
春香「おかしな話ですが、時間は平等に過ぎていきます。私たちは、乗り遅れちゃったけど。そして、みんなが憧れるアイドルも移り変わります。ちょっと遅くなっちゃったけど、今ここで生っすか!? サンデーの新MC達に、私たちの思いを託します」
春香「これでお別れになんかさせません。ですが、世代は変わっていきます。これからも、765プロを、アイドルのみんなをよろしくお願いいたします!!」
春香が礼をすると、アイドル達が集まってくる。観客たちは何事かと、ポカンと見ている。
冬馬「ハァ……、ハァ……、待たせたな!」
翔太「僕達を忘れちゃダメでしょ?」
北斗「チャオ☆」
大勢のアイドルに迎えられ、ジュピターの3人がスタジオに入場する。そして冬馬君は、その体でゴールテープを切った。
響『こっちも忘れちゃダメさー!』
律子『ええ、私たちもね』
別スタジオにいる響や律子も、モニターを通じて姿を見せる。
春香「それじゃあ皆! 行くよ!! 765プロWithドリームチームで、CHANGE!!」
そして世代は変わっていく――。
響『行くぞー!! はいさーい!!』
響は掛け声とともにドミノを倒す。カタカタと音を立て倒れていくドミノは、13人のアイドル達の形を作っていき、そして新たなるアイドル達が生まれていく。全てのドミノが倒れた時、世代は交代されたのだ。本当ならもっと前に出来ればよかったが、紆余曲折あって、ようやくシンデレラ達の時代が来たのだ。そして彼女たちは、伝説へとなる。なんか臭いな。
春香「これからもー! 765プロを、アイドルをー!」
卯月「よろしくお願いしま―す!」
アイドル『お願いしまーす!!』
春香「では私たちは式場へ行きます!! ってうわっ!」
卯月「こっからは、私たちのターンですよ!! ってきゃあ!」
どんがらがっしゃーん×2!! 新旧普通ドジっ子のどんがら共演に、笑い声が上がる。
凛「CMの後も、まだまだ続きます」
杏「CMあけたら帰っていい? えっ、ダメっすか?」
CMに移り、765プロのアイドル達は式場へと走る。
春香「プロデューサーさんは?」
P「行きたいんだけどなぁ、でも俺にはあいつらを見守る義務があるからな」
春香「そうですね。じゃあ私がプロデューサーさんの分まで、祝福してきます!!」
俺にウインクをして、投げキッス。春香さん、あんたもかい……。ドキッと来たのは、秘密にしておくか。
式場
律子「はぁ……」
伊織「なによ、辛気くさい溜息吐いちゃって。場違いよ?」
律子「いやね、いざ涼が結婚ってなると、変な気がしてね……」
涼は私にとって、いも……弟みたいなものだ。親族の中で、私より年下だったのはあいつだけだったからか、私も可愛がっていたし、向こうも姉ちゃん姉ちゃんと懐いてた。いつだっけか、あいつに告白されたこともあったっけ? なんと物好きな従弟と思ったものだ。でも私はあいつを従弟以上に見ることが出来ず今に至る。あいつの思いを受け入れても、きっと私たちは長続きしなかっただろうし、今控室でウェディングドレスに着替えている桜井さんを見ると、涼は最高のパートナーを見つけたのだろう。自分のことのように嬉しくなる。
伊織「それはあいつも同じね。さっきまで格好良いと思ったんだけどね」
涼「どうしようどうしようどうしよう……」
不死身のボクサーはどこへやら、タキシードに身を纏った好青年は落ち着かない様子でうろうろする。
亜美「せいやー! 亜美カックン!」
涼「わぁ!」
それを見かねてか、亜美が涼に膝カックンを仕掛け、涼はその場に跪く。先ほどの戦いの疲れがまだ残っているのか、なかなか起き上がりそうにない。仕方なく、手を引っ張り起こしてやる。
亜美「りょうちん、覚悟決めなよー?」
涼「わ、分かってはいるんだよ? でも結婚するんだ、夢子ちゃんと一緒に生きていくんだって思うと、急に緊張してきて……」
亜美「りょうちんはヘタレだな~」
律子「別に緊張するなとは言わないわよ。でも花嫁の前ではシャキッとしなさいよね? 桜井さんは格好いい涼をご所望なんだから。ほらっ、そろそろ行きましょうか。ってあずささんは!?」
まさかまた迷子に……。
亜美「あずさお姉ちゃんなら、夢っちのとこにいるんじゃない?」
伊織「そういえば、妹分なのよね、あの飴女」
涼「あ、飴女って……。間違ってないけど……」
成程、納得がいく。無事に桜井さんの控室にたどり着けたかは、疑問だけど。
亜美「ま~楽しみにしてなよ! 竜宮にお任せってね!」
伊織「そうね、あんた達が一生忘れないような結婚式にしてあげるわ、感謝しなさい」
律子「さて、私も最後の大仕事と行こうかしら?」
軽く気合を入れ、控室を出ようとすると、真剣な目をした涼に声をかけられた。
涼「律子姉ちゃん、ちょっと良いかな?」
律子「私? あんま時間無いわよ?」
涼「うん、すぐに終わるから」
律子「そうね……、亜美、伊織。桜井さんの控室からあずささん連れてらっしゃい」
亜美「りょ→かい!」
伊織「早く済ませなさいよ? カメラも来てるみたいだし」
亜美と伊織が控室を出ると、涼は口を開いた。
涼「あのさ! これが最後になるかもしれないから、言っておきたいんだ」
律子「最後、ねぇ……。貴音が上手いことやってくれたら、そうでもないんでしょうけどね」
涼「ううん。多分どっちにしても、最後になると思う。今の僕と、今の律子姉ちゃんがこうやって話すのは」
律子「それどういう……」
私は最後まで聞けなかった。気付いてしまったんだ、もし事故を回避したとしても、記憶が消えるのは私たちだけじゃない。新たな記憶が生まれて、今に戻るんだ。それは、今の私たちではない誰か。どうしてそんな簡単なことに気付けなかったんだろう、今更ながら後悔する。でも、いつまでも後悔してられないわけで。
涼「今の僕が別の僕に変わる前に、律子姉ちゃんがいなくなる前に、伝えたいんだ。今までありがとう、律子姉ちゃんのことが大好きだったって」
私は涼に感謝される人間なんだろうか? 無理に女装デビューをさせ、いわばあいつの受難は私自身がトリガーとなったのに……。
涼「感謝しているよ、世界中の誰よりも」
律子「馬鹿、今更言わないでよ……。惚れちゃうじゃない。そういう台詞は、桜井さんにとっておきなさいよ」
涼「そうだね、そうするよ。ゴメン律子姉ちゃん、それが言いたかっただけなんだ」
律子「謝ることでもないでしょ。そうね……、じゃあ私からも1つ2つあんたに送るわ」
律子「一生桜井さんを幸せにしなさい、そして……、こんな姉ちゃんを好きになってくれて、ありがとう……」
そう言ってすぐに部屋を出る。流した涙は見られたくなかった。なのに……。
亜美「亜美カックン!」
律子「にゃっ!?」
ドアノブから手を放すや否や、膝カックンを食らい、転んでしまう。聞き覚えのある声に振り向くと……。
亜美「んふっふ~」
伊織「まあ今ぐらいは泣いても良いわよ」
あずさ「ハンカチ、お貸ししましょうか?」
竜宮小町の3人が私に手を差し伸べていた。私はそれを手に取り……、
律子「あ、亜美ー! あんたって子はー!!」
亜美「わー! 律っちゃんがキレた!! あだだだだ!」
あずさ「それ以上はいけませんよ?」
渾身の力でアームロック。悪戯娘には、身を持って学んでもらわないとね。
亜美「ギブギブギブ!」
律子「あら、ギブってことは下さいって意味よね? だったらお望み通り、締めてあげるわよ!」
亜美「ぎゃおおおおん!!」
伊織「まっ、それだけ元気だったら大丈夫でしょうね」
あずさ「涼君、素敵に成長しましたね~。きっと律子さんのおかげですよ」
まさか。私は切っ掛けを与えただけ、あいつが強くなったのは876のみんな、桜井さんの力だ。それがちょっぴり羨ましいけど、私が全ての始まりと思うと、誇らしく思えてきた。そして、今ここにいる3人をプロデュース出来たことを、何よりも誇りに思う。これが私の、全てなんだから。
律子「さぁ、行くわよ!!」
千早「桜井さん、綺麗ね」
美希「悔しいけど、あれには勝てないな」
春香「結婚、か」
年配の男性に連れられて、ヴァージンロードを歩く夢子ちゃんは、こっちが羨ましくなるぐらい綺麗だ。ウェディングドレス、一度でもいいから着てみたかったな。
涼「夢子ちゃん、凄く綺麗だよ」
夢子「ありがとう、涼」
牧師様(の姿をした……、社長!?)のもと、永遠の愛を誓う刻がやってくる。
社長「コホン! 新郎、秋月涼君。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うかね?」
涼「はい、誓います」
社長「新婦、桜井夢子君。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うかね?」
夢子「誓います」
社長「では、指輪の交換を」
涼ちゃんと夢子ちゃんは互いの目を恥ずかしそうに見て、指輪を交換します。銀でコーティングされた飴玉を模した、2人らしいエンゲージリング。飴はいつか溶けちゃうけど、2人の愛はいつまでも溶けないでで欲しいな。
社長「ふむ、では誓いのキスを」
白いヴェールをあげ、2人は1つになる。
社長「今ここに、新たな夫婦が誕生した!! 盛大に祝いたまえ!!」
社長の一声で、教会に拍手が響き渡る。割れんばかりの歓声の中、教会の扉が派手に開く。
伊織「ふぅ、間に合ったわね……」
亜美「そうそう、律っちゃんがしぶるから悪いんだよ?」
あずさ「まぁまぁ、律子さんもお似合いですよ?」
律子「忘れてたわ……、こういう時に限って私も出ることになるってことを……」
青色のパレスオブドラゴンではなく、純白のウェディングドレスに着替えた竜宮小町の4人。また律子さんは強引に連れてかれたんだ……。
伊織「ほらっ、律子! いきなさいよ!」
律子「さっきやったわよ!」
亜美「でもさぁ、まだまだ言いたいことあるんじゃないの?」
あずさ「全部吐き出してしまいましょう、ね?」
律子「はぁ、分かりましたよ……」
3人に促され、律子さんは中央に来る。
律子「涼、桜井さん! それと今ここにいるみんな、テレビを見ているみなさん! 私からのお願いです。これから先10年間、今よりずっといいものにしてください。特にあんたたち2人は、私のことで悩んだりしないで、この時代を地面に足つけて生きて欲しい。残された時間を、どうか大切にしてください」
夢子「律子さん!」
涼「任せておいて!!」
律子「託したわよ」
伊織「それじゃあ行くわよー! 2人の幸せな将来を願って、竜宮小町から歌のプレゼントよ!」
ノリのよい懐かしのウェディングソングが流れる。私たちも彼女たちに憧れたっけか。今では私たちが憧れられる立場になって、少し変な気がするけど。
『涼、夢子ー! 結婚、おめでとー!!』
竜宮小町復活ライブに、みんなテンションが上がる。涼君たちもノリノリだ。最高潮の中、結婚式は終わりを迎えるのでした。あっ、余談だけど……。
小鳥「ふっ! ふっ!!」
春香「気合入ってますね……」
小鳥「当然よ! 涼君のような超優良物件はもう二度と現れないかもしれないけど、ブーケだけは貰っていくわよ!!」
春香「は、はは……」
純粋な疑問。小鳥さんがこの先結婚できる可能性と、私たちが助かる可能性。どっちの方が高いのかな?
『きゃああああ!』
春香「わっ!!」
夢子ちゃんの手からブーケは投げられ、参列者は押し合いへし合いブーケを奪い合う。
春香「まるで戦場……?」
誰かの手から飛んできたのかな、小さく弧を描いてブーケは私の手に落ちてくる。
春香「わ、私!?」
小鳥「言い値で買うわ!!」
血走った眼をする小鳥さん達婚活女子に恐怖し、その場を逃げる。スタジオもそろそろフィナーレを迎える。ブーケを持ったまま、私たちはカメラのもとへ向かう。
17:50、スタジオではシンデレラガールズたちのライブが行われている。初々しくも持ち味を生かしたパフォーマンスを見せる。1から面倒を見てきたから、我が子の晴れ舞台のように思えて、ちょっぴり切なくなる。いつか彼女たちも引退し、次の世代へと受け継がれていく。もし可能なら、俺はそれをずっと見続けていたい。
卯月「春香さーん、聞こえますか―!?」
春香『聞こえるよー!』
千早『そろそろお終いの時間ね。24時間、なんだかんだ短かったわね』
凛「ですがとても楽しい時間を皆様と過ごせたと思います」
美希『みんな輝いてたからね』
杏「疲れたー」
MC陣が思い思いに感想を言う。名残惜しいが、時間がやって来た。みんな24時間、お疲れ様。ねぎらいの言葉を考えておくか。
春香『最後はみんなで行きますよー! 生っすか!?』
『サンデー!!』
サーズデーだろって突込みは野暮だな。こうして世代と事務所を超えたアイドル達の一大番組はフィナーレを迎えたのだった。
春香「すっごく楽しかったですね!」
P「見てた人は、今日の放送を忘れないだろうな」
全てが終わり、解散する。車でアイドル達を送っていき、俺と春香は家に帰る最中だ。ラジオからはシンデレラ達のうたが流れている。
春香「プロデューサーさんは見れてないんですよね、涼ちゃんの結婚式」
P「直にはな。まさかあんなサプライズがあると思わなかったが、盛り上がって何よりだよ」
モニター越しに見ていたが、なんとも楽しそうな結婚式だった。その場に行ってみたかったけど、それよりもシンデレラ達を最後まで見届けることの方が大事なことだ。来週の日曜から、生っすか!? がリニューアルして復活する。彼女たちが新たな風を吹かせることを、心から期待する。
春香「私もあんなウェディングドレスを着れたらなぁ……。もう少しここにいれたら良かったのに」
物寂しそうに言う春香。結婚、それは全ての女性が憧れる幸せの最終地点。春香はそれが叶うことなく、この世界からいなくなる。助かったとしても、春香が一生を添い遂げる男は、俺じゃないんだ。
春香「どうかしました?」
P「なぁ、春香。ライブが終わったら、遊びまくろうか」
春香「え?」
P「ライブは早い時間に始まるんだ。後片付けとかさ、全部ほっぽり出して、最後に俺に思い出をくれないか? 最後の時間を、俺と過ごして欲しい」
忘れてしまうなら、忘れないぐらい思い出を作ればいい。これは、俺じゃない俺への最後の抵抗だ。お前の妻を、おれのものにしてみせる。
春香「こちらこそ、プロデューサーさんといたいです」
ラジオから聞こえるチャイムが、シンデレラ達の魔法をといた。
8月26日、期限まで残り1日。
P「おはよう、春香」
春香「おはようございます、プロデューサーさん! あっ、手繋いだままでしたね……。話すのがもったいないかなー、なんちゃって」
眠りについてからずっと手を繋いでいたみたいだ。右手残る暖かさが名残惜しい。寂しいなんてことを悟られないように、俺はキッチンへと向かう。
春香「あれ? プロデューサーさんが作るんですか? 私作るのに……」
P「休んでなよ。一昨日昨日とハードスケジュールだったんだ。もう少しゆっくりしてていいぞ」
春香「じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。でもプロデューサーさん、料理できるんですか?」
P「まぁ人並みにはは出来るんじゃないか?」
春香「楽しみにしています!」
春香の期待の眼差しを受けて、久しぶりの料理に挑戦する。なぁに、男の料理ってやつを、見せてやろうかね……。
春香「り、料理は見た目じゃないですよね!! 味ですよ、味。ほら食べたら……、プロデューサーさん……、もしかして砂糖と塩、間違えましたか?」
P「クッ……」
料理の天災、ここに爆現。まさかこんなに料理が難しいものとは……。朝ごはん作るだけなのに、てんやわんやの大騒動だった。春香が今にも手伝いたそうにしていたが、男のプライドに賭けて最後までやりきった。その結果が……、
春香「気持ちがあれば美味しいですよ!! それにほら、私甘党ですし!!」
気を遣わせてしまいました。
P「どうせ俺なんて砂糖と塩の区別もつかないダメ男ですよ……」
春香「みんな最初は失敗しますって! 私だってクッキー作って、砂糖と塩間違えた時だってあります! 何事も経験ですよ、経験!」
P「はぁ……」
春香が精いっぱい励まそうと頑張っているが、かえって申し訳なくなり気が滅入ってしまう。うじうじしているのが気に食わなくなってきたのだろう、徐々に春香の声色が変わっていった。
春香「気にしないでって言ってるでしょうがこの愚民!!」
P「ひぃ!?」
春香「はっ!? 今私、何を言いました?」
P「にゃ、にゃんでもありましぇん……」
春香「たまーにあるんですよねー。意識なくしたと思ったら、何故かみんな跪くってことが。何ででしょう?」
まさに閣下、総統と呼ぶに相応しい人格が、確かに姿を見せた。ドラマや舞台での役柄に入り込み過ぎる傾向はあったが、まさかまだキサラギを引きずっていたとは……。
春香「次は美味しい料理、食べさせてくださいね!」
P「ああ。次は……、な」
叶うかどうかわからない。それでも俺は、僅かな可能性に賭けていたい。俺と春香は連れだってレッスン場へと向かう。本番前日、当日にあたふたしないための1日が今始まる。
P「昨日の疲れが響いているだろうから、今日は調整程度だ。ただ明日の動きも確認する。本番当日あたふたしまくりなんて嫌だろ?」
亜美「それなんてdo-dai?」
P「ま、まあ何でもいいだろ。それじゃオープニングから流してくぞ!」
本当ならホールでリハをしたかったが、不運にも今日が休館日だったりする。いくら特殊な事情とはいえ、こちらの都合に合わさせるのも気が引ける。急に借りた身分なんだ、偉そうなことは言えない。
アイドル達は昨日の疲れを顔に出さずリハーサルに臨む。激しいダンスも、難しい歌も、彼女たちはベストコンディションを保ちながら魅せていく。
P「1週間で何とかなるもんなんだな……」
冬馬「皆が皆そうじゃない。あんたらが例外なんだよ。いくら切羽詰ってるからって、ブランクをこうも直ぐに埋めることが出来るものなのか?」
天ヶ瀬君は不思議そうに尋ねる。聞かれても答えなんてものはないが、強いて言うなら……。
P「大事なのは、ハートなんだよ。ハートが籠ってれば、ブランクなんてなんのその。塩と砂糖を間違えた料理も気にならなくなるさ」
冬馬「それ味覚がやられただけじゃないのか……。ハートねぇ……、そういうの嫌いじゃないぜ」
P「こっちもさ」
冬馬「へっ」
互いに拳をぶつけ、笑い合う。
雪歩「P×冬……」
真「雪歩!?」
雪歩「はっ、私はいったい……」
なんか騒がしいが、気にするほどでもないか……。時計を見るともうお昼だ。昼休憩の時間を取り、俺は差し入れを買いに外に出る。
法子「あっ、プロデューサー! ドーナツ買いに来たの!?」
P「おお、法子。良く会うよな。学校は……、って夏休みか」
法子「そうそう、宿題が終わらないんだ~。で、気分転換にドーナツ食べに来たってわけ!」
ドナキチと呼ばれるほどのドーナツフリークとばったり会う。といっても、この店に常駐しているのかってぐらいの頻度で会うが……。
P「そんなにドーナツが好きなら、仕事取って来るぞ?」
法子「ほんと!? やっぱりアイドルになって良かったー!」
P「でも、オーディションに勝つためには、レッスンしないとダメだぞ」
法子「ドーナツのためなら頑張れるよ!!」
彼女にとって、ドーナツは世界そのものなんだろうか。
P「なんでそんなに好きなんだ?」
法子「うん? 色々あるよ? 美味しいし、色んな味があるし……。形が良いよね!!」
P「は? 形?」
予想外の答えに思わず聞き返してしまう。
法子「うん、形。見てよ、これ! 真ん丸だよね」
P「そりゃあドーナツだからな」
法子が指差すのは、オーソドックスな味が人気のドーナツだ。チョコもなにもコーティングされておらず、純粋なドーナツと言えよう。
法子「ドーナツってさ、丸いんだ。齧らなかったら、ずっとグルグル回ってる、ずっとね」
P「妙に哲学的なことを言うんだな」
法子「そんな難しいことじゃないよ? もっと単純。幼稚園の頃、好きだった先生が転勤することになって、私泣いたの。お姉ちゃんみたいに懐いてたし、その頃はいなくなる=もう会えない、って思ってたの。でもね、先生はドーナツをくれたんだ。それでなんって言ったと思う?」
P「世界はドーナツみたいに、丸いからいつか会える、ってとこか?」
法子「凄い、正解したよ!! 景品にはい、ドーナツ!」
なんとなくで答えたら、正解だったようだ。法子は自分のトレイからドーナツを俺によこす。まだお金払ってないんだけどな……。
法子「プロデューサーが言ったのと大体一緒。世界はドーナツみたいなもの、サヨナラしても、まっすぐ歩いていたらいつか会えるって。そう言ったんだ。その頃はまだ意味が分からなくて、先生のくれたドーナツが美味しかった、って話なんだ」
P「それが、ドナキチへの第一歩ってわけか」
法子「そういうこと! あっ、アイドルになったら、先生にも会えるかな?」
P「かもな、お前の頑張り次第だぞ?」
法子「よーし、俄然やる気出て来たぞー! じゃあねー!」
法子はそう言って駆け出した。自主レッスンでもするのかな?
P「ドーナツは世界、か……」
真ん中に穴がぽかりと開いたドーナツを見つめる。402便もこうやって戻ってきた。また別れることになっても、まっすぐ歩いていれば会えるかもしれない、か。いっちょ前に良いこと言っちゃって。
P「あっ」
ドーナツを眺めていると、あるものに似ていることに気付く。なんで今まで、忘れていたんだろうか?
P「……戻るか」
ドーナツを人数分+α買い、レッスン場へと戻る。残された時間はあまりない。その分密度の濃い時間を過ごさないとな。
P「よし、そこまで!!」
一通りの流れを確認し、リハーサルを終える。流石のアイドル達も疲労が見えてきている。今日はこの辺にしておこう。
P「これで明日への準備は終わりだ! 明日のライブは本当のサヨナラライブだ。引退をキチンと出来なかった者、後悔を抱いたまま日々を過ごして来た者、10年間苦しんできた者。全部、明日で清算するんだ。そして、笑ってファンのみんなに、サヨナラをしよう。以上だ!」
春香「ねえ! 皆であれ、やらない?」
俺の話が終わると、春香が提案をする。あれ、というのはもちろん……。
伊織「どうせ明日もやるんでしょ?」
春香「こういうのは、何回やっても良いんだって! ほらほらっ、みんな円になって!」
ドーナツのように円を作るアイドル達。ライブの時はいつもこれをやっていたっけか。この場に社長と小鳥さんがいないのが残念だけど、明日になったらいるか。
真美「10年ぶりだね」
亜美「亜美からしたら数日ぶりだけどさ!」
春香「それじゃあ行くよ! 765プロ、ファイト―」
『オー!!』
気合は十分! 明日は絶対うまくいく、そう確信するのだった。
夕暮れの中、ラーメンの屋台に見知った顔を見かける。
P「よう、貴音」
貴音「おや、春香は一緒でないのですか?」
P「明日遊びまくるって約束したからな。今夜はアイドル達とお泊り会だとさ。お前はいかないのか?」
貴音「非常に魅力的な提案でしたが、わたくしは論文をまとめなければいけませんので」
P「論文か……。読んでも分からないんだろうなぁ」
貴音「自分でも、無理のある話だと思っています。このようなことを言うのも不謹慎なのかもしれませんが、今回の現象は、結果として人類の夢、タイムトラベルを叶えました。一学者としてなら、それだけでも有意義な現象でした。しかし、アイドルとして、仲間としてみると、これ以上ないぐらい迷惑な話でもありますが」
P「タイムトラベル、ねぇ」
貴音「可能になるまで、あと何年かかるか分かりません。もしかしたら、全人類が消えてなくなるその日まで、解明されないかもしれません。それでも、夢を見ていたいのです。わたくしにも、後悔の一つや二つ、ありますから」
俺は彼女のことを何も知らない。知っているつもりでいても、次から次へとい謎が生まれる。全てが謎に包まれ、時折人間離れした不思議な行動や発言をすることもあった。尤もそれを売りにしてたのは俺達だが……。だが、最近になって分かったことがある。
P「なぁ、聞いていいか?」
貴音「なんでしょうか? スリーサイズは、とっぷしぃくれっとですよ?」
P「いや、違うって……」
一応10年前のデータは残ってる。しかしまぁ、まだまだ成長しているみたいだ。ないすばでぃな銀髪の女性が、こじんまりとしたラーメン屋の屋台にいる、、そのギャップがシュールで少しおかしい。
P「なあ、何で貴音はそこまでするんだ?」
貴音「そこまでとは?」
P「あー、だから……。アイドルを辞めて、量子物理学だっけ? 准教授になって、神の奇跡としか言いようのない現象に真っ向から向かって行って……。すごく嬉しい、でも何がお前をそこまで突き動かすんだ?」
俺の問いを貴音はポカンとして聞いている。そして俺の目を見て、クスリと悪戯に笑う。
貴音「確かにわたくしの取った行動は、不可思議なものかもしれません。なんせ私は志半ばでアイドルを辞め、そこから真逆の血球の道へと進んだのですから」
P「アイドルになったのは国の民のため、だよな」
貴音「ええ、わたくしは彼らの希望でなければなりませんでした。例えるなら、そう太陽。そんな私が、月を題材に歌を歌うというのも、少々おかしな話でしたが」
なるほど、それは皮肉な話だな。正直に言うと、貴音の口から太陽なんて言葉が聞けると思わなかった。その凛とした姿は、冷たき月夜に舞い降りる姫君を連想させたから。貴音は続ける。
貴音「しかし、わたくしはそれを途中で投げ出しました。彼らにとっては寝耳に水をかけられた気分になったことでしょう。裏切り者、逃げ出した。そう言われても反論することが出来ません。しかし、わたくしは望んだのです。今ひとたび、765プロのみなとともに舞台に立てることを」
P「まさかお前……」
貴音「故国の民と同じぐらい、わたくしにとっては大切な者たちです。その他に、理由など必要でしょうか?」
P「ははっ、ないよな」
貴音「ええ、ありません」
最近になって分かったこと。貴音は俺が思っている以上に熱い人間だ。仲間を助けるため、10年間なんとなく生きてきた俺と違って、一から量子物理学を学び、そして今わずかな可能性を見つけた。感謝してもし足りないぐらいだ。だからまずは、
P「おっちゃん、塩ラーメン一つ。んでこいつにもう一杯、醤油ラーメンを作ってやってくれ」
ねぎらいに一杯、奢ってやるか。
貴音「御馳走様でした」
P「ふぅ、食った食った」
ラーメンを食べ終え、屋台を後にする。家まで送っていくと言ったが、貴音はと言うと、
貴音「ここから先は、最高機密です」
そう言って送らせようとしなかった。結局俺は、貴音のことをほとんど知らないまま、最後のライブに臨まなきゃいけないみたいだ。
貴音「あなた様」
P「なんだ?」
貴音「いつか言いましたね。神はサイコロを振りません、しかしわたくし達は振ることが出来る、と」
P「そうだったな。良く覚えているよ」
アインシュタインの言葉だっけか? その神様の奇跡に、俺達は翻弄されたわけだが。有難迷惑も極めると、ただの迷惑だ。
貴音「最後の機会です。きっと今なら、良い目が出ると思いますよ?」
P「そう信じてるよ」
貴音「では、わたくしはここで」
長々といたのだろうか、いつしか夕日は沈み代わりに丸いお月様が顔を出している。その月光の下にいる貴音は、この世のものと思えないぐらい美しい。
P「やっぱり、月の方が似合っているぞ?」
貴音「好みはそれぞれですよ?」
貴音は手を振り別れを告げる。このまま月に帰っていきそうだったが、角を曲がり姿を消した。
P「……よし、振ってみるか!」
俺はある決意を胸に、家に帰る。今日も残り数時間。出来ることは限られているかもしれないが、一分一秒を無駄にしたくはない。俺は今を生きる、ただそれだけだ。
お泊り会会場
『真―、誕生日おめでとー!!』
パンパンとクラッカーが鳴り、真はあっけにとられた顔をする。
真「ええ!? ボクの誕生日、まだ先……、ってそうか……」
雪歩「真ちゃん……、ゴメンね。気分害しちゃった?」
真の誕生日は29日。神様はどうしてこうもせっかちなのかな? 『神様あと少しだけ』だったかな、そんな名前のドラマがあったっけ。せめて後24時間ぐらいは猶予が欲しかったなぁ。
真「ううん、そうじゃないよ。雪歩が気に病む必要なんて、どこにもないよ? でもあんまり実感わかないんだよな。明後日も普通にいて、普通に毎日を過ごしていく、そんな気がするんだ」
律子「余命宣告されたようなものなのに、私たちピンピンしてるからね」
亜美「あっ、それ分かる。なんかさ、変な感じだよね。いなくなるわけないじゃんって感じ?」
真美「……今回は、そうなって欲しいね」
環境が変わってて、いやでも10年後の世界ってことを痛感してきたはずなのに、未だに夢落ちじゃないかなと考えている私がいたりする。もし夢落ちならば、早いところ覚めて欲しいな。起きて隣に、プロデューサーさんがいてくれたら……、すっごく嬉しい。
やよい「でも私はもう十分かなーって。お父さんにも家族のみんなにも会えましたから」
響「未練がないって言うとウソになるぞ。にぃにぃが父親になって、可愛い姪っ子も出来て……。もっともっとアイドルしてたかったなぁ。でも、こうやってこの時代に来れたことが奇跡なんだよな。たった8日間だけど、楽しかったぞ」
あずさ「響ちゃん……」
響「なんくるないさー。だからねぇね……、あずささんも笑ってお別れしてほしいな」
八重歯を見せて笑う響ちゃん。肩に乗るハム蔵も歯を見せて笑っているように見えた。
亜美「ねぇねぇひびきん、今あずさお姉ちゃんのことねぇねぇって言わなかった?」
響「い、言ってないぞ!!」
あずさ「あらあら、私はねぇねぇで良いですよ?」
響「あ、あずささぁん……」
亜美に指摘されて、恥ずかしそうに反論する響ちゃんを、ねぇねぇことあずささんは優しく見守っている。
伊織「そうね、笑って終わらせたいわね」
やよい「はい! みんな笑顔が1番です!!」
真美「はぁ、何考えてたんだろ私。いきなりいなくなるわけじゃないのに……」
亜美「真美、難しいこと考えれないんだから、パーッといこうYO!」
真美「難しいこと考えられないってどういう意味!?」
千早「ふふっ、みんな楽しそうね」
美希「でも辛気くさいよりは、この方がうちららしいかな?」
本番前日と言うことを忘れ、私たちは大いに盛り上がりました。この場に貴音さんがいないのが残念だけど、楽しんできてほしいといってくれた彼女の分まで、楽しむことにします。
雪歩「えっと、お酒……」
千早「買いに行きましょうか」
春香「ダメ! 絶対!!」
もちろん、ノンアルコールで。生放送での反省を活かします。
千早「春香、眠れないの?」
春香「あっ、千早ちゃん」
誕生日前倒しパーティーを終え、美希が寝始めるとそれを皮切りに、みんな眠りにつく。私もそのつもりだったけど、寝ようにも眠れなかった。仕方なく夜風を浴びていると、千早ちゃんに声をかけられたってとこ。
春香「変だよね、いつもは寝つきが良い方なんだけど、今日に限って眠れないや」
寝つきの良さはプロデューサーさんのお墨付きをもらっている。いや、だからどうしたって話だけどね。
千早「緊張してるの?」
春香「どうだろ? やっぱり実感が湧かないかな? 明日で引退して、そしてまた消えてしまう。私はどこに行くんだろ?」
それは神様だけが知っているのかな。
千早「……出来るものなら、ずっといて欲しいわ」
春香「へ?」
千早「先に謝るわ、ごめんなさい」
春香「千早ちゃん? わっ!!」
突然千早ちゃんが私を抱きしめる。
春香「ど、どうしたの?」
千早「……なの」
春香「千早ち」
千早「嫌なのよ!! もう私の前から、大好きな人達がいなくなることが! 認めたくないの!! 春香が、みんながいなくなるなんて! だから! いなくならないで……」
壊れるぐらいに抱きしめる力を強める。私も両手を千早ちゃんの背中に回す。互いに痛いぐらいに、思いが伝わるように。
春香「落ち着いた?」
千早「うん……」
ちっちゃな甘えん坊みたいに、私を抱いた手を放さない。普段は見せない弱り切った姿を、可哀想と思うとともに、可愛いと思ってしまう。ひとしきり泣いた千早ちゃんは申し訳なさそうに私を見つめる。
春香「大丈夫だよ、神様だってそんなに理不尽じゃないよ。10年間、みんな辛い思いをしてきたのに、ここでまた同じ思いをさせるなんてそんなサディスティックじゃないって! だから私たちは、きっと助かる。神様が助けてくれる。それでもまだ、不安でいっぱいなら……。千早ちゃん、約束しようか」
千早「約束?」
春香「そう、約束。千早ちゃんの曲で、守るためにするもの」
千早「ふふっ、それぐらい分かってるわよ」
春香「それじゃあ手を出して」
千早「こうやって約束するの、何歳ぶりかしら?」
互いの小指を絡め合い、引っかけあう。
『指切りゲンマン嘘吐いたらハリセンボンのーます、指切った!!』
千早「約束したわよ?」
春香「うん、私は消えたりなんかしないよ。絶対に」
どうすればいいか分からない。でも信じていたい。最後は笑って終われると。
千早「私も寝るわ、お休みなさい」
春香「おやすみ」
もう少しだけ、夜風にあたっておこう。
8月27日、期限当日。残り24時間。
P『ふぅ……、今日からこの事務所のプロデューサーか……。緊張してきたなぁ。よしっ、頑張るぞ!』
あの時、変なおっさんの言葉に耳を傾けなければ、こんなことになっていなかっただろう。
社長『諸君! 我が765プロにも待望のプロデューサーが誕生した!』
ドア越しにも分かる少女たちの歓声。13人のアイドル達をトップへと導いていくことになるんだという、重すぎるぐらいの責任を一身に背負い、ドアを開ける。
P『みんな揃ってトップアイドルだ!!』
春香『よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!!』
個性豊かな少女たちの中、リボンの人懐っこい少女が俺に挨拶する。正直言うと、第一印象は『ふつう』。本人に言ったら怒られるかもしれない。
春香『あっ、名前憶えてます? 天海春香ですっ!!』
P『ああ、憶えているよ。よろしくな、天海さん』
春香『春香、って呼んでください! なんか天海さんって他人行儀じゃないですか。私たちはそんな遠い関係でもないですし、名前は呼び捨てで良いと思いますよ!』
P『そ、そうか? じゃあ春香』
春香『はいっ!!』
それがアイドル天海春香と、プロデューサーの俺の最初の出会いだった。
春香『うわぁ!』
どんがらがっしゃーん。派手な音を立てて、春香はずっこける。おっ、今日は白か。
P『おいおい、何度目だ?』
春香『いたた……、すみませーん』
P『全く、コケリンピックがあれば、間違いなく金メダルだろうに』
春香『いりませんよー!!』
転んだ彼女の手を轢き立ち上がらせる。最初の内は心配していたが、何度も何度も芸人みたくこけ続けるので、いつの間にか心配もせず、軽口を言えるぐらいに距離は近づいて行った。それは所属アイドル全員に言えることだったけど、どういうわけか春香とは特別と言っていいぐらい仲が良くなっていった。今思うと、彼女のひた向きさにこの頃から好意を持っていたのかもしれない。別に初恋の子に似ているから、なんてことはないぞ、うん。
春香『やりましたよ、プロデューサーさん!』
P『おめでとう、春香。Aランクアイドルだぞ!』
春香『はい、貫録の1番乗りですよ!』
アイドル達の活動も軌道に乗っていき、765プロのアイドルを見ない日がないと言われるぐらい忙しくなってきた頃、春香がAランクアイドルの仲間入りを果たした。誰もが認めるトップアイドルだ。0から育てたアイドルが、これほどまでの成功をおさめたのが自分のことのように誇らしかった。
P『だがこれでみんなにも火がついたな。ボヤボヤしてると、置いてかれるぞ』
春香『大丈夫ですよ! 私もっともっと頑張りますから!!』
春香のAランクアイドル入りは仲間たちにも火をつけ、事務所のアイドル全員がAランクと言う快挙を成し遂げる。そして春香は、あるアイドル以降生まれていない、伝説のSランクへと挑もうとしていた。
俺が春香に告白されたのは、彼女の生まれた日のことだった。
春香『お疲れ様です、プロデューサーさん! 今日のライブも最高に盛り上がりましたね! 私、今日の誕生日を忘れません!』
P『そうだな、ファンのみんなも祝ってくれたし、見ている方も楽しいライブだったよ』
月明かりが満開の桜を照らす。花見客もおらず、桜のシャワーの中2人で歩いている。
P『おっと、忘れるところだった。はいこれ、プレゼントだ』
春香『プレゼントですか!? 嬉しいなぁ、何が入っているんだろ? これは……』
P『どうかな? 俺は似合うと思うんだけどな……。春香をイメージした色なんだけど』
小さな箱の中から、2つのリボンが顔を出す。顔なんかないけどね。
春香『嬉しいですよ! ありがとうございます! えっと、付けてくれますか?』
P『お、俺が?』
春香『はい! さぁつけちゃってください!』
P『わ、分かった……。くすぐったいかも知れないけど、気にしないでくれ』
断りを入れて、春香の髪に手を伸ばす。手入れの行き届いた、サラサラで綺麗な髪だ。ふわりといい匂いもしてくる。女の子だからじゃくて、春香の匂い。少し変態チックだったけど、無心にしてリボンをつける。
春香『どうですか? 似合ってますか?』
P『ああ、最高に似合ってるよ』
春香『えへへ……』
褒められて頬を赤らめる。しかし少しすると、息を深く吐いて真剣な眼差しで俺を見る。
春香『プロデューサーさん、お話があるんです。少し良いですか?』
P『あ、ああ。大丈夫だぞ?』
春香『ありがとうございます。それじゃあ少し歩きましょうか』
公園の中を歩いていると、上空を飛行機が飛んでいく。ここからだと、飛行機が良く見えるんだ。たまに子供たちが、顔をあげて手を振っているのを見たりする。
P『なあ、話って……』
春香『前置きとかそういうの抜きで言います。プロデューサーさん……』
P『なんだい?』
春香『私を、彼女にしてほしいんです』
P『うっ、そう来たか……』
気付いてなかったわけじゃない。春香の原動力が、アイドルの夢をかなえたいという純粋なものから、いつしか俺に褒められたい、俺に見て貰いたいと言うものに変わっていったことを。Aランクへとんとん拍子に進んだのも、俺への憧れがあったんだと思っていた。俺はそれを利用していたんだ。そう考えて、少し自己嫌悪に陥る。
春香『私、プロデューサーさんが大好きです。美希よりも、誰よりもあなたが好きです』
P『春香……』
呆れるほどまっすぐな彼女の想いに、心が揺れる。こんなに春香って、弱弱しく見えたっけ?
春香『分かっています、私はアイドルで、プロデューサーさんにも立場がある。今まで積み上げたものを、積み木みたく崩しちゃう。分かっています』
P『なら』
春香『それでも! プロデューサーさんの特別になりたいんです。私、嫉妬深いんですよ? 美希にハニーと呼ばれて顔を真っ赤にするプロデューサーさんにムカッてしたこともありましたし、他の子が褒められていたら、なんかモヤモヤしちゃって……。みんなが思っているよりも、愛が重いですね』
自分を馬鹿にするように鼻で笑う。
春香『こんなはずじゃなかったのに……。日本一のアイドルになりたいって思ってたのに、プロデューサーさんの奥さんになりたいって思うようにもなったんですよ? 私にとって、プロデューサーさんはそれぐらい大きな存在なんです。夢を叶えてくれて、新たな夢をくれました……。ダメならダメって言ってください、私潔い方……』
P『そこまで愛されてたんだな。俺は世界一の幸せ者だな』
春香『え?』
ハトが豆鉄砲を食らったかのような顔を見せる。そして俺は、彼女の想いに応えたんだ。
P『正直に言う、俺も春香のことが好きだ。世間がどう思おうと、お前と一緒にいたい。全く、女の子の方から言わせるなんて、情け……、どうした、春香!? 涙を流して……』
春香『嬉しいんですよ……、すごく嬉しくて、私も世界一幸せです!』
P『俺の方が幸せだぞ?』
春香『いいや、私の方が!』
妙な意地を張りあうが、結局二人とも幸せ、世界一幸せな男と、世界一幸せな女、世界一幸せなカップルということで、その場は収まったのだ。
P「まるで走馬灯だな」
運命の日、俺は昔のことを思い出していた。春香との出会い、告白された日のこと、402便が帰って来た日。初めてのキスと、その先に進んだこと。全てが鮮明に思い出せる。最後のは少々生々しくて、悶々としちゃったけど。
P「うっし、行くか!」
アイドルのみんなは、伊織邸に泊まっていたらしい。羽目を外し過ぎて、今日何も出来ませーん、なんてことがないように祈っておく。
P「こんな時間から並んでいるのか?」
小林ホールに着いた俺を、気の早いファンたちの行列が迎える。チケットは指定席で、こんなに早く来ても仕方ないんだけど、ファンのみんなはそれぞれの思い出話に興じているようだ。知らない相手とでも、アイドルと言う話題を通して絆が出来る。世界は案外簡単に、平和になるのかもしれない。歌で戦争を止めえるアニメを思い出した。
P「キラッ☆ なんつって」
その辺の子供に、白い目で見られてしまった。
春香「あゅ、プロデューサーさん!」
P「おっ、みんなお揃いだな。貴音は……」
貴音「ここにいますよ?」
P「おう! 後ろから来るのは反則だろ……。びっくりした……」
楽屋にはアイドル達が既に集まっていた。このメンバーで出来るだろう最後のライブに向けて、全員気合が十分すぎるぐらい入っている。
冬馬「うっす、来てやったぜ」
涼「えっと、今日はよろしくお願いしますね!」
ジュピターと876の3人も到着する。
社長「うむ、みんな揃っているようだね。ピンチの時は、私の手品が場を繋ぐよ」
小鳥「練習してましたもんね……。みなさん、頑張ってくださいね!」
準備運動をしていると、社長と小鳥さんも姿を現せる。
卯月「もちろん私たちもいますよ! ライブ楽しみにしています!!」
シンデレラ達も登場だ。杏だけきらりに抱きかかえられているあたり、また逃亡を図ったんだろうな。懲りない奴。
P「よし、みんな揃ったな。聞いてくれ。まずは……、そうだな。春香、やよい、真、響、亜美、律子。最後の時間を有意義に使ってほしいんだ。どうか後悔だけは、残さないでくれ」
P「雪歩、美希。リベンジって言い方も変だが、最後のライブの失敗を、ここで乗り越えるんだ! あずささん、お子様たちに格好いい姿、見せてあげてくださいね」
P「千早、伊織、真美、貴音。お前たちも、わだかまりを残さないで欲しい。きっと今日のライブは、人生を楽しく彩ってくれるから」
P「1人1人の力が小さくても、13人いれば無敵だ! みんな、最高のライブにしよう!!」
春香「じゃあ皆、あれやるよ!」
伊織「結局やるのね……、まぁ良いけどね」
春香「ほら、ジュピターも愛ちゃんたちも、みんなでしましょうよ! 社長と小鳥さんも!」
外野にいたみんなも巻き込み、ドーナツは大きくなる。まるで地球儀の上を子供たちが手を繋ぎ合っているみたいな、和やかな○が出来た。
冬馬「けっ、たまには付き合ってやっか」
愛「円陣くむよー!」
凛「なんかこういうの、良いね」
社長「おおう、私は今から泣きそうだぞ!」
小鳥「まぁまぁ、落ち着いてください!」
P「これで全員か?」
春香「それじゃあ行きますよー! 765プロ―!」
冬馬「俺765じゃねーんだけど……」
翔太「空気読みなよ冬馬君!」
北斗「だからお前は、魔法使い一歩寸前なんだ」
冬馬「う、うるせー!! 好きでなりたいわけじゃ……」
春香「……」
冬馬「すんません……」
流石の天ヶ瀬君も、全員の無言のプレッシャーには勝てないようだ。
春香「気を取り直して……、765プロ―、ファイト―!」
『オー!!!!』
P「よし、皆行って来い!」
最後のライブの幕が、今開いた。
『――!!』
割れんばかりの歓声を受けて、13人のアイドルが立っている。彼女たちの緊張がこっちにまで伝わってくる。
P「行きます。3、2、1、レディゴー!!」
『――♪』
会場とアイドル達は1つになり、765プロの世界が繰り広げられる。歌声は心に響き、華麗なダンスは躍動感を与え、ビジュアルアピールで魅せる。ファンのみんなは心を奪われ、地響きが起きんばかりに盛り上がる。
社長「~♪」
小鳥「ノリノリですね……」
社長「かく言う君も、リズムに乗っているぞ? どうかね、もう一度ステージに……」
小鳥「こ、これは更年期障害です!! もう、アラフォーに何を言うんですか!」
まだそんな歳じゃないでしょうが。しかしまぁ、乗ってしまうのは仕方ない。踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、なんてね。
春香「みんなー、盛り上がってますかー!!」
『――!!』
伊織「聞くまでもなかったわね」
真「今日はまだまだ続くよー! 皆ついてきなよー!!」
『――!!』
10年間お預けを食らったファンたちが、そう簡単にくたばるかっての。
『――!!』
千早「この盛り上がり、懐かしいですね。歌手に転向してからは、こんな風に盛り上がる曲を歌ってませんでしたから。新鮮にも思えてきます」
P「次は明るい曲でも歌ってみたらどうだ? キラメキラリイングリッシュバージョンとか」
千早「それは……、楽しそうですね」
眩いライトの中、底抜けに前向きなやよいに心を奪われる。あの頃のままのやよいは、持前の明るさでホールを盛り上げる。
P「おっ、みんなで来てんだ」
客席を見ると、高槻家が揃っている。長介君と高槻氏が隣同士並んでいるのを見て、やよいの願いは叶ったんだと察する。自分のことじゃなくて、最後まで家族のことを思っていた彼女にとって、家族が揃うということはなによりのプレゼントだろう。
やよい「辛いことがあっても、一度リセットしちゃえばまた頑張れます! 家族みんなで楽しんでくださいね!!」
やよいらしいメッセージに、会場が湧く。家族連れも結構来ているみたいだな。
『――!!』
やよいにバトンを託されて、響とあずささんが舞台に上がる。事情を知らないと異色の組み合わせだが、これはこれでなかなかだ。双方歌唱力も高く、キレのあるダンスで魅せる響と、持前のプロポーションとビジュアルアピールで目を奪うあずささんの義姉妹コンビは思っていた以上の化学反応を起こした。
響「みんなー、来てくれてありがとうなー! 今日のライブを、ずっとずーっと忘れないでいてくれよ!!」
あずさ「あの頃子供だった人も、今は親になっているんですね。お父さん、お母さん。子供たちに、受け継いでいってあげてくださいね」
いくつかの親が反応する。10年間で、ファンのみんなも変わっていったんだ。そして今、アイドルとファンは再び出会う。
『律っちゃーん!!!』
律子「わぁ! まだみんな私のファンなの!?」
涼「律子姉ちゃん、自己評価低すぎだって……」
律子「ほんと、物好きよね……。でも今日はそんな物好きな皆に送ります!」
涼「秋月シスター……、って僕男だよ!!」
律子「魔法をかけて!!」
緑色のサイリウムが小さな光を作ったかと思うと、魔法がかったかのように、それはどんどん広がっていき、ホールを埋め尽くす。
伊織「にしても、相変わらず目に優しい色ね」
P「おっ、秋月夫人発見。涼君に呼ばれてきたのかな?」
照明が当たって、飴型の指輪がキラリと光った。
亜美「んふっふっふ~。行くよー、真美!」
真美「んふっふ……、無理があるんだけど……」
亜美「どっちが亜美だ!!」
真美「間違えようがないよね!!」
亜美真美「亜美真美でーす!」
大きくなった姉、あの頃のままの妹。もしこれが逆だったなら、どうなっていたんだろうか? 考えても仕方ないか。
『――!』
互いの良いところ、悪いところを知っている2人だからこそ、長いブランクがあっても一心同体でいれるんだ。双子と言う、切っても切れない不思議な縁に結ばれた2人は、息の合ったパフォーマンスで会場を盛り上げる。
美希「みんなー、お待たせなのー!」
雪歩「10年前のリベンジに来ましたー!!」
真「な、なぜだろう……。この組み合わせは、どこかまずい気が……」
小鳥「修羅場! 修羅場!!」
P「おいこら」
真大好きコンビと真と言う、何とも小鳥さん得なユニットだな……。
P「2人とも、吹っ切れたんだな」
いざ曲が始まると、迷いのないパフォーマンスを見せる。10年間苦しめてきた幻影を、2人は断ち切ることが出来たんだ。そして真は2人をバックに、格好いいダンスを決める。
『きゃあああああ!!』
真「はは、ははは。やっぱり最後まで王子様かぁ……。こうなったらやけだー! まっこまっこ……」
美希「真くん、引っ込まないといけないよ?」
真「み、美希―! 最後までやらしてよー!!」
雪歩「えっと、この後は春香ちゃんが登場です!」
ファンのみんなは大笑いしている。コントか何かと勘違いしたのだろうか? あれは真なりの可愛い女の子アピールだったんだが……。
真「ボクの可愛さを分かってくれないなんて、みんなダメダメですね!」
P「お前は幸子か」
春香「プロデューサーさん、行ってきますね」
P「ああ、行って来い」
春香「天海春香、思い切って行きうわぁ!!」
P「大丈夫か……?」
舞台裏からずっこけてステージに現れる。ファンの顔を見ると、ああまたか、と優しい笑みを浮かべている。
春香「えっと……、10年間お待たせしましたー! 今日はみんなの記憶から絶対消えないライブをお届けします!! 行きますよー! I want!!」
『――!!』
P「この盛り上がりだけは、他と違うよな……」
春香「そこに跪いて!!」
P「……社長、何やってるんですか」
社長「はっ、体が勝手に……」
小鳥「春香ちゃんに蹂躙される社長……、あり」
P「なわけないでしょうが!」
人の彼女で何書こうとしているんだこのゾンビ鳥は。
P「しかし……、いい顔してるよな」
楽しそうに歌う春香を愛おしく思う。色んな顔を見せてくれたけど、やっぱりアイドルを全力で楽しんでいる春香が、一番好きだな。
春香「まだまだ、楽しんでいってくださいねー!!」
愛「御手洗さん、ライブですよー!!」
冬馬「俺は天ヶ瀬だよ!!」
絵理「どっちでも一緒?」
冬馬「違うっての!!」
翔太「そうだよ! 冬馬君とだけは間違えられたくないなぁ」
冬馬「どういう意味だよ!!」
北斗「チャチャチャチャオ☆」
涼「北斗さんはぶれませんね……」
765のアイドル達が着替えている間、876とジュピターが場を繋ぐ。765プロのライブなのに、部外者がと思うファンもいるかと危惧したが、どうやら受け入れられているようだ。ライバルたちにも恵まれたんだな。
冬馬「ここで歌わしてもらうぜ。さぁ恋を」
愛「はなまるです!!」
冬馬「邪魔するなあああああ!!」
春香「こ、この中に入っていくんですか?」
P「なんだ……、思ったより盛り上がってるな」
むしろ主役である彼女たちが遠慮してしまうぐらいに盛り上げてしまったみたいだ。仕方ない、満足するまでしてもらおうか。
冬馬「ったく、場は盛り上げたぜ」
愛「後はよろしくお願いしまーす!!」
春香「765プロ―、ファイトー!」
『オー!!』
今日何度目かの円陣を組み、765プロ最後のステージが始まる。ここからはノンストップ、最後まで突き進んでいけ!
伊織「24時間生っすか!? もちろんみんな見たわよねー!!」
『――!』
歓声が答えを示す。
亜美「うむ、見てない兄C、姉Cがいたら、どうしようかと思ったよ!」
あずさ「竜宮小町はあの時限りと思いましたか?」
律子「って私も行くのよね……。竜宮小町は永遠に、不滅よ!!」
ステージの照明は水をイメージしたかのような青色になり、スモークが焚かれる。
律子『浦島太郎になった気分よ……』
402便が帰って来た日、律子はそう言っていた。10年をスキップしてきたんだ、まるで玉手箱を開けたかのような感覚に陥ったんだろうな。でも今ステージにいるのは、お爺ちゃんになった浦島太郎なんかではなく、竜宮城のお姫様たちだ。
春香「竜宮小町のみんな、お疲れ様―!!」
竜宮ステージが終わると、アイドル達がステージへと昇っていく。13人は横に一列に並ぶと、社長がステージに……。
P「え?」
小鳥「これは一体……。まさか手品を!?」
理解の落ち着かない俺たちをしり目に、社長はマイクを持つ。
社長「えー、コホンコホン。まるで校長先生になった気分だ。これより、765プロ卒業式を始める!」
P「そ、卒業式!?」
会場も何事かとざわめき出す。アイドル達を見に来たのに、行き成り黒いおっさんが現れて、卒業式とか言ったら誰だって驚く。
しかしアイドル達は分かっているのか、402便に乗っていたアイドルが一歩前に出る。
社長「君たちは今日が引退ライブになるからね。最後は、私から卒業証書を渡そう。秋月律子君」
律子「はい」
社長「事務員兼アイドル、そしてプロデューサーとしてわが社に貢献してくれた。君がいなければ、765プロは始まることすら出来なかっただろう。天海春香君」
春香「はい!」
社長「いつもみんなを引っ張り、太陽のように眩しくみんなを笑顔にしてきたね。そのリボン、良く似合っているよ。我那覇響君」
響「はい!」
社長「沖縄から単身やって来て、不安なことが多かっただろう。でも君はなんくるないさーの一言で、いつも頑張って来た。ここで得た仲間は、最高のものだと思うよ。菊地真君」
真「はい!」
社長「君の望んでいたアイドルとはかけ離れたものを求めてしまって、申し訳なく思うよ。大丈夫だ、君の可愛さは私たちも知っているし、ファンのみんなも理解しているよ。高槻やよい君」
やよい「はい!」
社長「家族のために、良く頑張って来たね。君がいるだけで、事務所の空気は優しく包まれていたよ。みんなを幸せにした君に、私から○をあげよう。双海亜美君」
亜美「はいっ!」
社長「悪戯好きで、色々私もされたが……、事務所を盛り上げ続けてきてくれた。真美君と君のやり取りに、私も楽しませてもらったよ」
社長「以上6名を、今日この場を持って765プロを卒業したものとする! しかし、私たちと君たちの絆が消えるわけじゃない。大丈夫だ、神様がどうであれ、君たちは今を生きていくべきんだ。少なくとも、その権利はある。神様はサイコロを振らなくても、自分の運命を変えることは出来るのだから」
社長の言葉を、会場は静かに聞き入る。
社長「では、最後の一瞬まで、楽しんでください」
ファンのみんなに礼をする社長につられ、俺も礼をしてしまう。
春香「社長ー! ありがとうございましたー!!」
『ありがとうございましたー!!』
社長「ふむ、どうやら私は、素晴らしい人材たちを発掘してきたようだね……。ありがとう、みんな」
拍手に送られながら、社長は舞台裏へと戻る。
P「社長、お疲れ様です」
小鳥「びっくりしましたよ、聞いてなかったし……」
社長「すまないね、言うのを忘れていたよ」
P「わ、忘れてたって……」
社長「しかしだ。私としても、彼女たちが引退出来なかったことを心残りにしてたからね。これで、私もゆっくりできそうだ……」
P「社長、ゆっくり休んでくださいね」
社長「ああ、そうするよ。さて、見届けようか。最後のステージを」
千早「過ぎた時間は戻りません」
美希「どれだけ後悔しても」
雪歩「無かったことには出来ません」
響「前を向いて生きて行かなきゃいけないから」
やよい「素敵な思い出も」
律子「苦い思い出も」
あずさ「いつかは懐かしく思う時が来るのでしょうか」
真「その時、あの頃のままでいれるのかな?」
貴音「でも案ずることはありません」
伊織「折れそうなとき、隣にいてくれるもの」
真美「手を伸ばせばそこにいて」
亜美「馬鹿みたいに笑い合って」
春香「みんなとなら、どんな出来事も最高の思い出に変わる。だって私たちは」
『ずっと…でしょう?』
最高のライブは、最高アイドルから生まれる。俺は彼女たちをプロデュースしてきたことを、死ぬまで誇りに思うだろう。
貴音「では、私は行くとしましょうか」
P「行くって、どこに」
貴音「奇跡をおこしに、です」
伊織「貴音―! 用意したわよ!!」
貴音「ありがとうございます、ではわたくしはこれで。また会う日まで……」
貴音はヘリコプターに乗り、西の方へと飛んでいく。何をするかは分からない、でも彼女なりに現象に蹴りをつけに行くのだろう。兵隊のように、敬礼をして見送る。
春香「プロデューサーさん! 何やってるんですか!」
P「のわっ! お疲れ様、春香」
春香「お疲れ様です! ってわぁ!」
不意に後ろから春香に抱き付かれ、バランスを崩しこけてしまう。
P「どんがらするなら巻き込まないでくれ!」
春香「す、すみません……」
P「ふぅ、さてと。行くか」
春香「はい! 私を目一杯楽しませてくださいね!」
俺達は残された時間を遊びほうけた。遊園地に入って、年甲斐になくジェットコースターにはしゃいだり、お化け屋敷にビビったり。アイドルとプロデューサーではなく、年の離れたカップルとしての時間を満喫する。
P「みんな今頃、何してるんだろうな……」
春香「あー、今私以外の女の子のこと考えましたね!」
P「そ、そういうのじゃないぞ! ただ俺はみんなが……」
春香「あははっ! 冗談ですよ! そうですねー、みんな何してるか気になりますね。やよいは家族でもやし祭りじゃないですか? 伊織も呼んで。あっ、もしかしたら千早ちゃんも強引に行ってるかも」
P「らしいな。もしかしたら、今日は贅沢してるかもしれないぞ? 真は雪歩と一緒なのかな?」
春香「じゃないですか? それに美希も付いて行ってそうですけどね。響ちゃんはあずささん夫婦と過ごしてそうですね。兄夫婦ですし」
P「亜美と真美は一緒に悪戯祭りかな。真美は無理やりって感じだろうけど。律子は涼君たちと最後を過ごしてるんじゃないかな? 貴音は……、サイコロを振りに行ったよ」
春香「なんだ、みんな最後は楽しい思い出が欲しいんですね。だったら私たちが一番楽しんじゃいましょうよ!」
P「春香らしい論理だな。じゃあ全アトラクション制覇するか!!」
春香「はいっ!!」
こんなに遊園地って楽しかったけ? ああ、そうだな。春香と一緒だから楽しいんだな。
春香「ほらほら! 次はあそこに行きましょうよ!」
P「ぜぇ……、ぜぇ……。体が追い付かない……」
春香「あー! 楽しみました!」
P「おかげでこっちはくったくただぞ……」
時計を見るとかなり長く遊んでいたようだ。期限の時刻の0時まで後、1時間もない。もうすぐ、魔法が解けてしまう。だから解ける前に、彼女に伝えたかった。渡したかった。ドーナツに似た絆を。
P「なあ春香、最後に観覧車に乗らないか?」
春香「そうですね、ここ日が過ぎるまで回ってるんですね。ムード期待してますからね」
P「ああ、最高のムードを作ってやるよ。約束する」
俺達は手を繋ぎ合い、観覧車へと乗り込む。ガコンガコンと音を立て、頂上へと行く。
春香「わぁ……、凄く綺麗です!」
P「俺たちの住んでる町が、こんなに小さく見えるんだな」
春香「あっ、あれ愛ちゃんですよ! 走ってますね!」
P「み、見えるのか!?」
春香「冗談ですよ、冗談!」
テッペンに向かうにつれて、口数は減っていく。そして頂上に着いた時、事件は起きる。
春香「きゃあ!」
P「な、なんだ!?」
時計なら0時をしめす場所で、観覧車は止まってしまう。
アナウンス『――』
春香「こ、故障……」
P「大丈夫か、春香?」
春香「はい……、高いところ嫌いじゃないですし。でもこのタイミングで止まるなんて空気が読めてませんね! KYですよ、KY! KAんらんSYAでKYですよ!」
P「む、無理がないかそれ……」
思わず突っ込んでしまうが、俺にとってはむしろ好都合だった。
春香「時間もないのに……」
P「なあ、春香。隣座るぞ」
春香「は、はい」
不安定な観覧車の中、立ち上がって春香の隣に座る。少し揺れたが、春香はさほど怖がっていないようだ。
P「その……、なんというんだろうか。このタイミングで渡すことになってしまうが……、春香」
春香「な、なんでしょうか? キス、ですか?」
P「いや、それよりも凄いものだよ。これを、受け取って欲しいんだ」
ポケットから小さな箱を取り出し、春香に渡す。
春香「これって……」
P「開けてみてくれ」
春香「……はい」
察してくれたのかな? 春香は震える手で、箱を開ける。
春香「指輪……」
P「ああ、給料3か月分の銀色ドーナツさ。春香、意味は分かるな」
春香「……いいえ、分かりません。ですから、あなたの口から聞かせてください」
P「うっ……」
当然の反応だ。何まごまごしてんだよ俺! ええい、ままよ!
P「春香! 俺と結婚してほしい。残された時間が少なくても、俺はお前といたいんだ。もし春香が過去に帰って、俺と別の俺と結ばれることになっても、俺は春香と結婚したいんだ!!」
一世一代の告白。人生でこんなに恥ずかしくて、緊張したことはあっただろうか? そして……、
春香「遅いですよ……、馬鹿」
P「ああ、馬鹿だよ。こんな切羽詰らないと、行動に移せないぐらいのヘタレだからな」
春香「本当に、仕方ないですね。でも嬉しいです。だって私の夢、1つ叶っちゃいましたから」
P「春香!!」
細く綺麗な指に、銀色の指輪が光る。神父様も、参列者もいない。ブーケもないし、神様は祝福する気なんてない。だけど、こんなに幸せなことは今まであっただろうか?
ガコン!
空気を読んだように、観覧車は動き出した。
春香「えへへ……、私幸せです。プロデューサーさんのお嫁さんになれたんですから」
P「俺も幸せだ、なんたってこんなに可愛いお嫁さんが、俺のことを好きって言ってくれるんだから」
誰も見ていない観覧車の中、今まで以上に愛の言葉を交わし合う。誰かが見ていたら恥ずかしいけど、観覧車には俺達しかいない。だから何やっても良いよな? 残された時間はもうない、互いに消えてしまわないように、存在を確かめ合う。
春香「んっ……、優しいキスですね」
P「今のは誓いのキスだよ」
春香「もう……。でも折角なら、教会でしたいと思いません?」
P「なら今から行くか?」
春香「ううん、十分ですよ。あずささんじゃないですけど、私も運命の人、見つけちゃいましたし。もう未練も何もありません。もうすぐ、私は消えちゃうんですね……。やっぱり実感が湧かないなぁ」
P「大丈夫だ、消えなんかしないさ。貴音が運命を……」
春香「良いんですよ。10年分、幸せな日々を過ごせました。もう満足です、だからプロデューサーさん」
P「春香……」
やめてくれ……、その続きは聞きたくないんだ……。
春香「次好きになる人も、幸せにしてあげてくださいね」
俺が好きなるのは、春香だけなんだ!!
春香「大好きでした、プロデューサーさん」
3、2、1
P「春香ー!!」
8月28日、0時。
P「あれ? 俺何してんだ?」
ハッと気づく。今の今まで、夢を見ていたような……。ダメだ、思い出せない。きっとそこまで大切なものでもないのだろう。
??「もう、デートに誘ったのは貴方じゃないですか。○○さん!」
P「え? あ、ああ。そうだったな……。なんで忘れてたんだ?」
気付くと観覧車に乗っていた。隣には、最愛の妻が寄り添っている。ああ、思い出してきたぞ。久しぶりのオフで、妻と一緒に遊園地で遊んでいたんだっけ。いい歳して日付が変わるまで遊んでいたとは、2日後くらいに筋肉痛がやってくるんだろうな……。
??「まだ物忘れが激しくなる歳じゃないんですから、しっかりしてくださいよね。遊び疲れちゃいました?」
P「そうかもな……。悪いな、春香」
春香「いえいえ! いつも忙しいんだし、今日も無理を言って休んでもらったんですから。私こそ、子供みたいにはしゃいじゃって。そんな歳でもないんですけどね」
四捨五入すると30というのに、俺の妻は出会った頃と変わらぬ可愛さを持っている。流石にトレードマークのリボンはつけていないけど。きっとお婆ちゃんになっても、可愛いお婆ちゃんになるんだろうな。なんてったってアイドルだったんだから。
??『プロデューサーさん!』
P「え?」
春香「どうかしました?」
P「いや、今俺のこと呼んだか? プロデューサーさんっ、て」
違う、頭の中で直接呼ばれたような……。
春香「へ? 呼んでませんよ。にしても懐かしいですね、プロデューサーさんって。昔はそう呼んでましたね。あの時は名前を知りませんでしたし」
違いますよと言わんばかりに手を振ると、春香は懐かしそうに1人頷いている。
P「何でだ……?」
少しの違和感を抱いたまま、観覧車は地上に降りる。俺たちは手を取り合い、桜並木の下を歩く。2人の手には、銀色に光る指輪……。
??『次好きになる人も、幸せにしてあげてくださいね』
P「また……、だ……」
春香「あ、あのー。○○さん、大丈夫ですか?」
頭の中で、また声が聞こえる。知っている声だ。なのにどうしてだろう、何かが違う。とても懐かしく、愛おしいような。忘れてしまっては、いけないはずなのに……。
P「は、春香……?」
春香「はい、なんですか?」
?香『大好きでした』
P「憶えている……」
春香「○○さん?」
P「大切な人のことを……、世界一好きな女の子とのことを……」
ハッキリと声は聞こえる。そして俺の記憶が彼女を形作っていく。おっちょこちょいで、何もないところでこけて、誰よりも真っ直ぐで、その癖結構打たれ弱い、最高のアイドル。そして俺の……、
春香『プロデューサーさん』
P「春香!!」
最高のパートナー!!
春香「きゃっ!」
P「思い出した! 思い出したんだ!! 俺が好きなのは、10年前からやってきた春香なんだ! 俺の記憶が塗り替えられても、心がちゃんと憶えている! 忘れることなんかできるものか!!」
なりふり構わず抱きしめる。どうしてこんな大切なことを忘れていたんだ俺は! 気がふれたと思われても良かった。腕の中の彼女を失わないのであれば、地位も財産も、何を投げ出してもよかった。幸せに塗りつぶされた記憶でさえ、俺には必要なかった。
P「憶えているさ! 402便の奇跡、24時間生っすか!?も、 サヨナラライブも!! 何なら今ここで思い出を語っても良い! 再現してやっても良い!!」
10年間の記憶が、息を吹き返し、俺を満たしていく。辛いこと、嬉しかったこと。その全てが俺を構成する。だけど、1つだけピースが足りない。目の前にあるのに、もう少しで届きそうなのに。
春香「い、いきなり何……。○○さん……、どうして泣いているんですか?」
言われて気付いた。目から一筋の涙が流れ落ちた。だけど俺の瞳に映る彼女も、同じなんだよ。
P「そういう春香、お前もだぞ?」
春香「そ、それは○○さんが泣いているから……、あれ? どうしてだろう……。何かすごく大切なもの、忘れてんっ」
重なり合う唇。触れ合うだけの優しいキスに、春香は顔を赤らめる。
春香「な、何するんですか! プロデューサー……さん……」
名前ではなく、プロデューサーさん。数分聞いていなかっただけなのに、凄く懐かしく感じる。
P「思い出したか?」
春香「はい……、全部思い出しました」
俺は王子様なんかでもないし、目の前の彼女はお姫様なんかじゃない。だけど幸せなキスは、忘却の魔法を解いたんだ。
春香「何でだろう……、忘れていたなんて。私、幸せです。だけど、少し悔しいです。知らないうちに結婚してたなんて」
P「そんなもの、何度でもすればいいさ。何度でも誓ってやるんだ、神様がうんざりするぐらいな」
春香「もう、それじゃあ私たちが何回も離婚したみたいじゃないですか!」
P「言っておくが、離婚する気はないぞ? というより、離す気がない!!」
春香「その前に、婚姻届書いてないですよ?」
P「それもそうだな」
目と目が合い、笑いあう。ああ、ようやく終わったんだな。
春香「えっと、こういう時どう言えば良いんだろ?」
P「真っ先に頭に浮かんだ言葉を言えばいいんだよ、俺もそうする」
決まっているさ、帰ってきたらこう返すんだから。
春香「じゃ、じゃあ! これだけは言わせてください。ただいま帰りました! プロデューサーさん!!」
P「お帰り! 春香!!」
俺たちはもう2度と離れないように、強く抱きしめあう。俺たちは勝ったんだ。神はサイコロを振らない。だけど俺たちは、運命を変えることが出来たんだ。
重なる2人の上を、飛行機が祝福するように飛んでいく。
貴音「まこと、人間というのは分からないものですね。分野が違うとはいえ、わたくしも学者の端くれです。興味は尽きません。解剖してよろしいでしょうか?」
P「おいおい、こっちは今味噌ラーメン食べてるんだ、そういう話はやめてくれ」
貴音「ふふっ、冗談ですよ」
P「お前が言うと、冗談に聞こえないんだって」
激動の9日間の後、ラーメンをすすりながら貴音はこう語った。
貴音「どうしようもない現象を前にしても、わたくしたちは諦めませんでした。奇跡が起きて、事故がなかったことになっても、記録から無くなっていても、わたくしたちの心だけは憶えていました。長い長い10年間を、そして奇跡の9日間を」
P「だから俺たちは、ここにいるのか」
貴音「ええ。奇跡は神が気まぐれに起こすものではなく、人の手によって作られるのですね」
消失の運命は、変えられたのだ。あの後、どうやって変えたんだと貴音に聞いても、
貴音「それは、とっぷしぃくれっとです」
と答えてくれない。まぁ奇跡なんて、タネがないから奇跡なんだ。知ってしまったら、それは予定調和だな。
P「しかし、変な気分だよ。10年間の記憶が2つもあるんだ。どっちが本物で、どっちが妄想か。ごっちゃになっちゃうな」
貴音「いいえ。妄想などではありませんよ。正真正銘、どちらもあなた様の記憶なのです」
P「言われてもなぁ……」
貴音「これは、ある種の集団催眠と言えるかもしれませんね」
402便の事故が無くなったため、俺たちは春香たちが消失しなかった世界の記憶を与えられた。それは俺たちだけじゃない、すべての人間がそうだ。俺たちは知っているから、記憶を取り戻したけど、周りのみんなはそれに疑いも持たず、毎日を生きている。もしかしたら、俺たちが気付いていないだけで、今日もどこかで世界が変革しているのかもしれない。
例えば、24時間生っすか!? も、765プロサヨナラライブも、記録になんかない。テレビ欄を見ると、いつも通りのプログラムが組まれていたし、765プロのアイドルたちは、10年前に引退していた。9日間のイレギュラーは、全て消されたのだ。だけど、俺たちは覚えている。アイドルたちや関係者たちだけじゃない、見ていた人も完全に忘れたわけじゃない。事務所に質問の電話が殺到したと、小鳥さんと美希が嘆いていたっけか。
貴音「事実を変えることが出来ても、人の心の奥底までは変えることが出来ない。まるで宗教とは逆ですね。しかし、神というのは私たちが作り上げた偶像に過ぎません。こう言うと、有神論者に叱られそうですが」
P「神は死んだってニーチェは言ってたぞ」
貴音「死んでなどいません、最初からいないんですよ。私たちが信じない限りは」
P「違いないな」
貴音「では、わたくしはカレッジに戻るとしましょう。学生たちの課題を評価しなければいけませんので。あなた様と春香の結婚式に参加できず、申し訳ございません。その代わりと言ってはなんですが、祝電を送らせていただきます。ご馳走様でした、ではまたどこかで」
P「ああ、じゃあな。貴音! ありがとう!」
貴音は軽く会釈をして、空港へと行く。またいつか会える日まで――。
響「ふぅ。ハム蔵見てるか? ジュニアは元気に育っているぞ」
あの日何が起きたか分からなかったんだ。あずささんとにぃにぃといると、急に変な感じになって、大切なことを忘れて……。だけどすぐに思い出せた。やっぱり自分完璧だから、忘れなんかしないぞ!
だけど、悲しいこともあった。事故がなくなったから、ハム蔵の寿命が来ていた。思い出した自分の肩には、ハム蔵の子供が。ハムスターの寿命は長くない、知らないうちに天寿を全うしていたんだ。
響「ゴメンなハム蔵……、最期にいてやれなくて……」
自分とは別の自分、何を言っているかよく分からないけど、とにかくハム蔵の最期を看取れなかったのは悲しいな。
あずさ「あら、響ちゃん。ハム蔵ちゃんのお墓参り?」
響「あっ、あずささん! うん、最後のあいさつ出来なかったからな」
悲しいことだけじゃない、にぃにぃとあずささんはやっぱり結婚して、可愛い子供がいた。やっぱり、事故が起きたからじゃなくて、最初から2人は運命の人同士だったんだ。それがとても嬉しかった。
響「あずささん、ねぇねぇって呼んでいいかな?」
あずさ「うふふ、良いわよ?」
響「ありがとう。ねぇねぇ!」
あずさ「なにかしら?」
響「呼んでみただけだぞ!」
家族を亡くし、10年間を奪われた。だけど新しい家族が生まれた。それだけで今は十分なんだ。
亜美「分かんないよー!」
真美「はぁ……、どこから復習すればいいのやら」
見た目は大人、ずのーは子供! その名は、双海亜美! って何言わせんのさ! いまだにちょっと変な感じがする。亜美と真美は同じ歳なのに、少し前まで10歳も差があったんだ。真美は大人になって、亜美は子供のまま。で、気づいたら浦島太郎みたいに年取っちゃった。いつの間にか中学も高校も卒業して、真美と同じ医大に通っている。事故の記憶と一緒に。
亜美「なんつーかさ、素直にハッピーって言えないよね」
真美「10年間は戻らないもんね」
亜美「亜美の過ごしてきた10年と、真美の過ごしてきた10年は全然違うじゃんか。亜美には真美がいたけど、真美はぼっちだったんだし」
真美「ぼ、ぼっちって……」
そー考えたら、神様は意地悪な存在なんだね。あれかな? お地蔵さんに落書きしたの、まだ怒ってるのかな?
亜美「でもさ、これからは1人じゃないし。10年なんか、すぐに取り戻せるって!」
真美「はぁ……、やっぱり亜美に付き合ってかなきゃいけないのかな……」
亜美「だって私たち、仲間だもんげ!」
真美「よーし、仲間なら、甘やかしちゃだめだよね。課題ひとりでやりなよ?」
亜美「そ、それだけはご勘弁をー!!」
騒がしくも、愉快な毎日が亜美たちを待っているYO! それと、苦役の日々も。トホホ……。
伊織「にしてもなんだったのかしらね、あの9日間は。ねえ、これどれだけ作ればいいの?」
やよい「無くなるまでだよー!」
長介「って伊織さん、包むの下手だよね。折鶴折れない人?」
伊織「う、うるさい! 折鶴ぐらい、5mmの誤差もなく折れるわよ!」
長介「いや、それ結構な誤差だよ?」
高槻「ただいまー、帰ってきたぞー!」
やよい「あっ、お父さん! お帰りなさーい!!」
高槻「ふぅ、なかなか堪えるな……」
長介「ったく、これを機に定職についてくれよな?」
高槻「は、はは……。善処する」
家族みんな揃って笑います。お父さんは新しく仕事を見つけ、みんなのために働いています。本も出なくて、お父さんとお母さんは離婚することもなくなりました。だけど、皆がバラバラになった記憶は残っています。だからかな? みんながすっごく仲が良いのは。辛い時も、悲しい時も家族が一緒なら負ける気がしません!
やよい「用意できたから始めるよー! ほら、伊織ちゃんも座って座って!
伊織「急かさなくても座るわよ!」
長介「あっ、こら親父勝手に食うんじゃねえよ!」
高槻「お父さんは最初に食べれるんだよ!」
長介「なら俺は長男だっての!!」
伊織「はぁ、男って奴は……」
やよい「お父さんと長介、仲良しで嬉しいです!」
これからも、ずっと一緒です!!
律子「涼、お疲れ様」
涼「ん? どうしたの、律子姉ちゃん」
律子「遺族会、解散したんでしょ?」
涼「あっ、うん。といっても、元々ないんだけどね。事故自体が無くなっちゃったから」
涼が自嘲気味に笑う。こいつが10年間頑張ってきたことは、一晩の奇跡ですべて消えてしまった。残っているのは、思い出だけ。それはとても虚しいことだ。
涼「でもみんな憶えているんだ。傍から見たら傷を舐め合っているように見えるかもしれないよ? だけど僕たちは必死だった。特に甲斐さんと黛さんには感謝してもし足りないや。黛さん、幸せになって欲しいな」
律子「甲斐さん、黛さんって……。あの尾美としなりと小林聡美に似た人ね。甲斐さんは仲人もしてくれたんでしょ?」
涼「お、尾美としなりと小林聡美って……。いや似てるけどさ」
律子「まぁ何でもいいわね。無かったことになっても、あなたたちの活動はちゃんと記憶に残っている。世界中が褒めなくても、私たちぐらいは褒めてあげるわ」
涼「私たち?」
夢子「そっ、お疲れ様、涼」
涼「ううん。こっちこそありがとう。夢子ちゃんがいなかったら、僕はきっと立っていられなかったから……」
夢子「涼……」
涼「夢子……」
律子「……さて、律子姉ちゃんは退散しましょうかね」
これから先は若い二人の時間だ。2人とも、私がいなくてもやっていけるんだ。
律子「次は誰をプロデュースしようかしら?」
真「はぁ……、結構きついね、事務仕事」
雪歩「小鳥さんの苦労が分かった気がします……」
美希「まだまだあるよ? 休憩する?」
真「まだ大丈夫、なんか仕事してないと、落ち着かないしさ」
ボクは765プロの職員になっていたらしい。らしいというのは、実際にそう体験したわけじゃなくて、いつの間にかそうなっていたってこと。事故がなくなった代わりに、ボクたちは10年間の別の記憶を持って帰ってきた。その記憶では、引退ライブで女の子らしい服を着て、会場をまっこまこにしていたんだ。
真「惜しいことしたのかな……」
小鳥「お疲れ様。ごめんなさいね、雪歩ちゃんも手伝わせちゃって」
雪歩「いいえ、次の作品のプロットは考えてますし、締め切りまで余裕がありますから。それに、こうやってみんなといる方が、やる気出るんです。こういうの、情熱って言うんでしょうか?」
真「違いないね」
美希「今の雪歩の方が好きだな。新作って、あの事故のこと書くんでしょ?」
雪歩「うん。みんなの記憶から消えちゃわないように、創作って形だけど、いつまでも憶えていて欲しいことだから」
やさぐれかけていた雪歩は消えて、生きがいを見つけたように、きらきらと輝いている。30近いだなんて言っても、誰も信じないだろうな。
小鳥「良いわね……、キラキラしてて。どうせ私なんかゾンビ鳥ですよ……」
真「だ、大丈夫ですって! 男の人は皆、小鳥さんの魅力に気づいていないだけですよ!」
雪歩「でも私たち、誰も彼氏いないもんね」
美希「私はハニ、プロデューサー一筋だったもん」
小鳥「よし! 合コンするわよ!! 涼君かジュピターのつてを使って、彼氏をゲットするわよ!!」
真「小鳥さん、落ち着いてください!!」
社長「はは……、仲良きことは美しき、かなぁ?」
奇跡なんかなくても、ボク達の毎日は、輝いているんだ。
千早「渋谷さん、今の良かったわよ」
凛「ありがとうございます!!」
春香「千早ちゃん、熱血指導だね!」
千早「あっ、春香。どうしたの?」
春香「えーと、プロデューサーさんにお弁当を持ってきたんだけど、レッスン場にはいないんだね」
お弁当という言葉に反応してか、アイドルの皆はキャーキャーと騒ぐ。
凛「春香さん、困ってるじゃん」
みく「まーまー、あのプロデューサーちゃんも愛されてるなぁって思うと、にやけてくるにゃ」
李衣菜「愛妻弁当ですか、ロックですね」
幸子「多田さん、ロックしか言えないんですか?」
きらり「ラブラブベントーだねっ!」
杏「おやすみー」
かな子「愛妻弁当……、美味しいのかな」
法子「ドーナツは入ってるかな?」
楓「愛妻弁当に、愛のサイン……」
莉嘉「ヒューヒュ-! ヒューヒュー!!」
卯月「愛妻弁当……、だと……」
蘭子「愚者の羨望と憧憬の果てにして常世全ての怨嗟の果てに爆ぜろ(リア充爆発しろ)」
春香「あ、あはは」
個性的な次世代アイドルたちに冷やかされ、恥ずかしくなってきた。
千早「プロデューサーなら、そろそろ戻ってくるんじゃないかしら?」
P「悪い、少し貴音と話していてな。これ、差し入れ……。って春香?」
春香「はい、あなたの春香です!」
千早ちゃんが言うように、プロデューサーさんがドーナツ両手にやってきました。
春香「プロデューサーさん、はい。忘れ物ですよ?」
P「忘れ物? って急いでたから、弁当忘れたのか。ありがとうな、春香。いつも作ってくれて」
春香「えへへ。好きな人に作るんですから、いくらでも作っちゃいますよ」
人目も気にせずいちゃついちゃいます。今まで出来なかった分、取り返さないと!!
卯月「も、もうだめぽ……」
凛「卯月ー!」
春香「勝手にキスしたお返しです!!ベー!」
P「なんか所有物みたいな言い方だな、それ……」
真っ白になっている卯月ちゃんにあっかんべーをする。プロデューサーさんの周りには、魅力的な女の子がいっぱいだ。そんな中私を選んでくれたんだ。とても嬉しいし、いつまでも見てもらえるように、可愛い女の子であり続けなきゃ!
千早「ありがとうね、春香」
春香「ん? 何が?」
千早「約束、守ってくれて」
春香「当然だよ!」
やっぱり千早ちゃんの笑顔は、可愛いな。
P「ふぅ……、今日の活動終わりっと。帰るかな」
春香「プロデューサーさん! 一緒に帰りましょう!」
P「なんだ、待っててくれたのか?」
アイドルたちを家に送り、俺も家に帰ろうとしていると、物陰からひょっこりと顔を出した。
P「なぁ春香」
春香「どうしました、プロデューサーさん?」
P「この世界じゃ、俺たちはすでに結婚しているんだよな」
春香「そうですね。お父さんとお母さんも、早く孫を見せなさいってうるさくて……。まだ事故のこと、思い出してないみたいですね。なんか思い出してほしくない気もします、娘が一度死んだなんて、信じたくないでしょうし」
春香は溜息交じりに言う。よくよく考えると、ハッピーエンドというわけじゃない。失われた過去は返ってこない。春香だって学校の卒業式に出たかっただろうし、成人式にも出たかったと思う。そして結婚式は、もう行われている。たった1度のイベントすら、彼女は体験することが出来なかったんだ。だけど、これから出来ることもある。
P「でもなぁ……、俺きちんと挨拶出来てないしな。それに」
春香「それに?」
P「もう一度、結婚したいなって思って。今ここにいる俺と春香でさ」
春香「変な感覚でしょうね。離婚してないのに、2回結婚だなんて。普通じゃないですよ」
P「だけどその方が俺ららしいかな?」
春香「そうですね、私もウェディングドレス着たいですし! 善は急げ、今から準備しましょうよ! まずは式場を……」
P「ま、また急な話だな……」
なんとなく涼君の気持ちが分かってきたぞ。また今度酒でも飲み交わそうか。ジュピターの面々も誘っても良いかな。
春香「急で結構ですよ! 残された時間はたっぷりありますけど、死ぬ時まで幸せでいたいじゃないですか! 私とプロデューサーさんなら出来ます!」
P「そうだな……」
慌ただしい日々は息をひそめ、俺たちはまた日常へと戻る。どうあがいても、過ぎて行った10年間は戻ってこない。だけど今度は違う。最愛の人が隣にいるから。身を持って体験した記憶と、俺達じゃない俺達の記憶がせめぎ合っていても、これからは前にだけ進んでいける。サイコロを振っても、引き返すなんてコマはないんだ。この先何が待っているか分からない。だけど俺たちは素敵な未来を期待しているんだ。
P「春香」
春香「なんですか?」
P「これからも、俺の隣にいてくれるか?」
春香「もちろんです!!」
春香「だって私たちは、ずっと一緒でしょう?」
止まっていた時間は、もう一度動き出した。
God does not play dice.by A.Einstein.
However, we play dice and we can change fate.by T.Shijo.
AND...Our story dose not finish.
514 : VIPに... - 2012/06/06 01:02:06.11 ISRx8WDV0 382/383終わりました!! 1つの物語でこれほどの長編を書いたのは初めてでした。おかげで矛盾がいくつも出ています。後程訂正点を探して修正していきたいと思います。一応原作やドラマとは違う終わり方になります。興味がおありの方は、DVDや小説をお求めください。途中投げ出しそうになりましたが、何とか最後まで書ききることが出来ました。読んでくださった方、レス下さった方には感謝してもし足りません。本当に、ありがとうございました。
521 : VIPに... - 2012/06/06 13:21:32.67 ISRx8WDV0 383/3831です。たくさんの感想、ありがとうございます。このスレは訂正等もしたいので、もう少しだけ残しておきます。それとですが、>>278に関して言うと元ネタと言うよりも、近しいポジションを持った登場人物は、
P、雪歩→黛ヤス子(小林聡美)… 東洋航空地上勤務・現在402便乗客のケア係
涼→甲斐陽介(尾美としのり)…遺族会会長
貴音→加藤久彦(大杉漣)…物理学者 402便が再び現れることを予告した人
真→竹林亜紀(ともさかりえ)…ヤス子の親友
春香→木内哲也(山本太郎)…ヤス子の恋人
『乗客たち』
亜美→お笑い芸人を目指していた中武昇子(明星真由美)、真美→浜砂柚子(市川実和子)とコンビ。
貴音→物理学専攻の大学生・甲斐航星(中村友也)
律子、響→小学校教員の神蔵竜蔵(ベンガル)・栄子(大川栄子)
あずさ、我那覇兄→弘美(遠山景織子)
やよい→天才ピアニスト少女・後藤瑠璃子(成海璃子)、1人旅の少年・黒木亮(小清水一揮)
って所ですね。ドラマが結構古いので、思い出しながらとドラマ感想サイトを参考にしました。最初は小鳥さんを主役にしようと考えましたが、紆余曲折あってPをメインにしました。モバマス勢を出し過ぎて収拾がつかなくなったり、中盤冗長になってしまいましたね。次回はそこ直していきます。
さて、次は何を書こうか……。