関連
小鳥「今日は皆さんに」 ちひろ「殺し合いをしてもらいます」【1】
小鳥「今日は皆さんに」 ちひろ「殺し合いをしてもらいます」【2】
8:15 秋月律子
律子「っ……駄目。もう、遠くへ行ってしまったみたい……」
砂浜に残った足跡を見て、律子は唸るようにそう呟く。
数分前、彼女達の居る灯台に「あの音」が届いた。
春香と千早、また美波とアナスタシアは、
それが伊織の音響閃光手榴弾の爆音だと知っていた。
四人はそれを皆に伝え、そして、行動を起こした。
亜美の死が彼女達を動揺させたのは確かだが、
幸いにもそれで不和が生じるということはなかった。
寧ろ、既にゲームに乗っている者が居るからこそ
自分達はより強く結束しなければと、そう考えていた。
また所属事務所に関わらず、
この場に居ない他のアイドル達を案ずる気持ちも皆共通していた。
その気持ちがあったからこそ、
やはり伊織を放ってはおけないと一同は全員で音の方へ向かうことにした。
美波達346プロの三人は真美に接触するわけにはいかないが、
それでも伊織から聞いた双葉杏と諸星きらりの件がある。
仮に765プロだけで伊織と真美を探しに行ったとして、
もし杏達と遭遇してしまったら恐らく交戦は免れない。
それを避けるため、伊織達を発見するまでは美波達も同行することとなった。
が、音がしたであろう場所に一同が着いた時には、既に誰も居なかった。
足跡は残されていたが森の中へ消え、完全に行方知らずとなっていた。
それを見て皆沈黙し肩を落とす。
が、その沈黙は律子の落ち着いた声によって破られた。
律子「……仕方ないわ。これからは最初に決めた通り、
探索組と待機組に分かれて行動しましょう」
それを聞き、数人は驚いて目を見開いた。
響「な、なんで!? 伊織と真美はどうするの!? 放っておいていいのか!?」
春香「そんな……! 律子さん、まだみんなで探せばきっと見つかります! だから……」
二人を探すのを諦めるつもりか、と響と春香は律子に食ってかかる。
しかしそんな彼女達に、
律子は努めて毅然とした態度で返した。
律子「放っておくわけでもないし、探すのをやめるわけでもない!
ただ、このまま全員で探し続けると時間がかかりすぎるのよ。
ゲームに乗り気な子が居ると分かった以上は
バラバラで手分けして探すわけにはいかないのは分かるわよね?
それなら全員で固まって探すより、
他事務所同士のチームを複数作って動いた方がきっと早く見つけられるはずよ!」
これを聞き、響と春香は自分達の早とちりに気付いて押し黙る。
律子は二人がひとまず納得してくれたことを確認して、少し声のトーンを落として続けた。
律子「ただ、チーム編成は変えることになるわね……。
探索側により多く人数を割いた方がいいわ。
灯台に残るのは最低限で、346プロと765プロから一人ずつにするべきだと思う。
残りのみんなは二つに分かれて、それぞれ346プロ一人と一緒に行動する……。
これが今私が考えられる一番良いやり方よ。もし何か意見があれば、聞かせてちょうだい」
この状況でも可能な限り最善手を考え立案する律子。
そんな彼女の様子に、皆少なからず驚いた。
律子は亜美の死を知ったにも関わらず、冷静に考え続けている。
いや、亜美の死を知ったからこそ、
考えることをやめてはいけないと、律子はそう思っていた。
亜美の死に感じた絶望から律子を奮い立たせたのが、
伊織を、仲間を案じる心だった。
これ以上犠牲者を出したくないという思い一つで、律子は今動いていた。
そしてその思いは他の765プロのメンバーにも通じた。
それまでは亜美の死のショックが抜けきらず、
とにかく伊織を放ってはおけないという感情のみで動いていた者が大半だった。
頭は混乱で満ち、思考する余裕などなかった。
しかし律子は、感情に支配されることなく
頭を最大限に使って仲間を救おうとしてくれている。
そのことが、皆に落ち着きを取り戻させた。
春香「ご、ごめんなさい、律子さん。私、焦っちゃって……。
わ……私も、それでいいと思います!」
響「じ、自分もごめん! 自分も、律子に賛成だぞ!」
律子「……それじゃあ、急いで相談しましょう。
でも焦らないように、しっかり話し合って決めるわよ」
そうして一同は急いで、しかし冷静に、
これから誰がどう動くべきかを話し合い決めていった。
8:25 三村かな子
かな子「うあっ……!」
みりあ「か、かな子ちゃん! 大丈夫!?」
かな子「っ……はあっ、はあっ、はあっ……!」
何かに躓いたのか、かな子はバランスを崩して膝をついた。
そしてみりあの呼びかけに答える余裕もなく、
両手をついて荒い呼吸を地面に向けて吐き続ける。
みりあに比べ、かな子は既にかなりの体力を消耗していた。
それもそのはず。
今かな子の背中には、気を失ったきらりが抱えられていた。
かな子は杏の死を間近で見て茫然自失とし、
その後の民家で起きた爆発やみりあの声にすら反応しなかった。
しかしきらりが失神したのを見て、初めて動き出すことができた。
そしてそれと同時に、ここから離れなければと感じた。
また手榴弾が投げられるかも知れない。
あるいは別の敵がやって来るかも知れない。
とにかくここは危ない。
すぐ森の中に逃げなければ。
かな子は傍に立つみりあにそう言って、きらりを背中に抱えて歩き出した。
肋骨に痛みがなければみりあも手伝えていただろうが、それは叶わなかった。
そうして、自分より遥かに背の高いきらりを抱え、
舗装されていない森の中をかな子は走り続けた。
が、ここでついに限界が来た。
立ち上がろうとするも足に力が入らない。
人一人抱えて舗装されていない山道を走るのは、
相当な負担をかな子の両足に与えていた。
みりあ「休憩しよ、かな子ちゃん! 無茶して怪我なんかしちゃったら大変だよ!」
みりあはかな子の限界を察し、休憩を提案する。
かな子はそれを聞いてみりあに目を向け、
その時初めて、みりあが脇腹に手を当てていることに気付いた。
かな子「みりあちゃん……怪我、してるの……!?」
みりあ「えっ? あ……う、ううん、大丈夫だよ!」
かな子「そ、そんなはずないよ……! 見せて、早く!」
みりあは慌てて健在をアピールしたが、痛みを隠していることは明らかだった。
そしてみりあはかな子の必死な様子に観念したように、
服を捲って痛む箇所を見せた。
それを見てかな子は思わず息を呑む。
みりあの脇腹は、一部が赤紫色に染まり、見るからに痛々しく腫れていた。
その原因は、真だった。
あの時みりあが飛びついた際、真は咄嗟に反撃し、
みりあの胴体に思い切り膝を打ち込んだのだ。
そして不安定な姿勢ながらも十分な威力を持ったその蹴りは、
みりあの肋骨にヒビを入れていた。
骨折していることまではみりあにもかな子にも分からなかったが、
かな子はその痛々しい痣を見て、思わず目に涙を浮かべた。
きらりは意識を失い、みりあは酷い打撲を負い、
そして、杏は死んでしまった。
短い時間で起きたこれらの出来事は、かな子の心を確実に追い詰めていた。
だが同時にこれらの出来事が、
逆にかな子の心に折れることを許さなかった。
今無事なのは、自分だけ。
もし今、卯月を殺した者や杏を殺した者に襲われたら、
きらりとみりあを守ることができるのは自分だけ。
だから、自分がしっかりしていないといけない。
頼れる仲間を失ったことが、
無力な仲間が傍にいることが、かな子の心を支えた。
かな子はにじみ出た涙を拭く。
そして顔を上げてみりあの目をしっかり見て、言った。
かな子「……杏ちゃんのところに戻ろう。荷物を置いてきちゃったし、
それに……杏ちゃんのこと、あのままにしておけないよ……!」
その言葉を聞き、みりあもまたかな子の目を見てしっかりと頷いた。
8:35 音無小鳥
小鳥「……先に入って。鍵をかけるから」
莉嘉「うん……」
小鳥に促され、莉嘉は灯台の中へと入る。
そして小鳥もそれに続いて入り、扉を閉めて内鍵を回した。
話し合いの結果、小鳥と莉嘉が灯台に残ることになった。
346プロの三人のうち一人灯台に残すのであれば、一番幼い莉嘉が妥当だ。
また765プロのアイドル達には全員、伊織と話をする機会が与えられるべきだ。
小鳥がそう言って、自分と莉嘉を待機組にするよう提案したのだ。
この提案に反対する理由も特に無く、皆納得し、
二人に灯台での待機と周囲の観察を任せた。
ただ貴音だけは小鳥の言葉の裏に気付いていたが、何も言うことはなかった。
『もし灯台に346プロの者が来たら、莉嘉を人質に武装を解除させられる』
それが、小鳥が自分達を灯台に残すよう提案した本当の理由だった。
346プロを人質に取るには、対象と二人きりが都合が良い。
他に誰か居ればその所属事務所に関わらず阻止される恐れがある。
そして人質はできるだけ、小柄で力の弱い人間の方がいい。
また、きらりとユニットを組んでいるということも莉嘉を選んだ理由だった。
伊織の言葉通り諸星きらりがゲームに乗り気なのだとすれば、
きらりを相手にした時の人質は
ユニット仲間である莉嘉が最適だと、小鳥はそう考えた。
とは言え、あくまでそれは最終手段。
莉嘉が765プロに仲間意識を持っている今なら、
自分が何もしなくとも莉嘉自らが相手に武装解除を呼びかけるだろう。
それが成功すれば、自分の敵意を相手に気付かせることなく無力化できる。
可能であれば間違いなくその方がいい。
その意味でも、莉嘉は最適だった。
そこまで考えて、小鳥は莉嘉を選んだ。
他の皆が伊織を案じるその隣で、
利用するなら誰が適任か、その算段を立てていた。
自分が今どれだけ最低な人間になっているか、自覚している。
でも仕方ない。
みんなを守るためなのだから。
前を歩く莉嘉の後頭部を眺めながら、
小鳥は何度言ったか分からない言葉を頭の中で復唱した。
が、ふと小鳥の思考は止まる。
莉嘉の肩が震え、嗚咽が漏れ始めた。
そして小鳥が理由を聞くより先に、莉嘉はしゃくり上げながら口を開いた。
莉嘉「ごめん、なさい……ごめんなさいっ……!」
小鳥「……どうして謝るの? 何か、あったの?」
唐突に泣き始め、謝罪の言葉を口にした莉嘉。
だが小鳥には謝られる心当たりはなく、率直にその意図を聞いた。
すると莉嘉は途切れ途切れに、答えた。
莉嘉「亜美ちゃん……殺したって……。
きらりちゃん、と……杏、ちゃんっ……殺した、って……!」
しっかりした文章にはなっていなかったが、
この言葉で小鳥はすべて理解した。
莉嘉は、杏達が亜美を殺したことへの罪悪感に耐え切れず、泣き出してしまったのだ。
自分の仲間が相手の仲間を殺したことへの罪の意識。
この感情は、当然美波とアナスタシアも持っている。
また卯月の死を知っている765プロの者達も、
それを隠している分余計に強い罪悪感を持っている。
だが彼女達は、理屈を理解していた。
殺したのは自分じゃない。
自分の全く知らないところで起きたことなのだから、自分に責任はない。
実際にそう考えたわけではないが、
無意識下でその理屈を以て自らの罪悪感を薄れさせ、耐えていた。
だが莉嘉にはそれができなかった。
幼さゆえか、性格か、その両方か。
莉嘉の感情は、仲間の殺人をまるで自分の行いであるかのように捉えていた。
そしてその思いが、集団を離れ長い沈黙を経るうちに高まり、今爆発した。
莉嘉「ごめんなさいっ……亜美ちゃん……ごめ、なさい……!」
亜美に謝っているのか、小鳥に謝っているのか。
莉嘉は泣きじゃくりながらただただ謝り続ける。
そして小鳥はそんな莉嘉を見て、ぽつりと呟いた。
小鳥「……莉嘉ちゃんは、何も悪くないわ。
それに、杏ちゃんと、きらりちゃんも」
莉嘉の前に膝を付き、
俯いた莉嘉の目を見るようにして小鳥は話す。
小鳥「あの子達もきっと、一生懸命なの。
みんなのことを守らなきゃ、って、必死に、頑張ってるの……。
だから……私はあの子達のことを責めたりなんかしない」
その言葉を聞き、莉嘉は涙に濡れた目で小鳥を見る。
その顔を見て、小鳥は自分の顔が酷く歪みそうになるのを感じた。
しかし必死に耐え、穏やかな表情を貼り付け、
小鳥「そうよ、悪くなんかないの。だって……仕方ないんだから」
安心させるために、心を落ち着かせるために、そう言い聞かせた。
8:35 渋谷凛
多分、もうすぐのはずだ。
凛は地図に目を落とし、何度目か分からないが灯台の位置を確認した。
伊織の襲撃を受け、凛と智絵里は海岸沿いを歩くのは
危険だと判断し森の中を行くことにした。
これなら一方的にこちらの姿だけが丸見えになるという可能性は低くなる。
灯台は視認できなくなるが、やむを得ない。
大体の位置はわかったのだし、問題ないはず。
そうして二人が歩くうちに、ふと生い茂る木々が途切れた。
見るとその空間は左右に長く伸びている。
どうやら小道のようなところに出たようだった。
凛は地図を見て、この道がどこへ続いているのかを確認する。
凛「左が灯台で……右が集落かな」
その声に智絵里も地図を覗き込んだ。
見ると、この小道は灯台と集落を結ぶものらしい。
左に進めば灯台に着き、
右に進めば、二つある集落のうち北西側の集落に着くようだ。
自分がいる場所を確認し終え、凛は智絵里を振り返った。
凛「……どうする? このまま灯台行くのでいい?」
智絵里「う……うん。やっぱり、気になるから……」
凛「うん……だよね。よし、それじゃ予定通りにしよう」
少し前の急襲を受け、二人はこのまま灯台へ行っていいものか初めは迷った。
765プロにはゲームに乗り気の者が居る。
もし灯台に居るのがそういう者達だったら、あまりに危険すぎる。
身を守る術はサバイバルナイフが一本。
もし相手の武器が飛び道具だったとすれば防ぎようがない。
またナイフより長く大きな武器であっても圧倒的に不利だ。
今の状態で誰が居るか分からない灯台へ向かうのは、やはり不安がある。
しかしその不安を、灯台への期待が上回った。
灯台を調べれば何か見つかるかもしれない。
上に登れば何か見えるかも知れない。
その思いは凛、智絵里ともに共通していた。
そうして二人は当初の予定通り灯台を目指すことを決め、
今も小道を北へ向かって進んでいる。
しかしあと少しで小道が終わって森を抜けるというところで、
二人は慌てて道の脇の木々に身を隠した。
そして顔を覗かせ、灯台を見る。
少し先に立つ灯台。
その屋上に、人が居る。
そしてそれは、346プロの者ではなかった。
見たことはない。
だが346プロの者ではないということは、765プロの者ということで間違いない。
そこに居たのが仲間ではなかったことと、
そして何より相手が持っていた武器が、凛と智絵里を木の陰に隠れさせた。
詳しくは分からないが、どう見てもナイフより拳銃よりもっと強力な銃だった。
それを見て二人は言葉にするまでもなく思った。
灯台に行くのは無理だ。
諦めよう。
二人は顔を見合わせて、森の奥へと戻っていった。
その直後、屋上に莉嘉が姿を現したのだが、凛達がそれに気付くことはなかった。
9:00 菊地真
真「美希、少し休もう……! 一度傷口を診ておいた方が良いよ!」
美希「はあっ……はあっ……!」
激しく呼吸を乱した美希は、真の言葉を聞いて頷き、地面に腰を下ろす。
美希の左足を直撃した破片は特に深くまで突き刺さっており、
機動力を失った美希は真に比べ遥かに体力を消耗していた。
真は座り込んだ美希の隣に膝をつき、鞄から未開封のペットボトルを取り出す。
そして痛みを堪えキャップを回し、美希の足に慎重に水をかけた。
真「大丈夫? 痛くない?」
美希「っ……うん。こんなの、へっちゃらだよ」
汗を滲ませながらも、美希は心配かけまいと真に笑いかけた。
だが真はそれに笑顔を返す余裕もなく、心配そうな表情を浮かべ続ける。
真「他にも傷あるよね? そっちの方も見せて!」
美希「……真くんも、手、怪我してるの」
真「ボクの傷は最後でいいから!」
美希「あっ……」
そう言って真は、美希の後ろに回って服を捲る。
一瞬、首を回して背後の真に何か言おうとした美希だったが、
真の表情を見て口を閉じ、正面を向いてじっと自分のつま先を見つめた。
美希「もう……真くんってば強引なの。
流石のミキも、いきなり裸を見られちゃうのはちょっと恥ずかしいって感じ」
水のかかる冷たい感覚を背中で受けながら、
美希はまるで日常の中に居るかのように軽口を叩いた。
しかしその声には微かに苦痛を堪える強張りがあり、
これもまた心配させないための気遣いであると真はすぐにわかった。
しばらく黙って傷口周辺を水で洗っていた真だが、
ふと軽く息を吐いて美希に声をかけた。
真「……一応、これで傷口は洗ったよ。
でも、多分……破片がまだ刺さってるよね。やっぱり、取った方がいいのかな……」
美希「ん……ミキ達お医者さんじゃないし、あんまり触らない方がいいって思うな。
それにもし取った方が良くても、取るための道具がないの」
真「だよね……。じゃあもう、これくらいしかできないかな……。
ただ水で流しただけで、意味なんてあるのか分からないけど……」
美希「絆創膏とか包帯とかも無いだもん、仕方ないの。
でもミキの服ってきれいだし、バイキンなんか居ないって思うな!」
本気でそう思っているのかどうかは分からないが、
美希の言う通り雑菌を防ぐような道具が無い以上、気にしすぎても仕方ない。
もしかしたら何か良いやり方があるのかも知れないが、
医学の知識など無いに等しい自分達では、これ以上できることはない。
真「うん……そうだね」
真は短く一言そう言って、自分の腕にも片方ずつ水をかけた。
その時、思わず痛みに表情を歪めてしまい、
今度は美希が心配そうに声をかける。
美希「……やっぱり、痛いよね。ごめんね、ミキのせいで……」
美希「ミキの首とか頭とか守ってくれたから、怪我しちゃったんだよね?
それにミキがもっとちゃんと気を付けてれば、こんなことにならなかったのに……」
真「美希のせいなんかじゃないよ。気付かなかったのはボクも同じだし、
それに美希の傷だってボクを守ってくれたから負った傷だろ?
だからなんていうか……おあいこってことにしておこうよ」
と、この場を収めるため真はそう言った。
しかし真は、本心では美希よりも圧倒的に自分の方に責任があると考えていた。
だがここでそれを言っても、美希も「自分の方が」と主張を返してくるだろう。
今ここでそんなやり取りを続けても意味がない。
そして美希はこの真の考えを知ってか知らずか、
美希「……うん。ありがとうなの、真くん」
それ以上自分を責めることなく、薄く笑って礼を言った。
美希「それじゃあ……これからどうする?
ミキ的には、早く765プロの誰かと一緒になりたいって感じ」
と、早速美希はこれからどうするかという話題に切り替えた。
真は美希の意見を聞き、静かに頷く。
真「ボクも賛成かな。
ただ、怪我のことを考えるとあんまり無茶しちゃダメだ。
血はそこまでたくさん出てるわけじゃないけど、
それでもできるだけペースは落とした方がいいと思う」
美希「うん……そうだね」
真「それに、隠しても仕方ないから正直に言うけど……。
ボクはもう、手榴弾をあまり遠くには投げられない。
無理に投げようとしたら、多分コントロールがきかなくなる。
残されてるのは一発だけだし……。
だから346プロの子を見たら、逃げるか隠れることを最優先に考えたいんだ」
美希「……うん。悔しいけど、ミキもまともに戦うのは無理だと思う」
と美希も自分の状態を正直に話した。
現状、二人とも戦力としてはほぼ無力。
しかし真は、その状況に気を落とすことはなかった。
真「まずは、できるだけ体を休めながら少しずつ北に向かってみようよ。
森の中ならそう簡単に敵に見つかることはないだろうし、
これ以上急いで集落から離れる必要もないと思うんだけど……どうかな」
そう言って冷静に、これから取るべき行動について確認を取る真。
そんな真を美希は数秒見つめ、そしてニッコリ笑って答えた。
美希「……あはっ。真くん、すっごく頼もしいの。
うん、ミキもそれでいいって思うな」
この返事と笑顔に、今度は真も、穏やかな笑顔を返すことができた。
10:00 萩原雪歩
雪歩は今、途方に暮れていた。
昨晩北西の集落に向かっていたのだが、
探知機はそこに346プロのアイドルが六人も居ることを示していた。
そんなところに無警戒に行けるはずは無く少し引き返した後、
孤独に震えながら森の中で一晩を過ごした。
そして今朝。
今度は南東の集落に行ってみようと歩き始めた雪歩だったが、
まさにその方向から、今度は爆発音が聞こえた。
慌てて探知機を見たが、爆発が起きたのは探知可能な範囲の外側だった。
だが少なくとも、もうどちらの集落も安全ではないことは分かった。
雪歩はどうすればいいのか分からず、
集落から離れるために再び南下し海岸に出て、
文字通り右往左往したのち、とうとうその場に座り込んでしまった。
孤独や恐怖や不安、様々な負の感情が、雪歩の心を侵し始めていた。
しかし涙に濡れた雪歩の目に、探知機に起きた変化が映った。
北の方角から、765プロを示す点が二つこちらに近付いて来ているのだ。
雪歩は目を見開いて跳ねるように立ち上がり、北へと走った。
そして森に入り少し走ったところで、雪歩はようやく待ち望んだ顔を見ることができた。
雪歩「い……伊織ちゃん!! 真美ちゃん!!」
そう名前を呼んだ雪歩を見て、伊織は僅かに安堵の色を浮かべた。
そんな伊織達に雪歩は駆け寄り、そして勢いよく抱きついた。
雪歩「良かった……私、ずっと一人で……!
すごく寂しくて……でも、良かったぁ、良かったよぉ……!」
そう言って、二人を抱きしめたまま泣き始める雪歩。
また真美も、雪歩の背中に手を回し、
ぎゅっと服を掴んで同じように泣いた。
伊織も本音を言えばもっと長く雪歩とこうして抱擁し、再会を喜びたかった。
しかしそういうわけにもいかない。
伊織は雪歩に抱きしめられたまま、呟くように口を開いた。
伊織「……雪歩、聞いて欲しいことがあるの」
雪歩「え……?」
その伊織の声色に、雪歩はただ事ではない何かを察した。
ゆっくりと体を離し、そして伊織の顔を見る。
伊織は雪歩の目を見つめ返し、
伊織「無茶を言うかも知れないけど……できるだけ、取り乱さないで」
そう前置きして伊織は、亜美のことを話し始めた。
それを聞いて雪歩が見せた反応は、伊織の予想を大きく外しはしなかった。
初めは信じられないような顔を浮かべ、
しかし伊織の表情と泣き続ける真美を見てそれが事実だと実感し、
地面にへたり込み、涙を流した。
地に手を付き涙を流す雪歩を見下ろしながら、伊織は眉根を寄せる。
泣いている場合ではない。
悲しんでいる場合でもない。
そんなことは分かっているが、それを口にすることはやはり胸を強く締め付けた。
だがそれでも口にしなければならない。
伊織は拳を握り、雪歩に向けて口を開こうとした。
しかしその直前、雪歩が顔を上げた。
そして未だ流れる涙を止めることなく、
雪歩「ど、どうしよう……。伊織ちゃん、私達、これからどうしたら良いのかな……!」
すがるように伊織を見つめてそう言った。
それを受け、伊織は言いかけた言葉を飲み込んだ。
雪歩の目は不安と悲哀に満ちている。
だが今、彼女は「これから」のことを聞いた。
恐怖と悲しみに包まれながら、決して絶望などはしていない。
雪歩の頭は既に「次」に切り替わっていることに、伊織は気付いた。
伊織「そうね……。これからどうするべきか。それを考えなくちゃいけないわ。
だからもう一つ、あんたに大切なことを教えるわね」
伊織は座り込む雪歩を見下ろしたまま、静かに言った。
雪歩は一瞬の間を開けて涙を拭い、立ち上がって頷く。
それを見て伊織は、やはり落ち着いた声で続けた。
伊織「……346プロには、765プロと協力して解決策を探してるアイドル達も居るわ。
北にある灯台に、みんな集まってる」
雪歩「え……?」
伊織「だから……もし雪歩がこのゲームに乗りたくないのなら、
そっちに行ってちょうだい。私は止めないから」
雪歩はこの情報を聞いて目を丸くする。
亜美が殺されたという話の直後に今度は真逆の情報を聞かされたのだ。
困惑しないはずがない。
雪歩「ほ……本当に、協力してるの? だ、騙されてたりとか……」
伊織「それは無さそうよ。律子や貴音、千早がそう言ってたから。
私も実際に見て、その点に関しては心配ないって信じることにしたわ」
雪歩「そ、そう、なんだ……。他には、誰が居るの?」
伊織「765プロはその三人と、小鳥、やよい、響、春香の全部で七人。
346プロは新田美波、アナスタシア、城ヶ崎莉嘉の三人よ」
雪歩「……みんな、知ってるの? さっき伊織ちゃんが教えてくれたこと……」
伊織「知ってるわ。でもそれを聞いたからって、
少なくともあのグループは敵対しようとなんてしないでしょうね。
ただ……」
と伊織はここで一瞬目を伏せてひと呼吸起き、
再び雪歩の目を見て、言い切った。
伊織「はっきり言って、私は協力なんて無駄だと思ってる。
ゲームに勝つ以外に生き残る方法なんて無い」
伊織「でも、その気じゃない子に人殺しを強制するつもりもない。
だから雪歩、あんたはどうするか決めなさい。
私達と一緒に居るか、それとも灯台に行って律子達と一緒に居るか」
雪歩「っ……」
伊織「すぐに決められることじゃないかも知れないけど、
でも出来るだけ早く決めてちょうだい。決められるまで待っててあげるから。
どっちにしろあんたと合流したら休憩するつもりだったし」
伊織はそう言い、チラリと真美に目を向けた。
真美は相変わらず伊織の袖を掴んだまま、俯いて時折鼻をすする。
伊織「……真美、少し座って休みましょう」
その言葉に黙って頷き、真美はその場に座り込む。
雪歩はそんな真美と伊織の様子を見ながら、
自分にとって恐らく最も重要となる選択を出来るだけ早く、
しかし早計に失することのないよう、一人目を瞑って考え始めた。
それからどのくらいの時間が経ったか。
雪歩はずっと閉じていた目を静かに開き、立ち上がった。
伊織はそれを見て、もう気持ちは決まったのか、と雪歩に問おうとした。
が、その時。
探知機に反応があった。
伊織が探知機を手に取ったのを見て、雪歩も自分の物を確認する。
するとそこには、765プロを示す点と346プロを示す点が複数表示されていた。
伊織と雪歩はこれを見て、その点の正体を察した。
真美「……いおりん……?」
探知機を見つめる伊織に、真美はか細い声で呼びかける。
伊織は探知機の液晶を伏せ、笑顔を向けた。
伊織「大丈夫よ。多分、律子達がここから離れたところに居るってだけ。
でも346プロの奴らは居ないから安心して」
真美「りっちゃん達……? なんで……?」
伊織の嘘を真美は疑うことなく受け入れ、思ったことを素直に質問した。
そしてその質問に、伊織は少し考えて答える。
伊織「『解決策』とやらを探してるか、それとも私達を探しに来たか……。
それか、その両方ね」
真美「真美達を探しに……?」
伊織「会って話でもしたいんでしょ。
私達と一緒に来るつもりなのか
それとも私達を灯台に連れて行きたいのか、それは分からないけど」
真美「え……や、やだ……。真美、やだよ。いおりん、真美……」
伊織「えぇ、分かってるわ。346プロの連中と一緒になんて過ごしてたまるもんですか」
と、ここで伊織は真美から雪歩に視線をやる。
雪歩はそれを受けて、伊織が何か言う前に先に口を開いた。
雪歩「私……行ってくるね。みんなのところに……」
伊織「……そう。いいわ、行ってらっしゃい」
雪歩は自分達とは別の選択をした。
伊織はそのことに特に傷付くことも悲しむこともなく、
落ち着いた様子でそれを受け入れた。
そしてそのまま続ける。
伊織「もし向こうが私達を探しに来たんだったら、伝言をお願いしてもいいかしら」
雪歩「あ……うん」
伊織「『私達は会う気はない。もし近付いて来るのが見えたら逃げるから、
これ以上追い回しても時間の無駄』。そう伝えて。
雪歩「……うん、わかった」
雪歩はもう伊織からの伝言が無いことを確認し、
自分の荷物を持って出発の準備をする。
もうゲームが終わるまで雪歩に会うことはないだろう。
そのことを思い、真美は雪歩の横顔を不安げな表情で、
伊織はほんの少しだけ眉をひそめて見つめた。
が、去り際の雪歩の言葉が、その伊織の表情を僅かに変えた。
雪歩「二人とも、まだもうちょっとここに居るよね?」
伊織「……? えぇ、そのつもりだけど」
雪歩「ここに居てね。すぐ戻ってくるから!」
雪歩はそう言い残し、
伊織の返事を聞く間も惜しむように駆け出した。
雪歩は探知機に注意を払いつつ、木々の間を駆けていく。
そしてしばらく走ったところで、前方に人影が見えた。
念の為に身を隠し、それが誰かを目で確認する。
そこに居たのは、律子、貴音、響、それからアナスタシアだった。
伊織の言っていた通りのメンバーが居る。
探知機は、そこから更に離れたところにもう一グループ居るのを示していた。
恐らくそちらに居るのが残りのみんなだろう。
雪歩は一度呼吸を整え、そしてもう一度駆け出した。
と、少し進んだところで貴音がこちらに気付く。
それに続いて他の三人も雪歩に気が付いた。
響「ゆ……雪歩!? 無事だったのか!」
律子「良かった……! 雪歩、本当に……!」
貴音「真、安心致しました……」
雪歩を見て、アナスタシアは少しだけ緊張していたようだが
765プロの三人は各々無事を喜び、また再会を喜んだ。
しかし雪歩は、自分も同じように喜びたい気持ちをぐっと抑え、
そして第一声から話すべき話題を切り出した。
雪歩「あ、あの……! 実は私、さっきまで伊織ちゃんと真美ちゃんと一緒に居たんです!」
律子「え……!? ど、どういうこと?」
雪歩「えっと、それが――」
雪歩は、皆に経緯を話した。
そして伊織からの伝言を聞き、律子は唇を噛んだ。
会って話をすること自体、伊織は拒否している。
灯台に連れ戻されることを避けるためというのももちろんあるだろう。
だが律子は、拒絶の理由はそれだけではなく、
「一度協力を決めた者達を殺し合いに参加させたくない」
という思いが伊織にあるからだと感じた。
実際律子は、灯台での協力を放棄してでも伊織達の傍に居た方がいいのではないかと、
そう考え始めていた。
また律子の他にも、その選択肢を頭に入れていた者は少なからず居る。
伊織はそれを見越して、接触すること自体を拒むことで
「協力派」を自分の戦いに巻き込む可能性を限りなくゼロにした。
それは足でまといを増やしたくなかったか、それとも優しさからか、
それはもう確認のしようがない。
だが少なくとも律子は、きっと後者だろうと思った。
そしてだからこそ伊織の意志は固い。
ここで自分が接触をはかっても、本当に逃げて行ってしまうだろう。
律子は眉根を寄せ俯く。
そしてそのまま、
律子「……雪歩は、伊織達と一緒に行くつもりなのよね」
声を絞り出すようにしてそう聞いた。
雪歩はその問いを受けほんの少しだけ沈黙した後、
体にぐっと力を入れるようにして答えた。
雪歩「はい。ただ本当は私も……まだ、決められてないんです。
346プロの人と戦うことになったら、攻撃なんかできるかどうか、わかりません。
でも……私、伊織ちゃんと真美ちゃんのこと、守ってあげたいです。
助けてあげたいんです。だから……!」
この雪歩の言葉を聞き、律子は顔を上げた。
そして一歩近付き、微かに震えた声で言った。
律子「二人のこと……あなたに、頼むわ」
伊織達に会うことはもう諦める。
律子の発言はつまりそういうことだったが、
これを一同は黙って聞いていた。
以前は異論を唱えた響も、伊織の意志と想いを考え、受け入れた。
伊織を心配する気持ちは皆同じだ。
しかし今の自分達には何もできない。
だから、雪歩に頼むしかない。
伊織達と共に行動することが危険を伴うのは百も承知だ。
だが雪歩もそれは十分に理解した上で、伊織と真美の傍に居たいと強く願っている。
だから律子は、自分達の想いを雪歩に託した。
律子「でも、お願い……。どうか無茶だけはしないで。
それから、もし何かあればすぐに灯台に来るようにあの子達に伝えて。
私達はずっと、あなた達のことを心配してるって……」
そう言った律子の目には涙が滲んでいる。
雪歩はそんな律子の目を見て、力強く頷いた。
響「ゆ、雪歩……!」
そしてとうとう我慢できなくなったのか、響が雪歩に抱きついた。
一瞬驚いて身を固くした雪歩だが、すぐに響をそっと抱き返す。
響「自分も……自分も、伝えて欲しい!
すごく心配してるって! さっきは何も言えなくてごめんって……!」
貴音「私も……いえ。この場に居ない他の皆も、同じ気持ちです」
雪歩「響ちゃん、四条さん……。はい! みんなの気持ち、ちゃんと伝えます……!」
と、ここでアナスタシアがおずおずと、一歩前へ出た。
そして雪歩に向け、小さな声で言った。
アーニャ「……私も、です……。私も……死んで欲しくない、です……」
こんなことを言える立場にないかも知れない、とアナスタシアは自覚していた。
しかしそれは紛れもなく、彼女の本音だった。
所属事務所に関わらず、全員が伊織達の身を案じていた。
また誰ひとり、「346プロと争うな」という伝言は頼まなかった。
そんなことを言ったところで、もはや意味はない。
だから、それよりも無事を願う気持ちを伝えたかった。
雪歩はアナスタシアを含む皆のその想いを汲み、再びしっかりと頷く。
そして律子に向き直り、静かに言った。
雪歩「それじゃあ……私、そろそろ行きますね」
律子「……えぇ」
と、律子は別れの挨拶をしようとしたが、思わず口をつぐむ。
雪歩が不意に、右手の探知機に目を落としたからだ。
何かあったのか。
そう思い律子が尋ねようとしたその瞬間、
雪歩はその右手を、律子に向けて差し出した。
雪歩「これ、あげます……。私は伊織ちゃんと一緒に居るから、もう必要ありません。
律子さん達が持ってた方がいいと思います」
これを聞き、律子は当然驚いた。
そして初めは一瞬断ろうとした。
しかし探知機から目を上げた次の瞬間には、それは諦めた。
雪歩の目が、断っても無意味だということを律子に直感させた。
だから律子は余計なことは言わずに、
律子「……ありがとう、雪歩」
一言礼だけを言ってその手から探知機と、それから説明書を受け取った。
探知機があれば他のアイドル達を見つけた場合、
同事務所のアイドルだけで交渉に向かうことが可能になる。
これで探索がずっとやりやすくなった。
律子は感謝の気持ちを込めるように、探知機を胸元でぎゅっと握った。
みんなにいい贈り物ができた。
そう思い、雪歩は薄く笑う。
そして、
雪歩「それじゃあ、行きます。
他のみんなに……また会おうね、って伝えてください」
そう言って背を向け、これ以上名残惜しくなる前に駆け出した。
伊織達が移動していないことも、
周りに346プロの者が居ないことも、既に確認済みだ。
あと必要なのは、勇気だけ。
人を殺せるかどうかは、まだ分からない。
でも、二人を守るための勇気だけは絶対に忘れてはいけない。
雪歩はその想いを胸に、伊織達の元へ走り続けた。
10:30 水瀬伊織
伊織は真美の隣で座ったまま、探知機を見つめる。
そしてしばらく後、物音のした方へと目を上げた。
伊織「……本当に戻ってきたのね」
その視線の先には、息を切らせた雪歩の姿があった。
そして伊織は雪歩の手に探知機が握られていないことに気付き、
改めてその意思を確信する。
つまり雪歩は、これからずっと自分達と一緒に居るつもりだということを。
真美「ゆきぴょん、一緒に居てくれるの……?」
雪歩が戻ってきたことに、真美は不安の中に微かな期待を込めた声で聞く。
雪歩は息を整えて二人に近付き、にっこりと笑った。
それを見て真美はほんの少しだけ表情を明るくし、
空いている方の手で、伊織にするのと同じように雪歩の袖をきゅっと掴んだ。
雪歩はそんな真美を見つめた後、
伊織にも目線をやり、伝えるべきことを伝えた。
雪歩「あのね、二人にみんなから伝言があるの。
みんな心配してるって。もし何かあったらすぐ灯台に来ていいから、って」
それを聞き、真美は何も言わずに俯く。
伊織は一瞬目を伏せた後、
伊織「……そう。気持ちだけありがたく受け取っておくわ。雪歩も伝言ご苦労様」
なんでもないことのようにそう言った。
だがみんなの気持ちは確かに伝わったと、雪歩は薄く笑って伊織を見つめる。
その雪歩の視線を受けて伊織は、
これ以上余計なことを言われるのは御免とばかりに
わざとらしくため息をついて話題を変えた。
伊織「あんたも本当お人好しよね。探知機、律子達にあげちゃったんでしょ?」
雪歩「えっ? あ、うん……。伊織ちゃんの分があるから、もう要らないと思って……」
伊織「じゃああんた、今丸腰ってことじゃない。
そんな状態でもし何かあったらどうする気なのよ」
この言葉に雪歩が答えるより先に、
伊織は自分の鞄を探ってその中から何かを雪歩に差し出し、言った。
伊織「これ、渡しておくわ」
伊織の手に握られたのは、円筒状の何かが二本と、紙が一枚。
そして雪歩が紙に大きく印刷された文字を読んだのを確認し、言葉を続ける。
伊織「最初に配られた私の武器よ。もしもの時のためにあんたが持ってなさい。
上手く使えば身を守るくらいはできるはずだから」
雪歩「え? でも……」
伊織「いいから。受け取らないと今すぐ律子達のとこに追い返してやるわよ」
『もしもの時』
それは恐らく三人が離れ離れになった時のことを言っているのだと、雪歩は思った。
伊織の言う通り、今の自分には身を守る手段がまったく無い。
伊織と離れたあと再び生きて合流するために。
そのためにも、自分の身を自分で守れるようになっておくことは大切だ。
雪歩「……うん。ごめんね、伊織ちゃん。ありがとう」
自分の身を守るため、また伊織の想いを汲むため、
雪歩は二つの音響閃光手榴弾を受け取った。
伊織「……それじゃ、とっとと移動しましょ。
早くしないと一時間経っちゃうわ。説明書を読むのはその後でいいわね?」
雪歩「あ、うん……!」
雪歩の同意を得て、伊織は真美を連れ歩き出し、
雪歩もその隣に付いて歩き出した。
伊織「取り敢えず二つの集落に誰か居ないか、確認しましょう。
まずは南東側で、次に北西側。
多分北西側には居るでしょうけど、
もしかしたら居なくなってるかも知れないし、念のためにね」
と、歩き出してすぐ伊織はこれからの行き先を話した。
しかしこの言葉に雪歩は疑問を抱き、そしてすぐに口に出す。
雪歩「えっと……伊織ちゃん達も、その、北西側の集落に行ってみたの?」
伊織「『伊織ちゃん達も』ってことは、やっぱりあんたも行ってみたってこと?」
雪歩「あ、でも……私は、探知機で居ることが分かったらすぐ離れちゃって……」
伊織「……私も、行ったって程じゃないわ。
外から様子を窺ってみただけだし、大した情報は得られてない。
分かったのはそいつらがしばらくその集落に居座る気だろうってことと、
双葉杏と諸星きらりはそこには居ないっていうことくらいよ」
雪歩「そ、そう、なの? じゃあ誰が……?」
伊織「残念だけど、遠目だったからはっきり誰かまでは見えなかったわ。
飛び抜けて背が高い奴も低い奴も居なかったから
少なくともあいつらじゃないってことが分かっただけ」
雪歩「えっと、それじゃ、しばらく集落に居座る気、っていうのは……」
伊織「その三人、集落から出ない範囲でエリア移動してたみたいなのよ。
三人で固まって、家から家に移るって感じでね。
だからしばらくその集落の中で時間を過ごすつもりだって分かったの」
この質疑応答で、雪歩はおおよそは理解した。
が、その中で一つ引っかかったことがある。
それは、伊織が見たというアイドルの人数だ。
雪歩「三人……? え? そこに居たアイドルって、三人だったの?
北西の方の集落の話だよね……?」
そう言って雪歩は地図を指し、伊織が言っている集落と
自分が考えている集落が一致していることを確認する。
伊織は雪歩の指し示した集落を見て、頷いた。
伊織「そうだけど、それがどうかした?」
雪歩「えっと……。その集落って、昨日の夜までは六人居たはずなんだけど……」
それを聞き、真美はその目に一際不安の色を濃くし、
伊織は意表を突かれたように目を見開く。
しかし特に動揺することなく、伊織は冷静に思考した。
伊織「つまり……残りの三人はどこかへ移動したってこと?」
雪歩「う、うん、多分。あっ、も、もしかしたらもう一つの集落に行ったのかも……!」
北西集落に居た六人のうち、三人は南東集落に向かった。
可能性としては十分にあり得る。
しかし伊織はそれに対し首を捻った。
伊織「でも……その後もう一つの集落も見てみたけど、
少なくともその時には誰も居なかったわ。
まぁ見たって言っても、探知機を通してだけど……」
雪歩「あ、そうなんだ……。
そっちの方は直接行って調べたりはしなかったの?」
伊織「本当はそのつもりだったけど、行こうとしたらあんたが探知機に映ったから」
雪歩「え、あっ……ご、ごめんね、私のせいで……」
伊織「別に謝ることないわよ。優先順位を考えて行動したってだけ。
それより、早く集落が探知できる位置まで行ってみましょう。
あんたの言ったことも気になるしね」
雪歩「う、うん、そうだね!」
そうして三人はエリア移動も兼ね、
まずは二つある集落のうち南東側の集落に向かって歩き始めた。
しかししばらく歩いたところで
探知機を持ち先頭を歩いていた伊織が足を止め、呟いた。
伊織「……居たわ。346プロが三人」
それを聞いて真美は身を固くし、
雪歩は緊張した面持ちで液晶を覗き込む。
すると確かに、346プロを示す点が三つ、集落内部に表示されていた。
伊織「あの時誰も居なかったのは、
移動中でまだ着いてなかっただけ、だったのかもね……」
雪歩「じゃ、じゃあやっぱり今は、どっちの集落にも346プロの人達が三人ずつ……」
伊織「多分ね。まぁ私が見た北西の三人がこっちに移動しただけの可能性もあるけど」
伊織「もう少し北に行って、そっちの方も探知機で見てみましょう。
そうすればはっきりするわ」
そう言って伊織は向きを変えて進み、二人も黙ってそのあとを付いていった。
が、少し進んだところで伊織は再び立ち止まる。
その手に握られた探知機には、またしても346プロが三人表示されていた。
つまりこれで、昨晩北西側で一緒に居た六人が今
二つの集落に分かれているということがほぼ確定した。
これを見て、伊織は眉根を寄せて考える。
北西側に居る三人が自分が見た三人のままだとすれば、つまり……
伊織「さっきの、南東側に反応のあった三人……。
あれが双葉杏達のグループかも知れないわね」
その言葉に雪歩と真美は息を呑む。
そして伊織は二人に目を向けて静かに言った。
伊織「確認しましょう。今南東側に居るのが、あいつらなのかどうか」
双葉杏と諸星きらりは現時点で確実に765プロにとっての脅威となる存在である。
だからその二人の所在を確かめることが現時点での最優先事項だと、伊織は考えていた。
だが、それを聞き最も大きく反応したのがやはり真美だ。
亜美を殺した二人の近くに行くと聞き、恐怖が蘇ってくる。
伊織は自分の袖を掴む真美の手の震えを感じ、
その手を優しく握って落ち着いた声で言った。
伊織「大丈夫よ。向こうが私達に気付くような位置には絶対行かないわ。
こっちには探知機があるんだから、安心しなさい」
その言葉を聞き、そして伊織の目を少しの間じっと見て、真美は黙って頷いた。
真美が納得してくれたのを確認し、伊織は次いで雪歩に目を向ける。
雪歩もまた、伊織の目を見て黙って頷いた。
伊織「……決まりね。それじゃ、行きましょう」
伊織の言葉を合図に、三人は南東側の集落へ向かった。
移動中、伊織は常に探知機に注意を払っていたが、346プロを示す点に大きな動きはなかった。
そしてとうとう、木々の間から集落の様子が見える位置までやってきた。
伊織「……大丈夫。距離はまだまだあるから」
呼吸が早くなっている真美に、伊織は囁くように声をかける。
真美は返事をする代わりに、伊織の袖を更に強く握った。
伊織の言う通り、まだ十分以上に距離はある。
向こうからはまず気付かれようがない。
しかし姿が見えないのは伊織達にとっても同じこと。
今居る場所からは、敵が居るであろう建物すら見えていない。
せめて姿自体は見えなくとも、居る場所だけでも視認しておきたい。
伊織はそれを雪歩と真美に伝え、了承を得た。
三人は森の中から出ないよう、集落周辺を時計回りに移動する。
その間、伊織は探知機と実際に見える集落の様子を照らし合わせながら、
敵が潜んでいる建物を慎重に探った。
そしてもうすぐ進めば恐らくその建物が見えるはず……
というところで、三人は同時に足を止めた。
それまで何の変哲もなかった風景に、突如異様なものが混ざった。
伊織「……何、あれ。血……?」
地面の一部に、広く赤いものが飛び散ったような痕跡がある。
伊織と真美は一瞬、それが一体何を意味しているのか分からなかった。
だが雪歩はすぐに思い当たった。
雪歩「ば……爆発、したんだ……。それで、ここで誰かが……」
今朝聞いた爆発音はこれだったのだと、雪歩は気付いた。
そして雪歩の言葉を聞き、伊織と真美もそれが爆発の跡だと知る。
つまり何か爆弾のようなもので、ここで誰かが負傷した。
土に染み込んだ血の量を見ると、あるいは死んでしまったのかも知れない。
まさか765プロの誰かが……と嫌な想像をしてしまった自分を伊織は戒める。
しかしそれを考えたのは伊織だけではなかった。
真美「ち……違うよね? ねぇいおりん、ゆきぴょん、違うよね?
誰も死んでないよね? 怪我しちゃっただけだよね?」
早口気味に二人にそう問う真美。
「誰も」というのが765プロの人間を指すのか、
それとも346プロを含めた全員を指すのか、それは分かりかねた。
もしかすると真美自身にも分かっていないのかも知れない。
だがとにかく今は真美の不安を払ってやらなければ。
伊織はそう思い、努めて冷静に返事をした。
伊織「えぇ、その通りよ。だから変な想像をするのはやめましょう」
雪歩「そ、そうだよ! みんなきっと大丈夫だから、心配しないで?」
二人揃っての返事に、真美の表情は少し和らいだ。
伊織はそれに微かな安堵を覚えつつ、今自分が言ったことを頭の中で復唱する。
前半部分は真美を落ち着かせるための言葉だったが、
後半部分は自分に言い聞かせるためのものでもあった。
そうだ、勝手に悪い結果を想像したって何の意味もない。
それより今はやるべきことがある。
伊織「もう少し進むわよ……。
そしたら、346プロの奴らの居場所が見えるはずだから」
その後少し進むと伊織の言った通り、
346プロのアイドル達が居る民家が見えた。
今伊織達が居る場所は特に草木が深く、身を隠すのにはちょうどいい。
三人はそこでしばらく様子を窺い、
どれだけの時間が経った頃か。
伊織「っ! 出てくるわ……!」
この言葉に、雪歩と真美は民家の出入り口を注視する。
伊織は液晶と民家との間を視線を行き来させる。
そしてそれから数十秒後、ついに姿を現した。
伊織達は息を殺して目を凝らし、
それが三村かな子、赤城みりあ、諸星きらりの三人であることを確認した。
伊織の推測を外し、そこに双葉杏はおらず、
またその様子も想像していたものとは少し違っていた。
赤城みりあが周囲を警戒し、そして三村かな子が諸星きらりを背負っている。
諸星きらりはぐったりとしていて、どうやら気絶しているようだった。
伊織達はそのまま黙って身を伏せ、
かな子達が別の家へと入っていったのを見届けた。
そして声を抑え、今見た光景について話し合いを始める。
伊織「……エリアを移っただけみたいね。あいつらもしばらくこの集落に居るつもりみたい」
雪歩「あ、あの子……気絶してたのかな。もしかして、爆発のせいで……?」
伊織「そうかもね……。細かい理由は分からないけど。
でも気絶の理由なんてどうでもいいわ。
大事なのは、これは間違いなく私達にとってチャンスってことよ」
伊織はそう言い、拳銃をぐっと握り締める。
亜美を殺した二人のうち、一人が今気を失っている。
つまりこれは仇を討つチャンスであり、
765プロにとっての脅威を一つ減らせるチャンスでもあるのだ。
この機を逃してはいけない。
敵は今、少し離れたところに見える民家の中に入っている。
問題はどちらの選択を取るかだ。
つまり、自分から民家に突入するか、
相手が次のエリア移動のため外に出てくるまで待つか。
どちらにもそれぞれ懸念事項はある。
前者は突入に備えられている恐れがあり、
後者はその時には既にきらりが意識を取り戻している恐れがある。
だがどちらにせよ、出来ればここで始末しておきたい。
そのためにはどうするか……二人の意見も聞いておこう。
そう考え、伊織は二人に話しかけるため探知機から視線を上げようとした。
が、しかし。
その直前で伊織の目は液晶に釘付けになった。
765プロを示す点が一つ、
北西側の集落に向かって歩いていた。
伊織の様子が変わったことに気付き、雪歩と真美も左右から液晶を覗き込む。
そして、二人同時に目を見開いた。
今一人で行動していると考えられるのは、
美希か、真か、あずさのうちの誰か。
だが伊織は直感的に、あずさだと感じた。
もしあずさだとすれば、
まず間違いなく346プロに対して敵意など抱いていない。
それに対し、今彼女が向かっている集落に居る者達は、
遠目から見ただけでも明らかに周囲を警戒していることは分かった。
つまり、少なくともある程度の敵意は抱いている。
もしそれが敵意で収まらず、殺意であったなら……。
伊織「ッ……急ぐわよ!」
そう叫ぶが早いか、伊織は真美の手を引いて駆け出す。
そして雪歩もそのすぐ後ろに続き、三人は北西の集落へと走った。
12:00 三浦あずさ
木々の隙間から民家が見えた時、あずさは思わず嬉し涙を流しそうになった。
だがぐっと堪え、そこを目指して駆け出す。
目覚めた時から今までずっと一人でさまよい続けたあずさは、
人恋しくて仕方が無かった。
とうとう森を抜け、あずさは集落へと足を踏み入れる。
きっとここなら誰か居るはず。
そう思い、あずさは息を大きく吸って叫んだ。
あずさ「あの、すみません~! 誰か居ませんか~!」
この呼びかけに、やはりすぐには返事がない。
しかしあずさは諦めず、歩きながら人を呼び続けた。
あずさ「すみません、誰か~!
私、あずさです~! 765プロの、三浦あずさです~!」
あずさは、分かっていなかった。
「音」は聞いていた。
一人さまよっている時、
どこか遠くの方から何度か大きな音がしたことには気付いていた。
しかしまさか本気の殺し合いが行われているとは、
あずさは考えていなかった。
だから、ここに居るのが例え346プロのアイドルだったとしても、
こうして敵意のないことを示していれば
向こうからも歩み寄ってくれるはずと、そう思っていた。
殺意を抱いて陰から様子を窺っている者が居るとは、
露ほどにも思っていなかった。
あずさ「すみません~、誰か居ませんか~?」
途中あずさは足を止め、一番近かった民家の玄関扉を叩く。
中に居るかも知れない誰かを呼んでみるが、やはり返事はない。
返事がないのなら誰も居ないのだろう、
とあずさは別の民家へと向かう。
そして再び、扉を叩いて人を呼ぶ。
それを繰り返しつつ、あずさは少しずつ進んでいった。
だがしばらくそれを続けるうちにあずさは徐々に不安になってきた。
これだけ呼んでも誰も出てきてくれないということは、
本当に誰も居ないのではないか。
きっと誰かに会えると思ったのに
まだ一人ぼっちで居なければいけないのか、と。
集落にたどり着いた喜びは少しずつ薄れ始め、
またじわりと視界が滲んでくる。
しかしあずさは立ち止まり、溢れかけた涙を袖で拭った。
まだだ。
まだ諦めるには早い。
まだ調べていない民家はあるし、
ひょっとしたら中で眠っている人が居るかも知れない。
次の家は、中に入って調べてみよう。
それに、仮に今は誰も居なかったとしても、待っていればきっと誰か来てくれる。
あずさはそう自分に言い聞かせ、顔を上げて再び前へ進みだした。
早く誰かに会いたいという願いが、あずさを動かした。
だがこのあずさの健気な願いは数秒後、
最悪の形で叶えられることとなった。
次はこの家を調べよう、
とあずさは数メートル先の民家に向けて歩いた。
見たところ玄関口は向こう側にあるようだ。
そう思い、その民家の壁沿いを歩く。
しかし壁の端に出て向きを変えたその瞬間、
あずさ「あぐッ!?」
強い衝撃があずさの頭部を襲った。
思わず後ろに倒れ込み頭を押さえる。
一体何が起きたのかと、倒れたままあずさは顔を上げた。
すると、見えた。
頭部へのダメージがあとを引き、視界がまだはっきりとしない。
だがそれでもあずさは見た。
誰かが何かを持って、息を切らせてそこに立っていた。
それは、李衣菜だった。
李衣菜がフライパンを持ち、そこに立っていた。
本来は殺傷の武器ではないフライパンだが、
言ってしまえば鉄の塊である。
至近距離での不意打ちに使えばそれなりの効果を発揮した。
が、やはり十分ではなく、
ダメージはあったもののあずさの意識ははっきりしていた。
そして李衣菜はそれを見て、
李衣菜「ッ……ぅあぁあああああッ!!」
倒れたあずさに馬乗りになり、その鉄の塊を再び頭部へ打ち下ろそうと振り上げた。
突然の脅威。
襲い来るであろう痛み。
それから身を守るため、あずさは咄嗟に
手に持っていた自分の鞄で李衣菜の攻撃を防いだ。
そしてこれが、あずさにとって最悪の結果を招いた。
それは様々な要因が重なって起きた出来事だった。
あずさが鞄で李衣菜の打撃を防ごうとしたこと。
李衣菜がその鞄に向けて繰り返しフライパンを打ち下ろしたこと。
あずさの静止を聞けるほど冷静ではなかったこと。
あずさが無警戒にこの集落に来てしまったこと。
李衣菜が765プロを敵視していたこと。
あずさの武器がフッ化水素酸だったこと。
この島で目覚めたあの時、刺激臭に驚いた彼女が慌てて蓋を閉め、
しっかり密閉したかを確認することなく鞄にしまい込んでしまったこと……。
危険な薬物が入った容器は、鞄の中で強い衝撃を何度も受けた。
そしてその結果、何が起きたか。
李衣菜が刺激臭を感じたのと、
あずさが悲鳴を上げたのは同時だった。
あずさ「ひッ……ぃああぁああッ!!」
突然顔を押さえて叫び声を上げたあずさと、目と鼻をつくような臭い。
それは一瞬にして李衣菜の思考を攻撃から退避へと転換させた。
何が起こったのかは分からない。
だがこの刺激臭と、三浦あずさの反応。
どう考えても危険な何かが今、ここにはある。
もしかしたら毒ガスのような何かかも知れない。
李衣菜はそう直感し、
半ば転がるようにしてあずさから距離を取り、
李衣菜「二人とも逃げて!!」
ずっと陰に潜んでいたみくと蘭子に向けてそう叫んだ。
それを聞き、みくと蘭子は森に向かって走った。
その後を追って李衣菜も走る。
走りながら李衣菜は振り向き、あずさの様子を見た。
あずさはよろけながら立ち上がったが、数歩歩いて再び倒れる。
そして、視力を失ったかのように手を前に出しながら、
その場から逃れるように地面を這って移動する。
その様子を見て李衣菜は、
心にこみ上げてくるものを必死に押し殺した。
仕方なかったんだ。
やらなければ、こちらがやられていたかも知れない。
あの危険物を使われていたかも知れないんだ。
そう言い聞かせ、あずさから目を逸らし前を向いて走り続けた。
・
・
・
あずさ「あぅ、あぁあッ……ゲホッ! ゲホッ!」
李衣菜達が去った後、あずさはなんとか
フッ化水素酸が撒かれた位置から距離を取った。
そして濡れたウェアを急いで脱ぎ、そのまま地面に苦痛に呻き続ける。
その苦痛に、また記憶の中にある説明書に、
自分に何が起きたのかを嫌というほど思い知らされる。
あの劇薬が眼球を焼くのを感じる。
間違いなく自分の両目はもう使い物にならない。
いや、両目が潰れただけならまだ良かった。
自分はあれを、頭部と両手に浴びてしまった。
脱いだウェアで急いで拭き取りはしたものの、もう……
伊織「あずさ……!? あずさ!!」
唐突に聞こえたその声に、あずさは反射的に顔を上げる。
そして直後、更に二人の声が自分の名を呼んだ。
伊織、雪歩、真美の三人が、恐らくこちらに向かって走ってきている。
それに気付いたあずさは、
あずさ「駄目!! 来ないでッ!! 私に近付いちゃ駄目!!」
これまで出したことのないような、怒鳴り声にも近い叫びを上げた。
それを聞き、伊織達は思わず立ち止まる。
そして足音が止まったのを確認し、あずさはゆっくりと立ち上がって言った。
あずさ「私に触ったら……みんな、死んじゃうわ……。
だから、近付かないで、お願い……!」
この言葉に当然、三人は困惑する。
そんな彼女達に向けてあずさは苦痛に震える声で続けた。
あずさ「……私ね、すごく危ない酸を浴びちゃったの……。
ほんの少し体に付いただけで死んじゃうような、危ない酸……。
今も多分、体のどこかに付いてるわ……だから……」
伊織「は……はぁ!? 何よそれ……お、大げさに言ってるだけでしょ!?
だってあんた、生きてるじゃない! そんな、少し付いただけで死んじゃうなんて……」
あずさ「すぐには死なないの!!
今はまだ生きてるけど……きっと何時間かしたら、私は……!!」
そこで限界が来たかのように、
あずさは両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。
遅効性かつ致死性の高い酸。
そんな酸の存在など聞いたことはなかったが、
だからと言って完全に否定するほど三人とも短絡的ではなかった。
そして何よりあずさの悲痛な泣き声が、
その酸の存在に十分な説得力を持たせていた。
数メートル先であずさが、「自分に触れると死ぬ」と言い、泣いている。
この異常な状況で、伊織は考えた。
眉根を寄せて一瞬目を伏せる。
そして、
伊織「……二人とも、ちょっとここで待ってて」
雪歩と真美にそう言い、鞄を持ったまま静かにあずさに向かって歩き出した。
その気配をあずさはすぐに感じ取り、顔を上げて一歩後ずさる。
あずさ「だ……駄目! お願い、近付いちゃ……」
伊織「どこに浴びたの?」
あずさの言葉を遮るように、伊織は静かに聞いた。
その質問の意図が分からず沈黙してしまうあずさに、伊織は繰り返し聞く。
伊織「あんたが酸を浴びたっていう場所、教えなさい」
あずさ「あ……え、えっと、両手と、顔……」
伊織「……じゃあ両手出して。早く!!」
有無を言わさぬ伊織の指示に、あずさはおずおずと両手を前に出す。
すると伊織は更に、
伊織「もっと低い位置で。地面ギリギリになるように」
そう指示を追加した。
あずさは伊織の意図が分からぬまま、言う通りにする。
すると数秒後、突然あずさは肌に冷たい感覚を覚えた。
一瞬手を引っ込めそうになったが、すぐにその正体に気付く。
伊織が、ペットボトルの水を両腕にかけ始めたのだ。
その行動を見て、立ち止まった場所から動けなかった雪歩と真美も、
あずさの元へ慌てて駆け寄る。
そして自分達の鞄からも水を取り出し、あずさに声をかけた。
雪歩「か……顔も洗いましょう! あずささん!」
真美「水あるよ! あずさお姉ちゃん! 真美の水あげるよ!」
あずさ「あ、あの……え……?」
伊織「二人とも、焦っちゃ駄目よ。
完全に洗い流すまでは、あずさの言う通り、触っちゃ駄目。
水が飛び跳ねないように注意して。絶対に濡れないように気を付けなさい」
あずさ「……伊織、ちゃん……」
しっかり注意しろと二人に向けられたこの言葉。
だがあずさには、それが
「ここまで気を付ければ文句はないわよね?」
と自分に向けられているように聞こえた。
そして、先ほどまでとは違う種類の涙が溢れてくるのを感じた。
そんなあずさに、伊織は今度は顔を洗うよう指示する。
あずさは嗚咽を堪え、指示に従った。
出来るだけ水が撥ねないよう姿勢を低くしたまま両手で受け皿を作る。
そこに伊織が水をかけ、その水で顔を丁寧に洗い流す。
同時に雪歩と真美は、頭から大量に水をかける。
それをしばらく続け、あずさの皮膚に残ったフッ化水素酸は
他の誰に触れることなくすべて洗い流された。
だがそれでも、あずさの両目の痛みが消えるわけではないし、
フッ化水素酸が皮膚に付着してしまった事実も消えるわけではない。
そのことはあずさも分かったいた。
あずさ「……ありがとう、伊織ちゃん、真美ちゃん、雪歩ちゃん。
でも……私は、もう……。だから、私のことは構わないで」
あずさはこの件で、346プロにはゲームに乗り気な者が居ることを知った。
そんな状況では、今の自分は足手まとい以外の何物でもない。
視力は失い、そして信じたくないが
説明書の通りであれば、自分が迎える結末はもう確定している。
また伊織達も、このあずさの考えは重々承知していた。
しかしそれでも、三人の答えは決まっていた。
伊織「……バカ言ってんじゃないわよ。
そう言われて本当に見捨てるような奴が私達の中に居るわけないじゃない」
雪歩「そ、そうです! それにまだ、死んじゃうって決まったわけじゃありません!」
真美「一緒に居ようよ! ね、あずさお姉ちゃん! 一緒に居よ!」
伊織「っていうかここで置いて行ったら
じゃあ何のためにあんたの体洗ったのかって話になるでしょ。
一緒に居るためにその危険な酸ってのを洗い流したんだから」
あずさ「っ……」
あずさを守りたいという気持ち、
単純に一緒に居たいという気持ち、
それぞれの想いは様々だったが、そこには確固たる意志があった。
そしてその強い意志は確かにあずさに伝わった。
三人の言葉を聞いて、あずさは少しの間を空け、
あずさ「……本当に、一緒に居てもいいの……?」
震えた声で、希望を込めた言葉を口にした。
伊織「だからそう言ってるでしょ」
雪歩「も、もちろんです! 一緒に居てください!」
二人はそう返事をし、真美は黙ってあずさに抱きついた。
そして伊織はあずさの手を取り、
伊織「ほら、そうと決まれば早くどこかの家に入りましょう。
色々話すこともあるけどまずはそれからよ」
そう言って一番近くの民家へとあずさを連れて入っていった。
あずさは久し振りの仲間との触れ合いに、
またしても嗚咽が漏れそうになるのを堪えた。
そして、願わくはあの説明書の内容が誤りであって欲しい、
例外があって欲しいと、心からそう祈った。
12:40 多田李衣菜
李衣菜「な……何、これ……」
南東の集落。
その地面に飛び散った血飛沫のようなものを見て、
李衣菜とみくは息を呑み、蘭子は震えながら李衣菜の腕にしがみつく。
一体ここで何が起こったのか、原因を探すようにみくは辺りを見回した。
すると、離れた場所に目を引くものがあった。
みく「ね、ねぇ! あれ……!」
そう言ってみくが指した先にあったのは、窓ガラスの割れた家。
この状況を見て三人の鼓動は加速する。
数時間前、杏ときらりとかな子がこの集落へ向けて出発した。
「調べて何も無ければすぐ戻る」。
杏はそう言っていたが、結局戻って来なかった。
そして今目の前に広がっている光景。
もう間違いない。
ここで765プロとの戦いがあったんだ。
戦って、誰かが大怪我を負ったんだ。
それは杏達の中の誰かかも知れない。
そこに思い至り、李衣菜は行動を起こした。
李衣菜「わ、私、みんなを探してくる。二人は森に戻って、隠れて待ってて……!」
みく「え……!? だ、駄目だよ李衣菜ちゃん! 一人でなんて危ないよ!」
蘭子「さ、探すなら、三人で……!」
まだこの集落には敵が居るかもしれない。
そんな場所に一人で行こうとする李衣菜をみく達は当然止める。
だが李衣菜はそれをきっぱりと断った。
李衣菜「言ったでしょ、みくは安静にしてなきゃダメなんだって。
ただでさえここまで走ってきて、相当無茶してるんだから」
みく「っ……で、でも……」
李衣菜「大丈夫、私は絶対無茶はしないから」
そう言って、李衣菜は次に蘭子を見る。
そして肩に両手を置き、言った。
李衣菜「ちょっとの間だけど、みくのこと、お願い。
多分大丈夫だと思うけど、もし何かあったらすぐに武器使って逃げるんだよ」
その言葉に蘭子は逡巡したようだったが、
しばらくした後、自分の鞄をぎゅっと胸に抱えこみ、頷いた。
やはり不安や恐怖は拭い去れない。
しかしみくを任されたことに対する責任感が、蘭子の体の震えを少しだけ和らげた。
蘭子の意志を確認し、李衣菜は肩から手を離した。
そして一歩下がり、蘭子とみくの二人に視線をやる。
李衣菜「それじゃ……早く森に隠れて。
二人がここから見えなくなったら行くから」
みく「……本当に、気を付けてね。絶対無茶しちゃ駄目だからね……!」
李衣菜「わかってる。だから、早く」
みくはまだ言いたいことがあるようだったが、
上手く言葉にできなかったからか、李衣菜に急かされたからか、
ぐっと飲み込んで踵を返した。
蘭子と二人森へ駆けていくみくの後ろ姿を見送り、
草木に紛れ見えなくなったのを確認して、
李衣菜も背を向けて駆け出した。
二人と別れ、李衣菜はまず窓の割れた民家へと向かった。
ある程度近付いたところで、可能な限り足音を消して慎重に忍び寄る。
どうやら人の気配はないようだ。
恐る恐る窓から中の様子を窺う。
やはり中でも何かあったのだろう、室内は相当に荒れている。
次いで李衣菜は玄関へと向かった。
が、壁の端まで行って向きを変えたところでその足はぴたりと止まる。
地面や玄関扉に、大量の血が飛び散っている。
先ほど目にしたものとはまた違う飛び散り方だ。
ここでも誰かが大怪我をしたのか。
誰も居ないということは動ける程度の怪我なのか。
それとも移動させられたのか。
一体、ここで何が……。
次から次へと湧いてくる疑問と嫌な想像を、李衣菜は頭を振って追い払った。
それより今は人探しだ。
集中しなければ。
李衣菜はゆっくりと長く息を吐き、もう一度神経を張り詰める。
そして、探索を続けた。
窓の割れた民家を調べ終え、次を調べる。
慎重に、一つ一つの民家の中の気配を探っていく。
誰も居ないことが分かれば、中に入って何か残されていないか探す。
そうやっていくつの家を回っただろうか。
李衣菜はそれまでと同じように、壁に張り付いて聞き耳を立てる。
窓の傍に行き、音を窺う。
だがやはり、ここにも人の気配はない。
中に入って詳しく調べよう。
と李衣菜が玄関へと向かったその時だった。
初めて、李衣菜の耳に何かが聞こえた。
気のせいかも知れないほど一瞬だったが、聞こえた。
今調べようとしていた民家ではない。
もっと離れたところだ。
李衣菜は目を閉じ、声の聞こえた方に神経を集中させる。
そして次の瞬間、確信に変わった。
間違いない。
どこかで誰かが話をしている。
みくと蘭子ではない。
ここから見て、二人が隠れている場所とは逆方向だ。
李衣菜は自分の足音でその声を消してしまわないよう、
ゆっくりと声のした方へと向かって歩き出す。
そして少し歩き、
声の発生源である民家を突き止めたと同時に、声の主も特定した。
それは、みりあとかな子の声だった。
李衣菜は思わず名前を呼んで駆け出しそうになる。
しかし寸前でその衝動を抑えた。
そうだ、安心するのはまだ早い。
二人以外にも誰か居るかも知れないんだ。
それはもしかしたら765プロのアイドルかも知れない。
みくと同じように騙されて一緒に居るのかもしれない。
と李衣菜の心に浮かんだ疑念はしかし、その後すぐに晴れた。
会話の内容を聞き取れる位置まで近付いた李衣菜は、
その会話から765プロの者が居ないことを理解した。
李衣菜はそのことに安堵したが、同時に不安も生まれた。
なぜ、杏の声が聞こえないのか。
嫌な想像が再び胸をざわつかせる。
これが杞憂で終わるのか、あるいは的中してしまっているのか。
かな子達に合流すれば、たちまちに結果は出るだろう。
李衣菜はほんの少しだけ躊躇し、
そして決意して、二人の名を呼んで目の前の扉を開けた。
13:30 渋谷凛
凛と智絵里は今、休憩を挟みながら森と海のちょうど境目辺りを歩き続けている。
少し前までは集落の近くまで行っていたのだが、
二人はそこへ足を踏み入れることはなかった。
元々は当然、集落を調べて手がかりや仲間を探すつもりだった。
しかし森の中から集落を見た途端、二人は躊躇した。
敵が身を隠せる場所が多すぎる。
あの民家のうち、どこに誰が居てもおかしくない。
こちらから向こうの姿は見えないが、向こうからはこちらが丸見えだ。
この中へ入っていくのはあまりに危険すぎる。
凛と智絵里は共にそう感じた。
不意打ちを受けたという経験が、
集落に対する二人の警戒心を最大値にまで引き上げていた。
だから二人は、集落の探索は後回しにすることにした。
それより先に海岸線の探索を済ませ、
可能なら仲間を増やしてから集落を探索しようと、そう決めた。
そうして今、探索を続けている二人だが、
流石にもう海岸沿いを探しても無駄なのではと薄々思い始めていた。
この島で目が覚めてから丸一日が経とうとしている。
それだけの時間が経てば海岸沿いを調べるくらいは既に誰かがしているだろう。
そして集落か、あるいは灯台に居場所を落ち着けていると考えるのが普通だ。
つまり、海岸沿いには手がかりも仲間ももう残ってはいないのかも知れない。
と、そんな風に考えながら凛が浜辺に目をやったその時。
ふとある一点に違和感を覚え、一度通り過ぎた目線を戻した。
凛「智絵里、あれ……」
凛は智絵里を呼び、違和感の元を指差す。
智絵里は凛の指したその先を見て、同じように違和感を覚えた。
砂浜の一部が、不自然に盛り上がっている。
誰かが意図的に砂を盛って山を作ったか、
あるいは……そこに何かが埋まっているかのようだと、二人は思った。
凛「……行ってみよう」
智絵里「う、うん」
短くそうやり取りし、二人は森を出て砂浜へと足を踏み出した。
一歩歩くごとに、徐々に詳細が明らかになっていく。
そして、その不自然な盛り上がりの形と大きさが分かった時、
二人は一瞬心臓が跳ねるのを感じた。
智絵里は思わずそこで立ち止まってしまう。
だが凛はぐっと体に力を入れ、更に数歩進む。
そして、たどり着いた。
足元で盛り上がっている砂を数秒見つめ、ごくりと喉を鳴らし、
膝を付いてそっと砂山の一部を手で払った。
すると、何かが見えた。
それを見て凛は確信した。
やはりこの砂の盛り上がりはただの砂山ではない。
何かがこの中に埋まっている、と。
凛はもう一度、今度は先ほどより多めに砂を払う。
埋まっている物が見える範囲が一気に広がった。
しかし二~三回それを繰り返したところで、凛の手は止まった。
彼女は「それ」に見覚えがあった。
質感や色に、心当たりがあった。
そんなはずはない、よく似た何かに違いない。
凛は自分に言い聞かせるように願いながら、
自分の心当たりが間違いであると証明するため、更に砂を払った。
だがそうして砂の中から姿を現したものは、
凛の願いを裏切った。
凛は呼吸を荒げ、黙ってそれを見つめる。
頭の中は真っ白なのか、
それとも様々な思考が入り混じっているのか、分からない。
だがそんな凛の頭は、智絵里の震えた口から出た言葉だけは瞬時に理解した。
智絵里「う……卯月ちゃ」
凛「違う!! そんなはずないッ!!」
智絵里の言葉をかき消すように凛は怒鳴った。
その剣幕に智絵里は肩を跳ねさせて涙を滲ませる。
しかし凛はそんな智絵里の様子など意に介していないかのように、
すっと立ち上がって智絵里の手を掴んで走り出した。
凛「行くよ智絵里! 早く!」
智絵里「えっ……い、行くって、どこに……!」
凛「卯月を探さなきゃ……! 集落に行ってみよう!
きっとそこに卯月も居るから! みんなも集まってるかも知れない!」
智絵里「っ……」
あれは、どう見ても卯月だった。
顔は分からない。
でも体は紛れもなく卯月だった。
だが凛は信じたくなかった。
あれは卯月なんかじゃない。
早く卯月を見つけて、それを証明しなければ。
そのためには集落に行ってみるのが一番早い。
危険だろうがなんだろうが関係ない。
海岸なんかを歩くより集落に行った方が、
346プロの誰かに、卯月に会える確率は高いんだ。
ただただその考えを胸に、
凛は北西側の集落に向かって真っ直ぐに走り出した。
14:00 水瀬伊織
伊織は初め、あずさを律子達のグループに合流させることを考えていた。
本人の性格が争いに向かないというのももちろんあるが、
何より視力を失った状態で自分達に付き合わせるわけにはいかない。
両目は開かなくとも、手を引いて慎重に進めば移動は可能であるはず。
だから必要な会話が終わってある程度落ち着いたら
灯台まで連れて行った方がいいと、そう考えた。
しかし今、伊織を含めたあずさ以外の三人は、
やはり移動を強いるべきではないと思いなおしていた。
少し前から、あずさの様子が変わり始めた。
それまでは落ち着いていた呼吸がいつからか、
痛みを堪えるように長く、深くなり始めた。
それに気付いた当初伊織達は、やはり両目が痛むのかと、そう思った。
だからそう尋ねてみたのだが、
あずさは「なんともない」「大したことはない」と答え、
その時は伊織達も何も言わなかった。
ところが、それから更に時間が経った頃、
呼吸の乱れなどよりもはっきりとした、明らかな異変が生じた。
あずさの両手と顔面の皮膚が変色し始めたのだ。
伊織「あずさ……本当になんともないの?」
酸が入った両目が疼くことくらいはあるかも知れないが、
流石にこれは看過できない。
そう思った伊織は再びあずさに尋ねた。
しかし座って顔を伏せていたあずさはその言葉に顔を上げ、
あずさ「ぁ、っ……だ、大丈夫。平気よ……」
無理に作ったようにしか見えない笑顔を浮かべ、そう答えた。
だが伊織は、今度はその答えを受け入れなかった。
伊織「もし私達に心配かけないように嘘をついているのなら、やめてちょうだい……。
嘘ついて無理して、それで取り返しのつかないことになったら元も子もないのよ」
伊織のこの言葉を聞き、あずさは押し黙る。
そして少しの間を開けて、おずおずと話し始めた。
あずさ「目、だけじゃなくて……両手と顔が痛いの。少し前から、ずっと……。
なんだか、体の内側から針で刺されてるみたいに……」
やはりなんともないわけがなかった。
そしてそれはどう考えても、あずさが浴びたという薬品の影響だ。
伊織達は変色したあずさの皮膚を見、
このことを本人に伝えるべきか迷った。
しかし、
伊織「……見た目には何も変わりないけど、痛むなら横になって休んでなさい。
それで、痛みが治まるまで安静にしてるのよ。いいわね」
これを聞いて雪歩と真美は理解した。
伊織は、皮膚の異変を伏せておくことに決めたのだと。
あずさが痛みを自覚しているのならそれで十分。
皮膚の異常については敢えて言う必要もない。
言ったところで事態が好転するわけでもなく、
ただあずさの不安を助長させるだけだ。
そう思っての判断だった。
そしてあずさは伊織の嘘に対し、何も言わなかった。
信じたのか、あるいは伊織の想いを察したのかは分からないが、
あずさは痛みを堪えながらもニッコリと笑った。
あずさ「ごめんなさいね、伊織ちゃん……。
それじゃあ、少し横になって休ませてもらうわね……」
伊織「えぇ、そうしなさい」
雪歩「じゃ、じゃあ私のウェア、枕にしてください! 今準備しますね!」
あずさ「ええ……ありがとう、雪歩ちゃん……」
伊織に従い、あずさは横になって次のエリア移動まで少しでも体を休めることにした。
その横で伊織達は各々不安げな表情を浮かべ、
あずさから聞かされたフッ化水素酸の説明のことを思い出していた。
数時間後に現れ始めた異変……。
あずさの説明にあった通りだ。
痛みも皮膚の変色も、説明の通りだ。
そして「これから」も説明の通りだとすれば、異変はこれだけに収まらない。
状況は更に悪化する。
痛みは増し、皮膚は変色などでは済まされない変貌を遂げる。
あの説明は確定している未来を告げていたのだと、
そんな風にすら思えてしまう。
伊織の嘘は、それに対する僅かな抵抗でもあった。
きっと説明の通りなんかにはならない。
痛みは治まるし、皮膚も元に戻る。
伊織、雪歩、真美、そしてあずさは、民家の中で祈り続けた。
だが、長く祈る時間すら彼女達には与えられなかった。
伊織「っ……三人とも、ここでじっとしてて」
唐突にそう言って伊織は立ち上がる。
その視線は探知機に注がれており、雪歩と真美は事態を察した。
そして、その推察の通りだった。
伊織「346プロが二人、ここに近付いてる……。
あずさ、横になってもらったばっかりで悪いけど
一応すぐ逃げられる準備をしておきなさい」
あずさ「わ、わかったわ……。でも、伊織ちゃんは……?」
伊織「奴らを止めてくるわ。絶対にこの集落に入れさせやしないんだから」
雪歩「じゃ、じゃあ私も……!」
伊織「雪歩はここに居て、真美とあずさを守ってあげて」
伊織は雪歩の言葉を遮り、目を真っ直ぐに見てそう言った。
雪歩は初めは迷ったようだったが、数秒その視線を見つめ返した後、
覚悟を決めたように頷いた。
伊織「……手榴弾、一つ持って行くわね」
雪歩「うん……わかった」
伊織「真美、少しここで待ってなさい。大丈夫、すぐ戻ってくるから」
真美「も、戻ってくる? 絶対すぐ戻ってくる?」
伊織「ええ、約束するわ」
そうして伊織は震える真美の手を握り、
背を向けて小走りに部屋を出て行った。
外へ出て、伊織は敵が接近してくる方向を確認する。
距離はまだ少しあるが、移動が速い。
どうやら走っているようだ。
伊織も探知機を見ながら走り、そして森と集落との境目で立ち止まる。
間違いない、この方角だ。
近くにあった一番幹の太い木に身を隠し、頭を覗かせ様子を窺う。
すると、静かな森の中から気配を感じた。
そして直後、生い茂る草木の向こう側に動く影を見た。
その姿に伊織は見覚えがあった。
渋谷凛と、緒方智絵里だ。
数時間前に海岸沿いで会ったあの二人だ。
ということは、武器はナイフのみだろうか。
草木が邪魔でここからではよく見えない。
しかしだからと言って見える距離まで近付くまで待てば、
その前に向こうに気付かれるかも知れない……。
敵二人は真っ直ぐ自分に向かって、集落に向かって、走っている。
どうする、また前と同じように音響閃光手榴弾で怯ませるか。
いや……相手はもう、「これ」が爆音と閃光を発する武器であることを知っている。
気付いた瞬間に耳と目を塞がれれば、貴重な武器を一つ無駄にしてしまうことになる。
伊織は数秒の間で懸命に思考し、その結果、音響閃光手榴弾を地面に置いた。
そして拳銃を両手でしっかりと握り締める。
もしこの時集落に負傷した仲間が居なければ、
伊織は恐らく森の中へ入っていただろう。
そして草木の陰に身を隠しつつ、凛達の横から、
あるいは後方に回り込むようにして、襲撃していただろう。
しかしそれはできない。
そうやって襲撃した場合
もし失敗すれば、恐らく凛達はのまま集落に逃げ込む。
そしてどこかの民家に身を潜めようとするかも知れない。
そうなって、万が一あずさ達と出会ってしまったら最悪だ。
雪歩に武器を渡しているとは言え、それも音響閃光手榴弾が一つだけ。
まして今のあずさの状態を考えれば、絶対に遭遇させてはならない。
今は敵を集落に侵入させないことが最優先。
可能な限りリスクは避け、確実に侵入を防ぐべきだ。
そう考えた伊織は、ある程度二人が接近したのを確認し……
木の陰から姿を現してそれと同時に二人に向けて発砲した。
凛「ッ!?」
智絵里「きゃあっ!?」
突然前方に現れた人影と、銃声。
智絵里は思わず頭を抱えて身を屈め、凛はナイフを構えて警戒態勢を取る。
そして一瞬遅れて理解した。
765プロの水瀬伊織が、自分達に向けて発砲したことを。
また伊織は、凛達の武器が数時間前と変わっていないことを確認した。
つまり現状、圧倒的にこちらが優位だ。
しかし伊織は気を抜くことなく、銃を構えたまま叫んだ。
伊織「今すぐ武器を捨てて、後ろを向いて伏せなさい!」
伊織の怒声を聞き、智絵里はびくりと肩をすくませる。
銃口を向けられ、智絵里は完全に萎縮してしまっていた。
先ほどの発砲音もあり、伊織に従う以外の選択肢は思い浮かばなかった。
だがその隣で、凛は冷静だった。
伊織の姿と拳銃とを見て、
彼女こそが海岸沿いで自分達を襲撃した敵であると確信した。
智絵里が持っていた拳銃の形をはっきり覚えていたわけでもないし、
襲撃された時は閃光のせいで敵の姿は朧げだった。
しかしそれでも、あの時の敵が今目の前に居るのだと、凛はそう思った。
つまり水瀬伊織は、自分達に明確な敵意を……いや、殺意を抱いている。
その伊織の指示に従い、武器を捨てて投降すればどうなるか。
結果は一つしかない。
だから凛は、絶対に指示に従ってはいけないと判断し、
そして即座に行動に移した。
隣で身を伏せ始めた智絵里の手を掴んで
向きを変えて全速力で走り出したのだ。
伊織「ッ……!」
それを見て伊織は咄嗟に引き金を引く。
走り去る二人の背に向けて連続で発砲する。
しかし伊織が弾を撃ち尽くした頃には既に、
凛と智絵里は木々の中に姿を消していた。
凛達の消えた辺りに向けて更にカチカチと数回引き金を引いた後、
伊織は拳銃を下ろす。
「やっぱり」、というのが伊織が最初に抱いた感想だった。
こうなるだろうとは思っていた。
少しでも冷静に考えることができれば、あの状況で投降するわけがない。
それに思ったとおり、銃撃というのはそう簡単に当たるものではなかった。
そして、その感想から少し遅れて後悔がやってくる。
「失敗のリスクなど考えず、手榴弾を投げておくべきだったのではないか」
「考えてみればピンを抜かずにブラフとして使用する方法もあった」
「やはり回り込んで襲撃しておいた方が良かったかもしれない」
「武装解除など求めず、二人が静止している隙に撃ってしまえば良かった」
「もっと近付いてから姿を現せば良かった」
次から次へと、もっとああしておけばという思いが湧いてくる。
伊織はそれを振り払うように、頭を振った。
終わったことを考えても仕方ない。
最低限の目的は達成できたのだからそれでいい。
探知機に目を下ろす。
二つの点は今もなお、集落から離れ続けている。
他にも、誰も居ない。
346プロは遠ざけられた。
それに、武器の性能と自分の射撃能力もある程度確かめられた。
今はこれで十分な成果としよう。
それより早くみんなのところへ戻ろう。
銃声を聞き、きっと不安に思っているはず。
そう言えば、弾はあと何発残っていただろうか。
数発くらいは練習でもしておいた方がいいかも知れない。
そんなことを考えながら、
伊織は仲間の待つ民家へと戻っていった。
14:40 渋谷凛
かな子「凛ちゃん、智絵里ちゃん……!」
智絵里「か……かな子ちゃんっ……!」
伊織から逃げた凛達はその後、南東の集落へと向かった。
そして今ようやく、念願叶って346プロの仲間と合流することができた。
智絵里とかな子は抱き合い、互いの無事を確かめ合う。
凛はそんな二人を尻目に、
一番近くに居た李衣菜に眉をひそめて質問した。
凛「……きらり、どうしたの?
それにさっき、向こうの方で血の跡みたいなの見たんだけど……」
その瞬間、場の空気が色を変えた。
智絵里と抱き合っていたかな子も、
そっと体を離して苦しそうに表情を歪める。
凛と智絵里はその空気を感じ取り、一気に全身の血液が冷えていく感覚を覚えた。
自分達が最も欲していない、最悪の返答が返って来る。
それを察した凛は、その返答を後回しにしようと質問を重ねた。
そんなことをしても無意味だが、ほぼ反射的に口が動いた。
しかし凛が口にした質問は、無意味どころか全くの逆効果しか生まなかった。
凛「そ、そうだ! あのさ、ここって卯月居ないの?
今ここに居るので全員? 誰か卯月のこと見てない?」
李衣菜「っ……そのことも含めて、全部話すよ。
でも、お願いだから……落ち着いて、聞いて」
そうして、李衣菜は話した。
かな子から聞いた話であると前置きし、
杏のこと、未央のこと、卯月のこと、全てを話した。
智絵里は両手で口元を押さえ、話を聞くうちにその両目からは涙が溢れ出した。
そんな智絵里の肩を抱き、かな子も嗚咽を堪えて静かに泣いた。
しかし凛は、だらりと両腕を下げたまま、茫然と話を聞いていた。
そして、李衣菜が話を終えて数秒の沈黙が続いた後、
凛「う……嘘でしょ? や、やめてよ、そんな……」
引きつった笑顔のような何かを顔に貼り付けてそう言った。
それは絶対に受け入れたくないという拒絶の表情。
だがその表情も、長くは続かなかった。
李衣菜「……私だって、信じたくないよ。
でも、実際に死んだのを見た子が……」
凛「やめてよッ!! 嫌だ!! そんなの聞きたくない!!」
凛は耳を塞いで李衣菜の言葉を、三人の死を拒絶した。
しかし固く閉じられた両目からは、ぼろぼろと涙が溢れ出ている。
言葉では拒否しているが、凛の心は既に認めてしまっていた。
あの時自分が見た物は、本当に卯月だったのだと。
またそれだけでなく杏と、
更にユニットのもう一人の仲間である未央まで失ってしまったのだと。
凛は嗚咽を漏らして泣き続ける。
その場に居た全員は
かける言葉が見つからずに俯いてしまう。
しかし次の瞬間、彼女達の顔は一斉に上がった。
凛が唐突に目を開けて部屋の隅に向かって駆け出し、
そして、床に置いてあった短機関銃を手に取ったのだ。
李衣菜「なっ……!?」
みく「り、凛ちゃん!? 何を……!」
突然の凛の行動に、皆はただ驚きの声を上げる。
しかしそんな中、智絵里は真っ先に理解した。
さっきの、もう一つの集落に行くつもりだ。
そしてこの武器で、水瀬伊織と戦うつもりなんだ。
智絵里がその考えに至ったのと同時に、
凛は踵を返して部屋の出口へと向けて走り出す。
他の皆は意表を突かれたせいで僅かに反応が遅れた。
だが智絵里は、凛が扉に手をかける前に、
銃を持つ彼女の腕にしがみつくようにして止めた。
智絵里「や、駄目……! 待って凛ちゃん……!」
凛「離して! 止めないでよ!」
必死に腕を掴み引き止める智絵里と、
怒鳴りながらそれを振り払おうとする凛。
そんな二人に、一瞬遅れて他の皆も駆け寄った。
李衣菜「ちょっと、落ち着きなって!
まさか一人で765プロのとこに行こうとしてるの!?」
凛「そうだよ! 今すぐ私が行って、
765プロの奴らを殺してやる……! 卯月達の仇を討ってやる!」
李衣菜「っ……一人で行ったって危ないだけだよ!
武器だってまともなのはその銃くらいしかないんだから!」
凛「だったらなおさら一人で行くしかないじゃん!!
それとも武器も持たずに誰か付いてきてくれるの!? 無理でしょ!?」
凛は泣き叫びながら李衣菜に反発する。
可能な限り冷静に思考し、判断しようとする凛の姿はもはやそこには無かった。
凛「余計に誰か付いてくる方が危ないに決まってる!!
だから私が一人で……!」
しかしそんな凛の悲痛な叫びが、一瞬止まった。
智絵里に掴まれているのとは違う、もう一方の手を誰かに握られたのを感じ、
凛は反射的にそちらに顔を向けた。
手を握ったのは、かな子だった。
その目には凛と同じように涙が浮かんでいた。
そしてかな子はその潤んだ瞳で凛の目を見据え、そして強い口調で言った。
かな子「きらりちゃん、気絶してるんだよ……!
もし凛ちゃんがどこかに行ってる間に765プロの人がここに来たら……
私たち、逃げることも戦うこともできないんだよ……!」
助けを求めているのか、平静を失った凛を叱責しているのか、
それは恐らくかな子本人にすらはっきりとは分かっていない。
しかしこの必死な言葉を聞き、凛は息が詰まった。
そして気付いた。
自分の仲間への想いにはいつの間にか、765プロへの殺意が上塗りされていたのだと。
仲間を想うような言葉を口にしながら、頭は憎しみに支配されていた。
そうだ……仲間を守るために仲間を危険に晒しては本末転倒じゃないか。
今自分が手にしている銃は、みんなが身を守るための唯一の道具なんだ。
全員で走って逃げることができるのならまだしも、
きらりが気を失っているこんな状態では、銃は絶対に必要。
それを今自分は、奪おうとしていた。
凛は恐る恐るといった様子できらりに目を向ける。
そして数秒後、俯いて銃を手放した。
そこでようやく智絵里とかな子は凛の両手から、そっと離れる。
凛は解放された腕を力なく下げ、俯いたまま部屋の端へと歩いて行った。
そして壁にもたれかかって腰を下ろし、
膝に顔を埋めるようにして、声を殺して泣き始めた。
またそれを見た智絵里も、
騒動により頭から追いやられていた悲しみが再びこみ上げ、
その場にヘたり込んで泣いた。
動ける者は、皆それぞれ二人の傍に寄り添い、
声を掛けることなくただ泣き止むのを待った。
そしてそんな中、李衣菜はチラときらりに目を向ける。
きらりが失神している以上、この場から下手に動くことはできない。
だが、もし目が覚めなかったら。
あるいは目が覚めてもまともに動ける精神状態になかったら。
その時は……何か、方法を考えなければならない。
もちろん純粋に心配する気持ちもあるが、
そういった事情も含めて早く目が覚めて欲しい。
李衣菜はそう強く願った。
14:40 音無小鳥
莉嘉「……あの音、何だったのかな……」
屋上に座り込み、莉嘉はふと思い出したかのように呟いた。
隣に立つ小鳥は莉嘉に目線を落とし、
小鳥「分からないけど……。でも、気にしても仕方ないわ。
それより、そろそろ準備しましょう。もうすぐ一時間よね?」
そう言って話題を変えた。
莉嘉は特に疑問に思うこともなく、短く返事をして素直に従う。
そんな莉嘉を横目で見ながら、
小鳥は少し前に聞こえた音の正体を考えた。
いや、考えるまでもなく小鳥には分かっていた。
あれは間違いなく、銃声だった。
一発の後、数発連続で聞こえた。
森の中で誰かが発砲したのだ。
銃声を聞いた時、小鳥の頭に真っ先に浮かんだのはきらりと杏だった。
特にあの時……自分が卯月に向けて銃を構えた時に
遠くに立っていたきらりの姿を、小鳥は思い出した。
きらりの手には、大きめの銃が握られていた。
ではあの銃声はきらり達によるものなのか。
そうかも知れないしそうではないかも知れない。
戦いがあったのかも知れないし誰かが射撃の練習をしただけなのかも知れない。
もし戦いがあったのであれば、
莉嘉を人質として利用する時は、今なのかも知れない。
だがそんな風に小鳥が迷っている間に事態は収まったようだった。
その数発分の銃声を最後に、もう何も聞こえてはこなかった。
もしあれが346プロによる銃声だったとすれば……。
そう考えてしまうが、今更どうしようもない。
今の自分にできるのは、次の異変を見逃さないことだ。
あの銃声では、765プロは誰も傷つかなかった。
そう信じて、「次」を考えることだ。
小鳥が色々と思考するうちに準備は終えた。
灯台を出てエリアを移動するため、出口の扉に手を伸ばす。
しかしその時もう一方の手が突然掴まれ、
小鳥は勢いよくそちらに顔を向けた。
莉嘉「っ……! ご、ごめんなさい」
当たり前だが、手を掴んだのは莉嘉だった。
正確には、莉嘉は小鳥と手をつなごうとしたのだ。
それを見て小鳥は思い出した。
エリア移動の際は手をつなぐ。
そういう決まりごとがあったんだ。
だが莉嘉は、ただ決まっているから手をつないだという風には見えなかった。
自分を頼っている、信頼している。
莉嘉の目を見て小鳥は、そのことに気付いた。
断りなく手を握り驚かせてしまったと申し訳なさそうにする莉嘉。
その少女に小鳥は、改めて手を差し伸べた。
小鳥「こちらこそごめんなさい……。
ちょっとびっくりしちゃっただけよ。気にしないで」
これを聞き、莉嘉は安心したように表情を柔らげて再び小鳥の手を握る。
いずれは人質として、恐らく殺害することになるであろう少女。
その小さな手を優しく握り、小鳥は扉を開いて歩き出した。
15:30 秋月律子
律子「っ! みんな、止まって!」
そう言って、律子は探知機を注視し、ボタンを操作する。
一同はその律子の様子を見て、察した。
響「だ、誰か見つかったの!? 765プロ!? 346プロ!?」
律子「346プロよ。この先の集落に……八人居るわ」
八人という数に、響のみならず貴音とアナスタシアも少なからず驚きの色を浮かべた。
自分達のグループと合わせれば、
これで十一人の346プロアイドルの所在が明らかになったことになる。
急いで美波達のグループにも知らせなければ。
そう思うが早いか、律子達は足早に美波達の元へ向かった。
律子達は探知機を頼りに、すぐ美波達と合流した。
そして346プロのアイドルを八人発見したことを伝えると、
やはり美波達も目を丸くした。
美波「もうこんなに、集まってたんだ……」
アーニャ「驚きました……。でも、良かったです。これでたくさん仲間、増えますね?」
律子「そうね、是非増えて欲しい。
でも……この八人が仲間になってくれるかどうかは、あなた達にかかってるわ」
この言葉を聞き、美波とアナスタシアの表情は一気に緊張感を増す。
二人はゆっくりと顔を見合わせ、そして律子に視線を戻して言った。
美波「なんとか、説得してみます」
アーニャ「頑張ります……。みんな協力、してくれるように」
春香「お、お願いします! 頑張ってください!」
響「自分達は行けないけど、応援してるぞ……!」
765プロの者達も、美波達に各々言葉をかける。
皆346プロと協力したいという思いは同じなのだ。
だが律子はそんな彼女達を特に険しい表情で見つめていた。
そして皆が声をかけ終えた後、
律子は美波達に一歩近付き、声を低くして聞いた。
律子「……考えたくないことかも知れないけど、確認させてちょうだい。
二人とも……覚悟は、できてる?」
その言葉に、アナスタシアは一瞬身を固くした後、目を伏せる。
美波はそのアナスタシアの様子を見て、そっと彼女の手を握った。
「346プロのアイドルも亜美と同じように殺されているかも知れない」
律子の言葉は、つまりそういうことだった。
その可能性については既に一度確認している。
しかしここで改めて問い直されてなお、
アナスタシアの心はしっかりと定まってはいなかった。
美波に比べて年少のアナスタシアは、
仲間の死について考えること自体への抵抗が大きかった。
律子はアナスタシアの表情を見て、
説得に向かわせるのは美波一人の方が良いかも知れないと、そう思った。
誰も死んでいないならそれでいい。
最悪なのは、346プロの誰かが殺されており、
それを直接聞いて立場を変えてしまうことだ。
もちろん簡単にはそうはならないだろうが、
346プロのアイドル達に引き止められでもすれば、
今のアナスタシアでは十分にありうるのではないか。
そう考え律子は今一度本人に意志を問おうとした。
しかし、その質問は律子の口から出ることはなかった。
アーニャ「大丈夫、です。友達が、死んでいたら……とても、悲しいです。
でも、リツコ達は、私達と一緒に居てくれてます。
だから私も……何があっても、リツコ達と協力、します」
律子が口を開く直前にアナスタシアは顔を上げ、そう言った。
不安の色が浮かんではいたがその目を見て、
アナスタシアの意志は揺らいでいないと律子は確信した。
律子「……ありがとう、アーニャ。
それじゃあ……美波さんと二人で、お願いするわね」
その最後の確認に、二人はしっかりと頷いた。
律子はそれに頷き返す。
そして一同は、まずは南東集落の近くまで移動を始めた。
しばらく歩いた後、木々の隙間から民家が見えた辺りで律子は立ち止まる。
そして、美波とアナスタシアに探知機を見せた。
律子「彼女達は多分、集落の中心辺りに居るはずよ。
一箇所に固まってるみたい」
アーニャ「どこか……建物の中に居るのでしょうか?」
律子「そうだと思うけど、どの建物に居るかまではここからじゃ特定はできないわ。
だから、集落に入ってからは二人に自力で探してもらうことになるわね。
本当なら探知機を渡してあげられれば手っ取り早く見付けられるんだけど……」
美波「いえ、大体の位置がわかっているだけで十分です。
この近くには私達と、集落のみんなしか居ないみたいですし、
ある程度近づいたら呼びかけてみようと思います。
少しくらい大きな声を出しても、大丈夫ですよね?」
律子「……そうね、大丈夫だと思う。と言うよりその方がいいわね。
それなら敵だと誤解されたりしなくて済むでしょうし」
美波「わかりました。えっと……他に何か、気を付けることはありますか?」
律子「いえ……思い付くことは全部言ったと思うわ。
みんなも、もう大丈夫よね?」
と、律子は765プロのアイドル達を振り返り、
皆もそれに対して各々頷く。
それを見て、美波とアナスタシアは心を落ち着けるように深く息を吐き、
美波「行ってきます」
そう言い残して背を向け、小走りに駆け出した。
一同はその背を見送り、そして見えなくなった頃。
律子は探知機から目を上げて皆に向き直って言った。
律子「美波さん達が戻るまで、座って休みましょう。
休める時には少しでも休んでおかないと」
しかし、すぐには誰も腰を下ろそうとはしなかった。
恐らく今頑張ってくれている美波とアナスタシアに遠慮する気持ちがあるのだろう。
律子はその想いを察したが、やはり体は休めておいた方がいい。
そう思い再び休憩を促そうと口を開く。
だがそれと同時に貴音が動いた。
その場にゆっくりと腰を下ろし、他の皆を見上げ、
貴音「律子嬢の言う通りに致しましょう。
あの二人は確かに今、私達のために動いてくれています。
しかしだからこそ、今後彼女達を手助けするための体力を養っておくべきです」
落ち着いた声で言い聞かせるように、そう言った。
貴音の言葉のあと、再びその場は静寂に包まれる。
そして数秒後、
千早「その通り、ですね……」
まずは千早がそう返事をしてその場に座った。
それを皮切りに、他の皆も各々適当な位置に腰を下ろし始める。
律子はそれを見て、安心したように軽く息を吐いた。
律子「……みんな、水分補給を忘れないようにね。
喉が渇いてなくても、渇く前に飲んでおくことが大切よ」
皆にそう指示し、自分も水を少し口に含む。
そうして喉を潤した後、貴音に声をかけた。
律子「ありがとう、貴音。助かったわ」
貴音「いえ、礼には及びません。それより……」
とここで律子は、貴音が重要な話題を
切り出そうとしていることを察して表情を改める。
そして貴音は、先程から変わらぬ真剣な表情のまま、律子に問うた。
貴音「彼女達が346プロの者を連れてくる前に、
皆に改めて確認しておかねばならないことがあると思うのです」
律子「……そうね、その通り。早めに確認しておいた方がいいわね」
律子はそう答え、視線を貴音から外す。
他の皆は当然直前のこの会話を聞いており、既に注目は集まっていた。
律子はその視線を受け、そして殊更に真剣な表情を浮かべ、
律子「もう分かってると思うけど……。
今美波さん達が説得しに行ってる346プロの子達の中には、
既に765プロの誰かを傷付けてしまった子が居るかも知れない。
その子が説得に応じてここへ来た場合……
受け入れるための心の準備を、しておいて」
全員にそう念を押した。
そしてこの時、何人かの視線が一瞬揺らいだのを律子は見逃さなかった。
しかし同時に、それも仕方のないことだと感じた。
例えば、亜美を殺したという双葉杏や諸星きらりが来たとしたら、
それを許せるかどうか。
律子の言っていることはそういうことだ。
簡単に答えが出るような問題ではないことは律子も十分わかっていた。
しかし律子が感じた視線の揺らぎは、本当に一瞬のものだった。
やはり完全には不安を隠しきれないようだったが、
それでもすぐに全ての瞳がしっかりと律子を見据えた。
春香「大丈夫です……。寧ろそういう人達と協力するのが一番大事だって、
ちゃんとわかってます」
千早「敵対していた人が考えを改めてくれるのなら……それが一番だもの」
響「その人達もきっと、友達を守るために必死だったんだし……。
だから自分も受け入れるぞ! そりゃあ簡単に、とはいかないかも知れないけど……」
やよい「わ、私も同じです……!
どんな人でも、一緒に協力してくれるんだったらそれが一番嬉しいですから!」
その目を見、言葉を聞き、
律子と貴音はどうやら確認は不要だったようだと
自分の中の皆に対する認識を改めた。
仲間を殺した者も、協力する意思があるなら受け入れる。
その思いは彼女達の中で共通していた。
だがこの時、貴音、響、やよいの三人は別に思うところがあった。
それは、小鳥と卯月のことだ。
小鳥が卯月を殺したことを知ったら、美波とアナスタシアはどう思うだろうか。
仲間を殺した小鳥を受け入れてくれるだろうか。
これから美波達が連れてくるであろう346プロのアイドルはどうだろうか。
小鳥や、事実を黙っていた自分達を拒絶しはしないだろうか。
三人が抱く感情はそれぞれだったが、
三人とも上手く隠すことができた。
いずれにせよその時が来れば分かることだ。
それまでは今まで通り黙っていなければ。
ただ、もし話さなければならない時が来て、
そして受け入れられなかった場合、どうするべきか。
三人の考えは、まだまとまりきっては居なかった。
16:00 新田美波
李衣菜「……そ、それ、本当なの……?」
美波「えぇ、もちろん本当よ」
アーニャ「みんないい人達、優しい人達ばかりです……!」
美波が話した内容を聞き、
集落に居た346プロのアイドル達は全員が驚きの表情を浮かべた。
だがその驚きの中には様々な感情や想いが混ざり、その色は各々違う。
特に李衣菜を始めとする数人は、疑念の方が強いようだった。
李衣菜「いや、でも……騙されてたりとかさ。そういう可能性は……」
美波「ううん、大丈夫! だってその子達、私とアーニャちゃんの命を助けるために
すごく必死になってくれたの。それに殺すつもりならとっくに殺してるはずだし、
騙して利用しようとしてるのだとしても、
もっと安全で確実な方法があるはずでしょ?」
美波の言葉は、その場に居た者を納得させるのに十分な説得力を持っていた。
確かに利用するつもりなら、
こうして二人を集落に送り出すのはリスクが高すぎるし、
命を救おうとしてくれたというのも本当のようだ。
またそういった理屈は抜きにしても、
765プロにも平穏を望む者が居るというのは何もおかしなことではない。
そのことは、可能性としては皆もちろん考えていた。
そしてそれが今確定したのだ。
その事実に、何人かの心は動いた。
美波達に付いて行って、みんなで協力したいと思った。
しかし誰かがその意志を口にする前に、
凛「無理だよ、協力とか」
その小さな声が、室内を一瞬で静寂で満たした。
この瞬間、全員一斉に凛に目を向ける。
凛はその視線を浴びたまま、俯いてじっとしていた。
美波「だ……大丈夫よ、凛ちゃん。
本当に信頼できる人達だし、協力すればきっとなんとか……」
そう言って美波は精一杯の優しい笑みを向ける。
が、その笑顔も、次の凛の言葉で消え去った。
凛「だって、もう何人も殺されてるんだよ……!
そんな状況で今更協力なんて、できるわけない!!
卯月も、未央も、杏も! みんな765プロに殺されたんだ!
そんな奴らと協力しろって!? 無理だよ!! 私は絶対に嫌だ!!」
一度は鎮まった凛の感情は、ここで再び過熱した。
怒りと涙が溢れ出す。
美波とアナスタシアはその様子を見て、
また言葉を聞いて、全身の血液が一気に冷えるのを感じた。
覚悟はしていた。
765プロの亜美と同じように、346プロからも死者が出ているかも知れない。
そう、覚悟は決めていた。
しかしだからと言って、動揺しないわけがない。
仲間の死を知り、二人はこれ以上無いほどに心を強く締め付けられた。
美波は唇を噛み、アナスタシアの視界は滲む。
だがそれでも、二人は目を逸らさなかった。
アナスタシアは涙を零しながらも凛をしっかりと見据え、
そして美波は前に一歩踏み出した。
美波「でも、だからっ……!
そんな状況だからこそ、協力しなくちゃいけないの!!
それに765プロだって、双海亜美ちゃんが346プロに殺されてるわ!!」
それを聞き、今度は凛を除く全員が息を呑む。
杏が双海亜美を撃ったという話は聞いていた。
杏は殺せたかどうか分からないと言っていたが、その答えがここで出たのだ。
しかし他の皆が程度の差はあれど驚きの色を露わにしたのに対し、
凛はまったく様子を変えることなかった。
凛「双海亜美が殺されてる!? だから何!?
だからおあいこだって、そう言いたいわけ!?」
美波「そうじゃない……! 765プロの人達は亜美ちゃんが殺されても、
私達を、346プロを恨むことはなかった!
これ以上どちら側からも犠牲者を出さないようにって、
一生懸命になってくれてる! だから私達も……!」
凛「向こうがどう思ってるとかそんなの関係ない!!
私はみんなを殺した奴らを絶対許さない!!
あの子達の仇を討たないと気が治まらない!!」
最早双方の意見は、完全に対立していた。
このまま意見をぶつけ合っても何の意味もない。
そして李衣菜は、この二人のやり取りを見ながら
どうするべきか懸命に思考した。
美波の話を聞いた時、
初め李衣菜は協力するふりをして付いて行ってしまおうかと考えた。
そして隙をついてそこに居る765プロのアイドル達を殺してしまおうかと、そう考えた。
だがすぐにその考えは改めた。
その理由は、まず第一に感情的なもの。
美波の話が本当だとすれば、
彼女達は一度765プロのアイドルに命を救われている。
実際に命の危険があったかは別として、
少なくとも命を救おうと動いてくれた者が居る。
そのことが、李衣菜の心に躊躇を生んだ。
星井美希のような明らかな敵や、
三浦あずさのように敵かも知れない者ならまだしも、
敵意どころかこちらの身を案じてくれるような相手を自分は攻撃できるのか。
李衣菜には自信が持てなかった。
そして第二に、感情とは別の、現実的な問題も多くあった。
武器を持って行けるかどうかも分からないし、
付いて行ったところで攻撃の機会が巡って来るとも限らない。
つまり、あまりに不確定要素が多すぎた。
だから、李衣菜は決めた。
嘘をつくのはやめよう。
自分らしく正直に意見を言うべきだ、と。
李衣菜「……ごめん、美波さん。私もちょっと、一緒には行けない」
美波「……李衣菜、ちゃん……」
李衣菜は凛の肩に手を置き、美波との間に割って入った。
そして言葉に詰まる美波に、そのまま続ける。
李衣菜「美波さん達と一緒に居る765プロの人達は、多分本当に、信用できるんだと思う。
その人達と協力してることについては別に何も言わないし、
今のところは手出しするつもりもない。
でも、協力はできない。だってもう私は……三浦あずさを襲ってる」
美波「っ……で、でも! 765プロのみんなは、
そういう子こそ仲間にするべきだって、そう言って……」
李衣菜「違うんだよ……。私はもう決めたんだ。
もしかしたら三浦あずさは戦う気がなかったのかも知れない。
でも私は、後悔してない。765プロと戦うって、決めたんだから」
この返事を聞き美波は何か言葉を返そうと口を開いたが、
そのまま何も発することなく、唇を噛んだ。
李衣菜と凛は765プロに対して完全に敵意を抱いてしまっている。
そして、もうその意志を変えるつもりもない。
今ここで無理に灯台まで連れて行っても、事態は間違いなく悪い方にしか転がらない。
悔しさと悲しさが入り混じったような感情が美波の胸を締め付ける。
だがその痛みを堪えるように、美波は声を絞り出した。
美波「……わかったわ。でも、ここに居るみんなが、
戦いたいと思ってるわけじゃない……そう、だよね?」
そう言って美波は、李衣菜と凛の後ろに居るアイドル達を一瞥する。
そして李衣菜に視線を戻し、懇願するように言った。
美波「もうこんな状況で、対立した意見を合わせるのは無理なのかも知れない。
でもせめて、私達に賛同してくれる子は連れて行ってあげたいの……!」
アーニャ「わ……私も、お願いします。協力してくれる人、少しでも来て欲しいです……」
二人の言葉に、凛は黙って目を伏せ、
李衣菜は美波とアナスタシアの目を見つめ返した。
そして数秒後、
李衣菜「……そうだね。その方が、いいかも」
静かに、そう答えた。
その返事に美波達が何か言う前に李衣菜は後ろを振り向いて、
全員に向かって言った。
李衣菜「戦う子はここに残る。協力したい子は美波さん達と一緒に行く。
私はそれでいい……ううん、そうするべきだと思う。
戦いたくない子まで巻き込むのは、私もできればしたくないからさ……」
李衣菜はここで凛に目を向ける。
凛は無言のままだったが、李衣菜はそれを異論無しと受け取った。
戦うか、協力するか。
李衣菜に改めて意志を問われ一同は沈黙してしまう。
だがそれも当然のこと。
この状況で即答できるようなことではないし、
仮に心が決まっていたとしても、言い出しにくい雰囲気がその場を覆っていた。
しかしその雰囲気は、みくによって取り払われた。
みく「蘭子ちゃん……全然、遠慮なんてしなくていいよ」
蘭子「え……」
みく「本当は、美波ちゃん達と一緒に行きたいんでしょ?」
李衣菜の質問を受けてから
蘭子が落ち着かない様子を見せていたことに、みくは気付いていた。
そして蘭子の性格やこれまでの様子を鑑みて本音を聞いたのだ。
じっと目を見つめて問いかけるみくを、
困ったような、焦ったような顔で蘭子は見つめ返す。
「本当は美波達と一緒に行ってみんなで協力したい」
みくの言葉は、紛れもなく蘭子の本音だった。
しかしそれでも蘭子は思いきれずに居る。
なぜ本音を出せないのか。
その理由に、李衣菜は思い当たる節があった。
李衣菜「もしかして……私が三浦あずさを殴ったこと、気にしてるの?」
これを聞いた瞬間、蘭子は驚いたように李衣菜に目を向ける。
その表情は、李衣菜の言葉が図星であることを示していた。
つまり蘭子は、あずさが傷付くのを黙って見ていた自分には
765プロと協力する資格など無いのではないかと、そう考えていたのだ。
李衣菜はこの蘭子の考えを察した。
そして一瞬目を伏せて、美波とアナスタシアに詳しい説明をした。
あずさを奇襲したこと、何か危険な物質をあずさが浴びたこと、
それを蘭子とみくが見ていたこと。
全てを詳細に話した。
李衣菜の話を聞き、美波達はやはり完全に平静では居られなかった。
だが美波は努めて落ち着いた、優しい声で、蘭子に声をかけた。
美波「大丈夫……誰もそのことで蘭子ちゃんを責めたりなんかしないわ。
さっき言った通り、仮に765プロの誰かを傷付けた人が居ても
そういう人こそ説得して欲しいって、
協力関係になってもらいたいって、みんなそう言ってるんだから……」
李衣菜「それにあれは私が独断で、一人でやったことなんだし……。
見てたからって、蘭子ちゃんには何の責任もないよ」
二人の言葉を聞き、蘭子はもう一度周りを見回した。
そして自分に向けられた仲間達の視線を受け、
数秒後、囁くような声で言った。
蘭子「一緒に、行ってもいいですか……」
美波「……! ええ、大歓迎よ!」
美波は僅かに顔を明るくし、蘭子に手を差し伸べる。
蘭子はおずおずと足を踏み出し、そっと美波の手を取った。
そんな二人を少し見つめた後、李衣菜は再び他の皆に目を向ける。
李衣菜「それじゃ、他にはもう……」
「居ないか」、と李衣菜は確認を取ろうとした。
しかしそれとほぼ同時に、
みりあ「あっ……!」
慌てた様子でみりあが声を上げた。
恐らく、意図したことではなく思わず声が出たのだろう。
自分に集中した視線に、みりあはバツが悪そうに目を伏せた。
だがすぐに顔を上げ、そして自分の素直な気持ちをみりあは言葉にした。
みりあ「あ、あのね。私、莉嘉ちゃんに、会いたいと思って……。
でも、きらりちゃんのことも心配だから、
私、どうしたらいいのかなって、迷っちゃって……」
李衣菜「……みりあちゃんは、765プロと戦うことについてはどう思うの?」
みりあ「私は……みんなで仲良くできたらいいなって思うよ。
でも、きらりちゃんが……」
そう言ってみりあは黙り込んでしまう。
しかし今、みりあははっきりと口にした。
「みんなで仲良くしたい」と。
つまり、765プロと戦いたくないと、そう言った。
みりあがここに残ろうとしているのは、ひとえにきらりを心配してのこと。
気を失ったきらりを灯台まで運んでいくことは出来ないと、みりあも分かっている。
運ぶのが大変だからではなく、
きらりが765プロをどう思っているかが分からないからだ。
目が覚めた時に周囲に765プロの者が大勢居たとなると、
きらりがどのような反応を示すか、予測がつかない。
だから、自分がきらりの傍に居るには「対立組」と共に居るしかない。
しかしきらりを心配する気持ちと同じくらい、
莉嘉に会いたい、みんなで協力したいという気持ちも強い。
そういった理由から、みりあは揺れていた。
だがこれを聞き、迷うみりあとは対照的に、
その場に居た者の考えは一致した。
かな子「だったら、みりあちゃんも行った方がいいよ」
その言葉を聞いてみりあは顔を上げる。
かな子は目を丸くしているみりあに、穏やかに笑いかけた。
かな子「きらりちゃんのことは、私たちがしっかり見てるから……。
だからみりあちゃんは、莉嘉ちゃんに会いに行ってあげて。
莉嘉ちゃんもきっと、みりあちゃんに会いたがってるはずだよ」
みりあ「……かな子ちゃん……」
李衣菜「そう、だね……。それにみりあちゃん、怪我してるんでしょ?
だったらやっぱり、無茶はさせられないよ」
みりあは、かな子と李衣菜の顔を交互に見る。
そして一度下を向き、少し考えるようなそぶりを見せ、
眠っているきらりの隣へすとんと腰を下ろした。
みりあ「きらりちゃん……。私、莉嘉ちゃんのところに行ってくるね。
またみんなで一緒にお話ししたり、歌ったり、踊ったりしようね……」
きらりの手を握り、囁きかけるように別れの言葉を口にした。
そしてみりあは立ち上がり、
みりあ「あのね……私、みんなにも765プロの人達と仲良くして欲しいんだ。
だから、怖い765プロの人達はやっつけちゃっても……
殺しちゃったりは、しないで欲しいの……」
李衣菜や凛に向かってそう言った。
凛はみりあの幼いひたむきな眼差しを受け、思わず眉根を寄せて目を逸らしてしまう。
しかし李衣菜は、一瞬たじろぎはしたものの、
みりあの目をしっかりと見つめ返した。
李衣菜「うん……私も、それができれば一番いいと思ってる。
できるだけ殺さないようにするから、安心して」
この返事を聞き、みりあは少しだが顔を明るくする。
そして荷物を持って、美波達の元へ駆けていった。
そしてそれ以降、美波達に付いて行こうと言うものは出なかった。
みくも、智絵里も、かな子も、その場にとどまることを決めた。
理由は言わなかった。
765プロからの襲撃を直に経験したことが影響しているのかも知れない。
あるいは伊織に同行した雪歩のように、凛と李衣菜の身を案じてのことかも知れない。
はっきりとした理由は分からないが、彼女達の意志は変わりそうにはない。
美波とアナスタシアはそう感じ、ここで皆に別れを告げることにした。
とその時。
蘭子が何か思い出したように声を上げて鞄を探り、
蘭子「こ、これ、持っててください……!」
自分の武器と説明書を、李衣菜に差し出した。
李衣菜は円筒状のそれを見、次いで蘭子の顔を見て、
ありがとう、と一言言って受け取った。
美波「……それじゃあ、みんな……」
美波は扉に手をかけ、室内を振り返る。
しかし気の利いた別れの言葉など出てこない。
本当なら、全員を説得したかった。
しかしそれは叶わなかった。
これ以上意見や主張をぶつけても、ただ言い争いになってしまうだけ。
彼女達が自分達の立場を理解してくれただけでもよしとしなければ。
自分達にできることは、犠牲者が増えてしまう前に
少しでも早く別の解決策を見つけ出すこと。
美波は不安を決意で覆い隠すように心の中でそう唱え、
美波「……気を付けてね」
そう言い残し、仲間達の元を後にした。
・
・
・
凛「……私は、殺すよ」
美波達が去った後、静まり返った室内でぽつりと凛は呟いた。
李衣菜に、あるいはその場の全員に宣言するように。
凛「李衣菜はさっきできるだけ殺さないって言ってたけど、私は殺す。
卯月を、未央を、杏を殺した奴らを許すなんて、私は絶対にできない」
李衣菜「……わかってるよ。私も同じ気持ちだから。
だからこっちに残ったんだよ。それに……」
と、李衣菜は一度言葉を区切る。
そして目を伏せ、低い声で呟くように言った。
李衣菜「協力して解決策が見つかるとも、思えないし」
その言葉を聞き、他の皆は特に驚きはしなかった。
つまり、程度の差はあれど皆同じ考えを持っていたのだ。
好戦的でない三人がここに残った理由はそれぞれ複雑ではあったが、
そのうちの一つには、
「協力すること自体に価値を見出せない」というものがあった。
初めは協力して解決策を探そうとしていた者も、
今やその考えはほぼ消え去っていた。
蘭子やみりあの気持ちを尊重し、
また危険に巻き込みたくないという思いから、
先ほどは敢えて口に出すことはなかった。
だが今の彼女達の心根には、
「生きて帰るにはゲームに勝つ以外に方法はない」
という覚悟とも一種の諦観とも取れる思いが、強く根付いていた。
李衣菜の言葉の後、場は再び静まり返った。
しかし同じように、また凛がその静寂を破る。
凛「それじゃあ、灯台に居る765プロは?」
李衣菜「……殺さなきゃいけないなら、殺すよ」
みく「っ……! で、でも、その人達は……!」
李衣菜の答えに今度はみく達も反応を見せた。
だが異論を唱えようとしたみくの言葉を、
李衣菜は僅かに語気を強めた口調で遮った。
李衣菜「私だって、その人達のことは出来れば本当に殺したくない。
でも最悪の時は、やらなきゃ……私達が死ぬんだよ」
拳を握ってそう言った李衣菜に、みくは二の句が継げなくなる。
またかな子と智絵里も、黙って目を伏せた。
李衣菜「……ただ、今はまだ何もできない。
少なくともきらりちゃんが目を覚ますまでは……」
そう言って李衣菜はきらりに目を向ける。
凛は一瞬だけその視線を追い、そしてすぐに李衣菜に戻した。
凛「でも、このまま起きなかったどうするの?
ゲームの終わりまでここでじっと、起きるのを待つの?」
李衣菜「……それも含めて、今からみんなで考えよう。
これから私達はどうしたらいいのか」
きらりが目を覚まさなかったらどうするか。
目を覚ましたらどうするか。
灯台に居るという765プロのアイドル達はどうするか。
敵対している765プロはどうするか。
今は動けない以上、考えるしかない。
時が来た時に、少しでも早く、少しでも適切な判断ができるように。
16:40 秋月律子
美波「……ごめんなさい。私、どうすれば良いのか分からなくて……」
律子達の元へ戻り、美波は一部始終を話した。
346プロからも死者が出ていたこと、それが原因で全員の説得が叶わなかったこと。
矛を収めさせることができなかったことを、美波は詫びた。
だが当然誰も、彼女を責めようなどとはしなかった。
美波の隣では、仲間の死を思い出したアナスタシアが泣いている。
またその後ろで蘭子とみりあも静かに涙を流している。
美波はただ一人泣いてはいなかったが、
必死に堪えていることは誰の目に見ても明らかだった。
美波の話を聞き、また彼女達の様子を見、
765プロのアイドル達は胸が締め付けられる思いがした。
しかし彼女達の胸を締め付けるのは、
346プロのアイドルの死を悼む気持ちだけではなかった。
自分達が敵視されているという事実。
それもまた、律子達の心を少なからず乱した。
美波の話によれば、特に渋谷凛と多田李衣菜の二人が、
765プロに強い敵意を抱いている。
彼女達がもし伊織と遭遇してしまえば、まず間違いなく戦闘は避けられない。
場合によっては灯台が襲撃されることだって十分あり得る。
伊織が346プロに敵意を抱いているように、
346プロの者も自分達に敵意を向けているかも知れない。
そのことは当然律子達は分かっていた。
しかしそれがはっきりと確定してしまったことは、
彼女達の心により強い不安を生んだ。
だが皆、その不安を表に出すことはなかった。
堪えなければならないと思った。
不安を感じているのは美波達も同じだからだ。
美波とアナスタシアは、伊織に敵意を向けられてもなお、
その伊織の身を案じて協力を続けてくれた。
そして蘭子やみりあは敵意どころか殺意を
より間近に感じる状況にあったはず。
にも関わらずこうして今、765プロへの協力意思を見せてくれている。
そんな彼女達を前にして、
自分だけが346プロからの敵意に怯えていられるはずがない。
そう思い、不安を心の奥底へと抑え込んだ。
そして律子は申し訳なさそうな表情で謝る美波に向け、
律子「いいえ……謝ることなんて何もないわ。ありがとう」
余計なことは言わず、労いの言葉だけをかけた。
次いで律子は、蘭子とみりあに視線を移す。
既に律子の頭は切り替わり、次にするべきことを始めていた。
二人は律子の視線に気付き、涙を浮かべながらも緊張の色を帯びた目で律子を見る。
律子はそんな二人に柔らかくも真剣な顔を向け、努めて冷静な声で言った。
律子「もう聞いてるかも知れないけど、
灯台には346プロの城ヶ崎莉嘉が待ってくれてるわ。
確かあなたと同じユニットを組んでいたわよね?」
律子はそう言ってみりあを見、みりあもそれに反応する。
不安と緊張でいっぱいの表情で律子を見つめ返し、数秒後、口を開いた。
みりあ「……莉嘉ちゃん、元気なんだよね? 怪我、してないんだよね……?」
律子「えぇ、体には傷一つ付いてない。
ただ……この状況で、心が疲れてしまってるみたいなの」
律子はみりあの質問に対し、
正直に今の莉嘉の状態を答えただけのつもりだった。
しかしこれが思わぬ効果を生んだ。
莉嘉の精神状態が芳しくないと聞き、みりあ達の表情が一変したのだ。
仲間の死で曇り切った表情に代わり、
早く莉嘉に会って助けになりたいという想いのこもった表情がそこにはあった。
返らない死者を嘆く気持ちは影をひそめ、
生きた仲間を案ずる気持ちが優ったのだ。
律子はそんな幼い彼女達の目を見て、確信した。
この子達は優しい。
それゆえの脆さもあるが、逆にそれゆえの強さも持っている。
この子達なら、きっと自分達の力になってくれる、と。
律子は二人の瞳をじっと見据え、そして静かに話し始めた。
律子「……あなた達二人に、お願いがあるわ」
律子「灯台に付いたら簡単な自己紹介と、情報の交換をしようと思ってる。
つまり、あなた達の知っていること、経験したことを、詳しく話して欲しいの」
貴音「……律子嬢。しかしそれは……」
律子「わかってる。きっとこの子達にとっても、
莉嘉にとっても、辛い思いをさせてしまうことになるわ。
でもそれが、私達の目標への大切な一歩……。
可能な限り犠牲者が少ないまま
346プロと765プロ両方が生きて帰るために、必要なことなの」
それを聞き、貴音は唱えかけた異論を飲み込む。
自分が口を挟むまでもなく、律子はしっかりとものが見えていると知った。
律子は貴音が理解してくれたことを確認し、再びみりあと蘭子に視線を戻す。
律子「……きっとあなた達には、
莉嘉のフォローもお願いすることになると思うわ。
負担を強いていることは自覚してる。でも……お願い、できるかしら」
律子の真剣な眼差しを受けて、二人は涙を拭う。
そして、力強く頷いた。
その二人の様子を見て律子を含む765プロの皆は、
きっとこの二人はもう何も心配はいらない、と感じた。
しかしその一方で、律子は美波のことが少し気がかりだった。
蘭子とみりあは恐らく仲間の死を知ってからある程度時間が立っており、
現時点で涙を止めることができるのもまだ頷ける。
しかし美波は、ほんの少し前に知ったばかりのはず。
現にアナスタシアは今もなお、美波の手を握って泣き続けている。
自分も亜美の死を知った直後は、涙を抑えきれなかった。
だが、美波は一粒の涙すら流していない。
ここに戻って来るまでに泣いたような形跡もない。
律子は少し考えた後、美波に向き直った。
そして、正直に自分の思いを伝えることにした。
律子「……美波さん。あなたにもすごく負担をかけてしまって、
申し訳なく思ってるわ。でも、お願い。
今更かも知れないけど……無理だけはしないで欲しいの」
「だから我慢せずに泣いて欲しい」。
本当はそう言いたかったが、美波の心情を慮ってその言葉は飲み込んだ。
しかし美波は律子の言葉を聞いてすぐ、その言外の意味も察した。
そしてゆっくりと目を閉じ、
数秒後、落ち着いた表情で静かに言った。
美波「ごめんなさい、心配をかけてしまいましたね……。
でも、大丈夫です。我慢はしてますが、無理はしてません。
友達が死んで、悲しい気持ちはもちろんあります。
でも今はそれより、生きているみんなのために頑張りたいと、そう思ってます」
そういった美波の目からは、しっかりとした芯の強さが感じ取れた。
それを見て律子は、もう何も言うまいと黙って頷いた。
そして、
律子「行きましょう。少しでも早い方がいいわ」
そう言って向きを変え、灯台に向けて歩き出した。
美波は時折しゃくり上げるアナスタシアの肩を抱き、
その後ろへ付いて行った。
アナスタシアの涙が止まり始めた頃、木々の隙間から灯台が見えた。
それを見て、アイドル達は覚悟を決めた。
蘭子とみりあは全てを話す覚悟を。
他の皆は、事実を受け入れる覚悟を。
そして小鳥の犯した罪を知る者達は……また別の覚悟を。
美波とアナスタシアはまだ聞かされてはいないようだが、
恐らく蘭子とみりあは、仲間達が誰に殺されたのか知っている。
小鳥の話によると、あの現場に居たのは杏、きらり、かな子の三人。
そして美波の話によると、
南東の集落には、かな子が健在のままで居たらしい。
つまり少なくともかな子の口から、
卯月を殺したのが小鳥であると聞かされている可能性は高い。
そしてその考えは、的中した。
みりあ「っ! 莉嘉ちゃ……」
屋上に立つ莉嘉の姿を見て声を上げかけたみりあは、
その隣に居る人影を見て固まった。
まあ蘭子も動揺に、目を見開いて一点を凝視していた。
美波「ど、どうしたの? みりあちゃん、蘭子ちゃん」
アーニャ「……大丈夫、ですか……?」
二人の様子を見て、先ほどまで泣いていたアナスタシアすら、
心配になって思わず声をかける。
すると次の瞬間、みりあは灯台から逃げ隠れるように森の中へ引き返した。
一同は慌てて追ったが、数メートル進んだところでみりあは立ち止まる。
そして振り向いたその表情は、緊張で強ばっていた。
みりあ「だ、誰? あの人……莉嘉ちゃんの隣に居た……」
律子「……765プロの事務員の、音無小鳥さん、だけど……。
あの人が、どうかしたの……?」
と、みりあの問いかけに律子が返事をする。
みりあは律子を見て、そして恐る恐る、聞いた。
みりあ「あ……あの人だよね? 卯月ちゃん、撃ったの……」
律子「……え?」
律子は、みりあが言ったことが一瞬理解できなかった。
また美波とアナスタシア、そして春香と千早も、律子とまったく同じ表情を浮かべた。
律子「ど、どうして、そう思うの?」
みりあ「あ、杏ちゃんがそう言ってたって……
卯月ちゃんを撃ったのは、『小鳥』っていう人だった、って。
そ、そうだよね、蘭子ちゃん……?」
蘭子はその言葉に、黙って頷く。
杏は、卯月が「小鳥さん」という名を口にしたのを聞いていた。
そして一日目の晩にその名前を、
外見上の特徴と共に蘭子達にも伝えていた。
小鳥が卯月を殺した。
それを初めて聞いた者は、一斉に貴音達に目を向けた。
小鳥と一緒に居た三人なら何か知っているのではないか、と。
あわよくば否定して欲しいと、誤解だと証明して欲しいと、そう思った。
だがその視線を受け、
響とやよいはびくりと肩を跳ねさせて目を逸らしてしまう。
それを見て、わかってしまった。
みりあ達の言っていることは、事実なのだと。
そしてそれは、落ち着いた貴音の声により改めて確定した。
貴音「その通りです。小鳥嬢は既に……346プロの者を一人、殺めております」
低い声で、貴音はそう打ち明けた。
そして動揺する皆に向け、静かに、深々と頭を下げた。
貴音「心より、反省致しております……。打ち明ける機会を逸し、
不誠実と知りながらも……今に至るまで隠し続けてしまいました」
謝罪の言葉を口にする貴音。
他の皆はそんな貴音を、未だ動揺に震える瞳で見つめることしかできない。
貴音「事実を隠していたことはいくら責められても、
申し開きのしようがありません。
しかしどうか、信じていただきたいのです。
小鳥嬢はもう誰かを殺そうなどとは思っておりません。
今は皆と志を同じくし、
これ以上の犠牲を出さぬよう協力し合うと心に決めております。
どうかそのことだけはご理解いただけるよう、伏してお願い申し上げます……」
響「っ……黙ってて本当にごめんなさい……!
でも貴音の言う通り、ピヨ子も誰も殺したくないって思ってるんだ!
346プロの子を殺したあとも、物凄く悲しんで、苦しんでたんだ!」
やよい「わ、私達のことはどんなに怒ってもいいです!
でも、お、お願いします! 小鳥さんのことは……!」
貴音に続き、響とやよいも涙声で頭を下げる。
小鳥が卯月を射殺したこと、
また貴音達がそれを黙っていたことは、全員に強い動揺を与えた。
しかし今この場に居るアイドル達の中には、
誠心誠意謝罪されてなお相手を責めようとする者は、一人として居なかった。
美波「……三人とも、顔をあげて」
その声に従い、貴音達はゆっくりと顔を上げる。
そして美波は三人の顔を見て、静かに言った。
美波「心配しなくても、
音無さんや貴音ちゃん達のことを責めたりなんかしないわ。
責めたところで、卯月ちゃんが生き返るわけじゃない……。
打ち明けられなかった気持ちもよく分かるし、
それに私達も……346プロの子を襲ってしまった人こそ
仲間になって欲しいって、そう思ってるから……」
アーニャ「コトリが卯月を殺してしまったこと……とても、ショックです。
でも、今は違いますね? もうコトリは、私達と同じ……。
誰も殺さない……みんなで一緒に、協力したがってます……。そう、ですね?
だったら私は、コトリとも、協力したいです……」
みりあ「あ……わ、私も! さっきはびっくりしちゃったけど、
莉嘉ちゃん、撃たれてなかったから……。
だから、私もみんなで協力したいよ!」
蘭子「そう、だよね。きっと、そう……。だから、私も……!」
三人の必死な訴え。
莉嘉が殺されていなかったという事実。
そして何より信じたいという気持ちもあり、
346プロのアイドル達は皆、小鳥を受け入れてくれた。
また律子、春香、千早の三人も、その瞳からは同じ気持ちが窺えた。
自分達が危惧していたことにはならず、
想像していたよりずっと早く、皆小鳥のことを受け入れた。
そのことにほっと息を吐きそうになるのを抑えて、
貴音「ありがとうございます……。心より、感謝致します」
貴音はもう一度深く頭を下げ、
それに倣って響とやよいも同じように頭を下げた。
律子「……小鳥さんには、私の口から話すわ。それでいいわね?」
貴音「はい……お願い致します」
それを最後の確認とし、一同は再び森の出口へと歩いて行った。
貴音達の言葉を皆信じ、
この場に居る全員が、今の小鳥は信用できる協力者であると認識した。
ただ一人、貴音を除いては。
・
・
・
律子達はその後、予定通り莉嘉と小鳥と合流した。
みりあと蘭子は自分達の知っている情報をすべて話した。
仲間の死を聞かされた莉嘉はやはり酷くショックを受けた。
元々罪悪感で弱っていた莉嘉の心は、更に深く傷付けられた。
みりあにしがみつき、大粒の涙を流し声を上げて泣いた。
そしてそんな莉嘉に向けて、
それ以上心を削るような言葉を投げることは誰にもできなかった。
小鳥が卯月を殺したという事実は今の莉嘉に話すことはできない。
口には出さずともこの時点で既に、
全員の認識がそう共通していた。
泣きじゃくる莉嘉を346プロのアイドル達は別室へと連れて行き、
そこでしばらく静かに時を過ごした。
そうして今、美波はその場をみりあ達に任せ、
律子達のところへと戻ってきた。
律子「莉嘉の様子はどう? 大丈夫そう……?」
美波「はい、もうほとんど落ち着いてきました。
私達が心配していたほど大変なことにはなってないみたいです」
律子「そう……良かった」
莉嘉の心が落ち着いてきたと知り、一同は僅かながら安堵し表情を和らげる。
しかしそんな中、小鳥は一人暗く俯いていた。
小鳥「……ごめんなさい」
突然の、呟くような謝罪の言葉。
少し遅れて美波は、その言葉が自分に向けられたものだと気付いた。
卯月を殺したこと、またそれを黙っていたことに対する謝罪。
自分達が席を外している間に
律子達が小鳥に話をしたのだと理解した。
美波「いえ……いいんです。今はこうして、協力してくれているんですから……。
ただこのことは、やっぱり莉嘉ちゃんには言わない方が、いいと思います」
律子「……ええ。少なくとも今のショックが抜けきるまでは、
追い打ちをかけるような真似は避けるべきでしょうね……」
二人は改めて言葉にし、そう確認する。
そして律子は、美波から小鳥に視線を移した。
律子「ですから小鳥さん……。
あの子の前では、出来るだけこれまで通りを装ってください」
律子「私達も、そのように振る舞います。
難しいかも知れませんが……お願いします」
小鳥「……わかりました。これまで通りに、ですね」
そう返事をしたが、やはり表情に落ちた陰はそう簡単には払えそうにない。
その小鳥の様子を見て居た堪れなくなったか、
あるいは単に気が急いてのことか、美波はひと呼吸置いて話題を転換した。
美波「それで、これからどうしますか……?」
これからどうするか……。
みりあの話を聞き、放置し難い問題が明らかになった。
律子は考えるように、あるいは覚悟を決めるように、目を瞑る。
そして長く息を吐き、目を開け、その場の全員に向けて言った。
律子「私は、美希と真を探しに行くべきだと思う。
みりあの話が本当なら、今のあの子達を放っておくことはできないわ」
18:10 星井美希
美希「ふー……やっとゆっくりできるね、真くん」
真「そうだね……。それじゃ、晩ご飯にしよっか」
美希「うん」
その日最後のエリア移動を終え、美希と真はその場に座り込んだ。
傷の痛みに耐え、周囲に神経を張り巡らせながら過ごした数時間は、
思いのほか二人の体力を削った。
既に止まってはいるが、出血もそれなりにしている。
休める時にはしっかりと休んでおこう。
そう思い、二人はその場で翌朝まで過ごすことに決めた。
しかし数分後に、その決定は覆されることとなった。
美希「ッ! 真くん!」
真「わかってる……!」
食事をそろそろ終えようかという頃、
北の方角から人の気配を感じた。
二人は木の陰に身を隠し、美希は鉈を、真は手榴弾を握り締める。
息を潜め、目と耳を凝らして気配を探る。
姿はまだ見えない。
しかし足音は確かに聞こえる。
人数は恐らく複数。
確実にこちらに向かって近付いて……
律子「美希、真……?」
聞き覚えのある声に、二人は思わず返事をしそうになった。
だが寸前で思いとどまる。
他に誰が居るとも限らないからだ。
自分達が未央にしたのと同じことを、346プロの誰かが律子にしているかも知れない。
しかし二人のその考えは次の瞬間、一気に薄れた。
春香「ふ、二人ともそこに居るんだよね?」
響「二人とも出てきてよ! 自分達、心配してるんだぞ!」
やよい「美希さん、真さーん! どこですかー!」
律子「警戒してるのかも知れないけど、大丈夫よ……。
ここには、765プロのみんなしか居ないわ」
その人数からも、聞こえてくる声色からも、
人質に取られているとは考えられない。
美希達はそう思い、姿を現した。
律子「っ! 二人とも……!」
美希「……律子。みんな……」
するとそこには確かに765プロの仲間が居た。
声が聞こえた四人に加え、千早と貴音と小鳥。
七人の仲間がそこには居た。
それを見て美希と真は、単純に仲間に会えた嬉しさと
ほぼ無力な自分達だけで敵から逃げる必要がなくなったことで、
急激に体の力が抜けていくのを感じた。
しかしすぐに、緩みかけた気持ちの糸を二人は張り直す。
状況は好転したようで、全体で見れば何も変わっていない。
殺し合いゲームは依然として続いているのだ。
そう気持ちを切り替え、美希は口元をきゅっと引き締めた。
美希「みんな、色々聞きたいことと話したいことがあるの。
今どんなことになってるのか、ちゃんと知っておきたいって感じ」
真「そうだね……。まず律子達の方から聞かせてもらっていいかな。
これまで起きたこととか、知ってることを詳しく教えて欲しいんだ」
律子達にも、みりあから聞いた話や、
ばっさりと切られた美希の髪など質問したいことは山ほどあった。
しかし焦っても意味はない。
律子は落ち着いて、真の言う通りまずは自分達の状況を説明することにした。
律子「ええ……わかったわ。それじゃあまず、単刀直入に言うわね。
私達は今、346プロの子達と協力して解決策を探してるところよ」
美希「……え?」
そして律子は事の経緯を話した。
今灯台に居る346プロのメンバーや、みりあに美希と真の話を聞いたこと。
346プロのアイドル達とも話し合った結果、
美希と真を説得して灯台に迎え入れたいという話でまとまったこと。
しかし美希と真は、信じられなかった。
765プロと346プロが協力していることではない。
346プロの者が自分達を迎え入れようとしていることが、
美希達には信じられなかった。
美希「それ……本気で言ってるの……?
だって美希達、もう殺しちゃったんだよ……?」
美希は困惑の色を隠さずに素直に疑問を口にした。
だが律子は落ち着いて、その疑問に真っ直ぐに答える。
律子「だからこそ、よ。このままあなた達を放っておけば、
更に犠牲が出てしまうかも知れない。
だからこそこれ以上誰も傷つかないためにも、仲間になって欲しい。
346プロのみんなも……あなた達と直接出会ったみりあも、そう言っているわ」
これ以上誰も殺させないために説得する。
この理屈を聞いて、美希と真はようやく合点がいった。
346プロから犠牲者を出さないために、
敵であった人間の立場を、考えを変えさせる。
そういうことなら確かにあり得るかも知れない。
感情的には、自分達を恐れたり、受け入れがたい気持ちもあるかも知れない。
だが理屈で言えば確かに、
仲間として迎え入れるのが彼女達の目的を達成するのには一番なのだ。
双方共に最小限の犠牲で抑えるという、目的のためには。
そのために346プロのアイドル達は、
仲間を殺した自分達を受け入れようとしている。
許そうとしている。
美希と真はそれを理解した。
そして……
美希「……っ、じゃあ、ミキ達……行ってもいいの……?」
俯いてそう言った美希の声は震えている。
そして次に顔を上げた時、その顔は大粒の涙で濡れていた。
美希「ミキ、みんなと一緒に頑張りたい……!
もう人なんて殺したくない! 346プロの人と、ミキも協力したい……!」
真「……! 美希……」
美希「真くん……一緒に行こ? ね……?」
美希は濡れた瞳で真を見つめ、真も美希の目を見つめ返す。
そしてしばらく沈黙した後、真は覚悟を決めたように頷いた。
真「ボクも、美希と同じ気持ちだよ……。
だから律子、ボクも一緒に連れて行って欲しい」
二人の返事を聞き、一同は安堵に表情を和らげる。
やはり美希も真も本心では人殺しなんてしたくなかったのだ。
そう信じていたが、二人の口からはっきりと聞くことができた。
皆一斉に美希達の元へ駆け寄り、
そして律子は美希の腕をそっと自分の肩に回した。
律子「怪我してるんでしょ? 肩を貸すわ」
美希「……ありがとう、律子」
律子「律子さん、でしょ? それより誰か、真のことも手伝ってあげて!」
真「あ……いや、ボクは怪我したのは腕だけだから大丈夫だよ」
春香「大丈夫、真? 無理してない?」
響「痛かったら我慢せず言うんだぞ! 自分、いつでも手伝うから!」
やよい「私、荷物持ちます! 真さん、美希さん、荷物貸してください!」
皆は二人に声をかけ、あるいは黙って傍に寄り添い、
灯台を目指して歩いて行った。
そして灯台に着くまでの間に律子は、美希と真に亜美の死を伝えた。
律子自身はもう少しタイミングを見ようと思っていたのだが、
美希の方から先に質問したのだ。
765プロから死者は出ていないのか、と。
その質問に数人の者が素直に反応を見せたため、
律子は返答を先延ばしにすることなく、事実を述べた。
しかし美希も真も泣きはしなかった。
表情に影を落としはしたが、涙は流さなかった。
殺人を経験したことで
身内の死に対する覚悟が強まったのか、
あるいは感覚がどこか麻痺してしまっているのか。
詳細な理由は分からなかったが、
二人が涙を流さなかったことが逆に、律子達の心を強く痛めた。
・
・
・
美波「……星井美希ちゃんと、菊地真ちゃんね。話はもう、聞いてるわ……」
灯台に着き、一同は同じ部屋に集った。
しかしそれだけの大人数が揃っているとは思えないほどに、
その場は痛いほど静かで重苦しい空気に満たされていた。
沈黙を破ろうと美波は話を切り出そうとしたが、
美希は先ほどからずっと俯いたままで、
真も美波達の目を見ることができていない。
また美波自身も、どのような態度で接するのが正解なのか判断しかねていた。
次にどう声をかけるか慎重に言葉を選ぶうちに、
再び沈黙が広がってしまう。
しかしここで、美波の後ろから小さな影が一歩前へ出てきた。
みりあ「あのね……。私は、美希ちゃんと真ちゃんが来てくれて、
良かったーって、思ってるよ……?」
その声に、美希と真は二人揃って目線を上げる。
そんな美希達にみりあは、精一杯の優しい顔で、語りかけた。
みりあ「最初は怖かったけど、でも……。もう、やめてくれたんでしょ?
それに私も、二人に怪我させちゃったし……。
だから、気にしないで? これからみんなで一緒に、がんばろ?」
美希と真はただ目を見開き、みりあのその言葉を黙って聞いていた。
みりあはここに居る者の中で唯一、美希達が仲間を殺す瞬間を目にしている。
またそれだけでなく、真には肋骨すら折られている。
しかし、にも関わらず、
みりあは二人を受け入れる言葉を誰よりも早く口にした。
はっきりと本人達に向けて、一緒に頑張ろうと、そう言った。
それは幼さや純粋さゆえの、
言ってしまえば単純な思考からの言動だったのかも知れない。
だがそのみりあの言葉が、空気を動かした。
美希は肩を震わせ、嗚咽を漏らして泣き始め、
真も俯いたまま静かに涙を流す。
その姿を見て、その場に居た全員が二人の心情を思い、
胸を強く締め付けられた。
人を殺すことが二人の心にどれだけの負担をかけていたか、想像に難くない。
765プロのみならず346プロのアイドル達も、
今の美希達の姿に憐れみすら抱いた。
そうしてそれからしばらく二人は泣き続け、
ようやく落ち着いてきた頃。
律子は二階のベッドのある部屋に
美希と真を案内し、そこへ二人を寝かせた。
律子「二人とも、今日はもう寝なさい。
私達は下に居るから、何かあったら呼ぶのよ」
そう言って律子は部屋を出ようとする。
だがそれを引き止めるように、
美希がまだ少し涙で震えた声で聞いた。
美希「律子達は、まだ起きてるんでしょ?
これからまだ、色々頑張るんだよね……?」
律子「……そうね。残された時間は多くない。
少しでもやれることはやるつもりよ」
美希「ねぇ……ミキも、何か手伝いたい。
ミキだけ何もしないなんて、そんなの……」
律子「美希……」
美希「そうだ、夜中に見張り、してるよね?
じゃあミキがそれするの。今から寝て、それで夜中に起きて……」
律子「駄目よ、美希。確かに交代で見張りはしてるけど、あなたは寝てないと駄目。
みんな美希には休んでもらいたいって思ってるんだから」
美希「でもっ……」
律子「美希が今やるべきことは体を休めて、
そして明日しっかり働くこと。いいわね?」
美希「……わかったの」
律子の有無を言わさない態度に、美希は折れざるを得なかった。
しかし美希は再び律子の目を見て、口を開いた。
美希「じゃあ、誰が何時頃に起きてるのか教えて欲しいの。
もし夜中に目が覚めて眠れなくなったら、
ミキ、765プロの誰かと話したくなるかも知れないから……」
律子「……今日は私と貴音、それと春香が起きてる予定よ」
美希「春香……?」
律子「えぇ。本人がどうしてもって。
他のみんなには少しでも休んでもらいたいし、自分は早起きに慣れてるからって」
美希「……そっか」
美希はそう言って、目を閉じる。
そしてもう質問は終わりか、と律子が問おうとしたのと同時に、
美希「貴音と春香に、言っておいてね。
もしかしたら美希が起きてくるかも知れないから、
その時は話し相手になってあげてね、って」
泣き顔のような笑顔のような表情を浮かべて、そう言った。
律子にはその表情に込められた美希の心情を
すべて読み取ることはできなかった。
しかしその表情を見ていると
ふとすれば涙がこぼれてしまいそうな、そんな胸のざわつきを覚えた。
律子は滲みかけた涙をぐっとこらえ、
努めて穏やかな表情を作って答えた。
律子「ええ、伝えておくわね。それじゃ……本当に、しっかり休むのよ」
と、ここで律子は美希の隣で横になっている真に視線を移す。
しばらく黙って自分達のやり取りを聞いていた真。
そして律子は真が視線に気付いてこちらを見たのを確認し、
律子「美希のこと、頼むわね」
そう言い残して部屋を出て行った。
美希「……ミキのこと、頼まれちゃったね」
律子が去った後の暗い部屋の中、美希がぽつりと言った。
その目は真っ直ぐ天井を見つめている。
真「うん……そうだね。律子の言う通り、ちゃんと休まなきゃダメだよ?」
美希「うん……」
そう言って美希は目を閉じ、真も目を閉じた。
しかし直後、
美希「真くん」
再び美希がぽつりと呟く。
真が美希に目を向けると、
美希も今度は天井ではなく、真の方を向いていた。
真「……どうしたの?」
真は尋ねたが、美希は黙ったまま真の顔をじっと見続ける。
そして結局、そのまま何も言わずにまた天井を向いて目を閉じた。
美希「ううん……ごめん、なんでもないの」
真「……そっか」
美希「おやすみ、真くん」
真「うん……おやすみ」
そうして二人とも目を閉じる。
その挨拶を最後に、美希はもう真に話しかけることはなかった。
4:30 星井美希
美希「……」
部屋の外で、階段を上る足音が聞こえた。
それから少しの間、美希はぼんやりと天井を見続けた。
隣では真が寝息を立てている。
それから部屋の中にはもう一人、律子が床に寝ている。
怪我をしている自分達のために付いてくれている。
美希はできるだけ音を立てぬよう、ベッドから降りた。
そして静かに扉を開け、
「ごめんね」
律子に向けてそう口を動かし、部屋を出た。
美希は階段を上り、一番上に着く。
屋上へ出る扉は開かれている。
そこから顔を覗かせると、見慣れた後ろ姿がそこに立っていた。
美希「……見張り、お疲れ様」
春香「! 美希……」
少し驚いた様子で振り向いた春香に美希はにっこりと笑いかけ、隣に立つ。
手すりに手をかけて遠くを見つめる。
そんな美希の横顔を春香は数秒見つめ、声をかけた。
春香「怪我、大丈夫? 寝てなくていい?」
美希「うん……もう平気。ありがとうなの」
美希は自分と話すためにここへ来た。
そう思い、春香は美希が話題を切り出すのを待った。
美希は再び黙って真っ暗な森をじっと見つめ、そしてすっと目を閉じた。
美希「春香はミキ達がここに来るって言った時、どう思った?」
春香「えっ……? どう、って……嬉しかったよ、もちろん……」
美希「嘘ついてるとか、思わなかったの?
協力するフリして実は346プロの人達を殺そうとしてるとか、思わなかったの?」
春香「お、思わないよそんなの! そりゃ、美希達はもう、殺しちゃったかも知れないけど……。
でも本当は嫌だったんだよね?
今だって、誰も殺したくないって思ってるんでしょ?」
美希「……うん、思ってるよ。
本当は殺したくなかったし、今だって誰も殺したくないの」
春香「……美希……」
美希は向きを変え、手すりに背を預けるようにして俯く。
自分のつま先辺りに視線をやり、そのまま会話を続けた。
美希「やっぱり、春香は春香だね。普通はちょっとぐらい疑うの」
春香「そんなことない……こんなの、当たり前だよ。
それに私だけじゃない。
ここに居るみんな、美希達のことを疑ったりなんかしてないよ。
だって美希……嘘ついてるようになんて、全然見えなかったもん」
美希「……そっか。でもやっぱり、それって春香が春香だからだって思うな」
この美希の言葉に、春香は疑問符を浮かべる。
しかしそれを問う前に、再び美希が口を開いた。
美希「ね、春香。ミキのお願い、聞いてくれる?」
唐突な美希からの、お願い。
その内容は分からなかったが、春香の返事は決まっている。
先ほどの疑問は一度忘れることにして、春香はにっこりと笑った。
春香「うん、いいよ。私にできることだったら、なんでも言って」
美希「春香にしかできないことなの。あのね……」
と、美希は顔を上げて春香を見る。
そして笑顔を返し、
美希「これからも、春香は春香のままで居てね?」
春香「……え?」
美希「ミキね、春香のこと大好きだよ。だから春香には春香のままでいて欲しいの。
だから……約束。何があっても最後まで春香は変わらないって、約束して」
そう言って美希は、すっと右手を出し、小指を立てた。
春香はその手を見て、美希の顔を見て、ほんの少しだけ考え、
もう一度笑顔を浮かべ、小指と小指を絡ませた。
春香「うん。約束」
美希「……ありがとう、春香」
美希は満足げに笑い、小指を離して扉へと向かう。
どうやらもう話は終わりらしい。
春香は美希の背中に向けて一言声をかけようとした。
しかしその直前に扉の前で美希は振り向く。
そして春香に、薄く微笑みかけた。
美希「春香はね、何も悪くないよ。
765プロのみんなも……誰も悪くない。
責任なんてこれっぽっちもない。だから、気にしちゃ駄目だよ?」
春香「……美希?」
美希「さっきの約束も、忘れちゃやだよ? じゃあね。見張り、頑張ってね」
そう言い残して、美希は灯台の中へと戻って扉を閉めた。
そして階段を下り……二階を素通りした。
足音と息を殺し、しかし迅速に、一番広い部屋の中を窺う。
765プロと346プロのアイドル達が揃って床や椅子の上で寝ている。
次いで美希は壁際に置かれたテーブルに目を向ける。
そこにはこの灯台にある全ての武器が、まとめて置かれている。
静かにそのテーブルへと歩いて行き、
そして特に大きな存在感を放つ武器を手に取った。
ずっしりと重い。
その重さがそのまま殺傷力の高さを示しているように思える。
初めて扱うが、なんとなく使い方は分かる。
構えて、引き金を引けば撃てるはず。
美希はテーブルに背を向け、静かに歩き、
そして、一番手前に寝ていた美波の頭に向けて散弾銃を構えた。
最悪だったのは、小鳥がしっかりと弾を装填していたこと。
そして、その散弾銃には安全装置が無かったこと。
つまり美希が考えている通り、
このままトリガーに指をかけて少し動かすだけで美波は死ぬ。
この距離なら素人でも外しようがない。
美波は静かに寝息を立てている。
その隣のアナスタシアも、蘭子も、莉嘉も、みりあも、
すぐ近くに殺意を持った者が居るなどと考えずに眠っている。
美希は改めて実感した。
本当に誰一人、自分のことを疑っていない。
今ここに居る人間の中で、こんなに汚い心を持っているのはきっと自分だけだ。
悪いのはただ一人、自分だけ。
自分をここに招き入れた765プロのみんなも、
今見張りに立っている春香も、何も悪くない。
346プロの人達も、悪くなんかない。
だけど殺さなきゃいけない。
それしか方法は無いんだ。
夜中に部屋に戻ってきた時の律子や、
見張りに立っていた春香の雰囲気で改めて分かった。
やっぱり解決策は見つかりそうに無いんだ、って。
人を殺したくないのは本当。
殺したくなかったのも本当。
特にこの人達は殺したくない。
でも、殺さなきゃいけない。
殺さないと765プロのみんなが死ぬんだから。
4:40 秋月律子
律子は目を閉じたまま、美希が部屋から出ていく音を聞いていた。
足音が屋上へ向かう。
寝る前に本人が言っていた通り、
見張りの誰かと話をしに行ったのだろう。
眼鏡をかけ、時間を確認する。
この時間なら今は春香の担当だ。
春香なら、きっと美希のいい話し相手になってくれる。
律子はそう思い、部屋で美希の帰りを待つことにした。
そしてそれから数分後、足音が階段を下りてくる。
が、その足音は二階を通り過ぎ、一階へと下っていった。
足音は一つだった。
美希が一階に降りた?
いや、それとも美希が交代を申し出て春香が下に降りた?
流石に気になり、今屋上に居るのが誰なのか、
律子は確かめに行くことにした。
真を起こさぬようそっと部屋を出て階段を上がる。
しかしその途中で鉢合わせた。
春香「あれっ……律子さん?」
律子「春香……」
そしてそこには春香の姿しか見えなかった。
ということは、一人で下に降りたのは美希らしい。
律子「もしかして、美希と話しに降りてきたの?」
春香「えっ? あ、そうです。ちょっと前まで屋上で話してたんですけど
なんだかまだ悩んでるっていうか、様子が気になったから……。
見張りもしなきゃって思ったんですけど、でも……」
この春香の話を聞き、ふと律子の頭を何か漠然とした予感がかすめた。
美希はどうして部屋に戻らず一階に降りたのか。
誰かと話すためかも知れない。
単に洗面所に行っただけかも知れない。
けれど……
律子「……私も降りてみるわ。一緒に行きましょう。
ただしみんなを起こさないように、静かにね」
そうして律子は、春香と二人で静かに階段を降りる。
一階まで降りたが会話や物音は聞こえない。
明かりも点いていない。
もしかして外へ出てしまったか?
いや、それなら屋上に居た春香が気付いているはず。
まず間違いなく一階のどこかに居るはず。
呼んでみればすぐ返事は返ってくるかも知れないが、
変に騒ぎにすればただでさえ疲れているみんなを起こしてしまうことになるし、
美希への不信感を無駄に煽ってしまうことにもなりかねない。
色々と思考しながら、律子はまず一番近い部屋を確認してみた。
つまり他の皆が寝ている部屋だ。
音も声も聞こえないのだから多分ここではない別の場所だろうな、
となんの気なしに覗いた律子だが次の瞬間、全身が一瞬硬直した。
律子の目に映ったのは、薄暗い中、
寝ている誰かに向けて銃を構える美希の姿だった。
律子「ッ……美希! 駄目ッ!!」
美希「……!?」
律子が声を上げて初めて美希は律子の存在に気が付いた。
慌てて振り返ったが、その瞬間には既に
律子は美希の目の前まで駆け寄っていた。
律子「駄目よ美希! 銃を渡しなさい!」
美希「やッ……やめて! 離して!!」
春香「えっ、ど、どうしたの!? 美希、律子さん……!?」
律子は散弾銃を掴み、美希の手から引き剥がそうとする。
暗い部屋の中、春香は何が起きたのか分からずにただ狼狽える。
そしてその騒ぎに、寝ていた者達は当然目を覚ました。
そのうちの大半は春香と同じく何が起きたのか理解できなかった。
しかし残りの数人は、
美希と律子が掴み合っている物に気付き、状況を理解してしまった。
律子「お願い、美希! 考え直して! 今ならまだ間に合うから……!」
美希「嫌ッ! 離してよ!! 離してってば!!」
律子は懸命に話しかけるが、美希は全く聞き耳を持たずに拒否し続ける。
と、ここで事情を理解した数人のうち、美波が真っ先に動いた。
まずは美希を落ち着かせなければ。
そう判断し、美波は美希を説得しようと声をかける。
しかし、
美波「お、お願い美希ちゃん! 銃を離し……」
そこで美波の言葉は掻き消された。
室内に響き渡った一発の銃声によって。
突然の轟音に、その場の全員の思考が一瞬停止する。
そして直後、部屋の明かりが点いた。
急に明るくなり一瞬目がくらむ。
しかし明るくなった視界に映った光景は、彼女達の目を大きく見開かせた。
真は電灯のスイッチに触れたまま、固まった。
律子「ぁ……ッ、か、はっ……」
彼女達の目に映ったのは床に倒れ伏した律子。
それと、みるみるうちに広がっていく、真っ赤な水たまりだった。
響「り……律子ッ!!」
響の叫びを皮切りに、皆口々に律子の名を呼び駆け寄る。
貴音は律子の横に膝をつき、体を支えて仰向けにする。
彼女の腹部からは、これまで見たことのない量の血が溢れ出ていた。
どう見ても重症だ。
誰の目から見てもそれは明らかだった。
そしてその原因を作ったのが、美希であることも。
一瞬頭から追いやられていた事実だが、
小鳥を始めとする何人かはそのことを思い出し、美希に目を向けた。
が、それとほぼ同時に……美希は散弾銃を床に落とした。
美希「いッ……嫌あぁああああ!! 律子! 律子ぉおおッ!!」
律子の名を叫び、倒れ込むように律子の隣に膝をつく美希。
そして律子に顔を寄せ、大粒の涙を流して叫び続けた。
美希「ごめんなさい! ごめんなさい……! 律子、やだっ、やだぁああ!!」
やはり、事故だった。
揉み合いになるうちに美希は
誤って引き金を引いてしまったのだと全員が理解した。
背中や足の傷の痛みが誤射を招いたのか、
あるいは怪我など関係なくただ単純に不運が招いた結果なのか、それはわからない。
だがとにかく、美希は律子を撃つつもりなど微塵もなかった。
貴音は美希の叫びを間近に受けながら、律子の腹部を圧迫し続けた。
しかし手を濡らす血は次から次へと溢れ出る。
止まらない。
一秒ごとに律子が死に近付いていくのを貴音は感じた。
と、その時……視界の端で何か動いたのが見え、貴音は反射的に視線を移す。
それは、律子の手だった。
律子が血に濡れた手を、美希へと伸ばしていた。
激痛に襲われているであろう律子はそれを隠し、
涙を流す美希にぎこちなくも穏やかな表情を向けていた。
そしてその手が、指先が美希の頬に触れ……
その直後、ぱったりと落ちた。
美希「り、つこ……? 律子……? 嫌……いやあああ! いやぁああああッ!!」
美希は律子の手を握って叫ぶ。
しかしその手はもう動かない。
その表情も、うっすらと目を開いたまま、動かない。
貴音「ッ……千早!! 患部を押さえてください!」
貴音は真っ先に目に入った千早に、怒鳴るようにそう指示した。
千早は一瞬肩を跳ねさせたがすぐにその指示を理解した。
千早「美希、ごめんなさい! 少し離れていて!!」
美希を半ば押しのけるようにして、
千早は律子を挟んで貴音の向かい側に膝をつく。
そして指示の通り、腹部を強く押さえた。
それを確認し、貴音は律子の胸部に両手を沿えて繰り返し圧迫し始める。
いわゆる心臓マッサージを試みているのだと、
一瞬遅れてその場の全員が理解した。
その瞬間、美波が千早の隣に腰を下ろす。
貴音も千早も、美波のやろうとしていることはすぐに理解した。
貴音「よろしく、お願いします……!」
貴音の言葉に頷き、美波は律子の気道を確保する。
そしてタイミングを合わせ、人工呼吸を始めた。
止血、胸骨圧迫、人工呼吸……
効果の大小に関わらず現時点で思い付く全ての方法で律子の心肺蘇生に臨む三人。
他の皆はそれを、神に祈る気持ちで見つめ続けた。
貴音はその視線を受け、必死に、懸命に、
皆の想いを込めるようにして何度も何度も圧迫を繰り返した。
しかしそれからどれだけの時間が経ったか。
三分経ち、五分経ち、十分経ち……
貴音の動きが徐々に鈍り始めた。
そして……遂に貴音は、動きを止めた。
俯き、膝の上で拳を握り、
貴音「……申し訳、ございません……」
絞り出すように、そう言った。
その謝罪の意味は、全員がすぐに理解した。
そして、誰も、何も言わなかった。
貴音達の居る場所は大量の血で濡れている。
その量は知識のない者が見ても、
生命活動を維持できる失血量の限界を遥かに超えていると分かるほどだった。
既に全員が、現実を理解していた。
徐々に広がっていった血だまりが、
止まることのなかった出血が、
時間をかけてゆっくりと、皆に避けようのない結果を突きつけていた。
千早は患部を押さえた手で、そのまま律子の服をぎゅっと握る。
そしてそこに額を寄せ、声を押し殺して泣いた。
すすり泣く者、声を上げて泣く者、
律子にしがみついて泣く者、その場に崩れ落ちて泣く者。
多くの泣き声が部屋の中に響き、染み渡った。
律子は美希に向けたままの穏やかな顔で眠り続けた。
しかしそこには既に、美希の姿はなかった。
秋月律子 死亡
続き
小鳥「今日は皆さんに」 ちひろ「殺し合いをしてもらいます」【4】