1 : 名無しさ... - 2017/08/12 14:07:47 lf6 1/39独自設定があります。
地の文中心。
元スレ
【モバマス】忍「おんぼろパンプキン」
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1502514467/
*
吐息まで凍てついてしまいそうな深い夜。まばらにしかない車はサービスエリアを賑わせるには力不足だった。時折遠くで聞こえるエンジンとスキールの音が鼓膜を震わせる。
目の前の彼女の真っ直ぐな瞳は、どこまでも突き抜けていきそうで。
私が体を避ければ、地平の果ての星まで射抜くんじゃないだろうかと思えるよう。
「……お願いします! 乗せてください!」
その頼みを断ることは、できなかった。
*
1.
もったりとした重たい臭いが鼻に付く。古びたカーエアコンが醸す年季の薫りは、とても良いとは言いがたかった。窓を開けたい気分になるが、真冬の東北で外気を取り入れる選択は自分にはできない。
現れては後方に流れていく、行き先を示す緑標識。表示を見る限り、目的地まではまだたっぷり七時間はかかる。心なしアクセルを踏む足が強くなった。
普段は一人きりの深夜ドライブ。助手席にある慣れない影は私には気になるが、重量級のダンプ・カーはそんな重みはモノともせずに走ってくれる。何度となくメンテを重ねた老体だが、足回りは健在だった。
「……寒かったりしない?」
ハンドルを握りながら、視線だけをちらと移して尋ねてみた。
全体的に落ち着いた色の、と言えば聞こえはいいが、言い換えるならやや野暮ったい、地味な服装の少女。ハイネックのコートも、今は外しているキャスケット帽もマフラーも、どれもこれも茶系統。申し訳程度に、チェックスカートだけが鮮やかな赤色だった。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
こちらに対する彼女の愛想は、悪くない。しかし、会話は弾まない。誰のせいだ。私のせいか?
「……眠いだろうし寝ててもいいよ。まだまだ時間もかかるしね」
気を利かせたつもりで言った。無言の時間が辛いという理由も、少しだけ。
「えっ、いや、でも……失礼なんじゃ?」
「別にいいよ。んなこと気にするほどケツの穴小さか……あ、年頃の子にケツの穴とか言っちゃったよ。悪いね」
「いえ、そんな、別に」
「まあ私も失礼したし、そっちも失礼していいよってことでさ。寝てなよ」
なんですかそれ、と小さく彼女は笑った。
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく」
「ああ」
律儀にそう言いおいてから、彼女はそっと目を閉じた。
工藤 忍、と名乗った彼女。
青森から乗った高速で、二時間ほど走ったあたり。順当に催した私はサービスエリアに寄った。花を摘みとって、簡単に買い出しを済ませて車に戻ろうとしたところで、やたらデカいショルダーバッグをひっ提げて駐車場に立ち尽くす彼女を見つけた。
大した理由があったわけでもなく、ただの気まぐれで声をかけた。
『なにやってんの、そんなとこで突っ立って』と。
彼女は絞り出すようなか細い声で返した。
『……バスに、置いていかれたみたいです』と。
年末の真冬の東北、深夜の高速のど真ん中で、うら若き乙女がアテもなく取り残され。
誰にとったって同情する案件だ。同乗させてくれないかと頼み込まれ、私は断れなかった。彼女の行き先は東京で、ほぼ自分の目的地への道中に重なっていたことも、引き受けた要因の一つとなった。
まったく、旅は道連れ、なんて誰が初めに言い出したんだろうね。
このところ、日本は列島を通して晴れの日が続いていた。澄んだ冷たい空気は星明かりを綺麗に映し出している。旅行で来ていたならどんなにか、と思う。ロマンティックなのはガラじゃないが、それがキライな奴はそうそういないものだ。
ハンドルから片手を離す。売店で買ったペットボトルのお茶をホルダーから抜き取った。
ボトルの首元には、販促のためのおまけが提げられていた。個人的にはこういったものは邪魔で仕方がない。片手で開けづらくなるし、大抵ろくろく使えもしないものばかりだからだ。
「……あの、開けましょうか?」
「ん? ……あれ、寝てなかったのか」
薄く開いた目が、こちらを向いていた。
「って、まあそりゃ寝れないか。知らん人と密室に二人じゃあ寝れるわけもないよね」
自嘲するように笑った。この境遇で安心して眠れたなら、それは少しばかり警戒心が足りない。
「えっ、いや、そんなつもりじゃ。ちょっと寝付けなかっただけで……」
「気ィ使わなくていーって。ま、これは頼むよ。開けてくれ」
キャップを外してもらったお茶で口を潤す。ボトルを返した。
「…………なんにも、聞かないんですか?」
しっかりとフタを閉めながら、彼女は恐る恐るといった様子で問いかけてきた。
「聞いていーの?」
そりゃあ聞きたいことはある。
なぜ東京に、たったの一人夜行バスで、こんな時期に?
どうしてバスに置いていかれてもなお、見知らぬ他人を頼ってまで行こうとする?
そもそも、なぜ乗り遅れた? 等々。
聞かなかったのは、込み入った重っ苦しい話を道中の話のタネにはしたくないというのが本音の八割。残りは、言いづらいなら聞かないでおこうというささやかな気遣いだ。ときたま笑顔は見せる彼女だが、その表情は深刻そうな色を滲ませている時間の方が長い。
「別に、聞かれたくないとかはないですよ。……面白くはないと思いますけど」
「へえ。しんどい話?」
「しんどくも……ない、と思います」
そうか。そういうことなら。
「なら、ちょっとばかし話題にさせてもらうか。お互いに無言じゃ気まずくってしょーがないしね」
気まずくさせてしまってすみません、と彼女は少し小さくなった。
冗談が冗談として通じてくれない。これがジェネレーションギャップか。一回りは歳も違いそうだし、無理もないのかもしれない。
2.
バスに取り残された彼女は相当にドジなのだろうと踏んでいたが、話を聞く中でそうではないということがわかった。
「……えっ、じゃあなに。あんた子ども助けてて時間に間に合わんかったわけ?」
「そうなんです。我ながら何をやってるのか……」
夜行バスの休憩時間、立ち寄ったサービスエリア。トイレに行ったその戻り、迷子になってベソをかいている子どもを保護した。その両親を探した。結果、時間がかかって、その隙にバスは発車してしまった、と。
「たまんない話だね。その親御どもが責任持ってあんたを送ってくべきでしょ、そんなもん」
「あはは……でも、その人たちは今から青森に帰るみたいな感じで」
「ああ、ならしゃーないか、とはなんないって。お人好しが過ぎるよ」
いいことをした奴が不遇な目に遭うなんて不合理は大嫌いだった。少し口調が尖ってしまう。
強い言葉尻が悪かったのか、萎縮している様子が伝わってきた。
取りなそうと言葉を探す。
「……まあ、なに? 災難だったね。私がたまたま拾わなかったら、どうなってたのやら」
高速道路でアシもなく取り残されたら、一体どうやって一般道に降りるのだろう。想像もしたことがなかった。
「あ……確かに。なにか他の道とか、あるんですかね?」
「考えたこともないねえ。……そういや、カバンは持って下りてたんだね」
「はい。一人なので、中に置きっぱなしにするのは不安で……」
「そりゃそうだ、利口だったね」
高速上だというのに、トロトロと走る一般車が前に居座っていた。いつもなら思い切りする舌打ちをこらえ、穏やかな心で指示器を出してから追い抜いた。
「東京には、何しに行くの?」
開けた視界。
深夜を走る長距離ドライバーは辛かろうと言ってくる人は多い。だが、邪魔するもの少ないこんな広い道を自由にかっ飛ばせるのは、個人的には辛さよりも楽しさが勝っていた。今となっては天職だとさえ思えている。
雑な問いかけに、彼女はほんの少しばかり言い淀んでから、するっと口を開いた。
「オーディションがあるんです」
オーディション。あまり予想はしていなかった単語が飛び出した。そうか、オーディションか。二度反芻してから尋ねた。
「なんの?」
服装は洒落ているとは言い難いが、彼女の顔立ちは愛らしい。背は低めだが、スタイルも悪くない。モデルか、役者か、はたまた。
「アイドルです」
「へえ、アイドル。なるほどねぇ」
それで単身東京へ、か。イマドキの子なら親の同伴でも頼みそうなものだが、見上げた根性じゃないか。
こんなバカみたいに寒い時期なのは、学校の冬休みを利用しているからか。そして、夜行バスだったのは移動費の節約が目的。
「そりゃ、遅れるわけにゃいかないね。何時に東京着く予定だったわけ?」
「え。……えっと、一応朝の七時……ですけど」
「七時ね」
車内時計に目をやる。七時に間に合うか。際どいところだった。
ぐいとアクセルを踏み込んだ。あまり無理はさせないでくれよ、とばかりにエンジン音が唸る。
ずっと乗ってきた私の愛車だ。この程度、無理でもなんでもないことは私が一番知っている。
「ひゃあっ!? ちょっ、あの、お姉さん!?」
急加速に驚いたらしい。調子の外れた声が私を呼ぶ。
「そ、そんなに急がなくても……」
「や、そうは言うけどね。タラタラしてちゃ遅れちまうよ?」
「だ、大丈夫ですよ! オーディション自体はお昼過ぎてからですから!」
「……え。ああ、なんだそうなの? 早く言ってよ」
強めていた右足の力を抜いた。通り過ぎる景色はその速度を弱めた。
「何時までに着けばいいの? って聞きゃよかったかね」
「そ、そうですね……。えと、九時に着けば余裕を持って動けると思います。十時でも全然間に合うかな?」
「そっか。……なら急ぐ必要はないかな。適当に走っててもそれまでには東京駅に着けると思う」
よかったです、と彼女はホッと息をついた。ついてから、やや慌てたようにこちらを振り返った。
「……あ、そういえば! あの、お姉さんはどこまで行くんですか?」
「私? 私は、神奈川の南の方だよ」
「それって、東京駅なんて通らないんじゃ……?」
「ああ……まあそりゃ、完全な通り道ではないね。途中で一回高速降りなきゃだし。でも別にいいよ」
「それは申し訳ないような……目的地で下ろしてくれれば、それで全然」
「いいよ。んな大回りになるわけでもなし」
「……すみません……」
「いーってば」
実際、大したロスにもならない。本当にちょっとした寄り道、というだけだ。
口調や態度から察するにど真面目そうな子だし、気にするなという方が無理か。
3.
右手には、ずっと真っ黒い山が続いていた。立派な山脈で、春・夏・秋の昼間ならばその景観は美しいと言っていい。冬の夜である今はお察しだが。
詳しくなったものだ。この道も何度も通っていて、もはやナビすら使わない。
彼女は、膝の上に抱えているヤケにデカいバッグから魔法瓶を取り出していた。開けた飲み口にそっと唇を付けている。
そういえば、バッグが妙に大きいな。
ふと気になった。夜が明けた日の昼にオーディション。そのあと何泊するつもりなのか。
若い乙女には入用なものが多いのだろうが、それにしたって人ひとりすっぽり入りそうなそれは大き過ぎやしないか。
抱いた疑問をそのままぶつけた。
「えーっと……何泊するかは、まだあんまり……」
「は? 考えてないの? マジで?」
「はい。できれば寮付きの事務所に入って、そのまま……なんてふうにも思ってるんですけど」
「……どんだけよ、あんた」
あまりに捨て身な弾丸ツアーだ。その内容を聞いて、目が丸くなった。
真面目そうな雰囲気の割に肝はえらく太いらしい。
「学校はどうすんの?」
「事務所に入れれば、ですけど。三学期からは転校できればいいなって」
少し言葉を失った。それほどか。
「そこまで考えてんなら、大したモンだわ……」
よほど好きなのか、あるいは憧れがあるのか。昔、繋がりのあった友人にも芸能界を志した夢追い人はいたが、ここまでの熱意を持っているのはおよそいなかったように思う。
拾ったときに駐車場で見た、あの真っ直ぐな眼差しの背景がわかった気がした。
安全圏から手を伸ばすんじゃなく、身一つもって突っ込んでいく。こういう姿勢はキライじゃない。というよりも、むしろ好きだ。
「……ね、オーディションってどんなことすんの? よかったら、聞かせてよ」
アイドルなんてものは、私の人生にはほぼほぼ重なることのなかった世界だ。だけど、こんな実直そうな若い女の子を、そうまで駆り立てるほどのものなんだろう?
それは、知ってみたいと思ってしまった。
「ええと、そうですね……」
彼女は、楽しそうに話し始めた。ふとした仕草や表情からも、本当に好きなものについて語っているんだろうと察せるよう。
「やっぱり、ダンスや歌の審査なんかもあるみたいです。あとは志望動機とか……」
「へえ。歌とかダンスとか、できんの?」
「ええっと……どうでしょう。自分なりに練習はしてきたつもりなんですけど」
「あれ。なんだ、あんまり自信はなさげなんだね」
「私の地元にはそういうの学べるところがなくて……」
「ああ、なるほど。そういや、地元は青森でいいの?」
「あ、そうですよ」
「その割には訛りがないね?」
「頑張って標準語の練習もしましたから。できた方がいいと思って」
「それもアイドルになるために、って?」
「もちろんです!」
「筋金入ってんねぇ」
リズミカルなポップス。
彼女がオーディションで披露するつもりだという曲が入ったCDアルバムを借り、カーステレオで再生した。スピーカーから流れ始めた軽い曲調と、それに合わせて時折口ずさむ彼女の声が、真っ暗い旅路にわずかばかりの色を飾る。
4.
もぞもぞと尻の位置を気にし始める様子が見受けられた。華奢そうな身体で、その上慣れていないだろうから無理もない。
「……軽く休憩しようか」
拾ってから軽く二時間を走り続けている。行程は順調で、宮城を半分ほど縦に渡りきったかというところ。
ヘッドライトが照らす『S・A』という緑色の表示が、サービスエリアが近くにあることを知らせていた。
クラッチペダルを踏んでギアを入れ替える。オーバートップから三速へ。ゆるいエンジンブレーキ、タイヤから伝う抵抗が車体を揺する。
速度を落としながら左の指示器を点灯させ、横道へとハンドルを切った。
*
「……はーっ、さっむ……」
扉を開けたとたん、厚手のウインドブレーカーさえも貫いてくる寒気の風。年末の寒空はダテではない。思わず首を縮こませ、襟元にアゴを沈めた。白色の吐息が灯りに照らされて暗闇に浮かぶ。
オンボロの愛車には、遠隔ロックなどという気の利いたものは当然付いていない。軽い静電気に顔をしかめながら、キーを差し込んで施錠を済ませた。
ポケットに突っ込みっぱなしだった携帯には着信が入っていた。父親からだ。日付も変わる前に連絡を寄越していたらしい。留守録が残っている。
「んじゃ、忍。私ちょっと電話しないとだから先行ってて。いい頃合いになったら戻ってきな。こっちも便所行って売店寄ったらすぐ戻ってくるから、十分も離れてないと思う」
「はい。わかりました」
「あんまり遅いと置いてくから、気をつけるんだね」
戯れるような笑いを隠すこともなく言った。拗ねたように、もう、と応える彼女。ここでスミマセンが出ないあたり、多少は馴染んでくれたんだろう。
彼女の背中を見送ってから、携帯を耳に当てて再生ボタンを押した。
『ああ、もしもし、私だ。色々聞きたいことがあって電話をした。気づき次第折り返し電話を……』
なんて決まり文句から始まり、最近の調子はどうか、変わりはないか、と質問へ続いていく。
阿呆か親父。そんなこと、折り返したときに直接聞け。
最後に正月は帰ってくるんだろうな、という念押しを残し、電子音が鳴った。
気づき次第かけ直せということだが、こんな草木も眠るような時間にかけ直しても起きてはいないだろう。
ズボンのポケットにしまい、花畑への足を急がせた。思ったよりも長かった留守電のせいで身体が冷え切る。手指は既にかじかんでいた。
用を足し、用を済ませてダンプの元に戻ると、既に忍の姿があった。意識もしていなかったが、今の彼女の肩にはカバンがない。どこかのバスの乗り合いや運転手よりは信用されたか。
「悪いね、お待たせ。寒かったろ」
「いえ。寒いのは慣れてますし、平気です」
「そう。やっぱ北の方の出身だと慣れるもんなの?」
「だと思いますよ」
差し込んだ鍵穴から再び静電気をくらう。取手に手をかけた彼女には走っていないらしい。ひどいものだ。何の違いがあるというのか。
「コーヒーとココア買ってきたけど。どっちがいい?」
車に乗り込み、エンジンをふかす。生暖かい風が車内を満たしていく。
提げていたビニールの買い物袋からホットの缶を二つ取り出した。
忍が何かを買っている様子はなかった。私はどうも、年下の子には格好をつけたくなる性分らしかった。
「いいんですか?」
「いいよ。ってか、貰ってくんないと困るわ。二本もいらないし」
「えと、それじゃココアを」
「ほいよ」
カコッ、という軽やかな音。
格好付けで飲み始めたブラックコーヒーも、今は舌に馴染んでいる。
「コーヒーって、おいしいですか?」
左側からの問いかけに、缶に口をつけたまま振り向いた。
「……美味いってことはないかな、別に。悪くはないって感じ?」
「そうなんですか。……あっ、もしかしてココアもらったの、悪かったり?」
「ああ、それはいいよ。たぶんそっち取るだろうと思ってたし。コイツは眠気覚ましにもなるしね」
「眠気覚まし……そういえば仮眠とか、しなくても平気なんですか?」
「大丈夫だよ。昼から爆睡する予定だから」
飲み終えたゴミは、助手席の足元に備え付けているゴミ箱に突っ込んだ。
さて、ここから残り半分といったところか。
大きく一度伸びをしてから、クラッチギアをローに入れ、サイドブレーキを下げて車を発進させた。
本線車道は依然として交通量がほぼなかった。遠慮なくアクセルを踏み込んで加速できる。
再生している彼女のCDは、既に収録曲を一周していた。替えましょうか、という申し出には、別にいいと首を横に振った。
「ていうかさ、あんた、ちっとぐらい寝といた方がいいんじゃないの?」
明日、ではなく、もう今日か。オーディションがあるというのなら万全の体調で挑むべきだ。多少は気も許してくれているようだし、もう寝れないということもないだろう。
彼女は苦笑いで応えた。
「……寝ておいた方がいいのは、間違いないと思うんですけど。でも、それよりも質問内容考えたりだとか、やる予定の歌や振り付けを確認した方がいいんじゃないかって思っちゃって……」
「睡眠時間削ってでも予習しとこうって? ……まあ気持ちはわかるけどさ」
おどけて言った。
「案外テスト前とかに一夜漬けするタイプ?」
「え。いえ、そんなことは……コツコツやるタイプだと思ってますけど」
「あ、そう……」
違うのかよ。同類かと思ったのに。
ツッコミは内心のみで。
「……そういえば、電話は、お仕事関係の人ですか?」
「ん? いや、違うよ?」
順調な道のりを進めているから、いちいち進行状況を報告したりはしない。異常があれば連絡することはあるが。
「アタシを拾ってくれたのは、異常には入らないんですか?」
「……説明面倒だからいいでしょ」
ないとは思うが、仮に『勝手なことをするな、一般人を同乗させるなんて認めない』、なんて言われたら、後味が悪くなってしまう。そんなのはご免だ。
「父親から留守電が入ってただけ。ったく、いつまでも過保護な親父でさあ」
私には兄弟姉妹がいない。だからまあ、無理もないのかもしれないが。
「定期的に連絡くるんだよね。もういい歳だってのにさ……」
つい愚痴っぽくなってしまった。不満を吐き出すと止まらなくなるのは、きっと万人に共通のサガだろう。
だから、彼女の様子が変わっていることにしばらく気づけなかった。
「……って、あれ」
違和感に気づいて、隣を見た。さっきまでは普通に話していたのに、今は少し俯いている。限られた明かりが断続的にお互いの顔を照らす。照らしたからといって、その表情までは明るくならない。
「どうかした?」
酔ったか、と反射的に思ったが、どうもそういうわけでもなさそうだ。
「いえ、なんでも」
「……なんでもってことないだろ。そんな顔してさ。まあ言いたくならいいけど」
しばらく、車内は無言だった。スピーカーから流れる明るいミュージックは雰囲気にそぐわなかったが、どちらも止めようとはしなかった。
……なにか地雷を踏んだか。実は両親がいないとか。だとしたら、結構マズイことを言ったかもしれない。
どう言ったものかと、しばしの逡巡。そして、
「アタシの両親は、アタシを応援してくれてないんです」
アンバランスな無言を破ったのは、忍の方だった。やや言いづらそうに出てきた言葉は、すべてを説明するには足りない。けれど、その欠けた部分の補完は容易だった。
「アイドルになるのを、ってこと?」
「はい。昨日家を出たときも、ほとんど喧嘩別れみたいになってしまって……」
「そりゃあ……なんとも」
言い難い。私個人としては、彼女がアイドルになりたいという思いは尊重されてほしいと思う。ここまで強い気持ちがあるのなら、叶う叶わないは別にしても、そのチャンスくらいは与えてあげてほしい。
ただ、反対する両親の気持ちも理解できる。できるようになったのはつまり、私も大人になったということなのかもしれない。
娘がアイドルになりたいと言いだしたら。
……たぶん私でも、一度は止めるだろう。いや、子どもどころか結婚もしていないけれど。
「じゃあアレか。寮付きの事務所どうこうって考えてんのも、もしかしてそれで?」
小さく顎を引いて肯定の意を示した。
「まるっきり家出みたいなことしてんだね……」
これ、誘拐だなんてことにならないだろうな。そんな不安がひょこっと出てきたが、とはいえ今更心配しても仕方のないことだ。
どうして応援してくれないんだろう。
続く独白に耳を傾ける。
アタシは本気なのに。何度も説明して、アタシなりに頑張ってきたことも知ってるはずなのに。
なんとなくの既視感を感じた。いつかどこかで、こんなことを言って親に反発してる奴がいた気がする。
そんなことをワザとらしく考えてから、ため息を吐いた。
進もうとするのは『一般的じゃない進路』。親の理解が得られなくて、自分の感情そのままに家を飛び出した。
……これ、なりたいものへの違いはあれど、ほぼそのまま昔の私の姿じゃないか。
一体なんの因果だというんだろう。
「ああ……なんだ。あんたの気持ちは、よくわかるよ。親ってのは、わかってくれないよね」
子の心、親知らず。血を分けた家族だっていっても、別個の人間だ。全てを理解しようとする方が無茶というもの。
「え……?」
「似たようなことで悩んでた時期、私にもあったんだよ。私もさ。アイドルほどかはわかんないけど、珍しい仕事してんの。女にしては、だけどね」
大型車のドライバーなんて職業は、大抵が男性で構成されている。私の他に女性を見たことは、ほとんど無い。
「男社会で女が生きてくのは辛いからってさ。親父にも母さんにも、なんべんも止められたよ。結局私は突っ切ったんだけど」
懐かしい。もっと一般的な職業に就け、なんてことを繰り返し言ってくる父親と、取っ組み合いの喧嘩になったこともあったんだったか。
私の人生だ。あんたらに決められる謂れはない。私はそう言ったんだ。どこかで読んだフレーズをそのまま使って。
「あのときは……まあ、親が鬱陶しくて仕方なかったよ。親なんだから、子どものやりたいことは好きにやらせろよ、ってね」
「……」
「でもさ、いざ実際に職に就いてみるとね。……親父の言う通りだったよ。女だってだけで仕事回してもらえなかったり、給料ハネられたりもした」
今となっては得意先もできて、しっかりとした立場はある。でも、新人だった当時は心が折れそうなときもあった。
「辛かった。なんで親の言うこと聞いとかなかったんだろうって、後悔したこともあるよ。……そこでやっとわかった。親父も母さんも、何も私に意地悪をしたかったわけじゃないんだってね」
あの人たちは、本当に、心から心配してくれていたんだ。だから、嬉々としてイバラ道を進もうとしているガキだった私を放ってはおけなかった。もっと楽な道があるぞと、示してくれていた。
大事だから。
子どもの心を、親は理解してはくれない。
だけど同様に、親の心を子は知らない。親の心、子知らず。
「たぶんさ……ああ、たぶんだよ。確証はないけど。……忍の親もさ、そうなんじゃないの」
子どもを思わない親なんていない。昭和チックなそんな主張は、きっと今の時代には合わない。親が子を虐げる非道なニュースは、不愉快なことに、もはや珍しくもない。
だけどきっと、この子の親は、この子を想うからこそカタキ役に回ってるんだろう。
私はそう思う。なぜかって?
マトモじゃない親の下で育った子どもが、他人の車で寝るのを失礼かも、なんて思うものか。
ああ、些細なことだ。そんな些細なことにまで、気をつけられる子に育てられる親なんだから。
「応援したくないんじゃないよ。ただそれよりも、険しい場所にわざわざ向かってく可愛い子どもが、心配で仕方ないんだろ」
……なんて説教くさいことを、私みたいなのが言っているんだろう。ガラじゃあないね。
軽い自己嫌悪が襲ってくる。
ハンドルを握り直した。
「……そうなんでしょうか」
「さあね」
「ええっ!?」
「私はあんたの親じゃないんだ。わかんないよ確かなことなんて。ちゃんと話し合うのが一番いいんじゃない?」
「は、話し合う……」
家出同然に出てきた以上、心情的にそれは難しいんだろう。私もそうだった。
「ま、とっとと合格もらって、そんでわかりやすい実績でも持って帰れば? 心配なんていらないってとこを見せつけてやりゃ、きっと応援してくれるようにもなんでしょ」
「……お姉さんも、そうでしたか?」
「……ああ、そうだったかな」
彼女の方は見ないように、運転に集中しているフリをした。
なぜかって、それは嘘だからだ。私には、そんな格好いいことはできなかった。心を折られて、戻りづらいもクソもなく、逃げ帰った実家で母親に優しく慰めてもらった。それでやっとこさ立ち直って、今までなんとかやってこれている。
だけど、その程度の誇張は許されてもいいだろう。未来に無限の可能性がある少女を、今いろんな意味で導いているんだから、少しぐらい格好付けてもバチは当たらないはずだ。
無責任な、と。もしかしたら言われるかもしれない。わかっている。それでもこう言ったのは、ただ格好付けたいからだけじゃない。
あんな真っ直ぐな目で夢を追って努力ができるこの子なら、苦悩も苦労も乗り越えられる。平気に決まってる。単にそう思えたからだ。
5.
話が一段落ち着くと、お互い話題を持ち出すことはしなくなった。アイドルソングをBGMに、後ろに流れていく景色の中を走ってゆく。
程なくして、すぅ、すぅ、と、可愛らしい寝息が聞こえてきた。
たった一人、青森から慣れぬ東京へ。それも親とは喧嘩別れで、退路は塞がりかけていて。こんな若い女の子には、余りにも負担の大きいことだ。
その上ハプニングにも見舞われ、その後は初対面のこんなのとずっと二人きりだもんな。気疲れだってきっと相当なもの。
ハザードランプを灯し、路肩に停車した。
流れている曲も切っておこう。
車に備えてある毛布を引っ張り出し、肩から掛けておいた。薄っぺらだが、ないよりはいいだろう。
再び車線に戻って走り出す。空の色は端っこから徐々に変わり始めていた。一面の濃紺に染み出していくオレンジが、朝の到来を遠慮がちに告げる。
自分にしてはらしくないほどの安全運転を心がけた。できる限り、車体は揺らさないようにと。
*
その後は、特に休憩を入れる必要もなかった。単調なハイウェイを走り続ける。太陽がしっかりとその姿を見せるころには、埼玉と東京との境が近づいていた。
大きなあくびが口から漏れた。精神的な限界までは余裕があっても、さすがに体が訴える眠気は誤魔化せない。
「……ん……」
と、隣から毛布が擦れる音が聞こえた。忍が体をよじっている。ぼんやりとした目は空中を行ったり来たり。
「……あふ……」
可愛らしいあくび。伝染するものらしいが、さすがにこれは偶然か。
「よく寝れた?」
状況がわかっていないらしい。間抜けに寝惚けた顔そのままで、こちらを見つめている。
少しずつ自分が何をしていたのかが把握でき始めたのか。五秒ほどのラグを数えてから、
「……あ、アタシ……寝てました?」
「ぐっすりね。ってもまあ、三時間ってとこかな。まだもーちょいかかるし、もうしばらくはいいよ?」
「すみません! ……ね、寝るつもりなんてなかったのに……!」
「疲れてたんでしょ。無理ないって」
通り過ぎていく標識を見逃さないように。高速を走るのは手慣れたものだが、首都高は別だ。そのややこしさは常軌を逸する。
「……あ」
という声が聞こえた。
「なに? 爆弾でも入ってた?」
忍は足元に置いていたショルダーバッグを漁っている。爆弾は冗談だが、何か妙なものでもあったのか。
「ええと……あの、すみません。コレ……」
視界の端にチラと入る。彼女の手が握っているのは、お茶のペットボトルだった。
「あのとき預かって、そのままカバンにしまっちゃってました……」
「……ああ」
乗せてすぐ、開けてもらったときのか。すっかり忘れていた。
「どっか適当に置いといて」
「はい。ごめんなさい……」
「いや、謝んなくていいよ。そんぐらいで」
指示された方へハンドルを切る。この奇妙なふたり旅も、じきに終わりだ。私は初めての経験でなかなかに面白かったが、彼女はあまりいい印象は持っていないだろうな。
置いてけぼりから拾ってくれた。そうだとしても、見知らぬドライバーに唐突に説教めいたものを始められるなんて、私なら耐えられない。
「なんか、面倒臭いこと言っちまって悪かったね」
「え?」
「親がどうこうってさ。なんとなく自分と重なるとこある気がして、善かれと思ったんだけど。ウザかったでしょ」
「いえ、そんな! ……そんなこと、ないです。本当に」
彼女は座席の間にあるボトルホルダーに私のお茶を置いた。その手には、販促用のオマケを握っていた。ボトルの首に付いていたアレだ。
「捨てていいよ? それ」
「……捨てちゃうんですか?」
「ん。だって要らないし……そもそもなに入ってんの?」
「えっと……コレは、ボトルカバーみたいです。太鼓のマスコットがプリントされてる」
「いらねっ」
本音が反射で飛び出た。なんだそれ。
「あ、じゃあ。これ、いただいてもいいですか?」
「ええ……いいけど。そんなもんいる?」
「えっ、だって実用性あるじゃないですか。デザインも可愛いですし」
「ああ、そう……なら、うん。持って行きなよ」
そろそろ高速を降りなければならない。一般道に出てしばらくは感覚が狂うから嫌だ。
*
料金所を通過し、下道へ。予定よりもずいぶん早く、まだ時間は七時を回ったところだった。ここまで来れば、もうあとは十分もあれば目的地である東京駅に着く。
朝早いだけあって、まだ車道にも歩道にも影は少ない。デカい図体は邪魔になりがちだから、交通量が多くなる前にさっさと済ませよう。
「もうじきに着くよ。降りる準備しときな」
「はい。……あの、お姉さん」
「んー?」
ひさかたぶりの信号にかかり、一息ついた。彼女の方を見ると、いかにも神妙そうな面持ち。こちらをじっと見つめていた。
「……なに?」
「本当に、ありがとうございました。ここまで送っていただいて。初対面なのに、こんなに良くしてもらって、本当になんて言えばいいのか……」
背筋がむず痒くなりそうだ。やめてもらいたい。
ふっと目を逸らした。
「ありがとうの一言でいーよ。それで充分」
「いや、でも。送ってもらっただけじゃなくて、ご両親のことを話してもらったりとか、しましたし」
「あー……歳食うと小言っぽくなっていけないよね」
「そんなことないです」
信号の色が赤から青へ。クラッチとアクセルで加速する。顔をまっすぐは見れないけれど、声の調子でどんな表情で喋ってるのかはわかるようだった。
「……アタシ、全然なにも考えてませんでした。お父さんやお母さんが、どうして反対するのかとか。
ただ、応援してくれないことに腹立てて……酷いことも、言っちゃった。こんなんじゃ、ダメですよね」
「……若いうちなんてそんなもんだって。今反省できてんなら上等だよ。歳食ってからも親に噛み付くアホだって多いんだから。私とかね」
「ふふっ。絶対嘘じゃないですか」
「ところがどっこい、ホントなんだよねぇ。やれ結婚しろだの、孫の顔はまだかだの。口喧嘩はしょっちゅうだよ」
だから、あまり実家へは帰りたくないんだ。
だけど、そんな面倒なことを言ってくる親だけど、それは私のことを想ってくれているからこそだというのはわかってる。だから、嫌でも帰るんだ。正月だってちゃんと帰省するさ、わざわざ親父に言われなくってもね。
「いくつになってもね。結構親は鬱陶しいよ。覚悟しとくんだね」
「はい。しておきます」
「うん。素直でいいね」
ビルの壁面を飾る、巨大な広告が視界に入った。化粧品のプロモーションらしい。使ったことも使おうと思ったこともない、バカ高いブランドのものだ。
アレのイメージガールとして一緒に写っているのも、確かアイドルなんだったか。ピンク色の髪を流した大人びた少女がポーズを取っている。
忍は、大都会の街並みに見入っていた。慣れないビル群が物珍しいのだろう。
隣の素朴なこの子が、いつかあんなふうにド派手に街を飾ることがあるのだろうか。だとしたら、それはとても面白いことだ。
そうなったなら、私は友達家族に全力で自慢してやろう。
*
「……さて。着いたよ」
東京駅。日本の中心。早朝だというのに、ここはもう人で溢れそうだ。
邪魔にならなそうな路肩に着け、ギアをパーキングに入れてサイドブレーキを上げた。
「あの、よかったらどこかでお礼を……朝食ぐらいならご馳走できますから」
「いらんいらん」
子どもに飯を奢ってもらうなんて、そんなこと受け入れられるか。
「金は大事にしな。んな変なことに使わなくていいから。何日こっちにいるかもわかんないんだろ」
でも、とゴネる彼女は本当に律儀で、ちょっと強情だった。
「どぉーしてもお礼がしたいってんならさ」
財布から名刺を抜き取り、彼女に手渡した。
「せいぜい頑張って有名なアイドルになってよ。んで、テレビでそこの宣伝して?」
いつになるかはわからない。もしかしたら、いつなっても、なんて可能性もあるのかもしれない。
誰にも応援してもらえないと、この子は言った。
だから、私ぐらいは応援していよう。優しくてひたむきで、少しドジで不器用な、この魅力的な少女を。なんの役にも立てないけれどね。
「あんな感じでデカデカと取り上げてくれんの、待ってるからさ。初めてプレゼント贈ったファンになるんだし、ちょっとの優遇ぐらい、いいだろ?」
さっき見た化粧品の広告を指差して、卑しく口角を上げた。モチロン冗談だ。それを分かってか否か、彼女は頑張ります、と苦笑しながらも強く言った。
e.
何度も振り返っては頭を下げる彼女を、手を振りながら見送る。
うまくいってほしいものだ。心から思った。たった数時間、行きずりの道を共にしただけなのに。
「……あっ」
マズイ、忘れていた。カーステレオの中には、彼女のCDが入ったままになっている。
窓の外を見るが、すでにその姿はなかった。電話番号を聞いたりもしていないから、連絡を取ることもこちらからは叶わない。
ディスクを取り出す。白地のラベルには『オーデ用』の文字。
……少しだけ、戻ってくるか待っていようか。それでダメなら仕方がない。
再びディスクを挿入した。再生ボタンを押すと、楽しげに歌うアイドルの声。聞いた歌詞が少し刺さる。
いつも夢見ていた、格好いい大人に。私はなれているだろうか。彼女はなれるだろうか。
CDが発売されたなら、一枚ぐらいは買ってあげよう。ドライブのお供に、悪くはない。
そういえば、これから向かう予定の現場の責任者は、アイドルに興味のあるオッサンだったはずだ。少し話を聞いてみようか。
おしまい。
39 : ◆77.oQo7m9oqt - 2017/08/12 14:28:39 lf6 39/39このあとの忍の物語は皆さんご存知なので、これで終わりです。
ご覧いただいた方、ありがとうございました。