LiPPS「MEGALOUNIT」【1】
【4】
(♪)
いやーお仕事いっぱいビシソワーズだよー! タイヘンー!
やっぱフェスで一番になったのってすごいことだったのかな?
でもこうして皆から注目されて、楽しんでもらえる機会が増えるのってイイよね♪
終わった後も、楓さんや卯月ちゃん達、皆がアタシ達のこと、たくさん褒めてくれたの。
アタシ的にはどっちが良かったとか全然分かんないんだけど、喜んでもらえたなら嬉しいな。
それにしてもシキちゃんはすごいねー。
遊びで作ったアカペラアレンジが偶然ハマるなんて思わないもん。先見の明デリカ☆
あとすごいのが忘れちゃいけない、プロデューサーだね。
ちょろっと話したおじさんが、よく分からないけど業者さん?っていう、ステージを作った人。
その人が、
「プロデューサーさんはとても熱心に現場に赴いては我々の話に耳を傾け、より良いステージ作りを考え抜いてしるぶぷれしておられた」
とか言ってて、ワァオッ☆ そんな事してたんだねーって!
アタシはやりたい事しかやってなくて、でも皆がいてくれるからLIPPSは成り立ってるんだなーって、それが嬉しいの。
ちゃんーと、プロデューサーがアタシ達のために頑張ってくれてたの、皆にも言わなきゃ♪
フンフンフフーンフンフフーン♪
【5】
(★)
「むぅ――」
下から両手で持ち上げてみる。
ヤバい――やっぱ勘違いじゃない。絶対大きくなってる。
下着がキツくなってきたのは気のせいじゃなかったんだ。
これ以上デカくなるのはさすがにマズいなぁ。
この前も、スタジオのスタッフさんから「ちょっと修正するの難しい」って言われたし。
胸だけ痩せるって、できないもんかな。
トレーナーさんに今度聞いて――。
「お姉ちゃん、ご飯ー!」
莉嘉の声が聞こえるが早いか、部屋のドアがガチャッ!と勢いよく開かれる。
「お姉ちゃ、う、うわ――何やってんの鏡の前で? しかも下着姿で」
「アンタ、ドア開ける時はノックしてって言ったでしょ」
「だってご飯だって言っても来ないし。へぇー」
「何」
「またおっぱいおっきくなった?」
「ッ!! ――バカッ!!」
握り拳を振り上げると、莉嘉は頭を抱えてさっさと退散していった。
やっぱり分かるか――そろそろバスト80で申告するのも限界かなー。
あーもう悩んでてもしょうがない! さっさとご飯食べて、今日はちゃんと学校行かなきゃ。
アタシはずっと“カリスマギャル”だった。
デビューした時から、ずっとそう。
そういう役柄というか、二つ名を与えられてきた。
ずっと、第一線に立たされた。
身も蓋もない言い方をしちゃうと、事務所のゴリ押しで売り出された。
“カリスマギャル”として、ずっと。
当時の346プロは、新しい広告塔を模索していた時期だったみたい。
で、たまたま受けてきたアタシを見て、ギャル路線に特化したアイドル像を思いついたんだとか。
流行の最先端、流行を作る側。文字通り、JKのカリスマ的存在。
アタシ的には流行りのメイクとか服も好きだったし、そういうのに憧れもあった。
だから、偉い人達から提案された時だって、何も文句は無かった。
ただ、アイドルとしてアタシが売り出されるには、歌も踊りもそれなりにこなせる必要がある。
しかも“カリスマ”なんだから、ヘタなものは見せられない。
相当レッスンはキツかったけど、自分で決めた事だから、逃げたくなかった。
当たり前といえば当たり前だけど、事務所の後押しもあって、滑り出しは順調。
ただ、初めの頃は、やっぱりネットとかでもゴリ押しだって声は多かったんだよね。
だから、そんな声なんてかき消してやるって、アタシのハートに火がついて、なおさらレッスンに打ち込んだ。
きっかけはゴリ押しかも知れないけど、アタシの実力そのものに文句は言わせたくない。
そしたら、だんだんそういう声は聞こえなくなって、皆がアタシの事を認めてくれるようになった気がして――。
だから、今ではアタシを育ててくれた346プロやファンの人達だけじゃなくて、そういう人達にも感謝はしてるつもり。
それに応える方法の一つが、デビュー当時から思い入れのあるモデル業だったんだけどさ。
まさか、自分の体を恨めしく思う時がくるとは――!
「美嘉、どうかした? 大丈夫?」
「えっ? あ、ううん、ヘーキヘーキ★ 今日返されるテスト、大丈夫かなって心配でさ」
「それ平気って言えんの? アハハハ」
友達に誤魔化して言った自分の言葉で、今日が期末テストの返却日だと気づいて、余計にヘコむ。
実際、胸だけでなく頭も重い。
ウチの事務所に所属する高校生以下のアイドルは、あまり学校の成績が悪いとお仕事させてもらえなくなるんだ。
もちろん、赤点なんて取ったら一発レッド。
そりゃ、仕事のせいで学業が疎かになっちゃったら、保護者にも顔向けができないだろうしね。
しかも初っぱな物理だよもー! あぁ~イヤだイヤだ。
志希ちゃんが全然教えてくれないどころか、ちょっかいばっか出してきて捗らなかったヤツだ。
おそるおそる、先生から手渡された答案を覗き込む。
「忙しい中、城ヶ崎さんにしてはよく頑張ったね。次も頑張りなさい」
あっぶな! 平均よりちょい下じゃん!
てゆうか、「城ヶ崎さんにしては」って言い方、何かイヤミっぽくない?
でも赤点はセーフだからいっか★
ノートを写してもらった学校の友達だけじゃなくて、勉強に付き合ってくれた奏ちゃんにも感謝しなくちゃね。
アイドルとして売れれば売れるほどお仕事に追われるから、こうして一日学校に出れるのは久しぶり。
サマーフェス以降、今のLIPPSはそれぞれが自分の持ち味を発揮して忙しくしてる。
フレデリカちゃんはその賑やかなキャラクターを買われて、バラエティ番組やラジオのゲストに引っ張りだこ。
型破りだけど、誰の事も悪く言わない彼女のコメントは、局側としてもウケが良いみたい。優しい子だもんね。
周子ちゃんは、ゆるいながらも空気を読んで上手に立ち回るから、ラジオのパーソナリティの方で活躍してる。
あと、最近は旅番組の企画もあるみたい。『旅のしおみ』だっけ?
志希ちゃんは、LIPPSの中でも抜群に優れた歌唱力を生かして、音楽活動に力を入れてる。
今度、またCD出すんじゃなかったかな。
――ぶっちゃけあの子の場合、色々あるからそっちに専念させた方が良いっていうプロデューサーの意向もあるみたい。
まぁ、今でもレッスンやレコーディング中に失踪する事も何度かあるみたいだけど。
そして奏ちゃんは、映画好きという隠れた趣味が露呈してから、そういう雑誌で自分のコーナーを持ったのに加えて、モデル業。
そう――その高校生離れした美貌から、アタシが結構メインでやってたモデル業の、ライバルになっちゃったんだ。
てゆうか、皆スタイル良いからモデルでも十分やれちゃうんだけどね。
アタシが未練がましくすがるのがバカらしくなるくらい。
胸が大きいと、それが目立たないようなポージングしかできないし、修正も大変になっちゃう。
おまけに、普段からそれを隠そうとすると猫背になって姿勢も悪くなる。
アタシ、プロフィール上はバスト80で申告してるから、水着なんて着たら余計に疑われるっていうんで、そっちの仕事も最近無いなぁ。
それに引き替え、奏ちゃんは最初からバスト86――86!?
えっ、ウソ!? そんなにあったっけ!?
と、とにかく、最初からそういう3サイズで公表してるから、堂々と胸を強調したポーズもできるし、水着も映える。
何かと制約が多いアタシと比べて、柔軟かつ大胆にカメラさんの要求にも応えられるんだよね。
つまり、どっちがモデルとして使いやすいかというと――。
うぅぅマズいマズい!
「美嘉はギャル路線だし、私との棲み分けは出来ているから心配しなくても良いと思うわ」
って奏ちゃんは言うけど、そういう問題じゃないんだよなー!
だってアタシ、高校卒業したらJKじゃなくなるんだよ!?
つまり、ギャル路線から転向しなきゃいけなくなるワケで、そしたら、どっちに行きゃいいのってなるじゃん。
やっぱり、ここは3サイズを更新してもらうようプロデューサーにもう一度相談を――。
「先生ぇー、浪人も留年も一年遅れには変わらないんだしさぁー。もう一年俺の面倒見てくれよ」
「何を言っとるんだ高橋。浪人と留年はまるで違うぞ。高校の勉強もロクにできんかったヤツだと思われたいのか?」
「実際できてねぇじゃん、なぁ?」
そっか、留年すればギャルのまま――!
いやいやいやいやいやっ!! クラスの男子が笑いを取った教室の中で、アタシは一人かぶりを振った。
マジヤバイって今の、何考えてんのアタシ。
学校終わった後、事務所に行くとプロデューサーが事務室で一人、紙を片手に眉間に皺を寄せている。
「どうかしたの?」
「ん――あれ、城ヶ崎さん、今日は休みじゃなかったっけ?」
アタシを見ると、プロデューサーは背もたれに寄りかかったまま大きく伸びをした。
「学校終わってから、ちょっと気になって来てみたんだ。それ何?」
「これは、んーまぁ――内部説明用の資料。最近こんなのばっかりでさ」
見せてもらうと、『活動計画書』ってタイトルの下に、何か小難しい文章やら表やらばかり並んでる。
うえぇぇこういうのすっごく苦手っ。
「課長さんだっけ? その人から作れって?」
「余計な仕事ばかり回されて、困ってるよ」
そう言って、プロデューサーはハッと口を押さえて、「今のはオフレコな」と笑った。
あのフェス以降、プロデューサーは難しい顔してばかりだけど、無表情じゃなくなってきた気がする。
そういうの、良い事だと思う。
今までは正直アタシ達の事を、腫れ物に触るみたいというか、余計な気を遣って距離を取ってるように思ったから。
こうして、感情を表に出すようになったの、アタシ的には結構嬉しいんだよね。
実際、嫌な顔だけじゃなくて、笑うのも増えたし。誘い笑いかも知れないけど。
「俺の愚痴を聞くために今日は来てくれたのか?」
「ううん、逆。アタシのお願いを聞いてもらえるかなあって」
「お願い」
回していたペンを止めて、プロデューサーは私の方に向き直る。
例のスリーサイズの事を提案されたプロデューサーの答えはNOだった。
「え、どうして!?」
「こういうのはタイミングが大事でな。
下手にコロコロ変えると、「あの子のプロフィールなんて信用ならないよ」の出来上がりだ」
そう語るプロデューサーの顔は結構マジっぽくて、何だか気圧されちゃう。
「何で今のタイミングで訂正したんだ、って思われても面倒だしな。
現状維持が大正解とは俺も思わないが、最もリスクは少ない」
「だったら!」
プロデューサーの机にバンッ!と手を置く。
「アタシが高校卒業したら更新しようよ! ほら、“オトナになった城ヶ崎美嘉”みたいなカンジでさ」
――自分で言って、何だか恥ずかしくなってプイッと顔を背けちゃった。
オトナになった、ってナニがよ。
「それ、良いアイデアだな」
プロデューサーは、手帳の後ろの方を開いてメモをした。
「引継ぎ書にも書いておこう」
「――引継ぎ書?」
プロデューサーがボソリと言った言葉に、アタシの胸がざわついた。
「もし俺が他のプロデューサーと担当変わった場合、LIPPSの活動が滞りなく継続できるようにな。
この先もどうなるか分からないし」
「そんな!」
「ほら、君のプロデューサーも、結構すぐ変わっちゃったでしょ、俺に。
こういうクセを付けとくのは大事な事なんだ」
プロデューサーは手帳をパタンと閉じると、さっきの紙を持ち直して頭をクシャクシャと掻いた。
確かに、前のプロデューサーもすごく優しい人で、いきなり違う人になるって聞かされた時は、正直イヤだった。
それも、3日後には変わるだなんて。
でも、LIPPSの子達は賑やかで楽しくて、ちょっと大変な時もあるけど、すごく良いユニットだって思う。
それに、プロデューサーもあのフェスにすごく真摯に取り組んでいたのも知ってる。
きっかけは、フレデリカちゃんが答えていた雑誌のインタビュー。
フェスが終わった後、フレデリカちゃん曰く、ステージ設営の工事業者さんとたまたま話したみたい。
実に彼女らしいというか、相手を選ばずフレンドリーになれるの、本当すごいなって思う。
で、その業者さん達は、プロデューサーをとにかくベタ褒めというか、尊敬しまくってたんだって。
現場第一主義、という姿勢。
工事中でもステージの様子を足繁く見に行って、どういうステージ作りにしようかとか、熱心に打合せを重ねたり、機材の位置も入念に確認したり。
そんな業界人に出会ったのは初めてだから、その人達はすごく感動したみたい。
元々厳しかったはずの工事のスケジュールは、現場の人達の奮起もあってすごい勢いで進んで、見事間に合ったんだとか。
あまりレッスン見に来ないから、何してるんだろうって思ったけど、プロデューサー、そんな頑張りをしていたんだよね。
それまでプロデューサーの事、割と本気で嫌ってた奏ちゃんも、その話を聞いてからは随分見直したみたい。
アタシ達の誰よりも、プロデューサーの事をもっと知りたいという思いが、彼女は強い気がする。
フェス優勝者のプロデューサーってのもあるし、そういうエピソードが物珍しかったのか、この人自身にもインタビューが結構あったのも見てる。
だいぶイヤがってたよね、プロデューサー。
「そういうつもりじゃなかったんだよ」って言うけど、照れ隠しでしょ。ふふっ★
そう、だから――アタシ達の事を良く考えてくれてるこの人が変わるの、やっぱりイヤかな。
「そういえば明日の仕事、ここに8時半集合でいいか?」
「へっ?」
「グラビアの仕事、あったでしょ? あのスタジオからだと、帰りは明大前で降ろそうかと思うが」
「あ、あぁ。うん、いいよ」
そうそう、明日はモデルのお仕事があるんだった。
プロデューサーは午後から周子ちゃんの番組に関する打合せがあるから、午前中だけアタシに付き添ってくれる。
「モデル業の事なら、心配は要らないと思うよ。むしろ、存分に噂させておけばいい」
「えっ?」
コーヒーを啜って、プロデューサーはこう言ってのけた。
「怒らないで聞いてほしいが、胸がプロフィールより大きいかもってのは、男子からすれば結構盛り上がるもんだ」
「――あぁ~~もう、はいはい!!」
結局この人もスケベなんじゃん! 分かっちゃいたけど、男ってホント!!
ドアバタンッ!って閉めて、足早に家に帰る。
明日のが冬コーデの露出の少ない撮影でホント良かった。
でも、まぁ――。
ネットを見てもこんなんだし。
・LIPPSで一番スタイル良いのってさ…(204)
・【朗報】城ヶ崎美嘉さん、順調に成長中(87)
・【フレデリカ】アイドルを思い浮かべてスレを開いて下さい【フレデリカ】(77)
・一ノ瀬志希にゃんのおヘソwwwwwwwwwwww(191)
・【今のはミカではない】城ヶ崎美嘉スレPart26【メラだ】(395)
・【悲報】速水奏先生、クソ映画がお気に召した模様(119)
・塩見周子って絶対家ではパンイチだよな(291)
こういうの見ちゃダメって事務所から言われてるんだけど、たぶん男の人って実際こうなんだろうなって思う。
安全圏から責任感も持たず、好き勝手に言いたい放題言える分、本音を隠す必要も無い。
そして、それを見て傷つく子もいるから、ツイッターとかインスタをやるのだって勝手にやるのは認められていない。
「お姉ちゃーん、何見てるの?」
「アンタ、何回同じ事言ったら分かんの?」
ベッドで寝転がってる横に、いきなり莉嘉がボフッと飛んできたから、慌てて携帯をしまった。
「ツイッター? アタシも早くやりたいなー」
「アンタは絶対ダメ」
「何で!?」
「とにかくダメ。せめてアタシと同じ歳になってからにしな」
ぶーたれる莉嘉をしっしと追い返して、ドアを閉める。
まったく、どうしたらコレの危険性を莉嘉に教えてやれるんだろう?
――ふと、アタシには無理かもと思った。
アタシ自身、こういうのを見て深く傷つけられた経験が無いんだよね。
元々耐性があったのかな。
行ったこと無いんだけど、ボクシングとかプロレスの試合って、リングから遠ければ遠いほど野次の声が大きくなるんだって。
確かに、言われてイラッとすることもあるけど、結局はアタシのいるリングからは遠い人達なのだ。
ましてや、リングに上がってくる度胸も無い。
同じアイドルの子や業界の人から、面と向かってキツい事を言われたらさすがに堪えるけど、それを考えれば軽いもんだと思う。ネットの声って。
いちいち腹を立ててもしょうがない。
だから、アタシのツイッターにも変な事言ってくる人たまにいるけど、無視無視。
第一、そんなんでいちいちヘコたれてたら、ちゃんと応援してくれてるファンの人達に申し訳ないもんね★
と、そんなお姉ちゃんの姿を見せてたら、妹の莉嘉もネットの怖さを侮っちゃうのも無理は無いか。
アタシを尊敬してくれてるのは嬉しいんだけど、あまりマネっこばかりされるのもなー。どうしよう。
――げっ、もうこんな時間じゃん。明日8時半だから――うわっ、寝ようっ!
ああぁぁぁフレデリカちゃんこんな時にLINEスタンプとかいらないからっ!
チラッと見て未読スルー。無視無視。
今日の撮影は、割と気合い入ってるカンジ。
スタジオに、オープンカフェっぽいセットが組まれてる。
もちろん一部分だけだけど、壁のカンジとか窓とか石畳とか、細部が結構本格的だ。
外のカフェに腰掛けて彼氏を待つ、っていうシチュエーションで撮るみたい。
実際あるお店で本当は撮りたかったんだけど、OKもらえなかったってディレクターさんが嘆いてた。
仮にも冬の設定で外のカフェってシチュはどうなんだろう。
アタシは、わざわざ寒い所で待ち合わせするのは、ちょっとイヤかな。
なんて、そんなの関係無いけどね。
メイクさんに直してもらって、衣装もバッチリキメてもらって、よしっ。
「よろしくお願いしまーすっ★」
挨拶はすっごく大事にしたい、ってのがアタシの流儀、ていうの?
元気よく言われてイヤに思わない人っていないし、アタシも気合い入るしさ。
実際ほら、カメラさんも喜んでくれた。
広々としたスタジオに鳴り響くシャッター音は、アタシのためだけのもの。
優越感、っていうのか分かんないけど、特別な空間っていうカンジがこの仕事、好きなんだよね。
カメラさんとも馴染みがあるから、どんなに細かいものでも、次に送られてくる指示がどういうものか、大体分かっちゃう。
「携帯を口元に寄せてみて。電話かけようか迷ってる風の」
「顎を手に乗せて、ちょっとアンニュイっぽいカンジのが欲しいな」
「まだかな、って期待で胸がいっぱいの雰囲気出せる? そうそう」
「逆にちょっと怒った表情でも撮っておこうか」
順調に撮影が進んでいくのが分かる。
LIPPSの子達にあって、アタシに無いものは、いっぱいある。
皆、大きな武器をそれぞれ持っていて、それに全部勝とうなんてとても思えない。
ただ、そう、アタシが武器にできるものは経験だ。
ずっと第一線で走り続けて積み上げてきたものは、ウソになんてならない。
ボーカルもビジュアルも、魅力ある個性だってアタシでは一番になれないのは分かってる。
でも、売り始めの頃、フィールドを決めずに手広くやってきた事で、どんな仕事でもオールラウンドにこなせる自信はあった。
「はいもう一枚。はい、はいオッケーイ! 終了でーす」
「はぁーい、ありがとうございまーす★」
「いやー助かるよ美嘉ちゃん、ポージングとか表情とかビシッと決めてもらえるから撮りやすいのなんの」
「アハハ、そりゃーアタシとカメラさんの仲ですから」
「おっ、嬉しいこと言ってくれんじゃないの」
ドリンクを飲みながらカメラさんと談笑する。
こういうアフターケア、っていうの? も大事にしたいよね。
結局仕事って人だしさ。
ん?
「お疲れ様。良かったよ、さすが、慣れてるな」
プロデューサーのこと、すっかり頭の中から消えちゃってた。
そういや、これから最寄り駅まで送ってもらうんだったっけ。
「準備できたら出発しようか。ゆっくりでいいよ、俺先に車で待ってるから」
「あっ、ねぇプロデューサー!」
ふと思いついて、スタジオを出ようとするプロデューサーを慌てて呼び止めた。
ちょっと声が大きすぎたかな。振り返ったその顔は、ちょっと驚いたような顔してる。
「ちょっと、どこかでお茶してかない? 撮影、結構早く終わっちゃって、時間もあるしさ」
時計をチラッと見て、プロデューサーは答えた。
「君さえ良ければ」
「コーヒーと、この、マンゴーアイスラテってヤツをください」
ちょっとオシャレな、大学生っぽい人達で賑わってるカフェを見つけて、席に着いた。
こういうお店に、男の人と二人で来たの、初めてかも。
前のプロデューサーにも、そういえば連れてってもらった事無かった気がする。
近くのテーブルの話題が恋バナであると、耳に入ってきた単語と声色で何となく察した。
サークルで付き合って別れたとか、誕生日プレゼント何もらったとか、クリスマスの予定とか。
アタシも、学校の友達とそういう話、しないワケじゃないけど、やっぱり高校生の恋バナより、ちょっと大人っぽい気がする。
ホテルがどうとか。
うっ――!? い、今、すごくいかがわしいワードが聞こえたような――!
「どうかした?」
「へっ!?」
プロデューサーは、いつの間にか来ていた自分のコーヒーにミルクをたっぷり入れてる。
「い、いや――へぇー、プロデューサーはブラック派じゃないんだ。随分ミルク多いね」
「実家での飲み方が、染みついちゃってさ。缶コーヒーは別に何でも良いけど」
「あ、そう」
スプーンでアイスを掬い、口に運ぶ。
うん。普段こういうのあまり食べないけど、悪くないかな。
「今のアタシ達、どう見られてるかな?」
「ん?」
「ほら、何というか――」
そう言いかけて、はたとスプーンを持つ手が止まっちゃった。
どう見られてるの?
というより――どう見られるのを期待してるの?
プロデューサーに何て言ってほしいの?
何となく周りの視線が気になってしまう自分が余計に恥ずかしい。
場違いのような、チラチラ見られているような、うぅぅ~~居心地悪いというか!
うわあぁぁ、アタシ何いきなりヘンな話振ってんだろぉ!?
「カップルみたい、ってか?」
「そっ!!」
思わず立ち上がりそうになるのを、すんでの所で抑える。
「さすがにそれはどうだろうな、これだけ歳が離れてるし――むしろ、援交?」
「エンコー?」
「援助交際。ほら、スーツ姿のイイ歳したおっさんと、平日の昼間っから学校にも行かない不良女子高生が、こんな所に二人でさ」
笑いながら、プロデューサーはコーヒーを口に運んだ。
「――ッ!! ちょっ!」
そう。アタシは午後の5、6時間目だけ学校に出る予定なので、制服でお仕事に来ていた。
だから、今のアタシ達――。
「で、出よう!!」
「単純かよ、落ち着きなって」
声を出して笑うプロデューサー。結構新鮮かも。全然嬉しくないけど。
「誰も気にしちゃいないよ。周りの目なんて気にするだけ損だ」
――今の一言。
「意外」
「何が?」
「プロデューサー、もっと周りを意識してるもんだと思ってたから」
「仕事では、そりゃあ多少空気読むけどさ。仕事じゃない時くらい、好きにさせてほしいよ。そうだろ?」
「うん、まぁね」
「大体」
そう言いかけた所で、プロデューサーの携帯が鳴った。
ポケットから取り出し、チラッと見ただけで、プロデューサーは携帯をしまう。まだ鳴ってる。
「大体、人ってのは何かと自意識過剰になりがちだ。周りにとっては取るに足らない存在だとしても」
「出なくていいの?」
「会社からだからいい。どうせロクでもない電話だ」
素知らぬ顔で、プロデューサーは言い切る。
「撮影の仕事中で気づかなかったとでも言えばいいさ」
え、えぇぇぇ――そんな堂々と。
「幻滅した?」
「えっ?」
「城ヶ崎さんは真面目そうだから」
「お仕事は普通、真面目にやるもんじゃない?」
アタシがそう答えても、プロデューサーはあまり本気に受け取ってないみたい。
「世の中、正直者が馬鹿を見る仕組みになってるんだ。もう少し早く気づくべきだったけどな」
携帯の音が消えた。
やっとか、とでも言いたげにプロデューサーは鼻を鳴らし、コーヒーを手に取る。
「でもプロデューサー、本当は真面目でしょ?」
「ん?」
「フレちゃんの話。本番のステージをより良くしようと、会場に足繁く通ってたって。
あの話を聞いてから、奏ちゃんも皆も、すごくプロデューサーのこと見直してるんだよ」
「悪いんだが、あれはそういうつもりじゃなかったんだよ」
「アハハ、照れなくたってイイじゃん」
しかめっ面を浮かべるプロデューサー。素直じゃないトコあるの、アタシ知ってるよ★
「そうじゃな――」
反論しかけた所で、また携帯が鳴り、プロデューサーは舌を打った。
「うるっせぇな、何だよ」
「一ノ瀬さん?」
「えっ?」
画面を見て、ボソッと呟くと、彼はそのまま電話に出た。
「もしもし」
「――いいから、どうしたんだ」
目頭を押さえてる。
志希ちゃんと思しき相手の声は聞き取れないけど、いつもの賑やかな調子だっていうのは分かった。
プロデューサーは、割とウンザリした顔をしてる。
「だから、一ノ瀬さん、そういうのはマジで止めようって俺言ったでしょ。
デートは禁止。えっ? ――いや、デートに類する物や事も禁止」
「――えぇ~~じゃない。周りの子達にも迷惑がかかるから止めよう。他の子達と行ってくるといい」
「うん、そう――あぁ、ありがとう。はい、じゃあね」
「ハァ~~~」
通話を終えた途端、長いため息を吐くプロデューサー。
そんなに志希ちゃんのこと苦手なのかな。
「デートって?」
「うん? うん、まぁ言葉通りの意味さ。今度デートしようだってよ、できるかっての」
「前にも、同じようなことがあったの?」
プロデューサーは、「俺言ったでしょ」と言っていた。
「まぁね。スキャンダルなんて笑えないから止めようって、俺散々言ったのにまたぞろコレだ」
プロデューサーは手を振った。
「それだけ?」
気づいたらアタシは身を乗り出していた。
プロデューサーは、アタシがムキになってるのを察したのか、怪訝な顔をしてる。
「それだけって?」
「スキャンダルを避けるってよりかは、志希ちゃんそのものを避けてない?」
「正直、それはある」
「そういうの、女のコ、傷つくよ」
アタシは、すっかり溶けちゃったアイスをスプーンで何と無しにかき混ぜる。
「本音と建前って、結構分かるもんだし。
志希ちゃんだって、いつもにゃはにゃは笑ってるけど、自分が拒絶されてるって気づいちゃうんじゃないかな」
「一ノ瀬さんなら、とっくに気づいてると思うけどな」
プロデューサーは、既に空になったコーヒーを持ち上げて舌打ちし、また戻す。
「城ヶ崎さんは、俺に彼女とデートしろって?」
「そうは言ってないって。もっとマシな断り方があったんじゃないって話」
「そう言われても、実際ダメだろデートは。選択肢なんて無い」
「まったく!」
スプーンから手を離し、アタシはフンッと腕を組んでみせた。
「女のコの気持ちも分からないんじゃ、アイドルのプロデューサーなんて務まらないよ」
「だよなぁ」
「だよなぁじゃなくて!」
のんきに首を鳴らすプロデューサー。さすがにアタシもムッとしちゃうな。
「プロデューサーには意識改革が必要だよ!」
「うん?」
なおもとぼけるプロデューサーに、アタシは構わず続ける。
「デートがダメでも、お出かけならイイんじゃない?」
「言い方変えただけでしょ」
「違くてっ! あぁ~~もうじれったい!
つまり、そういうのじゃなくて、お仕事の延長って事にすればいいじゃん! たとえばさ。
何でも全部がダメって事にしないで、多少その中でも出来る限りの事をしてあげるっていうか」
「なるほど。ゼロ回答じゃなくて、10%でも20%でも譲歩してあげようって話か」
腕を組み、プロデューサーは天井を仰いだ。
「そう、それ! 全部100か0で振り分けるんじゃなくて、せ、せ――」
「折衷案?」
「そう、セッチュウ。それをしてあげたら、志希ちゃんだっていくらか納得できると思うし、それに」
アタシは、自分と目の前のプロデューサーを交互に指差して見せた。
「デートがダメとか言っときながら、現にこうしてプロデューサー、アタシとお茶してんじゃん」
「――確かに」
「ねっ? だから、デートじゃない範囲ってのはあるんだよきっと。
その時間を志希ちゃんと共有してあげたらいいんじゃないかな」
「じゃあ、346のカフェにでも連れてってあげるか」
「それはダメ」
「えっ、何で?」
「当たり前じゃん」
この顔、本気で何がダメなのか分かってないっぽい。ホントに女心分かってないなー!
「あーもう。じゃあさ、アタシと一緒に予行演習しよ!」
「は?」
「今度の週末空いてる? アタシ、ちょうど休みだし、志希ちゃんとのデートプラン一緒に考えよう。ねっ?
集合場所とか後で連絡するから。当日はバシッとオシャレしてきてよね、スーツとかじゃなくてさ★」
こんなにデリカシーが無いと、これからもアタシ達をちゃんとプロデュースできるのか心配だよ。
もうちょっと女のコの気持ちを理解してもらわないと――。
「それってつまり、城ヶ崎さんと今度デートするってこと?」
「――ッ!?」
「ていうか、デートプランって言ってるし」
「あ、揚げ足取らないでよ!!」
「何というか君は、割と深く考えずに思った事を言ってしまうきらいがあるのが俺は心配だ」
伝票を持って立ち上がり、「駅まで送るよ」とプロデューサーは疲れた声で言った。
「そんなん、付いちまったモンはしょうがねぇだろうが」
事務室のソファーに腰を下ろし、ため息を吐く私に、拓海さんは手を腰に置いてフンッと鼻を鳴らした。
「アタシはモデルの仕事なんてあまりしねぇから、美嘉の悩みはよく分かんねぇけどさ。
自分を誤魔化そうとすんのは粋じゃねぇ。むしろビッと胸張ってけよ」
「誤魔化す、か――確かにね」
トレーナーさんにも相談してみたけど、やっぱ、そういう都合の良いシェイプアップ方法は無いみたい。
だとしたら、隠しててもしょうがないか。
「そーそー、出すモン出しときゃいいのよ。おっぱいの嫌いな男なんていねェぜ?」
そう言った瞬間、拓海さんのプロデューサ―――ヤァさんは、後方にもんどり打って倒れた。
体をくの字にして、お腹を押さえながら呻き声を漏らしている。
拓海さんの拳が、彼がいた位置に真っ直ぐ突き出されたままになっているのを見ると、改めてその威力たるや――。
「す、すごい」
「大したことじゃねぇよ」
拳をしまい、腕を組み、今度は拓海さんがため息を吐いた。
「オレはマジメに言ってんだよ」
イテテ、とお腹を押さえながらヤァさんは立ち上がった。
「持てる武器を活かさねェのは粋じゃねェって言ってんだ。実際、多くの男にとって魅力的なのは事実なんだからな」
「普段胸でしか女のことを見てねぇヤローが言っても説得力ねぇんだよ」
「お前のはオレ的にデカすぎだけどな――とぉわ、あっぶねェなオイ!」
「口の減らねぇなおめぇはよ!!」
拓海さんと、このプロデューサー――本当に普段からこんなカンジなんだなぁ。
思ったことを包み隠さず口にして、ぶつけ合って。
アタシの今のプロデューサーは、まだお互い、言葉を選んでるカンジあるし。
前のプロデューサーだって、ここまであっけらかんとはしてなかった。
ちょっと、憧れるかも。
「まーまー、胸の話は一旦置いといて」
アタシの隣に座り、お菓子をつまんでいた周子ちゃんが両手を下に向けて“落ち着いて”の仕草をした。
「美嘉ちゃんがプロデューサーさんとデートするんを、もうちょいほじくり返そうよ」
「ん?」
「おっ、そうだな」
頭が痛いのは、あの日の午後に返された英語の答案が良くなかったからじゃない。
はぁ~何で周子ちゃんに相談しちゃったんだろ。
「心配せんでもええって。あたし、こう見えて口は堅いからさ」
「現にこうして他の人達にも話してるじゃん」
「そこはご愛敬?」
「お前らのプロデューサーって、あの辛気くせぇヤツか」
拓海さんが、アタシ達の向かいのソファーにドカッと腰を下ろした。
「美嘉、お前あぁいうヤツが好みなのか。っていうか、アイドルとプロデューサーがデートってそれ良いのかよ」
「で、デートじゃないよ!」
何度否定したら良いんだろう。
「ウチらのプロデュ-サー、志希ちゃんからのお誘いを断りすぎて、ちょっと志希ちゃんが可愛そうだったからさ。
デートにならないラインで、かつ志希ちゃんの好みに合いそうなお店を探しに行こうってことで」
「ややこしいなオイ」
しかめっ面をして、拓海さんは頭をワシャッと掻く。
「んまぁ、オレらプロデューサーなんて一般人からすりゃ誰か分かんねェしさ。
アイドルのコらがしっかり変装しときゃぁ、派手な事しなきゃ大丈夫だと思うけどよぉ」
ヤァさんは、人差し指を立てた。
「男として言わせてもらうが、デートってのは男が女を立てるもんじゃねェ。
男にも女にとっても、お互いが楽しめるモンでなきゃダメだ」
周子ちゃんが「ほう」と興味深げに、彼の方に体を向けた。
「つまり、接待じゃダメだと?」
「当たりめぇだべした」
「だから、デートじゃな――」
「いいから。あの人が美嘉ちゃんか志希ちゃんのどっちとくっつくにしろだ。
あまり気を遣わせる事はさせないであげてくれや。させるにしても、少しはあの人の事も楽しませてやってほしい」
「男ばかり気を回すのはフェアじゃねぇって言ってんだな」
拓海さんは、彼を睨み上げた。
「よく分かってんじゃねェか、さすがオレの担当だ」
満足げに、彼はニッと白い歯を見せる。
周子ちゃんがすかさず次の言葉を促す。
「ほんじゃさ、どうすりゃいいの? 女のコ側はさ」
「そりゃおめぇ、せっかくボインがあんならこう、グッと」
また、ヤァさんが後方にもんどり打って倒れた。
拓海さんの左足が、真っ直ぐ突き出されたままになっている。
「す、すごい」
「狙ってやってんと違う?」
周子ちゃんが、半分呆れた様子で笑った。
「そんなに男の人って、女の人の胸が好きなの?」
アタシには、未だに何が良いのか分からない。
「赤ちゃんは皆お母さんのおっぱいで育つから、潜在的に好きな意識が働くとか?」
そう語る周子ちゃんは、いつになく真剣な表情だ。
「あっ、でもあたし別に女のコのおっぱい、男の人が思うソレほどに好きってワケじゃないかな? うーん?」
「理由が無きゃ好きになっちゃいけねェのかよ」
腹を押さえながら、拓海さんのプロデューサーさんも真顔で語り出した。
「本当に好きなモンに、いちいち理由なんて探してる余裕あるはずねェべした」
「良いこと言った気になってんじゃねぇよ」
拓海さんが拳を振り上げると、プロデューサーさんはニヤつきながらサッと身をよけた。
「アリさんだって好きに決まってると思うぜ」
そうかなぁ――うわぁ、もしそうなら軽蔑するかも。
「まぁとにかくだ。胸をどうってのは一例だが、男と女はフェアに、だ。
女心が分からねェとダメだっつー美嘉ちゃんの言い分ももっともだが、それがデートってんなら、お互いが楽しめるモンでねェとな」
「何か、ヤァさん過去に苦い経験でもあったん?」
頬杖をつき、ニヤニヤしながら周子ちゃんがヤァさんの顔を覗き込むと、彼は大袈裟に咳払いをした。
「今際の際に話してやるよ」
ちなみに、ヤァさんは東北の出身であり、「~~だべした」とかはそういう方言みたい。
聞くと、あの人も同郷とのことだった。ふーん。
それはともかく――フェア、か。
アタシはいつもフェアのつもりだった。
仕事でも、そうじゃない時でも、アタシに接してくれる人とは、誰に対してもなるべく対等でありたかった。
もちろん、偉い人とか、仕事の関係先の人とか、上の立場の人がいるのも理解してる。
それに、いくら対等と言ったからって、何をしても許されるなんて思っていない。
何ていうんだろう。
敬意? って言えばいいのかな。
LIPPSの皆も、ファンの人達も、プロデューサーも、皆がアタシを高めてくれる。
皆がいるからアタシがいる。
でも、だからといってそれに媚びた瞬間、アタシと皆は対等じゃなくなる――気がする。
敬意と媚びは絶対に違う。
皆の事は尊重も感謝もしてるつもりだけど、アタシは、アタシが求める自分を常に持ち続けていたい。
だから、スタンスは変えない。
高圧的でナマイキだと思われたとしても、それが、仕事に対するアタシなりの敬意。
の、つもりだったんだけど――そっか。
確かにそれは、お仕事に限ってはそれで上手くやれたかも知れないけど、うーん――デート、か。
――ハッ!?
い、いやいやいやデートじゃないから!!
アタシは別に、ただ、志希ちゃんのためにっていうか、プロデューサーがあまりにだらしないから仕方なく――!
「お姉ちゃーん、バタバタ聞こえるけどどうかしたのー? ゴキブリ?」
「アンタはいいの!! 勝手に入るな!!」
ヤバッ。そういやまだお風呂入ってなかった。
で、当日。
「――ふーん」
駅前で待ち合わせたプロデューサーのファッションをチェックしてみる。
「な、何だよ」
カーキの無地のシャツ。インナーは白。
紺色の無地のチノパン。
「地味じゃない?」
「いいじゃないか、別に」
ぶっきらぼうに答えるのを無視して、靴は、っと――。
おっ、靴はちょっとオシャレかも。白とグレーと、側面は青っぽい革靴。
グレンソン? いや、この色使いはランバンかな。男の人って結構ランバン好きだよね。
「覚えてないよ。どっかのアウトレットだったと思う」
もうちょっとこだわり持とうよ、そこは。
「――そう、それだ!」
「ん?」
「プロデューサーに足りないの分かった。こだわりだよ。もっと言えば情熱」
「よく分かったな」
「のんきに構えてないで、ほら行くよ」
プロデューサーの手を掴んでグイッと引く。
「どこ行くんだ?」
「買い物」
駅から少し歩いた所のショッピングモールに着くと、休日だからか、大勢の人でごった返していた。
「危険じゃないか? こんなに人がいたんじゃ、いくら変装してても城ヶ崎さんってバレちゃうんじゃ」
「誰も気にしちゃいない。周りの目なんて気にするだけ損」
何日か前の、プロデューサーの言葉をそのまま呟いてみて、クルッと振り返る。
「そうでしょ?」
プロデューサーは、鼻からため息を吐き、口をへの字に曲げた。
実際、これだけ人がいたら、いちいち他人を気にする余裕なんて無い。
はぐれないように、皆、友達や彼氏、彼女の手をお互いにしっかり繋いでる。
「どこ行くんだよ」
「志希ちゃんが好きそうなお店」
「だからそれってどこ?」
「それを今日探しに行くんでしょ? いいから適当に入ろ」
最初は服屋さん。
「ジャケットとか着ないの?」
「この歳になったら着れないよ」
「歳なんて関係無いって。おじさんでも着てる人フツーにいるじゃん」
「それが許される人だからだろう」
「何それ? プロデューサー、背もそこそこあるし体型は悪くないんだからきっと似合うよ」
店員さんに、流行のものを見繕ってもらう。
「ほら、似合う似合う! カッコいいじゃん」
「いや、俺はいいよ、こういうの」
「何で!?」
「俺カッコいいだろ、って思ってんだろうなアイツ、って思われそうでイヤだ。こんなカッコいい服」
「意味分かんない!! もう、じゃあいいよアタシ買ったげるから!」
「いやいいってマジで!」
次、眼鏡屋さん。
「何で眼鏡? 俺も一ノ瀬さんも裸眼なんだけど」
「変装用に必要じゃん。アタシもしてるでしょ?」
「そうかも知れないが、現地調達するのはどうなんだ。ていうか俺が変装する意味無い――」
「プロデューサーの分、今日ココで買おうよ」
「おい」
ザッと店内を見渡して、何となくカッコいいヤツ――。
「このゴツいのとかどう? 意外と似合うかもよ?」
「西部警察かよ。ギャグかと思われるわ」
「西部警察?」
「知らないか。俺もリアルタイムで観てた訳じゃないけどさ」
「じゃあ――この、細いフレームのとかイイんじゃない? 着けてみてよ」
「――えぇ~~、何かヤァさんみたいだな」
「あっ、似合う! グラサンいいね、プロデューサー!」
「良くないよ、こんなのさっきのジャケットよりハードル高いぞ」
「ハードルって?」
「自分がカッコいいと思ってる自意識過剰なヤツしか着けないよ、こんなグラサン――うわ、しかも高っけぇ」
「高いならいいよ、アタシ出すから」
「バカ言うな! 女子高生がそうホイホイ大人相手に出すもんじゃない」
「なるほど、フェアじゃないもんね」
「何がだよ」
次は――。
「おい、ちょっと待った城ヶ崎さん」
振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げ、ウンザリした顔のプロデューサーがいた。
「買い物はいいや。もう大体分かった」
「良くないって。プロデューサー、ちゃんと自分を磨かないと」
「俺の事より、今日は一ノ瀬さんをエスコートするのに良いトコを探すんだろ?」
プロデューサーは、首を傾げ、私を見つめてくる。
「何か、今日の城ヶ崎さん、ずっと俺のことエスコートしてくれてるよな」
「えっ――」
慌てて手を振った。そ、それは――!
「そんなんじゃないって! ただ、気を遣ってもらうのフェアじゃないっていうか!? だから今日はあの」
「何だ、その、さっきからフェアだのフェアじゃないだのって」
片手に荷物を預け、順番に肩と首を回すと、プロデューサーは親指で出口を指差した。
「腹減ってないか? 時間も良い頃合いだし、適当に飯にしよう」
一度駅に戻ってロッカーに荷物を預け、ネットで見つけた洋食屋さんに移動した。
さすが、レビューの数が30以上あったにも関わらず、星が4.3も付いてるお店。
雰囲気もロケーションもバッチリ。天気も良いし、テラスに吹き込む潮風が気持ちイイ~★
「どれも高いなぁ」
「場所代とか、雰囲気代も入ってるんでしょ」
「だよなぁ」
相変わらずデリカシーの無い――この人には、人生を楽しもうという気持ちが無いのかな。
――あれ? でも、意外と――。
「どうかした?」
「い、いや、別に――」
「手使っていいよ。別に俺、そういうの気にしないから」
ナイフとフォーク、プロデューサー結構器用に使うなぁ。何で?
アタシ、このエビの殻剥くの、もう手でいっちゃいたいんだけど!?
「いや、だから手使っていいって」
「何でそんな上手にできんの?」
「歳をとれば、これくらい嫌でもできるようになる。車の運転とかと同じさ」
そんな事言われたって――ふ、ふぬっ、むぐぐ――!
と、アタシがエビと格闘していると、プロデューサーは、自分のナイフとフォークを置き、手で殻を剥きだした。
「えっ、ちょ――」
「手で食った方がうまいぞ。あ、すみませんおしぼりいただけますか?」
――て、テーブルマナーは合格。うん。
お店を出た後は、海沿いの公園を二人でのんびりお散歩。
「天気いいね。あ、見てみて、船!」
「あぁ」
「お魚釣ってるのかな?」
「遊覧船だ、あれは。どう見ても漁船じゃないだろ」
――むぅぅ~~、もっとオブラートに言うとかさぁ!
あれ――ふと、散歩連れの犬がアタシ達の向かいから歩み寄ってきた。
中型の洋犬だ。
屈んで挨拶を交わし、首の下を撫でてあげる。
「何歳ですか?」とプロデューサーが尋ねると、飼い主のおじいちゃんは「まだ2歳の女の子ですよ」と答えた。
犬の年齢で言えば、アタシと同じか、ちょっと年上かな?
「アタシ達、まだまだこれからだよね」
こっそりそう語りかけると、“リカ”ちゃんは明るく、ワンッと応えてくれた。
その様子がおかしかったのか、おじいちゃんは歯の抜けた口を大きく開けて笑った。
「人生を四季で例えれば、私なんぞはもう冬だが、あなた方はまだまだ春か夏でしょう。
一番エネルギーに満ち溢れた時期です。どうか末永く、お幸せになりなさい」
――は?
「誤解をされているようですが、私達はカップルという訳では――」
そうプロデューサーが訂正すると、おじいちゃんは薄い白髪頭をお茶目に抱えてみせた。
「ありゃ? コレは失敬。アハハ」
リカちゃんとおじいちゃんに別れを告げると、プロデューサーは頭を掻いた。
「俺もそろそろ秋に差し掛かってるんだけどなぁ。
あれぐらいの歳になると、俺も城ヶ崎さんも等しく“若いモン”になっちゃうんだろうな」
「プロデューサーってさ、何歳?」
「聞いてどうするんだ」
「イイじゃん、教えてよ」
「言いたくない」
そう言って、プロデューサーはプイッと踵を返して、足早に前を歩いて行く。
ふふっ。つまんない事にムキになるの、結構可愛いっていうか、イイカンジかも★
跳ねるような足取りで、アタシは彼の後ろをついて行く。
「そう言えばさ、プロデューサー」
「ん?」
「タバコ、吸わないね?」
さっきまでツカツカ歩いてたプロデューサーがようやく足を止めて、こっちをチラッと振り返った。
「まぁ、そりゃ――未成年の前だしさ」
「奏ちゃんの前では吸ってたんでしょ? 聞いたよ」
「あれは喫煙所だったから」
「いいよ、吸っても。気にしないで」
この業界、吸ってる人多いから、プロデューサーよりタバコ臭い人も多いしね。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
プロデューサーはそう言うと、胸ポケットからタバコのケースを取り出して、一本口にくわえた。
火を付け、顔を上に向けてフゥーッと煙を吐くと、内陸に吹き込む潮風がたちまちにそれを運んでいく。
その行方を確認すると、おもむろにプロデューサーは、アタシに歩み寄ってきた。
何のつもりかと思ったら――そのまま通り過ぎて、海沿いの手すりにもたれかかる。
風向きを気にしてたのかな。
やっぱり、気ぃ遣いだね。
隣に立って一緒の手すりにもたれかかり、アタシはプロデューサーの顔をジッと見た。
水平線を眺めながら、プロデューサーはボーッとタバコを吹かし、携帯灰皿に灰を落としている。
「そこまで気を遣わなくていいよ。アタシ達、対等なんだから」
「今日の城ヶ崎さん、随分そういうのにこだわるんだな。フェアとかそうじゃないとか」
「今日だけじゃない」
プロデューサーは、ふっとアタシに顔を向けた。
いつの間に隣に来てた事に気づかなかった彼は、ギョッとしている。失礼じゃない?
「アタシは誰に対しても本当のアタシを見てもらいたいの。LIPPSの皆にも、ファンにも、プロデューサーにも。
それはたぶん、対等の関係じゃなきゃ、本当の姿になんてならない。そう思わない?」
プロデューサーは、目をパチクリさせた後、また海の方に視線を戻す。
「偉いなぁ。それに強い」
「えっ?」
「いや、偉いってのは上から目線だな――。
でも、まだ17、8だってのに、そうやってちゃんと考えてるの、本当にすごいと思う」
プロデューサーは、フゥーッと煙を吐いた。口元に手を添えて、アタシの方には顔を向けず。
「でもな、本当の自分なんて、多くの人は怖くて見せられなくなるものなんだ。
歳を重ねれば重ねるほど、特にな」
「歳のせいにしないでよ」
また出た。言い訳がましい話なんて聞きたくない。
「イイ格好してって頼んでるワケじゃないじゃん。そりゃ、今日はイイ物買ったけど――でも!
それがどんなに醜くても、プロデューサーの本音を知りたがってるの、アタシだけじゃないよ。
奏ちゃんも――志希ちゃんだって、興味があるの、プロデューサーのそういうトコなんじゃないかな」
自然と、手すりを握る両手に力がこもる。
「それに――自分がだらしないって思ったなら、自分を高めればいいじゃん。
アタシ、ずっとそうしてきたもん。プロデューサーにだって、出来ないはずないでしょ?」
「城ヶ崎さんはさ」
ため息にも似た煙を長く吐いた後、プロデューサーはふと尋ねてきた。
「何で人は、不幸になると思う?」
「へっ?」
突拍子も無い質問に、目が点になる。
「いや――これは別に、面白い話をしようってんじゃない。
まして、謎かけをして城ヶ崎さんを試すものでもないし、気の利いた説教をするつもりも無い。
ただの雑談、話のネタとして、あまり深く考えずに答えてみてくれ」
そう言われても――うーん。
何で、って――。
「不満だから?」
「たぶんそうなんだろうな」
何それ。適当に言った答えに、適当に相づち打ってるとしか思えない。
「例えば、だ――タバコを吸いたいのに吸えないというのは、俺にとって不幸だ」
思い出したように、プロデューサーは手に持ったタバコを振ってみせる。
「だが、城ヶ崎さんにとってはどう? 不幸か?」
「何が?」
「あなたはタバコを吸ってはいけません、って言われたら?」
「全然何とも思わないけど? 元々吸わないし、アタシ」
「だよなぁ」
「つまり、俺はタバコを求めるばかりに、それが吸えないことが不幸になるわけだよな」
「そうかもね」
――で?
「もっと言うとさ」
えっ、まだ続くの?
「ミカンを100個手に入れようと思ったのに、10個しか手に入らなかったら、たぶん不幸だよな」
「まぁ、欲しかった人にとっては不幸なんじゃない?」
話の意図が掴めなくて、ちょっとぶっきらぼうに答えちゃった。まぁいいや。
「俺もそれだと思う、城ヶ崎さん」
「えっ?」
「100個欲しかった人にとって、10個という結果は不幸だ。
でも、元々10個あれば良い人にとってはどうだ? 10個手に入ったとしたら?」
「普通だよね。むしろ狙い通り、満足のいく結果ってヤツ?」
「そう。つまり、さ――」
彼がタバコを吸い、吐く。その味を噛みしめるように。
「求めるから不幸になるんだ。
過剰に求めすぎて、それが達成できない時に生じるギャップが不幸なんだと、俺は思う」
――一理ある、かも?
「蛇口を捻れば綺麗な水が出るし、ちゃんと働けば衣食住も確保できる。識字率も高い。
そんな国が何で諸外国と比べて自殺率が高いのか、国民の幸福度が低いのか、なんてよく騒がれるけどさ」
携帯灰皿に、短くなったタバコを落として、彼は続ける。
「俺から言わせれば、皆、求めるレベルが高すぎるんだよ。
自分はここまで出来るはずだ、ってすっかり思い込んで、結果が伴わずに自滅するヤツがあまりに多すぎる」
「だから、いつもそうやって自分にブレーキをかけてるんだね、プロデューサー」
前言撤回。全くもって、一理無い。
「そんなの、夢を追い求める人の全否定じゃん」
「そうなるだろうな」
「それ、アイドルのプロデューサーとしてどうなの?」
「ふさわしくないと思う」
あーなるほど――奏ちゃんが怒るのも、無理はないな、これ。
「そんな悲しい事、言わないでよ。
アタシ達の夢を、プロデューサーは応援する気が無いっていうの?」
「経験者は語るというヤツだ」
「えっ?」
プロデューサーは、タバコの箱を取り出した。
「もう一本いい?」
「うん」
「まぁ、俺のは夢というよりも、一時の嫌な事から逃れたいという後ろ向きなものだったけどさ」
新しいタバコに火を付け、美味しそうに――でも、寂しそうに空を仰いでタバコを吐いた。
「夢を叶えた人と叶えられなかった人、どちらが多いか。
事実、アイドルなんてほんの一握りが表舞台で輝く裏側で、どれだけ大勢の子達が涙を飲んで退いていくものか」
灰を落として、苦笑する。
「信じれば夢は叶うなどと、戯れ言を説くヤツと一度話をしてみたいもんだよな」
「アタシが聞くよ、その話」
プロデューサーがタバコの手を止め、アタシを見た。
「信じれば夢は叶う。アタシは信じてる」
「いや、俺が言ってるのは、そういう戯れ言で君のような若い子達をたぶらかす輩の事を――」
「戯言なんかじゃない!」
「簡単に叶う夢じゃないって分かってる。
だから目指してるんだし、アタシにはそれができるって信じてる」
プロデューサーに何があったか知らないけど、アタシの信じる道を否定されたくはなかった。
「自分の力を過信してイキがるのは若者の特権だ。それは結構だがな」
改めてタバコを吸い、煙を吐きながら首を振る。
「そういう過信は危険なんだ。君みたいに真面目な子は特に、信じるものが揺らいだ瞬間にポキッと折れてしまいそうでさ。
君達にはそういう思いをしてほしくないんだよ」
「アタシは簡単に折れない。たとえ折れても立ち直る。叶えるまで何度でも」
気づいたら、彼の腕を掴んでいた。
プロデューサーはビックリしてアタシを見てる。アタシもビックリしてる。でも気にかけてられない。
「若者の特権だなんて、歳のせいにしないでよ。プロデューサーだって、夢を語れるよ」
彼は鼻を鳴らし、かぶりを振った。
「例えば、小学生がいきなり路上で『夢はでっかく総理大臣!』なんて叫んだら微笑ましいけどな。
俺が同じ事したら馬鹿だろ」
ため息交じりに煙を吐く。
「君が思ってる以上に、歳ってのは残酷だよ。夢には明確に賞味期限がある。
大体、夢で飯が食えるなら世界は今頃もっと平和だ」
「だったらアタシ、証明するよ。夢でお腹いっぱいにできるんだってこと」
何でこの人は、こんなにも後ろ向きなんだろう。
仮にもアイドルのプロデューサーでありながら、なぜ夢を否定するんだろう。
その疑問が、奏ちゃんは怒りに変わった。
アタシは――怒りももちろん、ある。だけど――。
「何も追い求めない人生なんて、アタシはまっぴらゴメンだし――。
アタシのプロデューサーがそんな人生をこの先も歩んでいくの、見過ごせないよ」
アタシの歌と踊りを見て、夢を感じることが出来ない人がいるなんて、認めたくない。
この人を救いたい。
彼のためではなく、それがアタシの意地と誇りだから。
――アタシの顔をじっと見つめていたプロデューサーは、ふっと水平線に向き直り、タバコを口元に運んだ。
「辛かったら、いつでも立ち止まっていいからな」
ゆっくり吸って、灰を落としながら長く吐く。
「アイドルをしている時期より、アイドルを辞めた後の人生の方が遙かに長いんだ。無理はしないでほしい」
「哀れんでいるつもり?」
何でアタシ、泣きそうになってんだろう。
「事実を言ってるだけだ。躓かないよう安全な道を選んだとしても、誰も君達を責めない。
過信と期待は、人を潰すんだよ」
「アタシは――!」
どうしてもアタシの言うことを聞こうとしないプロデューサーに、とうとう激昂しかけた時だった。
――――ッ?
え――――えっ、え!?
視線の先にある植栽の陰から、周子ちゃんと奏ちゃんが顔を覗かせてこっちを見てる。
フレデリカちゃんに至っては手を振ってる。それも大きく。
「――ねぇ、プロデューサー」
「ん?」
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あぁ、うん。俺も行ってこようかな」
「プロデューサーはそこにいて!!」
「え、えぇ?」
当惑するプロデューサーの声に耳を貸す間もなく、アタシはその場を飛び出した。
「何でココにいんの!!」
ソッコーで手近にあったトイレの陰に三人を呼び出す。
どういうつもりなのか、納得のいく説明してもらわなきゃアタシだっておこ――!
「そりゃミカちゃんのデートだもん、応援しなきゃって思って♪」
「はぁ!?」
フレデリカちゃんは、いつも通りの満面の笑みをちっとも崩さない。
それに引き替え、周子ちゃんの表情の邪悪さと言ったら――!
「邪悪とは人聞き悪いなぁー。あたしだって末永くお幸せになってほしいもの」
「そういうんじゃないってアタシ何度も言ったよね!?」
「まぁ、図らずも私達の中でようやく色気づいたトピックだもの」
変装用の帽子を軽く叩き、かぶり直しながら奏ちゃんはフッと笑った。
「あなたから、幸せのお裾分けくらい頂戴しても、バチは当たらないと思うけど?」
「お裾分けしるぶぷれ~♪」
「だーかーらぁ!! そうじゃないってアタシはただ志希ちゃん――!」
はたと、止まる。
「美嘉ちゃんどうしたん? ひょっとして漏らした?」
「漏れデリカ?」
「まさか――志希ちゃんまで来てたりしないよね?」
おそるおそる、聞いてみる。ウソでしょ――。
「まさか。さすがに呼ばないわよ。今日は志希のための予行演習――という名の密会デート、でしょう?」
口元に手を添えて、忍ぶように笑う。
奏ちゃんお得意の“女優笑い”だ。
「あたしらだって、その辺のデリカシーは持ってるよ。ねぇフレちゃん?」
「もーシューコちゃん、それアタシに聞いちゃう? フレちゃんのデリカは何のデリカなのって話だよ?」
デリカシーって言うなら、ほっといてくれたら良いのにっ!
とにかく。
「志希ちゃんはいないんだね? 今日の事も、志希ちゃんには内緒だからね!?」
「仮に言った所で、あの子が美嘉を根に持ったり、妬いたりする事は無いと思うけど」
「いや、言わないでよ!」
「デートじゃないなら別に言ったって良くない?」
「デートじゃないから!! あっ、いや、デートじゃなくても言っちゃダメ!」
あーもう! そろそろ行かなきゃ――!
トイレに行くと言ったまま、だいぶ時間が経っちゃってる。
あまり怪しまれるような事はしたくない。ましてこの子達が来てるなんて知れたら――!
「今日のが終わったらLINE送るから、どっか喫茶店かファミレスで待ち合わせようね!」
「おー、反省会ね。りょうかーい」
「スタンプ送るねー♪」
言いたいことは山ほどあるんだっての!
足早に、さっきプロデューサーといた場所を目指す。
あぁあぁぁぁどうしよう。ヤバイ、さっき話してたこと全部頭から吹っ飛んでる。
平静を装おうとして逆に不自然になるパターンだ、きっとこれ。
ポーカーフェイスは苦手なんだよなぁ~!
――自分を誤魔化そうとすんのは粋じゃねぇ。むしろビッと胸張ってけよ。
拓海さん――よしっ!
歩道の角に立ち、頬を両手で叩く。
ここを曲がった先にいるプロデューサーに、曇ったアタシは見せられない。
足をグワッと勢いよく踏み出し、そこを見やると、プロデューサーはいなかった。
「な、何で――」
アタシは目を疑った。
そっくりそのまま、入れ替わったのかと思った。
そこにいたのは――。
「――ん?」
プロデューサー――アタシの、前のプロデューサーが、そこにいた。
「あれ、美嘉ちゃん。こんにちは」
「こんにちは――って、こんな所に何で」
いや、それよりもさっきまでいたあの辛気臭い方は、どこに行ったんだろう?
「プロデューサー見なかった? 今の、アタシ達の」
「えっ、彼?」
「さっきまで一緒だったんだけど」
「えぇと、どんな格好か分かる?」
この様子だと、本当に知らなそう。
「カーキのシャツに、紺色のチノパン」
「うーん、どうだろう――似たような格好の人、多いからなぁ」
「地味だしね」
申し訳なさそうに、前のプロデューサーは、首を振る。
「残念だけど、見ていないよ。ここで別れたのかい?」
「うん、ちょっと皆――ううん、トイレに行ってくるから、待っててって言っといたんだけど」
「そうか」
やがて、彼はニコッと笑い、手をアタシの頭に乗せた。
「ここで待っていれば、そのうち戻ってくるよ。大丈夫さ」
この人の笑顔は好きだ。
ちょっと頼りないトコもあるけど、とても優しくて、根拠のない一言でも安心する。
「しかし、ただ待っているのもなんだし、彼が来るまで話でもしていようか」
「うん」
彼は周囲を見渡し、手近なベンチを見つけると、そこにアタシを案内した。
「評判はよく聞いているよ。あのフェス以降、仕事は順調のようだね」
「それがさ、そうでもないんだよね」
「えっ?」
LIPPSとしてのアタシ達は確かに順調だ。それはそれで、とても嬉しい事なんだけど――。
「皆がメキメキと頭角を現していくにつれて、アタシのアイデンティティっていうの?
どんどん、脅かされてるってカンジがしてさ」
足元の木チップを、ツーンと蹴っ飛ばしてみる。
まるで手応えの無いそれは、大半がアタシの足をするりと躱し、申し訳程度に宙を舞った一部も大して飛ばず、その辺に落ちた。
「焦ってんだよね、正直――高三ってのもあるし、進路、ガラにも無く悩んでるっていうか」
「まさか、アイドル辞めるの?」
前のプロデューサーは、驚いてアタシの方に体を向けた。
「いや、そういうワケじゃないって!」
「あぁ、ビックリした――つまり、方向性の話ってこと?」
「うん、まぁそうかな」
一通り、最近アタシが抱えている悩みを打ち明けた。
いつまでアタシはカリスマギャルでいられるのか。
いつかは迫られる路線変更は、どういう方向性で行けば良いのか。
それはいつで、何を武器として売り込むべきなのか。
今しがた、「夢いっぱい食べさせてあげる」と啖呵を切った手前、今のプロデューサーには、正面切ってこんな悩みは相談できない。
相談したら、それ見たことかと、「無理をするな」「辛かったら辞めればいい」とか言うに決まってるし。
「ふ~む――まずは、LIPPSとしての仕事に集中すればいいんじゃないかな」
腕組みしながら聞いていた彼は、少し唸ってみせた後、思いついたように腕を解き、両手を後ろに置いた。
「僕は美嘉ちゃんに、今のユニットで頑張ってほしいと願って彼に担当を任せたから、そう思うだけなのかも知れないけど」
「その人がさ――もし、もしだよ?」
言って良いものかどうか、迷う。
「ん?」
「もし、今のプロデューサーが、アタシ達の夢を――」
――――。
「――美嘉ちゃん?」
「――ごめん、やっぱ何でもない」
やっぱり、やめよう。
まだあの人の事をロクに知ってもいないのに、そういう人だと決めつけるのは良くないと思うから。
「彼は真面目で誠実だよ。フェス当日まで、会場を念入りに下見をしたって話もあっただろう」
「――うん、そうだね」
そうだった。
「あまり深く考えず、目の前の仕事を一つ一つ誠実にこなしていけばいいんだ。
美嘉ちゃん、余計な事を考える苦手でしょ?」
「うん」
「LIPPSの仕事が上手くいってるのなら、それでいいんじゃないかな。
結果が伴ってくれば、いずれ自分が進みたい道も、自然と見えてくると思うよ」
良かった――この人は、まだアタシの事、ちゃんと見てくれてるんだな。
自然と顔がほころぶ。
同時にその一方で、疑問が次々に浮かんだ。
なぜ、あの人はプロデューサーをやっているんだろう?
アタシ達の夢を否定していながら、何であのフェスには力を入れていたんだろう?
アタシ達のうちの何人かを、どうしてスカウトしたんだろう?
パッと思いつくだけでも、矛盾が多すぎる。
「LIPPSは、アイドルもプロデューサーもアクが強いが、美嘉ちゃんなら上手くやれるよ」
彼はおもむろに立ち上がり、大きく伸びをした。
「ほら、戻ってきた」
振り返ると、あの人が向こうからこっちに歩いてくるのが見える。
今までどこに行っていたんだろう――まず、それを問いかけるべきなのかな。
それとも、触れない方が良いのかな。
「じゃあ、僕はここで」
「えっ、あの人と話していかないの?」
はにかみながら、前のプロデューサーは手を顔の前で控えめに振った。
「大の大人、それも同僚同士、休日に顔を合わせてもお互い困るだけだよ」
この人も歳のせいにする――もう、大人ってなんかズルくない?
「彼によろしく言っといてくれ。それじゃあね」
そう言って手を振り、前のプロデューサーが去って行く後ろ姿に向けて、アタシも手を振った。
「ありがとう」
さて――振り返ると、おぉ、結構近づいてきてる。歩くのはやっ。
鼻でため息をしているのが、この距離から何となく、既に分かるカンジだ。
「あの人は――チーフか?」
「たまたまここで会ったの」
「たまたま?」
彼は首を傾げた。
「どうしてここに来ていたんだ?」
「えっ――い、いやぁ、何でだろ」
そういえば、全然気にならなかった――いや、気にはなったけど、聞くの忘れちゃった。
「どうして来ていたのかは分からない、か――なら、俺達が一緒に来ていた事は知っていたのか?」
「あっ、うん。それはアタシ、言っちゃったから」
「何で、って聞かれた?」
「えっ?」
何で、アタシとプロデューサーが一緒にいたのか――あの人、聞いてきたっけ?
「――それも、向こうから特に聞かれなかったのか」
「う、うん」
どうして聞いてこなかったんだろう。
「ひょっとして、俺達がここに来る事を、元々知ってたんじゃないだろうな」
「――えっ?」
ポケットに手を突っ込み、プロデューサーは彼が去って行った方を静かに睨んでいる。
「ちょ、ちょっと! 別にイイじゃんそんなの。
元々あまり細かいこと、気にしない人だし、知ってた所で何かヘンな事しようって人でもないもの。
大体、アタシ達がいるって事について、どんな良からぬ事をしようっていうの?」
明らかに疑念を抱いてそうなプロデューサーに、必死でフォローをする。
でも、少しだけウソがある。
あの人は、アタシがデビューした当時から、割と細かいんだよね。
優しいけど、時間にはうるさかったし、仕事帰りに寄り道するのさえ難色を示すような人だった。
とても礼儀正しい人で、業界のマナーもあの人に叩き込まれたようなものだ。
「空気を読んで、聞かなかっただけかも知れないし――どう空気を読んだのか知らないけどさ」
「城ヶ崎さんの言うとおりだ」
プロデューサーは、まだポケットに手を突っ込んでいる。
「知っていた所で、どんな邪な事を謀れるのか、俺には想像がつかない」
「だ、だよね――」
「だが、それが問題でもある」
踵を返して、プロデューサーはアタシを誘うように歩き始めたので、アタシもそれに続く。
「そうそう、さっきな、一ノ瀬さんに会ったよ」
「――――え」
アタシの足が、糸の切れた人形のように止まった。
「何しに来てたのか、聞いてもちっとも教えてくれなかったけどな。
俺を見つけた途端、獲物を――」
アタシがついてきていない事にようやく気づき、振り向いたプロデューサーは、少しだけ首を傾げ、アタシの方に歩み寄る。
「俺も割と、本当にトイレ行きたくてさ。城ヶ崎さんとは別の方に歩いて探してたんだ。
あっちの方だったな、その時に彼女と出くわしたのは」
何で――?
奏ちゃんも周子ちゃんも、フレデリカちゃんも、あの子は来ていないと言った。
ウソを言ってるように思えなかった。
あの子達から漏れたワケではないなら、可能性があるのは、あの日事務室にいた拓海さん。
それと、ヤァさんしかいない。
それか――。
「プロデューサー、喋った?」
「何を?」
「だから、志希ちゃんに今日のこと!」
「言うわけ無いだろう」
アイドルとのデートを強く否定していたほどだ。それも、志希ちゃんその人に。
言うはずが無いのはもっともだ。
「――――ッ!」
「あ、おい」
さっきまでピクリとも動かなかった足は、急に稲妻のようにプロデューサーの脇を一直線に駆け抜けた。
深く考えずに行動してしまう、みたいな事を以前プロデューサーが言っていたのを思い出す。
本当にそうだ。彼女に会って、何て言うつもりなのアタシ?
デートじゃないよ! ――いきなり言い訳がましいかな。
奇遇だね、こんな所で! ――丸っきり不自然じゃんこんなの。
いっそ開き直る? 志希ちゃんとのお忍びデートの予行演習に付き合ってたんだよって。
――いや、プロデューサーに怒られそう。
さっきLIPPSの皆も見かけたよ! ――悪くない。コレだ。
「はぁ、はぁ――!」
広場に出ると、カップルだけじゃなく、仲良く遊ぶ家族連れも多い。
行き交う人、たむろす人が多くて、もう少し細かい場所をプロデューサーから聞くんだったと今更後悔――。
しかけた時だった。
「あ、美嘉ちゃーん♪」
振り返ると、橋の手すりに寄りかかり、楽しそうに手を振る志希ちゃんがそこにいた。
「にゃははー♪ 今日は実にユカイな日だねー。彼とは会った?」
「彼?」
アタシは首を傾げた。
演技なんかじゃない。一瞬、ホントに誰の――いや、どっちの事を言ったのか分からなかった。
そして、思いついた。
「あぁー会った会った! いやーホント偶然そこで会ってさー。
それに志希ちゃんにもこんなトコで会うなんて、こんな日もあるんだねーっていうか?」
とぼけることにした。
そうだ。一緒に来ていたワケではないフリをまずしてみよう。
実際、“前の”プロデューサーに会ったのは本当に偶然だったし、彼の事を差してるつもりで話を合わせてみよう。
志希ちゃんだって、アタシの前のプロデューサー――チーフとは面識があったはずだ。
「にゃははー、ホントだねー」
志希ちゃんは、にへらと笑った表情を崩さない。
ヘンに思ってる様子はなさそうだ。
「それでさ、彼からヒジョーに興味深い話を聞いたんだけど――むふふ、聞きたい?」
彼――志希ちゃんがさっきまで会ったのは、今のアタシ達のプロデューサーだ。
「あの人が? どんな?」
話を合わせたつもりは無い。純粋に、気になった。
「あのサマーフェス、ホントはアタシ達が優勝するはずじゃなかったって話」
志希ちゃんの一言は、アタシの胸を途端にざわつかせた。
「――どういう意味?」
「まぁ有り体に言えばヤラセって事になるのかな?
偉い人達が決めた台本通りに事が進んで、勝つ事を望まれた人がなるべくして勝つ」
ヤラセ――ヤラセが、ウチのフェスで?
「楓さんが優勝するはずだったんだって。
ほら、映画の公開も良い時期に重なるっていうから、宣伝もしやすいとゆー。
そりゃー確かに話題性に勝る宣伝要素は無いよねー?」
「だとしたら、何でアタシ達が勝ったの? おかしいじゃん」
志希ちゃんが悪いワケじゃないのに、つい口調が尖ってしまった。
「ご、ゴメン」
「んーん、いーよ気にしないで、そりゃそう思うもんね。アタシも思う」
「アイドル部門の統括常務ってヒトが、新しい人に変わったんだって。フェスの直前に」
人差し指を立てると、志希ちゃんの笑みは悪戯っぽいそれに変わっていく。
「凝り固まった役員のオジサン達が、その常務さんには気に入らなかったんだろうね。
組織票など断じて許さん、って役員会議でバッサリ言い渡して、もー上層部は混迷極めたり、ってね♪」
彼女はとても楽しそうに笑った。
大人の争いを皮肉めいて笑い飛ばす、というより、すごく単純な笑い方だった。
空に浮かぶ雲が人の顔に見えるよ、なんて、どうでも良い事に指差して笑う子供のようだった。
「勝手な話だよねー。あの人達にとって、主役はアイドルなんかじゃない。
それが悪いとまでは言わないけどさ」
ヤラセ――アタシ達は、勝つ事を望まれてはいなかった。
それを、あの人は知っていた。
知ってて、それを隠した――そして、それでもなお、より良いステージにしようと、彼なりに最大限力を注いだ。
なぜだろう。なぜ――?
「んふふー、美嘉ちゃん」
黙り込んだアタシの顔を、志希ちゃんは興味深げに下から覗き込んだ。
「アタシが彼に興味を持った理由、分かってくれたカンジかにゃ?」
「えっ?」
この子の話はいつも突拍子が無くて、アタシは間抜けな返事をするばかりだ。
「条件と方法が一緒なら、誰がやっても同じ事象になるの。これを再現性とゆー。
お鍋に火をかけると、中の水は100度で沸騰するでしょ? そーゆーのを一つ一つ明らかにしていくのが化学」
ほら、こうして突然難しそうな話を語り出した。
アタシは物理専攻だったけど、この間返却されたテストの苦い思い出が、頭のむず痒さと一緒にぶり返す。
志希ちゃんに勉強の邪魔をされた記憶も。
そんな気も知らず、志希ちゃんは手すりから身を起こし、ブラブラと歩きながら右手の人差し指をあっちこっちに振ってみせた。
「あーすればこーなる。じゃあこーするとどーなる? 予測した通りにそーなる。
そんな化学、っていうか科学の行き着く果ては、究極の目標は何かっていうとさ」
立ち止まり、足元の落ち葉を屈んで手に取り、ニコッと笑う。
「未来予知、なのかもね」
手を離すと、落ち葉は潮風に乗ってぐんぐん上昇――する事はなく、元いた居心地の良い住処へ急ぐように地べたに吹き降ろされ、転がっていった。
「ありゃ、なんだ。もっと飛ぶかと思ったのになぁ」
にゃははーという志希ちゃんのそれは、誘い笑いなのか、他意の無い単なる笑いなのか分からない。
「風向きと風速、角度、落ち葉の向き、放す位置――条件を細かく設定すれば、再現性はより高まる。
美嘉ちゃんち、埼玉だっけ?
ゆくゆくはさ、この落ち葉をココから美嘉ちゃんちのポストに入れるための条件も導けるようになるんだろうね」
「アタシは落ち葉なんていらないけどね」
冗談っぽく返した。これ以上、志希ちゃんのペースに乗せられるのも癪だ。
でも、志希ちゃんはそんなアタシの答えすら期待していたかのように、ますます嬉しそうに笑った。
「そう。なぜいらないのか? それなの、美嘉ちゃん。アタシが知りたいのはね」
「へっ?」
また出てしまった。
「どうしても化学で再現できない、解き明かせない、たぶんたった一つのもの。
それが介在することで、全ての理屈は意味を無くしちゃう。
ちょうど、楓さんの勝利を望んだオジサン達と、それでも奮闘した彼がいたように」
「――人の心?」
「せーかいっ♪」
ピョンと跳ね、アタシの真ん前で着地すると、志希ちゃんは――。
「えいっ」
「!? ど、わあぁっ!?」
アタシの胸にタッチしたのだ。なっ、な――!
「何すんのっ!!」
「イヤ?」
「当たり前じゃん!!」
「何で?」
「何でって、イヤなものはイヤ! こんなのにいちいち理由なんて無いから!!」
――理由が無きゃ好きになっちゃいけねェのかよ。
この間事務室で聞いた、ヤァさんの言葉がふっと頭をよぎる。
「そうなんだよねー、明確な定義なんて無いよねー、そしてそれが最高ってゆーか♪」
「はぁ?」
「好きとか嫌いとか、可愛い、綺麗、美しい、そんな抽象的な言葉が飛び交って、数え切れないほど人の意思に溢れた場所。
不明瞭で、無秩序で、ともすれば虚実さえ曖昧なものになり得るアイドルの世界って、この世で一番ワケ分かんないトコなんじゃないかにゃって、アタシ思ったんだ。
だからね――?」
志希ちゃんは、指をピッと差した。
アタシではなく、よく見るとその後方を向いている。その先には――。
「その混沌の中にあってアイドルを導くプロデューサーには、そりゃー志希ちゃん興味、持っちゃうよね♪」
振り返ると、ムスっとした表情でこちらに歩いてくるあの人が、遠方に見える。
「にゃははー♪ やーっぱり怒ってる。人を怒らせるのは案外簡単かもね、これも一つの再現性。
美嘉ちゃん、心当たり無い?」
「“やっぱり”?」
志希ちゃんには、心当たりがあるのかな。
アタシには何も――。
「例えば、予定されたせっかくのデートを誰かさんに邪魔されたとしたら?」
「えっ?」
含みのある笑いを向けてくる彼女に、アタシは強がってみせる余裕すら無くなっている。
「そ、そんな――っていうかデートじゃないし! アタシとプロデューサーはただ――!」
「そうだね。美嘉ちゃんが今日のデートの本来の相手だという“仮定”に立つと、アタシが邪魔者になるよね」
「そっ――」
――は?
「本当は今日、アタシがあの人とデートする予定だったとしたら?」
――ど、どういう事?
「ウブな“誰かさん”に気づかれないよう、せっかく段取りをしていたのに、余計なお節介から今日その子に誘われちゃって、断るに断りきれず、無理矢理ダブルブッキングを敢行していたとしたら?」
――アタシが、邪魔?
「にゃはは、あくまで仮定の話だよ美嘉ちゃん。確かめたいならあの人に聞いてみるのがいいんじゃないかにゃ?
まーどこまで正直に答えてくれるか分かったもんじゃないけどねー、あの人って♪」
自分にとって都合の悪い事は、決して言わない人だというのは分かってる。
つまり――アタシが今日、本当はあの人を誘うべきではなかったとしたら。
一日中、不機嫌そうな顔をしていたのが、余計な邪魔者に振り回されていたためだとしたら。
「あ、おい城ヶ崎さん」
彼が呼び止める声から逃げるように、アタシはその場を飛び出した。
公園を出て、信号を渡り、息を切らして振り向くと、志希ちゃんの両手が彼の腕に絡みついているのが見えた。
「いやいや、そんな器用な人じゃないと思うよさすがに」
夕食時という事もあり、ふらっと入ったファミレスは十分広いにも関わらず、ほとんど満席だった。
それでも、さほど順番待ちもしないで、ちょうど窓際の奥の方に座れたのはラッキーだったと思う。
お忍びで来ているにも関わらず、フレデリカちゃんは大きな声で店員さんにスープバーの場所を問いかけ、ウロウロ怪しく彷徨っている。
「私も周子に賛成ね。考えすぎよ」
「だとしたら、志希ちゃんは何であんな事をアタシに言ったのって話なんだよねぇ」
「単にからかいたかっただけとか? 美嘉ちゃんってほら、マジメやん。
混乱させるだけさせて、オロオロするのを見るのが楽しかったんと違うかな。おっぱい触ったのだってそうでしょ」
「おっぱい言うな!」
「ホントの事やん」
コホン、と咳払いをして、奏ちゃんがその場を制した。
「プロデューサーには他意は無かったと思うけれど、志希のその言動に引っかかるものがあるのは確かね。
いくら興味本位で美嘉をからかうためとはいえ、少々タチが悪い気がするわ」
「だよね? さすがに、いくら志希ちゃんでもそこまでするかなって」
あまり、あの子の事を悪く言いたくないのは、奏ちゃんも周子ちゃんも同じなんだ。
もちろん、席にいないけど、フレデリカちゃんも。ていうかまだ帰ってこないの?
「おっ。はい、奏先生」
ひょうきんに周子ちゃんが手を挙げた。
「何かしら、周子さん?」
「逆に考えたらどう? ほら、元々美嘉ちゃんは志希ちゃんとプロデューサーの仲を取り持とうとしたワケでしょ?
心配するまでもなく、ホントは二人の仲が良かったんだとしたら、それはそれで結果オーライって事で、ダメ?」
言った瞬間、あっ違うな、と周子ちゃんは首を傾げた。
「珍しく、的外れな意見ね、周子」
「志希ちゃんが何であんな事をアタシに言ったのか、って疑問に全然答えてないんですけど」
「今のはアカンかったな。ゴメンゴメン」
「そういや美嘉ちゃんさ」
「何?」
「あの人から、何かメールとか来てないの?」
周子ちゃんから言われ、ハッと思い携帯を取り出した。
そうだ、今日とりあえずデー――じゃない、一緒にいたのに、急にアタシ飛び出して、何も連絡してなかった。
ファミレスに入る前は、何も連絡無かったけど、何かしら反応があってもおかしくない。
ていうか、本来ならアタシがゴメンってメール送らなきゃいけないヤツだ。
「――今日はごめん。買い物付き合ってくれてありがとう。また明日から頑張ろうな。だって」
「ふっつ~~~! 何やソレ」
周子ちゃんは大袈裟に仰け反ってケラケラ笑う。
「ごめん、って謝ったということは、あの人にも後ろ暗い、やましい思いがあったのかも知れないわね」
アタシの携帯の画面を見ながら、冷静に奏ちゃんが分析をすると、周子ちゃんが蠅を払うように手を振った。
「無い無い。何かよく分からないけどとりあえず謝っときゃいいだろ、ぐらいなもんでしょきっと。
あたし自身そうだから分かるけど、あの人思った以上にテキトーだよ」
「あなたがそう言うと、説得力増すわね」
「おう任せて」
――あの人の事を正しく理解している人は、この中にどれだけいるだろう。
「あのさ」
「オボン☆ボヤージュ!」
「うわぁっ!?」
突然、スープバーから帰ってきたフレデリカちゃんがアタシの隣に着き、お盆を置いた。
「みんなの分も取ってきたよー♪ どれにする? あ、フレちゃんコレにするから周子ちゃんコレね。はい奏ちゃん」
「残ったこれが美嘉の、という事ね」
「元から選ばせる気ゼロやん」
――そもそも、アタシはこの子達の事すら、ちゃんと理解できていないのかも。
えぇい、気後れしてもしょうがない!
「あのさ、皆。一つ確認なんだけど――あの人にスカウトされたのって、この中だと誰がいたっけ?」
スプーンを持つ手を止め、皆がアタシの方に顔を向けた。
「えーと、あたし――あれ、あたしだけ?」
周子ちゃんが手に持ったスプーンで皆を差してみるが、反応は無い。
「フレちゃんは?」
「アタシはチーフさんにトゥギャザーしないって言われたよ?」
「私は、元々いたから違うわね」
「アタシも、チーフの担当から、こっちに移ったし」
「志希――は、スカウトと言えばスカウトかしら。あの人に無理矢理くっついて、私達に加わった」
私は、もう一度、プロデューサーに言われた事を皆に話した。
アタシ達の夢を否定し、哀れみ、ともすればアイドルを辞めろとさえ言いかねない彼の話を。
「志希ちゃんはともかく――何であの人は、周子ちゃんをスカウトしたんだろう?」
「えっ? い、いやぁ――」
一瞬戸惑い、周子ちゃんは首の後ろを掻いて、天井を見上げた。
「あら、照れているの?」
「そりゃーねぇ? っていやいや違うって」
「シューコちゃん可愛い上に和菓子屋の娘だもんねー♪」
「そっちかー、やっぱあたしのアイデンティティそっちかー」
「トップアイドルにさせる気が無いのに、どうしてスカウトなんてしたのかな」
どうしても、それが分からない。
それに――。
あの人は、アタシ達があのフェスで勝てない――勝たない事を、予め知っていた。
「ミカちゃん、ムニッ☆」
「ふぇっ!?」
フレデリカちゃんが、アタシの頬を両手で引っ張った。
「んもー考え過ぎだよー。楽しい事が嫌いな人なんていないよ?
楽しそうな子スカウトして、良いフェスにしようって頑張るの、そんなにヘンじゃないってフレちゃん思うなー」
「じゃあフレちゃんさ、志希ちゃんが美嘉ちゃんにヘンな事言ったのも楽しいから?」
周子ちゃんが尋ねると、フレデリカちゃんは笑顔で答える。
「フレちゃんもおんなじ事するかも?」
「えぇっ!?」
サラッと言うなぁこの子は!
「シキちゃんと一緒にいると、アタシ自身そうだから分かるんだー♪
あれだけ自由に振る舞えるの、シキちゃんが皆のこと大好きで、安心しきってるからだよ」
当然のように、自分のと周子ちゃんのスープを取り替えて、一口啜るとフレデリカちゃんはニッコリと笑った。
「イヤな思いしちゃったら、シキちゃんに怒ってあげると、ちゃんとシキちゃん謝ってくれると思うよ? 優しい子だもん。
あっ、シューコちゃんコレおいしいからそっちあげるね♪」
「こらぁ、フレ公えぇ加減にせぇよ」
「うわーん、怒られリカ☆」
頭を両手で抱え、ペロッと舌を出しながら、フレデリカちゃんは横目でアタシの顔を見て微笑みかける。
そっか――アタシ、志希ちゃんの事、まだ知らないだけなんだよね。
満足に直接話もしていないのに、勝手に想像を膨らませて、変に思っちゃうのは筋違いだ。
コントのようにふざけ合う二人の横で、奏ちゃんは呆れるようにフッと笑い、アタシに向けて肩をすくめてみせた。
アタシも、鼻でため息を漏らし、やっぱり笑うしかなかった。
翌日のレッスン前、昨日の事を話してみると、志希ちゃんはアッサリと白状した。
「いやー美嘉ちゃんホントごめんね? まさかあそこまで真に受けるなんて予想外でさー」
話を聞くと、志希ちゃんはアタシの真面目さ、純粋さがどれほどか確認してみたかったのだという。
彼女曰く、想定され得る中でよりエグいシチュエーションを試し、アタシが感づく事を期待していたみたい。
その日の更衣室で、アタシは他のLIPPSの子達から散々茶化されるハメになった。
だーもう、触るな!
一応プロデューサーにも聞いてみたけど、彼はため息を大きく吐いて「当たり前だろ」と言い捨てた。
「不機嫌だと思われたなら謝るが、俺は別に何とも思ってないから大丈夫だよ」
「――あのさぁプロデューサー、そういうトコがデリカシー無いんだよね」
「何が?」
「一緒にいた女のコに面と向かって、何とも思ってないってフツー言う?」
「あ、うん――悪かった。楽しかったよ」
今更遅いっての! もう、無駄に心配したアタシが丸っきり馬鹿みたいじゃん。
癪だから、負い目につけ込んで、あの日買わせたグラサンを今度の仕事の時にかけてくるようプロデューサーに言ってやった。
皆すごく喜んで、特にフレデリカちゃんはめちゃくちゃ写メ撮って、あの人は心底イヤそうだったな。
えへへ、アタシばかり弄られキャラはヤダもんね★
あれ以来、お仕事はすごく順調にこなしている。
冬物のお仕事が増えたのもあるけど、拓海さんのアドバイスもあって、胸をそれほどコンプレックスに思わずにいられた。
出演する全国ネットの音楽番組に向けたレッスンでは、アタシが皆に気づいた点をアドバイスする事で、ユニットに貢献できている。
その甲斐もあってか、収録本番は大成功。出演者の人達にもディレクターさん達にも、たくさん褒めてもらえて――。
LIPPSが確実に、成長出来ているなって。そう思えたんだ。
次のアタシ達の大きな目標は、もちろん『アイドル・アメイジング』。
ホントはアタシ達が出るはずじゃなかったとか、そんな大人の事情なんて関係無い。
アタシ達は、346プロの代表として大一番のフェスに出て、最高のステージを披露する。
ゴチャゴチャ余計な事を考えなきゃいけない理由なんて、アタシには無かった。
その日は、大会本番で歌う新曲の試聴会を皆でする事になっていた。
事務室に行くと、奏ちゃんと周子ちゃんがソファーでくつろいでる。
プロデューサーが見当たらないから二人に聞いてみると、偉い人に呼ばれてどこかに行ったみたい。
あの人も、忙しそうだな。
「あ、フレちゃんからラインだ」
周子ちゃんがそう言うので、携帯を取り出してみた瞬間、アタシの後ろのドアが勢いよく開いた。
「うひゃあっ!?」
「おはよー! 呼ばれてないのにフレデリカー♪」
ラインで来たのは、何の意味も無いただのスタンプで、それに気を取られた瞬間にコレ。
「ん? ミカちゃんどうしたの、ケータイ無くした?」
「ビックリさせるの止めてよ、マジで心臓止まるって」
「不意打ちとは、フレちゃんやるねー。一杯食わされたわ」
周子ちゃんがニヤニヤしながら携帯を弄る。
その向かいの席では奏ちゃんが、やはり微笑を浮かべながら手元の雑誌に目を通していた。
未だにペースを乱されちゃうの、何とかならないかな。
「あれ、アタシケータイどこやったっけ?」
「足元に落ちてるよ」
「ワォ♪ ミカちゃんありがとー! ケータイって結構難しいよね、持つの」
「シキちゃんいないカンジ?」
フレデリカちゃんが辺りをキョロキョロ見回し、冷蔵庫を開けた。
「いやいや、そん中にはおらんでしょ」
「シキちゃんたまにすごいことするからねー」
「そこにあるプリンなら、適当に食べていいわよ。私が買ってきたものだから」
「さっすが奏ちゃん♪」
言いながら振り返ったフレデリカちゃんは、既にプリンを二つ取り出していた。
「ミカちゃんも食べるでしょ?」
「あ、アタシは今日はいいかな。明日ちょっと大事なオーディションあるし」
せっかくだけど、明日のお仕事終わった後でゆっくりもらおう。
「じゃあ冷蔵庫に入れとくね☆ あ、ねーねーペン無い?」
そう言いながら、フレデリカちゃんは勝手にプロデューサーの机の引き出しからマジックを取り出して、プリンにアタシの名前を書いた。
「直前にプリン一コ食べたくらいで、急におデブちゃんにはならんと思うよ?」
周子ちゃんが首を傾げる。
「実際どうかってより、気持ちの問題っていうか。一度自分に甘えちゃうと、ずっとダメになりそうだし」
「美嘉は本当に真面目ね」
そうかも知れない。
でも、アタシを育ててくれたのは仕事でありファンだから、妥協したくないし、そういう礼儀?はちゃんとしないとって思うんだ。
皆には、それを押しつける気は無いんだけどね。
「しかし、遅いわね、プロデューサー」
奏ちゃんがチラッと壁に掛かった時計に目を向けた。
予定された時間から、15分ほど経っている。
志希ちゃんが時間、というか予定そのものにルーズなのは知ってるから別にいいけど――いや良くないけど。
何かあったのかな。
「アタシ、ちょっと探してこようか。たぶん常務の部屋でしょ?」
バッグをソファーに置いた。
最近は課長どころか、その上司である部長、のさらに上司――夏頃に来たっていう常務とも直接話を進めてるって言ってた。
「そう言ってたわ。よく分かるわね」
「伊達に正妻やっとらんな」
「まっ――ち、違うよっ! 最近そういう話たまたま聞いてたから知ってるだけ!」
「早くしないとプリン無くなるよー、って言っといてねー♪」
本番が近づいてるっていうのに、緊張感をちっとも見せない皆を置いて、部屋を出る。
うーん、ある意味頼もしいというか――。
ううん、気にしない気にしない! 常務の部屋は、っと。
確か事務所棟の、上から二つ目の階だったはず。
ボタンを押して、到着したエレベーターに乗ると、後からもう一人、男の人が入ってきた。
「何階ですか?」
「いやぁ、すみませんね。あ、その階なんでいいや」
アタシと同じ階?
――ウチの事務所の人じゃない。ていうか、来客用のネームプレート着けてるし。
チラッと容姿を観察すると、そこそこ高そうだけど悪趣味な濃い紫色をしたダブルのスーツ。
黄土色の革靴。
顔は、薄めの髪をオールバックにして、細いフレームの眼鏡と顎が、何となく神経質っぽそう。
あまり言っちゃいけないけど――ちょっと、イヤなカンジだなって思った。
事務所棟は、上の階の事務室や会議室ほど、上役の人しか利用できないルールがある。
この人は、ウチのどんな人に呼ばれてきたんだろう?
エレベーターが止まった。
開くボタンを押して、先に勧めると、その人は不揃いな前歯をニカッと見せて手刀を切った。
たまたま歩く方向が一緒だから、何となく後ろをついて行く形になる。
ますます気になる。わざとペースを落とし、距離を取った。
やがてその人は、とある会議室の前で立ち止まり、ドアをノックして部屋に入っていく。
通り過ぎざま、チラッと中を横目で覗くと――。
気のせいだと思うけど――いや、見間違うはず無い。
あの小麦色で白髪頭の人は、ウチの事務所の、どこか遠い所の支社長。
そして、チーフ――アタシの前のプロデューサーが、たぶんいた。
歩きながら、また疑問が増える。
え、何で、何で?
そう言えばあの人、今、誰か担当してたっけ――?
考えているウチに、前の方にある部屋の扉が開いた。
あ、プロデューサーだ。
いつの間に、常務の部屋の近くまで歩いてたんだ。
また余計なこと、考えちゃってた。
部屋の中にいるであろう常務に一礼して、扉を閉め、プロデューサーはアタシの方に向き直ると、ビックリした様子だった。
「おっ、城ヶ崎さん。どうしたんだ?」
「遅いから、迎えに行こうかなって。何話してたの?」
そう聞くと、プロデューサーは頭をクシャクシャと掻いて難しそうな顔をした。
「別に。今度の『アイドル・アメイジング』頑張れよって話と、問題行動が散見されているから気をつけるようにって」
「問題行動?」
「まぁ、普段の宮本さんや一ノ瀬さんとかのアレもあるが――ほら、この間の、俺と城ヶ崎さんの」
あぁ――あの事、誰かに見つかって、良くない事言われたりしたのかな。
「ウチの会社、そこは大手だけあって、そういう煙が立つ前にあの手この手で火消しをする事にも長けているらしい。
今回は、そういう火消し部隊の尽力に救われたようだが、以後慎めとのことだ」
「ごめんなさい、アタシ――」
「城ヶ崎さんが謝る事じゃない」
「あ、そうだ。常務、城ヶ崎さんとも話をしたいって言ってたぞ」
「えっ?」
常務が? アタシと何を――?
「ちょうど良いから、今済ませとくか。どうせまだ一ノ瀬さんも来てないんでしょ?」
「あ、うん。よく分かったね」
「そんな気がした」
プロデューサーがノックすると、「どうぞ」と中から声が聞こえた。
「失礼致します」
美城常務――何度か事務所の中で見かけた事はあったけど、実際に話すのは初めてだ。
「常務が先ほど仰っていた城ヶ崎が、たまたま近くにおりましたので、お話ができればと」
「そうか」
椅子に腰掛け、机の上で手を組み、アタシをジッと見定めている。
居心地悪いなぁ。
「では、私はここで」
「君もいたまえ」
部屋を出ようとした所を常務から呼び止められ、プロデューサーは首を傾げる。
「何、すぐに終わる。城ヶ崎美嘉――カリスマギャル、か」
「歳はいくつだ?」
「は?」
「今年で18歳の、高校三年生です」
一瞬戸惑ってしまったアタシの代わりに、プロデューサーが答えた。
「聞いた所では、自身の路線に迷っているそうだな」
「ま、迷ってる、っていうか――」
どこからその話を聞いたんだろう。
プロデューサーにチラッと視線を送る。彼は、知らないと言いたげに首を傾げてみせた。
「あと半年ほどすれば、君は高校を卒業する。
デビュー当時から長らく君に課せられてきた“カリスマギャル”という役割を、終える時が来る」
「そう――当時の横暴な幹部連中から、それを担う事を一方的に余儀なくされてきた偶像を、演じる必要も無くなる訳だ」
立ち上がり、常務はアタシの前に歩み寄った。
「無理矢理に過度な期待を押しつけてしまい、君にはすまない事をした。
これからの進路について、君の希望があれば聞いておきたい」
よく分からないけれど――。
つまり、偉い人がアタシにカリスマギャルになる事を強いてきたのを、常務は申し訳なく思っていて――?
「路線変更したいなら、その償いとして希望を聞いてくれるって事ですか?」
「私も経営者だ。何でもという訳にはいかない。
だが、それが我が社の成長に繋がる選択であるなら、可能な限り答えたいと考えている」
いきなりそんな事聞かれても、すぐに答えられないよ。
「どうしたらいいかな――?」
プロデューサー、さっきから黙ってないで何とか言ってよ。
「――今、結論を出さなくてはなりませんか?」
渋々プロデューサーが聞くと、常務は首を振った。
「無論、今日この場での回答は求めていない。ユニットの一員としての大仕事も控えているだろう。
まずはそれに専念すべきだ。ただ――我々にはそういう意向がある、という事だけ心に留めておいてほしい」
「ありがとうございます」
お辞儀をすると、プロデューサーもそれに合わせてくれた。
「珍しく、礼節を持ち合わせているな」
「プロデューサーに仕込まれましたから」
常務が「ほう」と言った様子でプロデューサーを見る。
「私ではなく、私の前に彼女を担当していた者の事です」
「そうか」
「それと、さっきの話ですけど――」
アタシは顔を上げ、常務に向き直った。
「アタシ、自分が偉い人達からそういう役割を与えられた事を、何もネガティブに思ってません。
例えゴリ押しでも、無理矢理だったとしても、ここまでアタシを育ててくれたのは“カリスマギャル”としてのお仕事だし、関係するスタッフさんやファンの人達だったから。
だから――むしろ、感謝しています」
常務は表情を変えずに、アタシの言葉に応える。
「自分で道を選択する事のできなかった不幸を、君は正しく捉えていない。
私は、事象を不当にねじ曲げる行為を好まない」
「Knock Knock♪ Knock Knock~♪」
ふと、ドアの向こうで賑やかな声が聞こえる。
と思った瞬間――。
「――お、いたいた♪ 志希ちゃんの思ったとーりだねー」
ドアを開け、志希ちゃんがヒョコッと顔を覗かせた。
「えっ?」
と思ったら、志希ちゃんだけじゃない。
「呼ばれてないのにフレデリカー☆」
「さすが、こういう時の志希の嗅覚は頼りになるわね」
「にゃははー♪ 志希ちゃんすっかりワンコ扱いだねー」
「お利口さんやねー。あ、どうも、LIPPSの白い方です」
「ど、どうして皆まで――!?」
咄嗟に言葉だけがついて出た。プロデューサーもさすがに驚いてるみたい。
「そういえば常務ちゃんに挨拶してないなーって、シキちゃん来た後皆で話してたの☆」
「じょ――!」
フレデリカちゃんの無邪気な回答に、プロデューサーの顔が青ざめた。
常務との間に、遮るように立って、皆をさっき入ってきたばかりのドアの方に追いやっていく。
「お騒がせしてすみません、すぐに出ますので――おい、もう行くぞ」
「待ちなさい」
常務は、なおも表情を崩さず、黙って立っている。
「『アイドル・アメイジング』本番では、どうか君達5人全員がステージに立てる事を期待している」
「私が言いたいのはそれだけだ。下がりなさい」
常務は、自分の席に戻り、腰掛けると、それ以上何も話さなかった。
「さて。じゃあ新曲、聴くか」
皆が事務室のソファーに座ったのを見て、プロデューサーがラジカセの再生ボタンを押す。
サンプルを聴いても、ハッキリ言って、何も頭に残らなかった。
何となく、あーアップテンポの曲なんだなーって事くらいしか思えなかった。
どういう意味――? 当たり前じゃん、5人全員で立つのなんて。
アタシ達のうちの誰かが、脱退でもしない限り、そんなの――。
――脱退?
「へぇー、なんかカッコいい曲だね。ダンサブルなカンジなの?」
周子ちゃんがプロデューサーに聞いた。彼女は気に入ったみたい。
「専門的な事は俺には分からないけど、作曲した人の考えでは、せっかくの5人ユニットでバラードはもったいない、との事だ」
「人数によるインパクトを活かしたダイナミックなステージを、という事かしら」
「ふーん」
「にゃるほど。じゃあもし4人とかになっちゃったらせっかくの曲が台無しだねー♪」
思わず目を見開いて志希ちゃんを見る――むしろ、睨んじゃったかも知れない。
「おーう美嘉ちゃん、冗談だって。アタシも常務の一言が気になっててさー?」
「君はサラッと爆弾を踏み抜いていくな」
プロデューサーは、頭をクシャクシャと掻いた。彼も敢えてその話題を避けていたみたい。
「フツーに考えて、メリットが無い事をわざわざする必要なんて無いからね。
どんな条件があり得るのかなって。例えば、アタシ達が4人にならざるを得ないシーンってさ」
「考える必要無いじゃん」
ついぶっきらぼうに答えてしまったアタシに対し、志希ちゃんはなおも食ったような笑みを絶やさない。
「にゃはは、まーそうなんだけどさ。どーしても定義づけしたくなるんだよね、職業病っていうか?」
また難しい話を始めそうだな――そう予感した次の瞬間、急にフレデリカちゃんがポンッと手を叩いた。
「そっか!」
「すっごいこと気づいちゃった、フレちゃん天才かも! ねーねー、LIPPSって5文字だよね。しかも5画」
「それが?」
奏ちゃんが聞くと、フレデリカちゃんはなお鼻息を荒くした。
「えっ、カナデちゃん気づかない? アタシ達も5人なんだよ!?
すごいよね、チョー偶然フレちゃん感動しちゃった!」
「――それが?」
「えっ、それだけだけど?」
「やっぱ天才やわ、フレちゃん」
「イェーイ☆」
周子ちゃんが呆れ顔で、でも楽しそうに拍手すると、フレデリカちゃんは得意げにピースした。
「ていうか、正確には5画じゃなくない? Pは2画だと思うけど」
「ひと筆で書ける、と言いたいのかもね」
野暮なことを突っ込んでしまったアタシを、奏ちゃんがフォローしてくれた。
な、なるほど。
「にゃははー! フレちゃん的にはやっぱ5人かー」
「そりゃあねー、LIPPSは5文字でしかも5画だからねー☆」
まるで小学生か幼稚園児のように単純な話に、志希ちゃんはすっかり牙を抜かれたといった様子だ。
アタシまで馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「無事に話がまとまったようで何よりだ」
プロデューサーは、心底呆れるようにそう言った後、アタシ達の帰宅を促した。
そっか、今日はレッスン無いんだ。
「ほんじゃさ、たこ焼きパーティしない?」
随分久しぶりに5人で一緒に帰っている時、周子ちゃんがふと提案した。
そう、前からやろうやろうと皆で言っていたんだけど、最近忙しくなって、空いてる日が合わなくなってたんだよね。
確かに、今日は絶好の機会だ。
「あ、じゃあじゃあ、アタシんちでやろーよ!」
志希ちゃんが後ろから手を挙げた。
普段は皆に甘えるだけ甘える彼女が、ホスト役を買って出るの珍しいね。
「なーんか企んでない、志希ちゃん?」
「にゃははは、やっぱ分かる?」
「言うなや」
楽しそうに掛け合う二人の横で、奏ちゃんは穏やかに笑いながら携帯を弄ってる。
「あぁいいよ調べなくて、奏ちゃん。買い出しなら志希ちゃんちの近くにスーパーあるから」
「そう。ありがとう」
「詳しいね、シューコちゃん」
「何せあたしもちょっと前まで同じマンションに住んでたからね。しかも志希ちゃんのお隣」
「もうちょっと早めに気づいてればなー、周子ちゃんにもアタシの実験に付き合ってもらえたのになー」
「いや絶対それアカンやつやん、美嘉ちゃんに言って?」
「うぇっ、アタシ!?」
「そっかそっか、美嘉ちゃん豊胸薬とかキョーミ無い? もしくは惚れ薬」
「ほ、ほうきょ――! いや、どっちも要らないよ!」
「あら、胸はともかく、惚れ薬は今の美嘉にピッタリだと思うけれど」
「ホレデリカ?」
「全っ然どーでもいいってば!!」
――楽しいなぁ。やっぱアタシ、皆の事が好きみたい。
周子ちゃんが言っていたスーパーは、そこそこ規模が大きくて、料理の材料だけでなく、必要な道具類も一通り揃える事ができた。
自動でたこ焼きが回るたこ焼き器の実践販売を、奏ちゃんが興味津々に眺めていたのは秘密。
具材は、タコ以外は皆が一つずつ選ぶ事にして、アタシが選んだのはソーセージ。
他は、奏ちゃんがチョコ――うえぇ、大丈夫それ?。
周子ちゃんが納豆――アタシは食べないけど皆食べたいかなぁと思って、とのこと。
志希ちゃんはキムチ――意外と手堅いチョイス。
フレデリカちゃんはガム――いやいや!?
ガムじゃなくてミンティアにしてもらった――それでも大概だけど。
たこ焼き器は、結局普通のを買って、志希ちゃんちに寄贈する事にした。
次にやる時も志希ちゃんちだ。LIPPS恒例のパーティになるといいな。
と、思っていたんだけど――。
甘かった。
「えっ、ちょっと志希ちゃんちお皿無いの!?」
「そうなんだよねー、なのでそこにあるシャーレをさ、テキトーに使って?」
「絶対ヘンな薬品付いてるじゃん! 洗って!!」
「美嘉ちゃーん、とりあえず小麦粉アレしてタネ作ったけど飲む? ぐいっと」
「飲まないよ! 何で!?」
「意外とお玉よりこのビーカーの方が注ぎやすそうやねー」
「奏ちゃんも、テレビばっか観てないで手伝ってよ!」
「そうは言っても、皆が働いてくれるものだから、アタシやる事が無いのよね」
「周子ちゃんくらいしかまともに働いてないよ!」
「ってごめん、フレデリカちゃんも油引いてくれたんだね、ありがとう」
「割り箸にティッシュ巻き巻きしてやると便利だよー♪」
「あぁ、フレデリカちゃんが聖人に見える」
「ミンティアは一粒ずつでいい?」
「入れないで!! 全部には入れないで!」
焼く前からこんなカオスなパーティ、恒例になってたまるか。
でも、始まると意外と皆真剣にやるもんだね。
一番上手なのは、意外にもフレデリカちゃん。アタシと奏ちゃんが一番下手だった。
「やっぱこういうのは心の綺麗さが現れるもんやねー」
そう言いながら、周子ちゃんは空いた穴にソーセージを放り込んで、竹串で炒めてる。
「ちょっと、ちゃんと数えて切り分けたんだから勝手に無駄遣いしないでよ」
「まーまー、足りなくなった分はあたしの具無しでいいからさ?」
奏ちゃんは、自分のチョコを一生懸命強がって食べてた。
「この美味しさが理解できないだなんて、皆が可愛そうでならないわ」
さすがリーダー。何だかんだ責任感強いよね★
鼻歌交じりにクルクルとたこ焼きを器用に回すフレデリカちゃんを、志希ちゃんは両手で頬杖ついて楽しそうに眺めてる。
「シキちゃん、どれがいい?」
「んー、そっちのキムチとミンティア」
「ミンティアねー、ビックリするくらいマズいよ?」
「フレちゃんが選んだんじゃないんかーい」
前言撤回。すごく楽しい。
皆でこうして他愛の無い時間を過ごせるなら、このパーティーはやっぱり恒例にしたい。
そう思っていると、ふと志希ちゃんが甲高い声を上げた。
「きゃあっ!」
「だ、大丈夫シキちゃん!?」
ビックリしてフレデリカちゃんが真顔で気遣う。ちょっと新鮮だ、なんて悠長な事を言ってる場合じゃない。
フレデリカちゃんからたこ焼きを受け取ろうと、お皿代わりのシャーレを差し出した志希ちゃんの手が、うっかりたこ焼き器に触れちゃったみたい。
程度は軽いけど、彼女の手は火傷してしまい、こぼれたたこ焼きとソースが床のカーペットにこぼれちゃった。
「ありゃー、ごめんね汚くなっちゃって」
火傷した本人は、特に気にも留めない様子でにゃははと笑っている。
「とにかく、お水で冷やしてきたらどうかしら。それと、何か雑巾とかは?」
「あ、雑巾なら洗濯機の横にあるよ。美嘉ちゃん取ってきてー♪」
「何でアタシが――いいから、志希ちゃんは早く冷やして」
忙しいなぁこのメンバーは本当に――えぇと、雑巾雑巾、あった。
――――ん?
――――。
――――――。
覗く気は無かった。
脱衣かごに脱ぎ散らかされ、放られた中には、明らかに男性用の下着があって――。
そして、その横にあるゴミ箱の中には――。
「んー? 美嘉ちゃーん、どうかした?」
「志希ちゃん――これ」
「? ――あぁ~~ソレねー」
「いやーさすがの志希ちゃんも、男の人をホイホイ自分ちに招くもんじゃないと思ったよ。
普段の彼と違ってさ、もう野獣かオオカミかなってくらいすっごいアタシの体に襲いかかるもんだから、ちょっとビックリしてさ。
そりゃ、最初は抵抗したんだけど、やっぱ力ではどうしたって勝てないからさ、途中から諦めて、でも不思議だよね。
メスってのは元来オスに屈服させられる事を本能的に望んでいるのかにゃ、ってくらい、こっちも盛り上がっちゃって」
「こ、この――これ、ってさ。まさ、まさかって、思うけど――」
「どこに捨てようかアタシも迷ったんだけどさ、結構匂いキツイよね?
とりあえずゴミ箱に捨てたんだけど、トイレに流した方が良かったかにゃ?
でも詰まったらヤダしね。洗うのはもっとヤだし。んー困ったけれど、でもそれもカレの匂いだしね♪
アタシとカレの心が繋がるカンジ、結構ヤミツキになりそうで、すごく楽しかったよ」
「何で、こんな――」
「ん? 何でって、にゃっはっは美嘉ちゃん、野暮な事聞くねー。
生き物の本能に何でなんて理屈は無いでしょ。考えるより先に欲するんだから、ある種の心をすら超越した原始の姿だよね。
そりゃー、もしバレたらカレも大変になるかもだけど、そんな損得勘定を飛び越えた世界があるのを知れて志希ちゃん満足」
「自分のしたことの意味分かってんの!!?」
アタシの大声にビックリした三人が、脱衣所に集まってきたのがチラッと見えた。それどころじゃない。
「志希ちゃん、こんな、こういうの、絶対しちゃ――応援、してくれてる人が、どれだけ――!!」
心臓がバクバクと破裂しそうに脈打ってる。呼吸をするのも辛い。
「にゃははー、大丈夫だよ346プロはメディアにも相当なコネクション持ってるみたいだし。
この間の美嘉ちゃんとカレのデートだってさ、ヤバい出版社に取り上げられそうになったけど、346プロが圧力をかけて握りつぶしたって話だよ?
この件だってそんな心配するほど大事にはならな」
「そういう問題じゃない!!! アタシは、志希ちゃんが、何でこんな、ファンや、皆を裏切るような――!!」
「裏切る? ははーん、にゃるほど美嘉ちゃん」
「美嘉ちゃんも愛しの“アリさん”に愛されたい純な乙女だもんねー? にゃははー♪」
破裂音が鳴り、志希ちゃんの体が大きく横に揺れた。
「美嘉っ!!」
後ろから誰かに羽交い締めにされ、我に返った時にはもう遅かった。
左の手の平がヒリヒリと痛む。アタシは――。
志希ちゃんは、アタシに張られた右の頬をそっと撫で、少し――どこか寂しそうな笑みを浮かべると、アタシに向き直った。
「にゃはははー♪ ぐっじょーぶ♪」
アタシは、周子ちゃんの腕を振り解き、彼女の家を飛び出した。
エレベーターも使わずに階段を降り、脇目も振らず一目散に駆けた。
通りの信号の色なんて、全然気にしていられなかった。
逃げるように、小雨が降り始めた夜の街を、どこへともなく――。
それを目の当りにしたフレデリカちゃんの、ギョロリと覗く大きな瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。
【6】
(◇)
うーん、なんだかなぁ――こういう空気、あたしあんま好きくない。
もちろん、好きな人なんていないと思うけど。
昨日の一件から、美嘉ちゃんも志希ちゃんも、全然来る気配ないし、連絡も取れない。
LINEでメールしても電話しても、既読にすらならない状態。
「どうしたもんかね、奏ちゃん」
問いかけても、奏ちゃんは腕を組み、脚も組んでジッと思案してる。
ヘイヘーイ、何か喋ってくんないと場が持たんて。
フレちゃんもどっか行ってるしなぁ。
しょうがないから携帯でも弄ろうかと思った時、事務室のドアが開いた。
「――宮本さんは?」
「分かんない、どっか行ってる」
プロデューサーさんは、ドアを後ろ手に閉めながら舌打ちし、かぶりを振った。
「偉い人達は、何て?」
「聞きたいか?」
「あなたには、私達に聞かれるまでもなく、知っている事を全て話す責任があると思うのだけれど」
姿勢を崩さず、目線も合わせずに、奏ちゃんは静かに言い放つ。
めっちゃくちゃ怖い。
「君達がそれを信じてくれるのなら」
プロデューサーさんも負けじと皮肉を返した。あーあ、最悪やん雰囲気。
ウンザリしかけたその時、今度は事務室の奥のドアが勢いよく開いて――?
「おいお前っ! 常務との話は一体どうなった!!」
あぁ、この人あれか、上司の課長さんか。何度か見たことあったっけ。
明らかにプロデューサーさんの顔が、不機嫌さを増していく。
「すまない、君達は外に行っててくれるか?」
そう言ってあたし達の退室を促すプロデューサーさん。
たぶん、オトナ同士、あたし達に聞かせたくないような綺麗じゃない話もあるんだろうな。
課長さんは、それには気にも留めず、プロデューサーさんをひたすら糾弾する。
「おいっ、聞いてるのか!! 何度も言っているだろ、さっさと報告をしろ報告をっ!」
「――常務からは、本件についてマスコミ各社から取り上げられる事は無いだろうと、お話をいただきました。
広報部が根回しをしたところ、まだ本件についてネタを掴んでいる業者はいないらしいとのことです。
仮にいたとしても、これまで通り、諸々の斟酌を確約する代わりに、346が不利になる記事を書かないよう働きかけを行うと」
「本当だろうな!?」
「嘘だとお思いであれば、常務と直接お話をされるのがよろしいかと」
釈然としない様子で頭を乱暴に掻いた課長さんは、
「それで、お前達はこれからどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「これだけ我が社を騒がせているんだ。何かケジメは必要なのではないかね?」
「仰る意味が分かりかねます」
「何だと!?」
「事実が確認できていない以上、我々が誰かに頭を下げたり、まして活動を自粛するなどといった判断が必要とは思えません」
「き、貴様――当事者でありながらよくもぬけぬけと!!」
顔を真っ赤にして怒りっぱなしの課長さんとは対照的に、プロデューサーさんは淡々としている。
「私は当事者ではありません。彼女と関係を持つ事などありません」
「だというなら、誰なんだ!」
「まずは事実を確認させていただきたいのです。先ほど、常務にも同様のお願いをして、ご了承をいただきました」
「なら今日中に報告をあげろ、いいなっ!!」
そう言って課長さんはズカズカと元来たドアの奥の部屋へ、バタン!と乱暴に帰って行った。
「――外行くか。空気悪いしな、ここ」
プロデューサーさんはそう言って、後ろにある入り口を親指で差してみせる。
あたしは、奏ちゃんの顔色を何となく伺うと、彼女も了承したみたい。
落ち着いて話すには、あたし的にも断る理由は無かった。
連れられて来たのは、事務所からちょっと歩いた所にある喫茶店だった。
事務所の人達も、例えばアイドルとプロデューサーなんかも、ここでミーティングをしているのをたまに見かける。
「やれやれ――マジでアイツ、どっか行ってくんねぇかな」
席に着くなり、プロデューサーさんは肩と首を慣らして盛大にため息を吐いた。
アイツっていうのは、たぶんさっきの課長さんだろうな。
「何か、大変そうだね」
上司がああいううるさそうな人だったのを初めて知って、ちょっと同情してみせる。
「仕事の邪魔されてばかりだよ」
ソリも合わないみたい。力無く彼が誘い笑いをしたところで、コーヒーが運ばれてきた。
「それで――本題に入ろうか」
砂糖とミルクを入れ、かき混ぜる。
一変した重たい空気から少しでも逃れるための時間稼ぎではあったんだけど、そう長くかかるもんでもない。
「そうね――まず、本当の事を話して、プロデューサー」
奏ちゃんはブラックのまま一口啜り、静かに置いた。
うわーオトナやね、なんて、茶化せる雰囲気でないのはさすがにあたしでも分かる。
プロデューサーさんは、表情を崩さずに奏さんを真っ直ぐに見つめている。
「俺は一ノ瀬さんと肉体関係を持っていない、と俺が言ったら、君達は信じてくれるのか?」
「信じたいと思っているわ」
奏ちゃんの回答は意外だった。
カップを持つ手がピタッと止まった辺り、プロデューサーさんにとってもそうだったみたい。
「あなたには感謝しているの。
個人的な話だけれど、候補生のまま燻っていた私を、あなたは導いてくれた。
周子や美嘉、フレデリカや志希といったすごい子達とも引き合わせ、お仕事も見る間に増えていった」
フッと笑い、俯いて、記憶を辿るように言葉を紡いでいく。
「最初は、私達の事なんて、この人は何も考えてくれていないと思っていた。
でも、それは間違いだったと、あのフェスで気づいたのよ。こんなにも真摯に私達の事を思ってくれているのだと」
「――いきなりどうしたんだ。持ち上げて落とす気でいるのか?」
「ううん」
奏ちゃんは首を振った。
「信じたいだけ。あなたを信じようと思った、私自身を。だから、そう――全て、私のためよ」
ニコッと笑う奏ちゃんに、プロデューサーさんはしばらく呆然と見つめ、改めてカップを手に取った。
「動機としては、不純かしら?」
「俺がどうこういう話じゃない」
「塩見さんは、どうだ? 俺を信じるか?」
プロデューサーさんが、さっきから黙って聞き役に回っていたあたしに振った。
「あたしは――」
「ぶっちゃけ言うと、信じられない」
「えっ」
奏ちゃんにとっては意外だったのかな。
対照的に、プロデューサーさんは眉一つ動かさず、そのままカップを口元に運んだ。
「だってこの人、自分にとって都合の悪い事は絶対話さないやん」
あたしだって、あまりこういう事を言いたいワケじゃない。
いつだって何だって、適当に済ませられるならそれに越したことは無い。
でも、今回のは、そういうんじゃないんよね。
「うん、そうだな」
カップを置きながら、プロデューサーさんはゆっくり頷く。
「塩見さんの言う通りだ。わざわざ自分が不利になるような事を言う必要なんて無いからな。だが――」
「だが?」
腕を組み、天井を見上げて少し考え込むような仕草を見せた後、プロデューサーさんはあたしに向き直った。
「何をもって、俺がそういう人間である事を塩見さんが判断したのか、それが気になる。
この際正直に言うが、他の子達には確かに、俺は割と隠すべき事は隠して話していた事実はあったよ。
だが、塩見さんに対しては、それはあまり無かった。気兼ねなく話せる相手というのもあるが、重要度の低い、他愛の無い話をすることが多かったからだ」
「そうだね」
確かに、プロデューサーさんとあたしとの話は、くだらないどうでもいい話ばかりだったと思う。
レッスンキツいなー、お仕事メンドっちぃなー、って愚痴をお互い言い合ったり。
志希ちゃんが所望する辛い飲み物とはなんぞや、って話だったり。
それから、あたしの実家の和菓子屋の話や、他の子達のプロデューサーの話。
あたしはもちろん、この人も根は不真面目だから、仕事について真剣に話をしたことなんて、数えるほども無かった。
でも――。
「美嘉ちゃんから聞いたんだ。正確には、志希ちゃんからの情報だけどね」
「一ノ瀬さんの?」
ここまで言っても、まだプロデューサーさんには合点がいっていないみたい。思ったより鈍いな。
「あのサマーフェス、ホントはあたしらじゃなくて楓さんが勝つはずだったの、プロデューサーさん知ってたんでしょ?」
そう言った途端、プロデューサーさんは固まった。
「――なぜそれを知っているんだ」
「へっ? いや、だから志希ちゃんがそう言ってたって」
「なぜ、一ノ瀬さんがそれを知っているんだ」
――は?
「何言ってんの? プロデューサーさんが志希ちゃんに言ったんじゃないの?」
「言う訳無いだろ、そんな事。
第一、俺は都合の悪い事を言わないヤツだって、君がさっきそう言ったばかりじゃないか」
「そ、それは――」
言われてみればそうやな――? あれ?
「志希に色目を使われてつい漏らしちゃったとかは、無いの?」
横で聞いていた奏ちゃんが、代わりに尋ねてみても、プロデューサーは呆れるように手を振る。
「言って俺に何のメリットがあるのか、考えてもみてくれ。
君達は混乱するし、俺だって、何で隠してたんだって君達から責められるだろうし、良いこと無いだろ」
「――確かに、そうね」
――ほんの少しだけ、沈黙が流れ。
「じゃあ――何で志希ちゃんは、それを知っていたの?」
当然の疑問にたどり着いた。
「当事者に聞いてみない事には、どうしようもないな」
プロデューサーさんは席を立ち、伝票を手に取った。
「えっ、どこ行くの?」
「一ノ瀬さんの家に行ってみようと思う」
「家にいるとは限らないわ。第一、いたとしても中に入れてもらえないかも」
制止しようとする奏ちゃんに、プロデューサーさんは振り返り、フッと笑う。
「彼女とは、もう会いたくないか?」
「――馬鹿言わないで」
勢いよく席を立つ奏ちゃん。
プロデューサーさんも、奏ちゃんの扱いが上手くなったもんやね。
「346プロダクション事業部事業三課と申します。
303号室にお住まいである一ノ瀬志希さんの、仕事上の監督をしている者です」
事務所から志希ちゃんのマンションまでは、大体30分くらい。
あたしも住んでたから知ってるけど、ここの管理人のおじちゃん、結構難しい人なんだよね。
プロデューサーさんから渡された名刺を見ても、ほら――なんか、すごく怪訝そうな顔してる。
「それで、本日はどんなご用件で?」
「実は――」
急に芝居がかった表情で俯き、少しだけ黙り込んだ後、プロデューサーさんは顔を上げた。
「今朝方から、彼女と連絡が取れない状態が続いております。
彼女は普段からとても真面目で、無断欠勤などするような者では決してございません。
それが、急にこのような事になり、電話にも出ないため、彼女の身に何かあったのではと不安になったのです」
「――それは本当ですか」
「嘘を言っていられるほど、今の我々には余裕がございません。
彼女が在宅かどうかだけでも、まずは確認できればと思ったのですが」
「ちょ、ちょっと待っててください」
プロデューサーさん――涼しい顔してよくもいけしゃあしゃあとウソ言えるな。感心するわ。
隣にいる奏ちゃんも、呆れたように肩をすくめている。
奥に引っ込んだ管理人さんが、慌てた様子で戻ってきた。
管理人さんからの電話にも出ないみたい。
管理人さん立ち会いの元で、部屋を開けてもらえないかお願いすると、OKしてくれた。
たぶん、すごく良くない事を想像しちゃってんだろうな。
いや――でも、そういう可能性も否定しきれない事にあたしはふと気づき、背筋が凍った。
いやいや、確かに志希ちゃんはあたしらが及びもつかない突拍子も無い行動に出るけど――!
そんなはずは無い。絶対に無い。理由が無い。思いつかないもん。
そうだよね、志希ちゃん――?
緊張が走る。
管理人さんは部屋の鍵を開け、そっと中を覗き、声を掛けた。
返事は無い。
「中に入っても、よろしいでしょうか」
プロデューサーさんが聞くと、管理人さんは自分の後に続くよう促したので、それに従いあたしらも入った。
「――いないわね」
「あぁ」
もぬけの殻だった。
ベッドの布団が多少乱れている以外は、昨日美嘉ちゃんが飛び出し、あたし達で片付けした、その状態のまんまだった。
「――失踪、か」
失踪――そう、志希ちゃんが度々得意技と自称する行動だ。
実際、レッスンの休憩中にどっかへ出て行き、そのまま帰って来ない事も何度かあった。
仕事の時も、集合時間になっても顔を見せず、散々プロデューサーさんが肝を冷やしきった所でふらっと現れる事もしょっちゅうみたい。
でも今回のは、これまでのとは明らかに異質だ。
「彼女の足跡の手がかりとなるものが無いか、調べさせていただけませんか」
我々だけで――と、最後にプロデューサーさんはそう付け加えて、管理人さんに頼み込んだ。
第三者には見られたくないものも、ふとした拍子に出てくる可能性もあるよね。
「もし何か持って帰りたいものがあれば、部屋を出る時に確認させてください。
簡単な覚え書きも書いていただく事になりますけど、よろしいですかね?」
「結構です。ありがとうございます」
お詫び以外で、誰かに深々と頭を下げるプロデューサーさんは、何か新鮮かも知れない。
「プロデューサーでも、お礼を言う事ってあるのね」
同じ事を思ったらしい奏ちゃんが、プロデューサーを茶化した。
ジョークを飛ばして、少しでも場の空気を和らげたいんだろうな。
それには答えず、リビングの中央に立ち、ぐるりと辺りを見回してから、プロデューサーさんは言った。
「まず俺が知りたいのは、どういう話の流れで「俺と一ノ瀬さんがそういう事をした」という話題になったのか、だ。
きっかけとなるものは、今、この部屋にあるのか?」
「そ、それは、さ――」
気まずくなったあたしは、奏ちゃんに助けを求めてみるけど、彼女も俯いてだんまりを決め込んでいる。
「――? 教えてくれ。話しづらい内容かも知れないが、黙っていては話が進まない」
年頃の女の子に振る話じゃないでしょうよ。悪気は無いのかも知れんけどさぁ。
「アレを――」
奏ちゃんが俯いたまま、やっとの思いで指を差した。
それは、例のアレが入った脱衣所のゴミ箱に向けられている。
「――ゴミ箱。中身を見ろ、と言うことか?」
何も知らなそうなプロデューサーさんが、すたすたと脱衣所の方に向かっていく。
あぁ、分かったよ。もうプロデューサーさんが当事者じゃない事は分かったからさ。
こんな話、もう止めにしたいんだよね。こう言っちゃなんだけど、ほら、すごく、その――。
「――――」
ところで、話変わるけど――あたし達の事務所に、小早川紗枝ちゃんって子がいるんだよね。
あたしと同じ京都出身の子で、紗枝はん、周子はんって呼び合う友達同士。
ただ、地元トークで盛り上がる事はあまり無いんだよねーこれが。
何でかっていうとさ。お里がどっちって話になると、下手すりゃランク付けが始まるのよ。
洛中かどうかとか、ホントに京都人のメンド―な所でして。
うっかりそんな話をして喧嘩になったり、微妙な間柄になるのも嫌だからね。
そこはあたし達、暗黙の了解で、お互いにそういう話はしないし、詮索もしないようにしてる。
あたしと同じで、紗枝はんもそんなつまんない事を気にする子じゃないんだけど、汲み取ってくれる辺り、優しい子なのよこれが。
そう。すっごく良い子。京都人には珍しく。
で、何でこんな、今と全く関係ない話を唐突にしたのかと言うと――。
プロデューサーさんの話が、ホンットーにお下品メガ盛りといいますか。
アレの話を割と事細かに説明しだして、これは俺がナニしたものではないとか、釈明するためにまーそれはそれは。
コレは精巧に作られた偽物であり、ただ本物とはこういう点が違って、今なお乾燥していないのはあり得ないとかまぁ~~それはそれはっ。
聞くに堪えないアレだったので、思わず奏ちゃんは平手で、あたしはグーパンでプロデューサーさんを殴った。思いっきり。
なので、ちょっと綺麗な話をして中和しないとね。少しはね。うん――ね、奏ちゃん。
「――ありがとう、よく分かったよ」
両方の頬を交互に押さえながら、プロデューサーさんはヨロヨロと立ち上がった。
「私達に殴られても良いように、わざわざ自分から近づいてきた事については認めるわ」
「それ以外はホンットに最低だったけどね」
「自覚している。本当にすまない」
この期に及んで、この人は一体何を考えているんだろう。
「だが、一番気にしなくてはならない点は、コレのあった位置だ」
「位置?」
あたし達は揃って首を傾げた。
「それが数日前の出来事なら、何で昨日のゴミの一番上にコレがあったんだ? これ見よがしに」
「!? それは――」
確かに、そうだ。
ザッと見渡して、志希ちゃん家にはゴミ箱が3つある。
でも、台所のそばの脱衣所にあるゴミ箱には、あの日あたし達はたこ焼きパーティーで散々ゴミをそこに捨てた。
それらのゴミの上に、アレが乗っていたのだ。
プロデューサーさんの言葉を借りるなら、“これ見よがしに”だ。
「――昨日」
奏ちゃんが、ふと思い出したように声をあげた。
「たこ焼きパーティーを志希の家でやろうって提案したの――志希自身だったの」
その一言に、プロデューサーさんの眉がピクッと動いたのが分かった。
「志希は――わざと、それを私達に見つけさせるように仕向けた、という事?」
「それも“作り物”をな――ただのジョークにしてはタチが悪い」
プロデューサーさんは深いため息を吐いた。この人も、精神的に疲弊してる感じだ。
「だとしたら」
そして、もう一度あたし達は当然の疑問に帰結する。
「何で、志希ちゃんはこんな事をしたんだろう」
「たぶん、志希ならもっと精巧に仕立てる事も出来たんじゃないかしら」
自ずとあたしらの目が、思案を進める奏ちゃんに向けられる。
「それでも、見る人が見れば偽物だとバレるようにわざわざ作って、見つけさせた理由――」
「バレてほしかったからとしか、私には考えられない」
「作り物だって、バレてほしかった――わざわざ作ったものをか?」
プロデューサーさんが問いかける。
あたしは、何となくだけど、察しがついてきた気がする――。
「気づいてほしかった。あるいは、見抜いてほしかった――。
不自然な言動に、何かしらの意図が無いはずがないし、それにもし――」
もう一度、部屋をぐるりと見渡して、奏ちゃんが続ける。
「そんな強い意図でもって、志希は失踪したのなら――たぶん、誰にも知られずに何かをしようとしている。
でもこれは、そんな自分を捕まえてほしい、止めてほしいという気持ちの裏返しかも知れない」
「全ては志希ちゃんが残した、何かしらのメッセージって事?」
「私は、そう思う」
奏ちゃんの言う通り、普段は皆に甘えきりの彼女が、自分ちでパーティーやろうなんて、珍しいと思ったんだよね。
そして、そうだ思い出した――美嘉ちゃんがソレを発見したきっかけは、雑巾を取りに行ったからだ。
志希ちゃんが“うっかり”零したソースを拭くために、“志希ちゃんが美嘉ちゃんに”雑巾を取りに行かせたんだ――!
「そう――それが、真面目で高潔な美嘉に見つけさせるために、わざと仕向けた事だとしたら?」
ひょっとして、美嘉ちゃんに思わせぶりな事を言って混乱させたのも――。
あたしらの中で一人だけ、プロデューサーさんから聞いたでもなく、サマーフェスの裏事情を知っていた志希ちゃんが――。
美嘉ちゃんを怒らせ、わざと溝を作って――でも、どこかで気づいてほしいと願った? 何を? どうして?
「今の志希には、とてつもなく大きいものを一人で背負い込んで、何かをやろうとしている気がしてならない。
それも、決して良からぬ事を」
奏ちゃんの表情は、今まで見たことが無いほど強張っている。
あたしも、考えれば考えるほど分からなくなって、不安で胸が一杯になってきた。
「――さて。俺の疑いを晴らすために、ここでやれるべき事があるとすれば、何だろうな」
プロデューサーがあたしらの顔を交互に見る。あたしらの判断を促している。
「もう必要は無いわ。あなたはこの件に関わっていない」
奏ちゃんが力強く言い放つ。プロデューサーは頷いて、「もう一つ質問いいか?」と聞いてきた。
もちろん、と答えると――。
「一ノ瀬さんがサマーフェスの件について誰から情報を得たと、城ヶ崎さんは聞いていたんだ?」
「えっ? いやだから、プロデューサーさんから聞いた、って――」
そう言いかけた所で、プロデューサーさんは何か合点がいったかのようにゆっくりと顔を上げた。
「出よう。当事者に話を聞きに行くとするか」
(■)
「今日、城ヶ崎さんはオーディションを受けに行っているんだったな」
志希のマンションを出て間もなく、プロデューサーは独り言のようにふと呟いた。
「速水さんか塩見さん。どちらでも良いんだけど、ここで分かった事を彼女に伝えてもらえないか?」
「それが、美嘉、メールにも電話にも全然反応してくれなくて――」
私が小さくそう言いかけた時、周子が急にポンッと私の肩に手を置いた。
「ひぁっ!?」
「そうじゃないでしょ、プロデューサーさんが言ってんのはさ」
周子はプロデューサーの方に顔を向け、ニッと笑ってみせた。
「あたしが行くよ。オーディションの場所、確かここからそう遠くないでしょ?」
「どうかな――これ、渡すから、タクシーで行けよ」
そう言って、プロデューサーは財布を取り出し、一万円札を一枚引き抜いて周子に渡した。
「おっほっほ、お釣りもらっちゃっていいん?」
「好きにしろ」
「へへっ、毎度♪」
そうか、直接会いに行けば良い――私は、何て浅はかなのだろう。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるね」
「頼んだぞ」
「あいよー」
軽い返事とは裏腹に、そこそこに強く地面を蹴り、周子は大通りの方へ駆けて行った。
あの子も――今回の一件を重く受け止めている。
それでいて、なるべく表には出さず、あくまで飄々とした姿勢を崩さないよう努めている。
「どうした?」
「私は――リーダーにふさわしかったのかしら」
こんなに周りが見えていないのに。何一つ寄与できていないのに――。
「どうだろうな」
「フフッ――慰めてくれないのね」
「安い慰めを求めて言ったんじゃないんだろ?」
「それはそうだけど」
「第一、君達の事をロクに面倒見てこなかった俺に、答える事はできないよ。すまないが」
そう言ったきり、彼は黙り込んでしまい、私もつい、言葉を返すタイミングを失ってしまった。
そんな事は無い、って、言い返すべきだったのか――それは、慰め?
この人がそう言って、喜んでくれたかどうかは分からない。
そもそも、私はこの人を、喜ばせたかったのかどうかすら、未だに判然としない。
信頼関係を構築する努力をしてこなかった、と言われれば、それを否定する事は難しい。
私は――。
――もうたくさん。
私の方から一度、三行半を突きつけてしまったのを今でも思い出す。
そして気づくのは、私は彼を、必要として来なかった。求めようとしなかった。
面倒を見てこなかった、という彼の言い分は、正しいと同時に、私がそれを望んでしまっていた事なのだと。
彼は私を連れ、黙って周子が向かった方とは逆の通りへ向かい、タクシーを拾った。
「渋谷駅へお願いします」
「あいよ」
渋谷? ――事務所の最寄駅だ。
「事務所へ戻るの?」
「いや、そこで張り込む」
私達に何の連絡も寄こしてこない志希が、今さら事務所に来るだろうか?
「見つけられるかは難しいが――とりあえず、事務所からの最短ルート上の出口付近で待つよ」
プロデューサーには失礼だけど、私は、あの子を捕まえられる可能性は低いと思う。
私が彼女なら、もっと私達の及びのつかない――少なくとも、事務所から遠い所へ、逃げる――と思う。
「ずっとさ、妙だなと思ってはいたんだ」
「えっ?」
ふと、プロデューサーが思い出したように私に言った。
「君達5人が、なぜ集まったのかってな」
「なぜって――偶然集まったからでしょう?」
プロデューサーにスカウトされた周子が、たまたま私と一緒になったのも。
たまたま一緒に地方営業の仕事をした美嘉が、それがウケたおかげで私達と一緒になったのも。
あの日駅のホームで会ったフレデリカが、たまたまチーフにスカウトされ――。
志希がたまたまプロデューサーにくっついてきたのだって――。
“たまたま”――。
「古畑任三郎ってドラマで、印象に残ってる台詞があってさ――“たまたま”が続いて良いのは2回まで、ってな」
プロデューサーは脚を組み、頬杖を付いて窓から流れる景色をボーッと眺めている。
「何か変だな、って違和感はあったんだ。あまりにも展開が急すぎた」
「急?」
景色を眺めたまま、プロデューサーは心の膿を丸ごと吐き出すかのように、滔々と語りだした。
「俺が塩見さんをスカウトしたのは、たまたまだ。本当に偶然、見かけたのを声かけた。
そこまではいい、だが――なぜ無名の君達が、城ヶ崎さんのイベントのバックダンサーに抜擢されたのか」
「彼女のプロデューサーの気まぐれ? それはそうかも知れない。
ではなぜ、アイドル個人が勝手にSNSで発信する事も許さない我が社が、誤って城ヶ崎さんがツイッターで拡散した君達の動画が広まっていくのを黙認したのか」
「その方が宣伝になる? 百歩譲ってそうだとしよう。
だが、あのタイミングでなぜチーフは、君達と城ヶ崎さんの三人ではなく、新たに二人追加しようと言い出したのか。
大事なサマーフェス前だ。俺は三人での練度を高めるべきだと主張したが、聞き入れてもらえなかった」
「そして、そこへおあつらえ向きに現れた二人。
いずれも何より、曲がりなりにも担当プロデューサーである俺の意思などまるで無視だったのが不可解でさ」
「――誰かの恣意的な意思が働いていた、って言いたいの?」
「感じずにはいられない。杞憂であってほしいとは思うが、たぶんそうならない気はしている」
ひとしきり喋って気持ちが少し落ち着いたのか、ため息を一つ吐いて、彼はすっきりした顔を向けてきた。
「悪いな、俺ばかり好き勝手喋って。何だコイツ、って思ったでしょ?」
「まさか」
知らず笑みが零れる。フフッ、と握り拳を口元に寄せて、何とかそれを押し殺した。
「あなた、ずっと何考えているか分からない人だったから、そんなに私達のために色々考えていたんだって、何だか嬉しくて」
「今の話の何を聞いてそう思ったのか知らないが、君達のためではないよ」
「そうかしら?」
照れ隠しとしか思えない吐き捨て方に、今度は苦笑が漏れてしまう。
「あのな」
何か言いかけた時、携帯が鳴ったので、プロデューサーは舌打ちをして画面を見た。
「――城ヶ崎さんだ」
「えっ?」
彼の表情が、途端に緊張感を露わにしていく。慎重に、電話を取る。
「――もしもし」
(♪)
シキちゃーん? シキちゃーん?
あ、ちょっともしもし、そこのおにーさんしるぶぷれ~♪
こんなカンジの子、見ませんでしたかー?
あ、そうそう! シキちゃんって言うんだーよく知ってるね!
えっ、有名? そっかーアタシもシキちゃんも有名人かー。これでも一応芸能人だもんねー。
サイン? いいよ、どこに書く? おでこ? ダメ?
フンフンフフーン♪ っと、はい! 皆にはナイショだよ?
それで、ふむふむ、シキちゃん見なかったんだねー。ありがとー!
シキちゃーん? シキちゃーん?
あ、ちょっとしもしも、そこのおばーちゃんしるぶぷれ~♪
えっ? アハハハ! そうなのおばーちゃん、アタシ日本語うまいでしょ?
この金髪も天然のおフランス産だよ。触ってみる? サラサラだよ?
えっ? 何でこっち側のモミアゲの方が長いかって?
そりゃどっちも同じだとどっちが右か左か分からないもんね!
お箸を持つ方が分からなくなったらタイヘンでしょ?
アハハハ! うんうん、大事だよね♪ で、何の話だっけ? あ、そうそう!
(★)
昼過ぎには会場に到着していた。
お昼ご飯は、とってない。というより、食べる気になれない。
控え室に、ヒソヒソと囁く声が周りから聞こえてくる。
既に一時間以上、腕と脚を組み、ジッと微動だにせず目の前を睨んでるアタシを、他のコ達は大いに誤解したと思う。
「346プロの城ヶ崎美嘉ちゃんだ――」
「さすがカリスマギャル、恐ろしいまでの集中力だわ――」
「そこまで、このオーディションに入れ込んでいたなんて――」
ハッキリ言って、今のアタシに、このオーディションはほとんど頭の中に無かった。
その理由はもちろん、昨日のこと――。
志希ちゃんの言ったこと――志希ちゃんを叩いてしまったショックが、胸の奥にこびりついて離れない。
アイドルは恋愛禁止、というのは、アタシ達の世界では常識だ。
なぜなら、アイドルは皆のためのものでなければならないから。
愛を、特定の誰か一人に向けてしまったら、それは他のファンへの裏切りにも等しい行為だ。
――というのが通説。
アタシ個人としては、正直言って、そういう考えは持ち合わせていない。
だって、たぶん人っていつかは誰かを愛するのが当然で、そういう感情を抑えるのってナンセンスじゃない?
それに、愛はその気になれば数限りなく与えることだって出来るんじゃないかなって思う。
誰かを愛する事が、誰かを切り捨てる事になるなんて、誰が決めたんだろう。
でも、自分自身の考えよりも、周りがどう思うかを考えて、アタシ達は行動しなくちゃいけないことも知ってる。
受け取る側の気持ちを、常に優先させなきゃいけないんだ。
それをする事で不快に思ってしまう人がいるのなら、アタシ達アイドルはそれをするべきではない。
それが、ファンの人達や、この業界に携わる人達――アタシ達を応援してくれる人達への礼儀。
そして、志希ちゃんはそれを裏切った。
あまりに軽薄としか言えない形で――。
アタシは、どうしたら彼女の事を許せるのか、ずっと考えている。
許すなんて、偉そうなこと、本当は死んでも言いたくない。
でも――あんな事を、何で平気な顔してできるんだろう、って、考えたら――!
「えっ――」
「な、泣いてる――!?」
アタシは、アタシを育ててくれた全ての人達に感謝していて、それに報いるために一生懸命仕事をした。
他のコ達にまで、アタシの覚悟を押しつける気なんてサラサラ無い。
彼女は、そんなアタシの覚悟まで、踏みにじった。
でも――傍から見ればデートと受け取られかねない、アタシのあの行動も、やっぱりアイドルとして軽率だったんだ。
感謝とか礼儀とか、偉そうに言ってるクセに、アタシは結局何も分かっちゃいなかった――。
組んだ腕の中、もう片方の腕を掴む手に、知らず力がこもる。
悔しくて、たまらない――。
「お待たせしましたー。
えーそれではですね、番号順にお呼びしますので、呼ばれた方は控え室出て左手の――」
どうやらようやく始まるみたい。
今回のオーディションは、全国ネットの音楽バラエディ番組の準レギュラー枠を決めるもの。
アタシ達にとっては業界の先輩に当たる、賑やかし役の元アイドルが、以前はその大役を務めていた。
その人が、一般男性との結婚を機に近々芸能界を引退するために、急遽公募があったのだ。
元とはいえ、女性アイドルが務めていた枠なら、アタシにもチャンスはある。
色々な現場で鍛えられてきたから、トークもそれなりに自信あるし、共演者もアタシに良くしてくれてる人ばかりだ。
応募人数は全部で約20人。
倍率20倍か。悪くはないかな。
アタシは14番だから、たぶんあと2時間くらいしたら呼ばれるんだろうと思う。
そう――このお仕事は、アタシの新たなフィールドを確立させるための、第一歩になるかも知れないんだ。
もう志希ちゃんの事は一旦忘れよう。気持ち、切り替えないと。
一つ息をついて、脚を組み直した時、携帯が鳴った。
誰かからのメールだろうな。皆、心配してくれてるんだろうと思う。
でも、今は誰とも話したくなかった。
志希ちゃんとはもちろん、奏ちゃんや、周子ちゃんフレデリカちゃん。プロデューサーとも。
さっきまで来てたLINEだって、画面に映った本文だけチラッと見て、未読スルーを貫いている。
今は、一人にしてほし――。
――?
やけにうるさいな。誰?
メールじゃなかった。通話だ。
しかも――フレデリカちゃん?
ある意味で、志希ちゃんよりも分からないコだ。
たまに彼女は、グループLINEにスタンプを無意味に、しかも唐突にバンバン送りまくるのはあったけど――。
しかも、LINEじゃない。普通に、あたしの番号に掛けてきてる。
何か、重要な意味が――?
席を立ち、部屋を出て少し歩いてから、その電話に出た。
「――もしもし?」
『あ、ミカちゃん! フレちゃんだよー元気?』
「あ、うん」
『ねぇ見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね? ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら、これ』
「いや、あのさフレちゃん、電話だからアタシ見れない」
『えっ? あ、そっかそっかごめん! そうだよねじゃあ後で一緒に行こうよ、ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら』
「フレちゃん、ごめん。あたし、今オーディション中なんだけど」
『うん、そうだね』
「そ、そうだね、って――」
『ごめんね。ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。元気そうで良かったー♪』
「そ――」
『出てくれてありがとね! オーディション頑張って! んじゃ、あでゅー☆』
――一方的に電話してきて、一方的に切られた。
全く内容の無い、フレデリカちゃんらしい会話だったな。
珍しく電話してきたものだから、何事かと少し心配したこっちが馬鹿に思えるくらい。
そうでなくても、「何で連絡してくれないの」「皆心配してるんだよ?」くらいの事は言われるかと思った。
でも、そう――明らかに、いつも通りのフレデリカちゃんでは、決して無かった。
彼女には、いつも通りの実の無いやり取りの中に、彼女なりに持たせたかった意味があったんだ。きっと。
――ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。
彼女は今、どこで何をしているんだろう?
確か、一日丸々オフでは無かったはずだ。グラビアのお仕事が午後に入ってたのを、何となく記憶している。
――えっ、ちょっと待って、もうその時間じゃん!
フレデリカちゃん、ちゃんとお仕事行ってるんだよね!? えっ、大丈夫!?
あの子、ひょっとして今一人なんじゃ――!
急いで電話を掛ける。相手は――。
『もしもし』
「プロデューサー! 今、フレデリカちゃんと連絡取れる!? ていうかあのコ今どこにいるの!?」
『どこって、仕事じゃなかったか?』
プロデューサー、自分トコのアイドルの同行くらいきちんと把握しときなよ!
って怒ろうと思ったけど、相手がアレだと、ちょっと同情する。
「さっき、アタシに電話してきたの。フレデリカちゃん。ケーキ屋さんがどうとか言ってて、外にいるっぽかった」
『マジか』
「まさか、お仕事サボってたりしないよね?」
『一応、確認してみる。ありがとう』
「お願いね」
『あぁ、それとな。塩見さんが今そっちに向かってる』
「えっ?」
『連絡の取れない君に、今分かった真実を伝えるためだったけど、こうして連絡取れたらそれも無駄だったのかもな』
「な、ど、どういう事?」
一向に連絡に出ないアタシに、業を煮やしたんだろうな。
ただ、直接会ってでもすぐに伝えたい事、というのが何なんだろう――?
『君が見た物は、全て一ノ瀬さんが仕組んだ嘘だ。
一ノ瀬さんは淫行などしていない。君を怒らせるために、わざと一芝居打ったんだ』
「ちょ――」
アタシを――怒らせるため?
『それが何故かは分からない。だが、彼女は何かを背負い込んでいる。
それを俺達が明らかにするまで、彼女を悪者にするのは待ってほしい』
アタシは、言葉が出なかった。
もし、それが本当だとしたら、どうしてそんな事を――?
そんな事をさせるような、志希ちゃんの覚悟って、何だったの?
『混乱させてすまない。だが、そういう事なんだ。また連絡するよ。
とりあえず、君が思ったより元気そうで良かった。オーディション、頑張ってな』
プロデューサーは、アタシの事を何も叱らなかった。
「うん――教えてくれてありがとう。こっちの仕事終わったら、連絡するね?」
『あぁ、それじゃあ』
連絡も寄こさないアタシを、応援もしてくれた。
彼にとっては、他愛の無い、特別に意味を持たない事だったのかも知れない。それでも――。
ちょっとだけ日常を取り戻せた気がしたのが、何だか無性に嬉しい。
「――ふぅ」
志希ちゃんが何を考えていたのか、なんて余計な事を考えるのは後にしよう。
志希ちゃんを恨まなくて良いのかも知れない――今はそれが、何よりもありがたい。
そしてもちろん、許すだなんて、偉そうな事を言っていた自分を恥じる心構えもしておかなきゃ。
オーディションが着々と進行していく。
一人10分くらいかかると思っていたけど、早い人は5分もかからず終わっちゃってるみたい。
つまり、その人達は不合格だ。
経験から言って、採用する気がない人に、主催側が時間をかけるとは思えない。
今回のオーディションは、特に第一印象の勝負と見た。
アタシは、あまり行儀の良い方じゃないから、ちょっと不利かも知れない。
できる限りお喋りして、本当ならその場で軽くステップを踏ませてもらえたら御の字だけど、期待は出来なさそうだ。
ううん。そういう空気に自分が持っていかなきゃ。
何せバラエティだもん。この程度の面接で空気作れないでどうすんのさ。頑張れアタシ。
アタシの前の人が呼ばれ、部屋を出て行く。
彼女もキャリアはそう短くはない。
何度か仕事でも会ったけど、とても気さくで良い人だ。
でも、お喋りしてる余裕なんて無いのはアタシと一緒。
返事こそ元気だったけど、カメラの前では絶対見せたこと無いだろうなってくらい、厳しい顔だった。
アタシの出番が来たのは、それから大体5分後。
部屋に戻ってきた、その沈んだ顔が全てを物語っている。
彼女も、不合格だったのだ。
会場となる部屋に向かう途中、その子と一瞬目が合った。
アタシに向けられたエールなのか、一緒に落ちろと呪っているのか、分からない。
気にしている余裕は、アタシにだって無かったから。
ふぅ、とドアの前で息をつく。
メイクはバッチリ。何度もチェックした。
コーデも髪型も番組の雰囲気に合わせて、あんまり主張しすぎないヤツにしたつもり。
よし。
ノックをして、中から返事が聞こえたのを確認して、最初の第一声は元気よく――。
「どうもー、こんに」
「美嘉ちゃん待ったぁぁぁーっ!!」
「ちわあぁぁぁあぁっ!!?」
元気よく――いや、息を切らしてアタシの後ろから飛び出してきたのは周子ちゃんだった。
何で、えっ!? 何でっっ!?
二人同時に入ってきたアタシ達を見て、番組プロデューサーはじめ、主催側の人達は目が点になっている。
「どうしたの!? 何でココに、っていうか何で一緒に入って来てんの!?」
「美嘉ちゃん、よぉく聞いてほしいんやけど!
とりあえず結論から言うわ。このオーディションはブッチして!」
「はぁっ!?」
「今すぐ志希ちゃんに会いに行って欲しいんよ!
どうかこのとおり、この塩見周子一生のお願い!」
(■)
「勘弁してほしいよ、また俺アイツに怒られるじゃん」
どうやら、フレデリカが仕事を放り出して外をフラフラしているみたい。
ほとほと困った様子で、彼は頭を抱えているけれど、運転手さんは特に気に留める様子は無い。
「お客さん、どこに停めましょうかね」
「えっ? あぁ、適当にロータリーの手前で――あの歩道橋の前辺りでいいです」
しばらくして、ちょうど駅が見えてくる所まで来ていた。
「美嘉、元気そうだった?」
「あぁ。割と声もしっかりしていた。安心したよ」
「私達の中でも、人一倍プロ意識高いもの。美嘉が仕事に穴を開けるはず無いものね」
「宮本さんにも見習ってほしいよ」
「そうね、フフッ」
タクシーを降り、駅に向かって歩く。
これから夕方頃にもなれば、若者だけでなく家路につく人達でさらにごった返す、慌ただしい場所だ。
「さっきの美嘉とのやり取りを聞いて、改めて思ったけれど、あなたはやはり気ぃ遣いね」
「仮にそうだとして、大人が子供に気ぃ遣わなくてどうする。って前にも似たような事言ったな確か」
「えぇ、でも」
今の私は、この間それを聞かされた時の私とは、捉え方が異なってきている。
「今回の一件だって、あなたはこんなにも事態の解決に率先して取り組んでくれているわ」
「当たり前だ。俺自身の釈明のためだし、何より身のある報告をしないとあの課長うるさいからな」
私は顔を覗き込む。彼は歩みを止めない。
「それだけ?」
「――ここまで来ると、真相を究明するという事自体に興が乗っているというのも、正直ある。
誰か裏で悪い事を企んでいるヤツがいるんだとしたら、そいつと話をしてみたい、とかさ」
私がプロデューサーの前に立ちはだかると、ようやく彼は止まった。
「本当に、それだけかしら?」
「――君は俺に何を言わせたいんだ。君達のためにやっていると言えば、それで満足か?」
「生憎だけど、安い慰めは求めていないの」
「気が合うな。じゃあこの話は終わりだ」
プロデューサーは、顎で駅の方を促した。
「この歩道橋の上から、出口の様子を見張ろう」
今日のプロデューサーは、随分とよく喋ると思う。
それだけ、実は内心、彼も追い詰められているという事なのかも知れない。
何より、普段よりもいくらか不機嫌だ。元々、機嫌が良い時の方が少ないけれど。
「見つけたら、何て声かけるの?」
深い意味は無いのだけれど、黙っているだけでは据わりが悪いから、それとなく聞いてみる。
「何て言おうかな――まずは、「おい」って呼び止めるんだろうな」
「あら、怖い」
でも、実際ここまで自分が引っ掻き回されている事は、彼にとっておそらく不愉快なのでしょうね。
「転職を繰り返していたのも、自分にとっての安住の地を求めていたから?」
「まぁ、そうだな」
「なぜ、プロデューサーになったの?」
美嘉が一番気になっていた事だった。私も、言われてからずっと不思議に思っている。
こんなに後ろ向きな人が、なぜ――?
「大した話じゃないさ。スカウトだよ。この会社に来たのだって、元はと言えば手違いだ」
「えっ、手違い?」
どういう事。何があったというの?
「それとな。君達が大きく誤解している事が一つある」
「誤解?」
次々に飛び出してくる彼の新情報に、私は内心夢中になり、柄にも無くワクワクしてしまう。
でも、対照的に彼はいつも通り、疲れた顔だ。
「あのサマーフェス、俺がより良いステージ作りのために足繁く現場に通っていたと思われているけどな、違うんだ」
「? 違うって、何が?」
「そうじゃないんだ――本当は、俺は君達のステージを、台無しにしようとしていた」
「――――え」
その時だった。
どこか悲しげに踊るウェーブがかった長髪が、駅に向かって歩いていくのが見える。
「皆には、後で詳しく話すよ」
そう言い残し、プロデューサーは動いた。私も釣られてそれに従う。
静かに、しかし威圧的とも取れる強い意志を滲ませて、彼は歩き出し、そして――。
「おい」
そう呼び止める彼の声は、今まで聞いたどんな声よりも鋭く、重く――少し怖かった。
(♪)
ワォ♪ おばーちゃんすごーいコレー!
こんなリッパなミカン、アタシ見たことないよ? ホントにいいの? ありがとー!
ううん、切符買うことくらい何でもないよ。違ってたらごめんね?
そうそう、京王線はあっちだよ。分かんなかったら駅員さんに聞いてね。あでゅー♪
おぉ、そうだそうだシューコちゃんにも電話しなくちゃ。
シューコちゃん出るかなー?
あ、シューコちゃん! フレちゃんだよー元気?
でね? 見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね?
(★)
「ブッチしろ、って、どういう事!?」
「そりゃーえっと、キャンセルしろとか、すっぽかしちゃえっていう」
「いや意味は知ってるって! 何でそんな事を言うのって話!!」
ここまでめちゃくちゃにされちゃったら、どのみちこのオーディションはダメだろう。
「おい君達。用が無いならこの部屋を出て行ってくれないかね?」
でも今は、周子ちゃんに台無しにされた事よりも、周子ちゃんがここまで切羽詰まっている事実が一層気になった。
正直、完全に蚊帳の外にしちゃってる審査員さん達の冷たい反応は、もうどうでも良い。
「フレちゃんから電話があってさ。さっき。
あぁコレ、美嘉ちゃんが行かないとアカンヤツやなと」
口調やトーンこそいつもの彼女だけど、表情は本当に、今まで見たことが無いくらい真剣そのものだ。
「教えて。何があったの?」
「志希ちゃん、たぶん346プロを――アイドルを辞めようとしてる」
「えっ」
「たぶん、それだけに収まらない。あのコずっと、何かを抱え込んで、一人でそれをやろうとしてる。
分からないけど、絶対良くない事だと思う。だって――」
「ずっと、申し訳無かったって――そればっかり繰り返し、話してたって」
「――誰に」
「フレちゃんもその誰かから聞いただけだから、詳しくは知らないって言ってた。でも――」
「美嘉ちゃんに、悪いことをしたって、すごく悔やんでたみたい」
「―――――」
悔やむくらいなら最初からするな、というのは一つの本音ではある。
だけど――。
彼女は、テキトーではあるかも知れないけど、アタシみたいに単純じゃない。
理由や考え無しに行動は起こさない子であると、今なら分かる。
瞬時に色々な事を考え、取るべき行動を導き出せるが故に、テキトーに見えていただけなのだとしたら――。
そして、理屈を超えた事態に彼女自身が直面し、良からぬ手段による打開策を講じようとしているのだとしたら――?
「――とりあえず、フレちゃんに電話してみる。場所分かる?」
「それがさ、肝心な情報言わんのよフレちゃん。らしいっちゃらしいけどさ」
「ハハッ、そうだね」
「おい、聞いてるのか。後もつかえているんだ、いい加減つまみ出すぞ」
痺れを切らした偉そうな人が、立ち話を延々と続けるアタシ達に鋭い言葉を向ける。
アタシはその人に向き直り、頭を下げた。
「ごめんなさい。アタシ、このオーディション降ります」
「フム、なら良い。さっさと――」
「その代わり、アタシ以上にもっと適役がいるので、その子を審査してあげてもらえないでしょうか?」
「――何だと?」
頭を上げ、アタシは周子ちゃんの方に向き直り、ニカッと笑ってみせた。
「この場は任せたよ、周子ちゃん★」
「ん、何の話?」
ラジオのパーソナリティとして人気を集める理由の一つである、ゆるいながらも上手に空気を読む立ち回り。
タイミングの良いパスも、適当にいなしつつ時には盛り上げる受け答えも、彼女のコミュ力の高さあってのものだ。
最初から分かっていたけど、この番組にはアタシよりも周子ちゃんの方が合ってる。
「分かってるクセに」
アタシがそう茶化すと、周子ちゃんはケラケラと笑う。
「アハハ、まーね。ていうかこんな状況で受かれって方がムリでしょ」
「最初のライブを思い出して。周子ちゃんならやれるよ」
「そういや、アレも美嘉ちゃんがブッチしたからだったよね。ホント、始末に負えんなぁ美嘉ちゃんは」
懐かしい思い出を共有しながら、お互いに顔を合わせ、何だかおかしくなってクスクスと笑い合った。
「事前に申請もなされていない者を審査など出来るか。さっさと帰りなさい」
シッシと蠅を払うように手を振る審査員さんに対し、周子ちゃんは向き直り、堂々と前に躍り出た。
「まーまー、そう言わずに。
美嘉ちゃんはシャレでお仕事をブッチするような子じゃないから、ここは一つ大目に見てやってくれませんかねぇ?」
「あ、もういーよ。ここはあたしが引き受けるからさ、美嘉ちゃんは急いで」
憤慨する大人達を尻目に、周子ちゃんは笑顔で後ろ手に振ってアタシを送り出す。
これ、後でプロデューサーにも怒られるんだろうなぁ。
そう思いつつ、その後ろ姿に力強く頷いて、アタシは部屋を飛び出した。
外を出てビックリしたのが二つあった。
まずは、天気が見違えるほど悪くなっていたこと。
そういえば、関東は大荒れとか天気予報言ってたっけ。今にも土砂降りの雨が降りそうな空だ。
そして、もう一つは――。
爆音を轟かせて、大型バイクがドリフトをキメながら入口の前に迫り、停車した。
居合わせた周囲の人達がビックリして身じろぎする。もちろんアタシもだ。
「おう間に合ったか。さっさと乗れ」
「た、拓海さんっ!?」
拓海さんが、迎えに来てくれたのだ。
何で、ってさっきから言い飽きたくらい、今日は色んなことが起こりすぎてワケ分かんない。
「夏樹から連絡があった。適当に流しに行こうとしたら、街中でフレデリカを見かけたらしい。
奏に連絡を取ったら、仕事をすっぽかしたらしいってんで、後をつけてもらってんだ」
拓海さんが、アタシに向けて自分のスマホを見せた。
GPSか何かだろうか、地図上に赤いマークが動いてる。
「夏樹の現在地だ、ここにフレデリカもいる。たぶん近くに志希もな。お前を連れてきゃいいんだろ?」
「あ、あの、何でこんな――」
「何でもクソもねぇんだよっ! よく分かんねぇけど志希んトコ行ってビッとかましてくんだろうが!!」
「――っ!」
胸ぐらを掴み、拓海さんはアタシの顔をグイッと引き寄せる。
「テメェはな、志希に自分の本音を隠されて、おまけに庇われたんだ。ナメられてんだよ。
ナメられっぱなしはカリスマギャルの柄じゃねぇだろ。それともケンカの仕方も知らねぇか?」
「ケンカ――ナメられてる?」
「本当の仲間なら、思いやりなんてチャチなモンいらねぇんだよ。分かったらさっさとコレ被って乗れ」
志希ちゃんが――アタシを思いやった?
ピンクのヘルメットを被り、拓海さんの体にしっかり捕まって、夕暮れ時の幹線道路を疾走する。
爆音はすごいし、スピードも完全にオーバーしてるカンジがする。
警察に捕まらないのコレ? 大丈夫かな。
走る間、拓海さんはアタシに、周子ちゃんや奏ちゃんから聞いたらしい情報や詳しいいきさつを教えてくれた。
フレちゃんが仕事をドタキャンした事を、夏樹さんと奏ちゃん達が知ったのはおそらく同時くらいだということ。
夏樹さんが奏ちゃんに電話をしてる間に、フレちゃんはタクシーで移動中の周子ちゃんに電話をしたらしいこと。
その周子ちゃんから拓海さんに、ソッコーでアタシの送り迎えをするよう頼まれたこと。
「アタシらだって『炎陣』の初ライブを昨日終えて、今日がたまたま休みじゃなけりゃこんなんに付き合わねぇよ」
「エンジン?」
「アタシらのユニット名だ。あの野郎、ロクでもねぇ男だが良いヤツらと組ませてくれたぜ」
ちなみに、フレちゃんの仕事の穴は、たまたま夏樹さんと一緒にいた里奈ちゃんが急遽代わりに対応したみたい。
頭が上がらない。
どうやら夏樹さん――つまりフレちゃんがいる所は、ここから結構あるみたい。
しばらくかかりそう――。
と思った時、パトカーのサイレンが聞こえてきた。
どこかで事故でも起こったのかな?
「そこの二人乗りバイク、止まりなさい。えー赤とピンクのヘルメット、止まりなさい」
えっ――ウソ。
「チッ、こんな時についてねぇぜ」
「ちょ、ちょっと拓海さん、ヤバイって止まろうよ!」
「アァ? すっトロい事言ってんじゃねーよそれでもカリスマギャルか」
「関係無いし!!」
パトカーの警告も、アタシの言う事もまるで無視して、拓海さんはむしろ思い切り加速する。
振り切るつもりだ。ちょっと待ってマジでヤバイってコレ!!
交差点に差し掛かると、応援に来ていたらしい白バイが2台、左右から同時に割って入ってきた。
爆音とサイレンで、一帯がすごい騒ぎになっているのが分かる。
たぶん沿道の人達は皆アタシ達のカーチェイスを見てるんだろうけど、視界が狭まる高速の世界では、一瞬で通り過ぎていくその人達を見分けることができない。
やがて、雨が降ってきた。
ポツポツと、大きい雨粒がアタシ達の体に当たり、10秒も経たないうちにそれはバケツをひっくり返すような大雨になった。
「美嘉、やっぱついてるぜ」
「えっ何!?」
「悪路でのケンカ走りはアタシの十八番だからな!」
「雨で聞こえない!!」
「体を左に倒せ!!」
ようやく聞き取れたそれに従い、反射的に体を左に倒した。
すると、拓海さんのバイクはサーフィンみたいな水しぶきを上げてドリフトし、幹線道路から細い道へと滑り込んでいく。
住宅街の中に入り込んでも、拓海さんのスピードは一向に緩まない。
「ちょっと拓海さん! もういい、もういい!!」
「何が!!」
「事故るって!! 警察だってもう来ない!!」
サイレンは鳴り止まない。サイドミラーを覗き込むと、白バイはなお追いかけてくる!
「諦めていいって!! 死んじゃうよ!!」
「馬鹿言え、マッポが怖くてアイドルできっかよ!!」
「何言ってんのか分かんないし!!」
「聞こえねーよ!!」
いつ人や車が曲がり角の向こうから飛び出して来るか分からない。
その角に目がけて拓海さんはハンドルを切る。
ヘルメットが住宅の塀や、その向こうの電信柱をすり抜けたかのような錯覚に陥る。それくらいギリギリだった。
ホッとしたのもつかの間で、比較的広めの公園に突入し、泥を巻き上げ進んだ先にあったのは――。
「拓海さん!! そっち行き止まり!!」
「階段だ!! 行ける!!」
そういう問題じゃな――!
階段を飛び出し、アタシ達の体は宙に放り出された。
差し詰めスキーのジャンプ台のようなその階段は、思っていたよりずっと段が多くて、一番下まではゆうに5mはありそうな高さだった。
つまり――5mの高さからこのバイクは落ちるのだ。今この瞬間。
「ちょ――」
「喋ると舌噛むぜ! ケツを浮かせろ、歯ぁ食いしばれ!!」
う、ウソでしょ――ムリ、絶対ムリだって。
死ぬ間際は、時間の流れがスローモーションになるって、よく言うけど、コレのことかな?
この土壇場で、そんなのんきな考えがふと頭をよぎったのを戒めるかのように、次の瞬間、猛スピードで下のアスファルトが迫ってくる。
(♪)
んー、フレちゃん予報だと雨降りそうだねーこりゃ。
実際降ってるけど。
リナちゃんに言われてビニ傘買っといて良かったー♪
シキちゃんの分も買っとけば良かったかなぁ?
あ、でも二つ持ってたらおかしいよね?
あれっ、あの人右と左が分からない人なのかな? それともエスタークかな?
って思われちゃうもんね、知らない人が傘二つ持ってるフレちゃん見たらね?
まいっか。シキちゃん見つけたらフレちゃんの隣にしるぶぷれしてあげよっ♪
シキちゃん濡れてなきゃいいけどねー。おっ?
おぉっ?
【7】
(♡)
秩序とは、現実を覆い隠すための虚像。
そんな表現は、やはり稚拙だろうか?
分かるのは、アタシの取った行動は、決して正解ではなかっただろうということ。
そして、アタシにはそれ以外の解を導くことができなかったということだ。
自分が“天才”かどうかはともかく、“特殊”であるのは分かる。スペクトルの極限にいるという事を。
幼い頃からそれなりにチヤホヤされてきたものだから、言い訳がましいけど、多少なり調子に乗るのも無理は無かった。
おまけに自意識過剰で、傲慢で、言うこと聞かなくて、だのに何でも上手くこなせる存在は、万物平等を是とするコミュニティの中にあってはどうしようも無くうっとおしい。
概ね周囲の反応はそんな所で、そういう風に扱われることが普通なのだとアタシも解釈していたから、ごく自然とマジョリティから外れていく。
それで不都合は無かった。お互いに不干渉を貫くことで、アタシと彼らはWin-Winでいられた。
だからだろうね。人としての豊かな心を育む機会を失ったから、人の心に興味を持った。
一丁前に、それが欲しかったのだと思う。誰もが自然と持ち得るそれを。
では、人の心が最もむき出しになる場所はどこだろう? そしていつ、どのように?
海の向こうの退屈な講義に飽きて帰国したアタシの目に飛び込んできたのは、行儀良く並んだビルのとある一面。
まるで花火のように、存在をこれ見よがしに主張する極彩色のモニターだった。
次の瞬間気づいたのは、極彩色なのはモニターそのものではなく、それに映る会場と人であったこと。
そして、夢中になって、やはりカラフルなペンのような何かを必死に振るう無数の人、人。
道行くお兄さんを適当に捕まえて聞いてみると、どうやら大きな芸能事務所のアイドル達によるライブ映像らしい。
にゃるほど。
例えばスポーツの世界でもそう。人がホンキで何かをする姿というのは、人の心を打つものらしい。
あっちでも、野球とかアメフトの大きな試合があると、ウン万人という規模の人が会場に詰めかけ、その百倍以上の人達がテレビに齧り付き、翌日のティータイムでの話題に華を咲かせていた。
ホンキ――本気、か。
本気を出したことが無い、なんてことは無い。
ダッドと暮らしてた頃、彼はすっかりアタシが何でもできるものだと信じ込んで、無茶な要求を際限なく突きつけた。
応えられなかった要求こそ無かったけれど、アタシでさえ常軌を逸していると思えたそれに、付き合うのはもうウンザリで、だから逃げた。
彼の期待に潰される前に。
ダッドは本気のアタシを見て、多少なり心を動かされていただろうか?
その結果としてアタシはますますマジョリティーから外れ、心を育む機会を失ったのは皮肉だろうか。
一つだけ分かるのは、アタシはテレビに齧り付く彼らを軽蔑していたと思う。
本気で頑張る誰かを応援するなんて、自分で本気になれない人達が他者の威を借りて頑張った気になりたいだけの自己満足でしかないからだ。
実にくだらないと、それまでは思っていたのだけれど――。
Hmmm……にゃるほど。
マジョリティーから外れた自分が見向きもしなかった世界に、自分以外の誰もが持つ心がむき出しに存在し得るのは、一つの論理的帰結を得ていると言えなくもない。
346プロ――。
アイドルになるには、大きく二つの方法があるらしい。
事務所に直接申し込んでオーディションを受けるか、スカウトされるか。
後者の方が簡単だ。
とある昼下がり、匂いをかぎ分けて出会ったその人は、狙い通り芸能事務所のプロデューサー。
しかも、いつぞや見た例の346プロときてる。
匂いをかぐだけで、どうして狙った人種を補足できるかって?
正確に言うと匂いだけじゃないけどね。挙動とか雰囲気もあるし。
ただ、経験則から言わせてもらうと、イイ匂いをさせてる人は大抵の場合、その時の自分にとって“都合の良い”人だった。
話を聞くと案の定、どうやら新規ユニットの立ち上げに向けて、2人の追加補充人員を探しているらしい。
――ただ、都合の良い人であることと、良い人かどうかは別である。
彼はたぶん、良くない人だろうと直感した。
彼の指示に倣い、強引に取り入ってその世界を覗き込み、分かったことは二つ。
一つは、彼女達を夢中にさせるものの正体。
トップアイドルという、魅力的かつ抽象的なそれは彼女達の夢であり、そこへ至るアプローチも様々だ。
ビジュアルを活かす子もいれば、ボーカルで魅了する子、ダンスで魅せる子。
いずれの能力が秀でていなくとも、トークと体を張ってそれを目指す子もいるようだ。
ひとえに抽象的であるがこそ、自由にそれを目指すことができ、彼女達は皆自分の武器を探して到達し得る道を探す。
そしてもう一つは、この世界の闇。
トップになれるのは、ほんの一握り。
誰かが華やかな舞台に立って光を浴びるその裏で、数え切れないほどの子達が涙を飲むのが実態だ。
誰もそれを望んでいないにも関わらず、誰もがそれを目指すが故に悲劇が繰り返される。
そして、プロデューサー達はその感覚にすっかり麻痺しているようだった。
でも、彼らを責めることはできない。状況がそうさせているのだから。ただ――。
アタシが出会ったその人は、その状況を変えるために、力を貸して欲しいと言った。
どうやって? とアタシが聞くと、彼は真面目な顔を崩さずにこう言った。
「まず、君達には今度のサマーフェスで負けてもらいたい」
正確には、高垣楓さんという人を優勝させたいのだという。
話を聞くと、どうやら利権が絡んでいるとのことだった。
つまり楓さんは、身も蓋もない言い方をすれば、この事務所、ひいてはこの業界で言う所の“金の成る木”だ。
モデル出身の美貌に加え、ダンスやボーカルも並外れた実力を発揮する彼女は、いずれの分野にも精通し、確かな実績を残す。
そんな彼女には黙っていても仕事が舞い込む。それどころか、楓さんがもし今引退すれば、業界への影響を鑑みると、職を失う人まで出てくるだろうとのことだ。
もはや産業だね。楓さんという一大産業。
生え抜きの上層部の中には、その恩恵に預かり、関連する業界と太いパイプを築き上げた人もいるらしい。
楓さんが優勝しなくては、その後のビジネスにも大きく影響を与えかねないのだ。
なーんだ、そんなことか。くだらないとは言わないけどさ。
それで、キミもその甘い汁を吸いたいワケだ、と茶化したら、彼は首を振った。
「言っただろう、状況を変えたいのだと。
少なくとも、大人達の都合で彼女達が振り回されていくのを見るのはもう嫌なんだ」
どういう事だろう?
今まさに、キミは恣意的な理由で楓さんを優勝させるべく、アタシ達に負けろと言っているのに。
「君の言う一大産業をぶっ潰すのさ。一旦持ち上げた上でな。“楓降ろし”だ」
彼にはどうやら、高垣楓の次期プロデューサーという話が既に偉い人から内々で通達されていたみたい。
だから、今の彼女のプロデューサーと同行する機会も多く、そういう、いわゆる政治的な会合にも度々出席していた。
楓さんが優勝した後は、そういう、まー、黒い黒いミーティングなり意見交換会に出席する機会はもっと増えるのだろう。
その瞬間を、こっそり記録に残し、内部告発する。
社内のイベントとはいえ、346プロのサマーフェスはもはやアイドル業界の動向を占う試金石であり、業界人にとっては大きな関心事だ。
週刊誌はこぞって一大企業たる346プロのヤラセとその裏に潜む“政治とカネ”を取り上げ、世間の劣情を煽るだろう。
そうなれば、楓降ろしどころではない。
彼がアタシにその計画を告白した理由は結局聞けずじまいだったが、強引に推察するとこうだろうか。
「欲望こそ人の心の根幹であると、アタシに伝えたかった」とか、ね。
彼は真面目だ。協力を求めるからには、アタシに何かしらのギブをしたかったのだろう。
だが、それが正しいかどうかは分からない。
一つだけ分かるのは、スマートではない。
アタシはそういう黒々とした心のやり取りを観察できるのは、とっても興味深くて楽しいから良いのだけど、当事者達はどうだろう?
渦中の楓さんは? 取り巻く人達は? 職を失うとされる人達の行方はどうなるの?
LIPPSの皆だって、負けたらどうなるだろう?
腐らずに、次も頑張ろうという前向きな姿勢を維持できると、どうして言い切れるのか?
あまりに無責任なのはもっともだが、それについてアタシが言えた義理ではない。
でも、たぶんそーゆーのはなんか違うんだよねー。
計画は、思ったよりも原始的だったようだ。
誰かが音声プラグを引っこ抜くことで、アタシ達のステージを台無しにしようという算段だったみたい。
アカペラでのアドリブを皆に提案したのは、彼からその話を聞かされた翌日だった。
当たり前だけど、何の意味があるのかと、フレちゃん以外の皆は訝しんでいる。
でも、試しに実践してみせると、どうやらそれなりのクオリティだったらしく、シャレでも悪くないとのことだった。
そう、何なら元々そういうアカペラ音源にしてしまって、逆に会場を驚かせようという“ジョーク”でも良いのではないか?
実にLIPPSらしい、ファンキーなステージになるだろうと、美嘉ちゃんと周子ちゃんは結構ノってくれた。
あんなに上手くいくとは思わなかったし、楓さんが優勝しなかったのはそれ以外の理由もあったのだろう。
でも、一つだけ分かるのは、そう――とても楽しかったのだ。
きっと、楓さんを勝たせて失脚させるよりも、遙かに上回る達成感がアタシを支配していた。
どれだけ退屈な研究を行い、上っ面な論文を書き上げプレゼンし、偉い人達と仲良く握手しても得られなかったそれは、今ここにある。
ステージの上のアタシを、皆が祝福してくれている。
そんな彼らが、アタシにはとてもありがたくて、例えようもなく愛おしい。
これが心なんだ――嬉しいとしか、言いようがなかった。
行動に対する責任を負うという覚悟が、アタシには足りていなかったのだと、気づいたのはその後だった。
想定外の事態を受け、混迷を極める上層部を尻目に、アタシ達は爆発的な人気を集め、サイコーに楽しい状態。
そして、正しくそれを利用しようとする者達がいたのだ。
新しいトップ、引いては346プロへの背信行為を企む生え抜きの役員が。
持ち上げて落とす、という行為がしばしばこの国では取り沙汰されるけれど、まさにそれだ。
LIPPSは、体よく泳がされていたのである。
346が傾く程度には世間の関心を集めるまで――すなわち、一定の落差が得られるまで。
高垣楓に代わる新たな346プロの象徴となったがための、『LIPPS降ろし』だ。
彼からそれを聞かされた時、アタシは混乱した。
予期せぬ事象に出会うことは、研究者時代から日常茶飯事ではあった。
だが、恣意的な意志に振り回されることは、人との心のつながりを持たなかったアタシにとって未知なる経験だったのだ。
理解はできるが、納得ができない。無論、肯定のしようも無い。
だが、それを打開する術をアタシは導くことができずにいた。どんな理不尽な要求にも応えてきたはずのアタシが。
こういう時に大事なのは、視点を変えること。
アタシをLIPPSの一員として存続させるケースを念頭に置くから無理が生じてくる。
では、アタシはLIPPSではないとしたら?
この仮定に立った時、たどり着いたのは、驚くほど簡単な解だった。
アタシが彼らと一緒に『LIPPS降ろし』を画策していたことにすれば良い。
背信者は、役員連中だけではなかったということだ。
そして、それを内部告発するのもアタシ――こういうのを二重スパイと言うのかにゃ?
つまり、LIPPSに対し悪いことを企んでいた人達の仲間になって道連れにするってこと。
LIPPSは、役員達と一ノ瀬志希にそのアイドル人生を振り回されかけた被害者になれる。
たぶん、まともにこの話をしたら、LIPPSの皆は納得しないだろう。
特に、とても純粋で高潔で、曲がったことが大嫌いな美嘉ちゃんは。
手応えは、二人で話す機会を得た時に大体把握することができた。
だから、アタシは彼女を利用した。利用してしまった。
かくして人は自己嫌悪に陥るのである。
――まーいっか! にゃっはっはー!
正しいかどうかはともかく、現状ではそこそこベストに近い手段ではあったはずだろうし。
アタシはいつも通り失踪し、彼女達は面目を保ってこれからも活躍し続けられる。
一ノ瀬志希による人の心の観察は一定の知見を得たとゆーことで、ま、そんなもんでしょ。
問題があるとすれば、次の興味の対象を見つけないとなんだけど――。
うーん、何かイイのないかなー?
「あのー、ちょっと、もしもしそこのおじょうチャン?」
「?」
振り返ると、どうやらやはりアタシを呼んでいたらしい。
ショルダーバッグと、右手には風呂敷包みを持ったそのおばあちゃんは、しかしアタシの知り合いではなかった。
「ん、アタシですか?」
「そうそうあのネ。ちょっと道が分からなくテネー困ってたのヨ。息子のウチを探していテネー」
話し方がゆっくりで、何やら不思議なイントネーションのおばあちゃんだ。
でも、不快な不思議さではなかった。とても優しい感じの人だ。
「息子さんの家? 場所はどこ?」
「んーとどこだったかネェ。えぇと、ささ、なんとかいう、ささづ」
「笹塚?」
「あーそうそう! その笹塚ってトコに住んでるみたいデネェ、どうやって行ったらいいんダベ」
笹塚なら、京王線の駅が近くにあるから、そこから電車に乗ればすぐだ。
でも、アタシも正直、日本に来てからというもの、こっちの電車の乗り方を未だによく理解できていない。
仕事上の送り迎えは基本的にプロデューサーの車だし、皆と遊ぶのもテキトーについて行くだけで、道程を意識したことなど無かった。
「タクシーに乗ってったら?」
「エェー、タクシーはネェ、せがれが東京のタクシーはボッタクリで怖ぇから乗るなってネェ。だから怖いのヨネェ」
――? 随分偏屈な息子さんだね。
まぁ、それならしょうがない。電車の駅まで連れてったげよう。
「アラ~、いいのカイ? ありがとうネェ、おじょうチャン。東京にも良い人いるノネェ」
「アタシもぶっちゃけ東京に来てまだ日は浅いけどねー♪」
スマホで地図を見ながら、おばあちゃんの手を引いて歩く。
「アラ、そうなノ? どこの人?」
「アタシ? アッメェ~リカだヨー♪」
「ヒエエェェ、アメリカ? すごいワネェ、日本人にしか見えないワ~」
小さな体で大袈裟に驚くおばあちゃんは、思っていたよりも実にユニークでプリティーだ。
「にゃははは、ウソウソ! ホントはね、岩手なんだ。生まれは。
アメリカには留学してただけ。あ、荷物持つよ?」
ぶっちゃけ、岩手で住んでいた時の記憶はあまり無かったけど、言った途端おばあちゃんが食いついた。
「アラ、そうだったノ~。あたしもとーほぐから来たんダァ。荷物ありがとネェ」
「へぇー」
生返事しちゃうと、興味無いのバレちゃうかな。
日本の都道府県なんて半分も知らないし、岩手で暮らしてた時の記憶もあまり無い。
岩手の隣には何があっただろう。
「ところで、はて、おじょうチャンは、女子高生カイ? その歳で留学だなんて偉いワネェ」
ペースを合わせてゆっくり歩いていると、ふとおばあちゃんがアタシの服装を見て言った。
偉い?
「あっちの大学に通ってたんだ。でもつまんなくてさ。
何も偉い事なんて無いよ、途中ですっぽかしてきたんだから」
「アラ~、そんな事無いワヨ~。飛び級してたノネ、すごいワ。せがれにも分けてやりたいネェ」
「息子さんって、今は何をしているの? 学生?」
「ウウン、働いているって聞いたケドネェ。何をしてるのかしらネェ」
顔をしかめながら、おばあちゃんは明るく笑ってみせる。
年季の入った白髪と、力を込めればポキリと折れちゃいそうな小さい肩。
でも、この人は見た目以上にエネルギーがある。
「親にまで、内緒にしなきゃいけねぇ話も無いだろうニ、本当、好き勝手やる息子で困っちゃうワ、オホホ」
「仲、悪いの?」
そっと聞いてみると、おばあちゃんの笑い声は一層大きくなった。
「良いや悪いで決められるモノでも無いワヨネェ、家族って。どんなに悪くても、家族だものネェ」
「――そっか」
当たり前のように言われると、改めて自分は他の人と違うのかと思い知らされる。
家族の絆さえ、アタシは育んで来られなかったことを。
「羨ましいな」
「ン?」
「その息子さん、こんな素敵なお母さんがいてさ」
ふと、ダッドやママの事を思う。
気づいたら大学から、しかも国を飛び越えて失踪したアタシに気づいた時、彼らはどう思っただろう。
勝手に手続きを済ませた、編入先である東京の高校からも、一度くらい彼らに連絡は行ったはずだ。
見つけに来てくれる事だって、やろうと思えば彼らにはできるはずなのに。
――――。
「はぁぁ~、何だか疲れちゃったワ~」
「えっ?」
歩みを止め、腰をトントンと叩きながらおばあちゃんは大袈裟にため息を吐いた。やっぱり、笑顔で。
「ちょっと、そこのお店でお茶でもどうかシラ?」
おばあちゃんは、自分のコーヒーにミルクを三杯入れた。砂糖は入れなかった。
「変わった飲み方だねー」
「アナタこそ、タバスコいつも持ち歩いてるノ?」
「にゃはは、まぁねー♪」
コーヒーフロートにマイタバスコを振るアタシを見て、おばあちゃんはまた笑う。
「おじょうチャンの名前、聞いても良いかシラ?」
「アタシ? 一ノ瀬志希っていうの」
「シキ」
「こころざしに、きぼう」
「アァ~、希望を志すで志希ちゃん。良い名前を付けたのネェ~志希ちゃんのご両親は」
カップを両手で持ち、ニッコリと笑いながらおばあちゃんは、ミルクたっぷりのそれを美味しそうに啜って、ホッと息をついた。
「そうかな」
「えっ?」
「アタシは、自分に見合わないご大層な名前を押しつけられたとしか思ってない」
「そう」
おばあちゃんは、否定も肯定もしなかった。黙って、アタシの次の言葉を待っているようだった。
「アタシは――」
別に、さっき会ったばかりの他人に、こんな話をしてもしょうがないのに。
「親が嫌い――ううん、たぶん皆には、アタシの事なんてほっといて欲しいんだと思う。
希望は十分志した。もうたくさんなのに、ダッドをはじめ、周りはアタシが立ち止まるのを許さなかった。それで」
「家出しちゃったのネェ」
「海の向こうのキャンパスライフはラクだったよ。安上がりの論文さえ書いてればイイ子でいられた。
権威と呼ばれる知らないおじさん達と「ないすとぅーみーちゅー、みすたー♪」なんて握手してればさ」
「お友達はできた?」
「ううん」
「そう」
頬杖をつき、窓の外を眺める。
アタシと同い年くらいの女の子三人グループが、キャッキャと笑いおどけながら歩道を歩いて行くのが見える。
「ラクだけど、つまんなかった。
それは、学校の講義だけじゃなくて、やっぱりそういう、友達? が欲しかったのかな。
こっちに来て、ようやくそれを得たと思ったんだけど――」
「だけど?」
奏ちゃん、周子ちゃん、フレちゃん――怒りに震えた美嘉ちゃんの顔が浮かぶ。
「結局、アタシはそれを手放したんだ。友達に、なれそうだったのに、その子達を――」
「喧嘩しちゃったノ?」
「アタシが、一方的に酷い事を言っちゃったの。そうした方が良かった。
元々、煙たがられるのは慣れてるしさ」
「ただ――美嘉ちゃんに、謝れなかったのが残念、かな」
「お友達なのネェ」
「お友達に、なりそびれちゃった子、だね」
「いいえ、お友達ヨ」
「えっ?」
外に向けていた顔をふと正面に直すと、そこにはやっぱり笑顔があった。
何でこんな――。
「何があったかは知らないケレド、そのミカちゃんって子と志希ちゃんはお友達だと思うワ」
――こういうの、ホントは言いたくないけど。
「勝手なこと、言わないでくれるかな。
アタシがどれだけ美嘉ちゃんに酷い事を言っちゃったのか、まるで知らないクセにさ」
「謝りたいんデショ?」
「もう謝れない」
「後悔する心さえあれば、十分ヨ」
「――えっ」
おばあちゃんは、カップを置き、テーブルの上で手を組んだ。
「仲直り、したいんでショウ?
そうでなきゃ、酷い事を言っちゃった、なんてこと言えるはず無いワ」
「――もう、仲直りできないから、言ってるんだよ。後悔は、取り返せないから後悔なんだし」
美嘉ちゃん――きっとまだ、怒ってるんだろうな。
ストイックに仕事と向き合ってきた彼女にとって、アタシの言動は許されざるものだったはずだ。
ダメだよ。
取り返しがつかない方が良いんだ。それが一番上手く収まるのだから。後悔は正しい。
でも――何でアタシが、後悔しなきゃいけないんだろう? それは――。
「アタシは、皆の事が、き――嫌いだからさ」
「うん」
「皆だってさ、ほら! 皆も、アタシの事、嫌ってるだろうし、だから――」
「どうしたいかだけでもいいノヨ?」
「どう、したい――?」
ウンウン、と、おばあちゃんは優しく頷いた。
「人生はネ。本当に良い事も、嫌な事も、いっぱい色んな事があるノヨネ。
でも、長い目で振り返ると、結局は人生、思うようにしかならないものナノヨ」
「何でも思いようになるなら、アタシ、こんな嫌な思いしてるはずないと思うよ?」
「自分の気持ちに正直に生きる、という事ヨ」
おばあちゃんは、組んでいた手を解き、それを私に差し出した。
「――手?」
「ウン」
アタシが差し出してみた手を、おばあちゃんは両手で握る。
かさついた彼女の手は、飲み終わってすっかり冷めていたはずのカップをさっき握っていたにも関わらず、ぬくぬくと温かい。
「やりたい事を、やりたいようにやりなサイ。人間はネ、図々しく生きたもんの勝ちナノヨ」
「やりたい事――」
「えぇ、そう。仲直り。
失敗してもいいじゃナイ。やりたい事をやれたなら、結果なんてオマケデショ」
オマケ、という語感が自分で楽しかったのか、おばあちゃんはしきりにオマケ、オマケと古い玩具のように繰り返して笑い、
「――アラ、外が暗くなってきたワネェ、出まショ」
と手を合わせて席を立った。
「雨が降るね」
外に出ると、空気が湿っている。風が運んでくるそれは、嵐の匂いだ。
「天気予報?」
「ううん、匂いで分かるの」
「アラ、志希ちゃんは本当にすごいワネェ」
そう言って笑った後、おばあちゃんは、「ここでいいワ」と言った。
「えっ、いいの? 駅までまだあるけど」
「えぇ。志希ちゃん、これからやることあるでショウ」
「やること――」
アタシが、やりたいこと――?
「えぇ、やりたいことヨ」
「おばあちゃんさ」
「ん?」
「図々しく生きたモン勝ちだ、なんてさっき言ってたけど――アタシ以上に図々しい子なんて、いないよ」
おばあちゃんの半歩先を歩く。向こうに見える大通りは今日も、どこへ向かうというのか、人も車も慌ただしい。
いつだって、周りに迷惑ばかりかけてきた。
あっちのラボではメンバーの意見に耳を傾けたことなんて無かったし、こっちの高校でも授業はサボってばかり。
それでも結果さえ残せば、とりあえずはアタシも彼らも、問題は無かった。
それは、アイドルやってる時だって一緒。
レッスンをサボったり、お仕事に遅れたり、イベントの当日には台本に無いことをやらかしてばかりだった。
小さい頃、ダッドの期待に応えようと、良い子になって頑張ってた反動もあったのかも知れない。
――なんて、ダッドのせいにする必要なんて無い。アタシがそうしてきた。
そう、全ては結果を残したモン勝ち。売れたモン勝ちだ。
「周りを省みる必要も、余裕も無かったもん。だから、アタシは勝ててきた」
振り返り、いつもの志希ちゃんスマイルで――たぶんアイドルとしては最後になるであろう――にゃはっ♪ と彼女に笑いかけた。
「今回も、長い目で見れば勝ちだよ♪」
「志希ちゃんは、優しい子ネェ」
せっかく笑ってみせたのに、おばあちゃんの笑顔は先ほどとそんなに変わらない。
「優しい?」
「本当に図々しい人は、自分の事を図々しいナンテ、言わないワヨ」
「――そうかな」
「友達になれたんだモノ。
一度くらい喧嘩したッテ、仲悪いままでいたくないッテ、ミカちゃんも思ってるワヨ、きっと」
「美嘉ちゃんも――?」
「たとえ、そうじゃなくタッテ、志希ちゃんがそうしたいなら、そうすれば良いノヨ。
本当に図々しいのは、そういうコトヨ」
おばあちゃんは、風呂敷の中をゴソゴソと漁り、中から一つのミカンを取り出した。
「はい、ウチのミカン。ちょっと若いけレド、今日親切にしてくれたお礼」
おばあちゃんは歩み寄り、あたしの手にそれを握らせて、ニコッと笑った。
「ありがとうネ、志希ちゃん。頑張ってネ」
「おばあちゃん――」
大通りに向かって、おばあちゃんは歩き出す。
「やっぱり、タクシーに乗るワ。膝が痛くテネェ、ボッタクリでもいいカラ、ラクしたいノヨネェ、オホホ」
「アタシ、捕まえて来るよ」
おばあちゃんを追い越し、大通りに出ると、歩道から身を乗り出し、精一杯大きい声でそれを呼んだ。
ちょうど良いタイミングで止まってくれる辺り、さすが東京だ。
「来たよ、おばあちゃん」
「ありがとうネェ、何から何まで」
「いいの、これくらい」
その小さい体を後部座席にゆっくり乗り入れると、おばあちゃんはアタシに手を振った。
「志希ちゃんは、もっと図々しく生きていいノヨ。それジャアネ」
アタシも、返事をする代わりに、手を振った。
ドアが閉まり、タクシーが走り去った後、駅へは逆方向の車線だったことに気づき、舌打ちした。
「図々しく、か――」
おばあちゃんを見送ってから、アタシは当初の目的地へ再度歩き出す。
彼らに一部始終を伝えれば、悪い人達は世間の目によって裁かれ、LIPPSは救われる。
多少は346プロも揺れるだろうけど、マスメディアにも強いパイプを持つ事務所の力を考えれば、さしたる問題は無い。
これでいい。いいはずなんだ。
だけど――。
それは、アタシにとっての“勝ち”なのだろうか?
――たとえそれが、勝ちで無かったとしよう。
では、アタシが勝つことに、何の意味があるのか?
人智の及ばない、為す術が無い事象にレッテルを貼ることが、古来より人は大好きだ。
そうやって考えを放棄し、恐怖から目を背け、逆に崇めることで秩序を形成させた文化だってある。
これまでのアタシには理解できなかったけれど、今なら少し、分かる気がする。
程度は異なるけれど、今回のだって――少なくとも今のアタシには、どうしようも無い混沌だった。
だから、アタシなりの解をもって、この混沌に秩序を与える。
現実を覆い隠すための、まさしくアタシは虚像だ。
皆には、それを知ってほしくない。
始末に負えない一ノ瀬志希という問題児が、笑えない問題を招いてクビになったのだ。
そう思ってもらえたらどんなに楽だろう。
やっぱり、おばあちゃん――それが、アタシにとっての勝ちなんだよ。
「ごめんね」
何を謝る必要があるの?
おばあちゃんだって、きっと分かって――いや、たとえ分かってくれなくたって――。
ふと、手に持ったミカンを見つめる。
特に、好きでも嫌いでも無いそれは、普段そう気に留める存在でも無いはずのものだ。
駅が見えてきた。
目的地は、ここからそう遠くはない。乗り換えも1回くらいで済むはずだ。
よし――と、改めて覚悟を入れ直した時だった。
後ろから、呼び止められた。
迂闊だった。
でも、それはたぶん、アタシにとっては予想外ではなくて――期待していたんだろうと思う。
その人から呼び止められることを。
続き
LiPPS「MEGALOUNIT」【3】