1 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:05:47.40 ss87dLg80 1/21

アイドルマスターミリオンライブ、最上静香のSSです。
地の文が多いです。御了承の方は、是非。

2 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:06:13.61 ss87dLg80 2/21

こうして家族で出かけるのはいつぶりだろうか。最上静香は、窓から見える夏の海と、トンネルや木々の陰に入った時に覗く自分の顔とを、見るともなく見ながら、そんなことを思った。


ーーー「アイドルになりたい」
十年来の夢を掲げて踏み出そうとしたとき、足枷になったのは、いま目の前で、黙って車を走らせる父だった。
打ち明けたあの日、父は、私が父の日に買ってきた豆で挽いたコーヒーを啜りながら、新聞片手に、遊びたい年頃だろうと言って、高校受験まで、という制限付きで、アイドルになることを許可してくれた。子どものやりたいことは全て尊重されるもの、というのは、やはり幻想だと実際に確認して、少し落ち込んだ。鳥籠は、うちにもあったのだ。それでも、鳥籠に脚を挟めつつ、私は、念願のアイドルになった。

3 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:09:04.64 ss87dLg80 3/21

毎週日曜日は、家族で出かけていたが、それ以来、その習慣はなくなった。
私は嘘を吐いた。レッスンのない日も、今日は参加しなければならないレッスンがある。
そうやって嘘を吐いた。積極的にその習慣の遂行を回避した。
ただ何となく、私は家族との時間を犠牲にするほどアイドルに真剣である、
というのを表明したかったのだ。だから嘘を吐く。鳥籠へのささやかな抵抗のために嘘を吐く。
そして私は、そうやって家族から抜け出す日曜日、本当に劇場に行って、自主レッスンをする。
自分の嘘を幾分か真実にするためだ。たまたま会う仲間からは、努力家で、
夢にひたむきだと思われているかもしれないが、この日曜日の自主レッスンに関しては、ひたむきでもなんでもない。
嘘を吐いたことの贖罪に他ならない。
誰もいないレッスン室の扉を開けると、空調の音ばかりが響いている。
そんな中にカセットで音楽をかけて、踊る。
贖罪だと思う癖に、踊っている間は、嘘を吐いたことも、時間制限があることも、
自分が籠の中の鳥だということも、全て忘れられた。自分はただ、全身を使って踊っている。
そればかりが頭にあった。ーーー

4 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:11:23.55 ss87dLg80 4/21



 窓から見える景色は、海から緑へと変化していた。
木漏れ日が土と草花に模様を付けている。
車は、海沿いの国道を逸れて、白線のない森の小道をゆっくりと走る。
転がった小石に乗り上げて、小刻みに車が揺れる。
その度に、助手席で船を漕いでいた静香の母が、目を覚ます。
そうしてまた、船を漕いで、いよいよ首をシートに預けて、眠ってしまった。
 しばらくして、突然父が、静香、と声を掛けた。
静香は、その響きをぼんやり聞いて、自分の名前だのに、懐かしかった。
いつも劇場で呼ばれていることを思うと、尚更不思議な心持になった。
「なに?」
「母さんにタオルケットをかけてやってくれないか」
「うん」
 後部座席には、いつも三枚のタオルケットが畳んで置いてある。
顔に当てると、うちの匂いがした。
静香は、昨夜、母が突然外へ出たのは、車にあるこのタオルケットを取りに行って、
洗うためだったのだと気がついた。
薄いクリーム色のが母、薄い青色が父、薄いピンク色が私だ。
静香は、そういえば昔はピンク色が好きだったなと霧の中で思った。
そうしてその思いは、いろいろに遷移を繰り返して、一つの場所に落ち着いた。

5 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:13:41.42 ss87dLg80 5/21



―――父が私の将来を思うのだとしたら、母は、私のこころと身体を思ってくれる。
定期ライブとテストが重なってしまって、遅くに帰ってきて、
遅くまで勉強する私に、人肌のミルクを持ってきて
もう寝なさい、と眉をひそめて、呟いたりする。
そうでなくとも、いつもレッスンのある日は、
迎えに行こうか、今日は早く帰るのか、と仕切りに連絡をよこしてくれる。
正直鬱陶しいと思うこともある。けれど。―――

 静香は、薄いクリーム色のタオルケットを二つ折りにして、
母の背後からそっと掛けてやった。母にそうされるように、愛を以て掛けた。

6 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:16:39.10 ss87dLg80 6/21


 山頂に着くと、小さな雲は青い空を躍動して散りじりに消え、
遠くでは入道雲がのっそりと構えている。
それよりももっと遠い、地平線の向こう側から、
風鈴を僅かに揺らす冷えた風が、ゆらゆらと断続的に吹いた。
 静香の父が、4ドアのワゴン車の後部を開け放ち、クーラーボックスを取り出す音を聞いて、
静香の母が目を覚ました。
母は、タオルケットを畳んで、大きな真黒い日傘を差して、外へ出た。
既に大空を細目に仰いでいた静香に、日傘をかざす。
 二人は、せっせとレジャーの椅子や机を並べる汗ばんだ父を、四方の木々から聞こえる蝉の声を聞きながら、見ていた。

7 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:18:29.28 ss87dLg80 7/21


 暑そうね、という母の、侮蔑と優越、余裕の混じった言葉は、蝉の声に埋もれて、くぐもった。
静香は、そんな母の態度を見て、私にはない美しさだと思った。
かといって、欲しいとも、手に入るとも思わなかった。
その美しさは、父と母、前近代的な夫と妻の関係からくる。
家庭において、父は威厳を持ち、母はそれに黙って仕えるばかり。
しかし外においては、父は何も言うことなく、ただ無私愛を以て母に仕え、
母はそんな父を、余裕な眼で見つめている。
その美しさに、静香は嘆息を漏らすものの、手に入るとも、欲しいとも思わなかった。
なので、静香は、父を手伝いたくて仕方がなかった。
今すぐに、余裕の影の中から出て行って、私も手伝うわ、と言いたかった。
しかし、父母の描く、美しい古風芸術を汚す気には、毛頭なれなかった。

8 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:20:21.26 ss87dLg80 8/21


 巨大なパラソルの下で、家族は向き合うこともせず、各々の椅子に座って、
ただ遠くにある夏の山並みを眺望していた。
車の後部に吊るされた風鈴の音が、風と共にささやかな涼を誘う。
 静香は、何も考えていなかった。自分が何者であるか。
何を夢見て、何を愛し、何に愛されている存在であるのか、
それら全てに対して盲目になった。
その無我の静寂を、静かに打ち破ったのは、父だった。
「最近どうなんだ」
静香は、その一言に含意されている意味を、どうとでも捉えることができた。
学校のことか、友人のことか、
それとも、アイドルのことか。
どうとでも捉えることはできたが、そうとしか捉えることができなかった。

9 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:21:56.68 ss87dLg80 9/21


 父からアイドルのことを聞いてくるとは、意外だった。
母は何も言わない。静香は、自然に口を開いた。
飾った言葉は使えそうにない。時間制限を撤廃する方向に、
半ば誘導するような上手い文句を垂れる頭は、一切働かなかった。
純粋な、清廉な、打算の無い、正直な言葉を紡ぐ。
「頑張ってるよ」

10 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:22:54.41 ss87dLg80 10/21


 静香は、言ってから自らの言葉を反芻して、
「楽しい」と言えなくなった自分に自覚した。
勿論「楽しい」のだ。しかし今はそれ以上に、
「頑張っている」という意識の方が強いということに気がついた。
それも当然である。楽しいばかりのはずがない。
むしろ夢を目指すのはつらいことの連続である。
楽しいのは、それを超えて得られるものだ。静香は漠然とそう思った。
「そうか」と父は言う。母は何も言わない。静香は眼を閉じて、風鈴の音を遠くに感じた。

11 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:24:40.04 ss87dLg80 11/21


 気がつくと、香辛料の香りが鼻を通った。
父と母が、コンロを出してカレーライスを作っていた。
静香は、首をもたげて、その光景を見た。父が味見をしているところだった。
父の顔は、少し緩んで、すぐまた引き締まった。
 空は茜と青の水彩に染まり、蝉の声も穏やかに鳴っていた。
母が目を覚ました静香に気がついて、おはよう、と声を掛けてきた。
随分と疲れていたみたいだから、と言って微笑むので、静香もまた微笑み返した。
父は、黙って飯盒の白飯を紙の食器によそっていた。

12 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:27:17.34 ss87dLg80 12/21


 食事が済むと、辺りはすっかり暮れ、暗い青で空が塗られていた。
西の空に星が見えた。月はない。今夜は新月である。

 静香と、その両親、すなわち他に代え難い一つの家族は、
コーヒーを飲みながら、夜の全天を横切る星々を、共に待った。

13 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:28:41.80 ss87dLg80 13/21


「あっ、いま流れた」
「ほんとう?」
「……見えなかったぞ。嘘を吐くな」
「ほんとうだってば!」

 静香は、星に願うことも忘れて、はしゃいだ。
自分だけが目にした流星を、大事な家族に何とか伝えようと努力した。
しかし、伝えようとすればするほど、嘘っぽかった。
その流星は一瞬で燃えて、既になくなった。
伝えようとすること自体が無意味だ。静香はそう思って、
はしゃいだ自分を子どもらしいと恥じながら、椅子に腰を落とした。

14 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:29:34.84 ss87dLg80 14/21


 その時である。
時間という一瞬の集積から、ほんの少しだけ、切り取って、
引き伸ばしたように、一際大きな光の粒が長いこと流れた。
「見えた」
「見えたな」

15 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:30:49.56 ss87dLg80 15/21


 その流星を皮切りに、夜空に、光の粒が数え切れないほど流れ出した。
しかし、静香の心は、あの一際大きな流星ばかりであった。
 静香は、あの流星に願い事をした。
かといって、なにを願ったのかは、本人にも判然としない。
しかし、確かに願った。それだけはやはり確かで、
こころには確固たる何かがある。それだけで十分だった。思い出す必要はない。

16 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:33:11.19 ss87dLg80 16/21


 夜通し空を見上げて、帰りは次の日の朝になる。
明け方に三時間ほどの仮眠を取り、行きと同じく、父の運転で自宅へ帰るのだ。
父は月曜日に有給を取っていた。父が有給を取るなど、あり得なかった。
 母はぐっすり眠っている。
父はひたすらに前を見つめてハンドルを握っている。
眠くないのだろうか、と静香は思う。大丈夫なのだろうか。
もし居眠りでもして事故になれば、などと思って、不安になった。
 別に、眠くないか、と話しかけるでもなく、
静香はただ、夜を越した重い瞼を持ち上げて、
万が一父が居眠ったら、すぐに後ろからハンドルを握って、それからブレーキを踏む、
という妄想を働かせて、仮初めの安心を得ながら、
ルームミラーに映る父をこまめに見た。
 すると、父とミラー越しに目が合った。
静香は、すぐに目を逸らす。対向車とすれ違う度に、風を切る音がした。
そればかりが車中に響いた。父が言う。
「眠くない。大丈夫だ。静香も寝なさい」
「でも」
「大丈夫だ。事故など起こさない。明日もレッスンなんだろう。今は寝て、疲れを残さないようにしなさい」
「……うん。ありがとう、お父さん」

17 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:34:30.04 ss87dLg80 17/21


 静香は、この言葉を後にしても、
父が、アイドルの活動を認めてくれたとは思わなかった。
時間制限は簡単には解けない。
これこそ仮初めである。父は頑固だ。
それも、私の将来を考えてくれている頑固だ。私のためにひたすらに頑固だ。

18 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:35:28.51 ss87dLg80 18/21


 確かに、父の思うようにアイドルは不安定だ。
専念して、失敗したら、遅れた分、通常の道への復帰は、
かなりの努力を有するかもしれない。
それに、成功したとしても、いつまでも成功し続けることができるわけではないし、
アイドルを引退した後どうする、という問題もある。

19 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:36:38.78 ss87dLg80 19/21


 それでも、私は走り続けたい。
たった一つの夢、初めて夢中になった。
この先の未来がよく見えなくても、一つだけ光が見える。
そればかりを指針に、殆ど盲目のままでも進む。
かけがえのない夢は動かない。ただ目指して走るだけだ。

20 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:37:40.68 ss87dLg80 20/21


 父の頑固と母の愛情、その居心地の良い「思い」を振り切って、
走る覚悟があるか。あるに決まっている。あるに決まっているのだ。
 静香は、目を閉じた。安心感があった。
先ほどまでの不安はない。父を信頼している。父は必ず約束を守る。

 でもせめて今くらい、居心地の良さに甘えたって、良いではないか。
静香は、そう思いながら、目を閉じたのだ。

<了>

21 : ◆xS5JZuNSIIml - 2017/08/01 23:39:26.52 ss87dLg80 21/21



投下に失敗してしまい、少し見にくいですね。
申し訳ありません……。

以上となります。ありがとうございました。

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