1 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:49:43.82 b3owXeO0o 1/12

 
雲がまばらに浮かんでいる青空は、遥か遠くにある一筋の水平線から大海原に切り替わる。

まっすぐな水平線上は何べんも重なった波にどこからか崩されて乱暴に動き続けている。

波は太陽の光をあっちこっちに跳ね返し水底を隠し続けている。

遥か彼方の向こうからやってきた水平線は、海に乗っかった黄色い浮き二つを潜り抜け、コンクリートの桟橋にぶつかり砕け散った。

水飛沫は潮風に乗って釣り竿を握る手に降りかかる。照り付ける日差しにうんざりしては、冷たい飛沫でまた気分が変わる。

冷たいような生ぬるいような潮風を嗅ぎながらぼんやりと水平線を眺めていると、二つ並んだ浮きの片方がすこし沈んだ。

隣に座る少女はすぐに竿を引っ張り上げてしまった。

よっぽどの大物を期待していたのか、釣り竿を引っ張ろうとしたまま後ろにひっくり返ってしまった。

日よけに被っていたつばの広い麦わら帽子は滑り落ちてしまい、鮮やかな金髪が潮風でふわりと広がり陽に照らされ眩しいくらいだ。

ぽてん、と倒れたまま青い瞳が空中でぶらぶら揺れる何もついていない釣り針を捉えている。仰向けにひっくり返った褐色の肌の少女は残念そうにつぶやいた。




2 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:51:12.37 b3owXeO0o 2/12


「おおぅー……エサだけ取られてしまいましたです」

「あちゃー。竿ひっぱるのが早かったのかな」

「もう一度挑戦しますです。今度こそお魚ゲットでございます」

「針に気を付けるんだぞ」

「プロデューサー殿、針につけるのはエサでございますよー」

「……うん、その通りだねライラさん」
 
決心を改めたライラさんはむくりと起き上がると、つばの広い麦わら帽子をかぶり直した。

姿勢を正すと、ぶらぶら揺れている釣り糸を手繰り寄せる。

釣り針の先にオキアミを刺し、えいっと放り投げた。黄色い浮きはさっきと変わらない位置で仲良く波の上に乗っている。

何度か竿を上げたが、未だにお魚さんはお目にかかれていない。案外難しいものだ。

3 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:52:24.67 b3owXeO0o 3/12



じりじりと照り付ける日差しが何とも鬱陶しい。

竿を握る手にも力が入ってしまう。

釣り竿も浮きもはるか遠くの水平線も、それどころか雲の位置まで全く動いていない気がしてきた。

桟橋にぶつかる波の動きでさえ単調に見えてくる。

自分の竿が退屈するほど仕事をしないものだから悪態の一つでもつきたくなる。

代わり映えしない竿と海に飽きてしまい、何かないかとあたりを見わたしても、どこまでも広がる大海原には俺の退屈をごまかしてくれるものは無かった。

辺りをぐるりと見わたして、視線は横に座るライラさんに落ち着いた。

海にも空にも負けないくらい青く透き通った目はまっすぐに浮きを見つめていた。


4 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:53:45.53 b3owXeO0o 4/12


「釣れないなぁ……」

「釣れませんです……」

「なんだか退屈になってくる」

「そうでございますか?」

「魚の一匹も釣れてないだろ? そりゃ退屈もするさ」

「ライラさん、そうでもありませんです。釣りは待つ楽しみがあるでございます」

ライラさんはのんびりした声でそう言った。

釣りをする、となんとなく決めて出かけてきたものだからろくに考えもしなかった。

釣りといえば魚が掛かった瞬間に竿を振り上げその手ごたえこそが醍醐味とばかり思っていた。

身を焼く日差しでかなり苛立っている自分が恥ずかしくなる。 

椅子替わりにしたクーラーボックスから水筒を取り出し、麦茶を体に流し込む。

喉をごくごくと鳴らし冷たさが全身を駆け巡る。

冷たさはそのまま心地よい頭痛へと変化した。こめかみを抑えながら息を吹く。

代り映えしない浮きは、太陽の粒が散らされた波の上で漂い続けている。



5 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:55:33.40 b3owXeO0o 5/12


また、何度か浮きは魚が来たぞと震えたりもしたが、俺たちは釣り上げることができなかった。

そのたびに水筒の麦茶が減っていく。

水筒がだいぶ軽くなってきたところで、とうとう浮きはぴくりとも動かなくなった。

待つ楽しみ、焦りは禁物。俺は自分自身に辛抱強く言い聞かせた。

「……やっぱり釣れないなぁ……」

 だが、おしゃべりな口は勝手に不満を垂らしていた。

はっ、と口を抑えて申し訳ないとライラさんのほうを向く。

金色の髪は潮風に揺らされ、青い瞳は浮きにくぎ付けのままだ。

どうやら聞こえてなかったらしい。口元の手をゆるやかに戻して、また海に視線を戻した。

視線は波に揺れる浮きから波へと移り、そのまま水平線へ流されていった。

ぼんやりと空と海の境目を眺める。

潮風の通り抜ける足音だけが耳元で響いていた。


6 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:56:45.10 b3owXeO0o 6/12


どれくらい経っただろうか。

気の抜けたまま随分とぼんやりしていたようで、腰かけているコンクリートの桟橋に汗のあとが点から奇妙に歪んだ円形に広がっていた。

竿を上げてみると、何もついていない釣り針が空中で間抜けに揺れていた。エサを取られていたらしい。

ため息をつくことすら忘れオキアミの入った箱に手を伸ばす。

確か、さっきライラさんが餌を付け直していたから彼女の近くにあるはずだ。久しぶりに海から目をそらす。

さて、餌を付け直そうか。

箱を取るときにちらりとライラさんを見ると、麦わら帽子のつばが先ほどより上を向いているようだった。

ライラさんの青い目は黄色い浮きよりも遥か先にある水平線に向いていた。

7 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:57:36.49 b3owXeO0o 7/12


「どうした?」

不思議に思い、餌を付けながら声をかける。ライラさんはいつもと変わらないのんびりした声で答えた。

「プロデューサー殿、海って広いでございますね」

「……まあ、そりゃ広いよな」

「ずーっと、ずーっと遠くまで海でございます。どこまでいっても、です」

オキアミの刺さった釣り針を海へ放り投げる。

ちゃぽん、と黄色い浮きが二つ並んだ。

俺はまたライラさんの方を見る。

金色がまぶしい。ライラさんは水平線を見つめたままだ。

「きっといろんなところに繋がっているのでございますね」
 
青い瞳の見る先は、はるか遠くまで広がる海を渡っていくようだった。


8 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:58:15.29 b3owXeO0o 8/12


「いろんなところ、か」

「いろんなところでございます」

「ライラさんの国とか?」

「はい。いろんな国と色んな海が繋がって、きっとライラさんの国にも届いているです」

遥か遠く、水平線からやってくる波がゆらゆらと俺たちのいるコンクリートの桟橋でまた飛沫に変わった。

あたりに異国からやってきた海の粒が広がった。

「だからライラさん、海を眺めるの好きです。とても気持ちがいいでございます」

海の粒は潮風に散らされ、金色の髪をなびかせながらライラさんはにこりと笑っていた。


9 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:59:03.33 b3owXeO0o 9/12


「そうか……ライラさんと一緒に釣りに来てよかったよ。ライラさんが好きなことを一つ教えてもらえた」

「ライラさんはプロデューサー殿と一緒にいれるだけで満足でございますよー」

「なんだか照れくさいな……」

黄色い浮きは細かく揺れているだけだった。

遥か遠く、どこかの誰かに繋がっているであろう水平線の向こうを眺めてみる。

小さな点が動いた気がした。どこかの船だろうか。目を凝らしてみてもよくわからなかった。

「……好きなこと教えてくれたから、お礼をしなきゃな」

「お礼でございますか?」

「うん。ライラさんの好きなもの」

今のところ何もしてない釣り竿を置いて、椅子替わりにしていたクーラーボックスを開ける。

釣った魚を持って帰るために持ってきたが、中身がないわけではない。

暑い日には、やっぱり冷たくて甘いアレだろう。


10 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 21:59:53.08 b3owXeO0o 10/12


「アイスでございますか」

「アイスでございますよー」

二つくっついたコーヒー味のフローズンスムージーだ。ぺきり、と分けて吸い口を開ける。

「はい、ライラさんのぶん」

「おぉー、ありがとうございますです」

声こそはのんびりしたいつもの調子だが、ぱちくりした目がどうにも嬉しそうだ。

釣り竿を持ち直し、二人並んでアイスを吸う。冷たくて甘い。

ライラさんが夢中になる理由がよくわかる。

「おいしいでございますよー」

「うん、おいしいな」

アイスを食べながら水平線を眺める。

コンクリートにぶつかった波が跳ね返って、水平線に向かって流れていく。

遥か遠くから来たかもしれない波が、また遥か遠くへたどり着くのかもしれない。

11 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 22:01:08.45 b3owXeO0o 11/12


隣に座る少女の青い瞳は、遠く広がる海と空と同じくらい透き通っている。


そのとき、ライラさんの浮きがぴくん、と沈んだ。釣り竿が逃すまいとしなっている。


「おお、かかったです」

「やったな、一気に釣り上げよう」


竿は大きくしなり、釣り糸は魚に合わせ激しく動いている。ライラさんは手に力を入れ、竿を振り上げた。


釣り上げた魚は波を弾けさせ水飛沫を辺りに振りまいた。


夏の日差しはいつまでも変わらず、眩しくて、熱かった。

12 : ◆nIlbTpWdJI - 2017/07/17 22:02:13.04 b3owXeO0o 12/12

ライラさんと釣りに行きたくてこうなりました。
今年の夏は海に行きたい。

ありがとうございました。

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